27. 帰宅と朗報
レオノラとしては不発に終わった初めての夜会の日から二週間が経った頃だった。
怒らせてしまったベルナールは、次の日から王城に用事が出来たとかで、ずっと泊まり込んでいる。
夜会中に色々仕事の話もしていたようだし、きっと忙しいのだろう。と、レオノラは若干安堵しながら夫の不在を満喫して過ごしていた。
その間に、“旦那様と仲良く愛し愛されたい”同盟には、予想通り夜会で距離を縮める目論見は失敗に終わったと報告済みだ。
ミシェル達三人に慰められながら、用意されたケーキをガツガツと食べた弊害が、まだ若干腹回りに残っている。
(今日もベルナール様は帰らないのかな)
ぼんやりと考えながら寝支度を整えていると、扉の外が少しだけ騒がしくなった。
これはもしかして、とレオノラがソファから腰を上げると同時に、部屋に響く控え目なノック音。
「奥様、もうお休み中でしょうか?」
「ケイティ、まだ大丈夫よ」
「お寛ぎのところ申し訳ありません」
控え目に掛けられた声にレオノラが答えれば、おずおずとケイティが部屋に入ってきた。
「ベルナール様がお帰りになったの?」
「はい。お時間も遅いですが、奥様にお知らせしようと思いまして。お出迎えされますか?」
「勿論!」
夜会から二週間も経てば流石に怒りも忘れているだろう。
不安に思うことがないので、レオノラは意気揚々と玄関へと急ぐ。
向かった先の玄関ホールでは、いつもの不機嫌顔のベルナールが外套をニクソンに預けている所だった。
「ベルナール様、おかえりなさい!」
レオノラの存在に気付いた途端、肩をビクリと揺らしたベルナール。そのまま一瞬だけチラリと視線を寄越すが、フンと鼻であしらうとそっぽを向いてしまった。
ここまでならいつも通りの反応だ。が、今日のベルナールは何か気になるのか、その後チラチラとレオノラの方を向いてはまた顔を反らし、向いては顔を反らし、と落ち着かない。
レオノラが階段を降りる間もずっとそんな感じだったが、結局口を開くことなく、背を向けて執務室へ向かって歩き出してしまった。
折角出迎えても会話一つ無いことはいつものことなので、レオノラも肩を竦めてそのまままた部屋へ戻ろうと踵を返す。
ただし今日は、それを慌てて引き留めるニクソンの声があがった。
「あ、あの、奥様。実は少しお話がありまして。よろしければ、旦那様のお部屋前までご同行いただけますでしょうか?」
「え?あ、ベルナール様のお部屋ですか?」
それでは廊下で歩きながら話を済ませる、ということになるが。
「はい。歩きながらで大変恐縮ですが…この後も旦那様とお仕事の話があり、奥様のお部屋へ伺う時間がないものでして」
「えっと、分かりました…」
ベルナールを待たせる訳にもいかないが、後回しにもしたくない話なのか。余程重要らしい、ニクソンの瞳に懇願する色が見えたので、敏腕執事らしからぬ要望だがレオノラは頷いておく。
そのまま、少し先を歩くベルナールの後を追う様に、ニクソンと並んで屋敷の廊下を歩くことになった。
「それで、お話というのは?」
「はい。実は、サン・ブラムの予約が取れたので、奥様がよろしければ明日、お越しいただきたいのです」
「へっ!?えええ?サン・ブラムですか?本当に!?」
重要な話かと思って身構えていたのに、思わぬ朗報でレオノラは驚きに目を見開いた。
「でも、あの派閥がどうのって…」
「それが、エルマル伯爵家のご令嬢は、急遽留学が決まったようです。ですので、ご令嬢のお抱えからは外れることになります」
「留学?」
「はい。定期的に行われている帝国との特別交換留学制度の一人として」
「ああ。あの優秀な人たちが集まるアレですか……でもたしか、先月もう出発してた筈じゃ?」
国内の優秀な若者が帝国に渡り見識を広める為、国が後押しする制度だ。この特別交換留学制度に選ばれた者は、費用は全て国が出す上に帝国での扱いも国賓と同等になるので、非常に名誉なことなのである。
王国と帝国の関係は良好で、帝国への留学生は非常に多い。その中でも、高額な費用を全額出してもらえる上、国に選ばれる名誉とあって、この制度はとてつもなく倍率が高かった。
「先に出発した一団は、政治知識や国際法律等の分野で選ばれておりました。ですが、エルマル伯爵家のご令嬢は絵画や楽器といった芸術方面に長けた方だそうでして。そういった文化的な分野の人材も派遣すべきだろう、となり。急遽合流されるとのことです」
「へえぇぇ、そんなことがあるんですね」
レオノラが知っている交換留学生といえば、国内の大学や研究所から選ばれた、政治や法律、科学や数学といった、勉強方面で優秀な人材であることだが。
しかし、せっかく留学で見識を広めるなら、芸術の専門家が行くのも良いかもしれない。
それに、これはレオノラにはラッキーなことである。
「嬉しいです!既製品のドレス1着くらいなら、私の貯金で買えるので、明日…」
「はぁっ!?」
前方から低い声が聞こえて、レオノラはビクリと言葉を切った。
ニクソンから視線を前へ向ければ、廊下の少し先でベルナールが思い切りこちらを睨んでいた。離れているのにその眉間の皺までくっきりと見える。
「貴様、自分の貯金と言ったか?」
「え?あ、はい」
「何を考えている」
地鳴りの様な低い声で唸られ、レオノラもどうしたものかと困惑した。
嫁いでいった娘に実家から少なからず仕送りがあるのは、貴族社会では珍しくない。自分で稼ぐ術の無い貴族夫人にとって、夫に気兼ねなく使える金銭。
特に、婚家と折り合いが悪い夫人にとっては、必需品を揃える生命線だ。
たとえ冷遇されていなくても、ゴシップ雑誌だったり、歌劇役者のブロマイドだったり、夫に反対されているものを買う為に、実家からの仕送りを頼る貴族夫人は多い。
レオノラの実家、ミロモンテ家も、悪名高い蛇宰相に嫁ぐ娘を想って、そこそこのお小遣いを持たせてくれた。『今後も定期的に仕送りをするから』との手紙には、感謝の返事と一緒に、そのお小遣いで買った王都のお土産を包んで送ってある。
そんなことを思い出している間にも、ベルナールの機嫌は悪くなる一方で、醸し出す空気はどんどんよろしくないものになってくる。
「えっと、あの…何かマズかったでしょうか?本当に1着だけですし、ちゃんと自分の貯金で…」
「奥様っ、奥様……あのですね」
横からニクソンが口を閉じる様に手を挙げて静止してきた。その必死な様子に、レオノラは楽しい気分がシュンと沈んでいく。
ベルナールが何を怒っているのか分からないが、ニクソンも焦っている様子なので、折角だがドレスは諦めた方が良いかもしれない。
こっそり肩を落としたレオノラに、ニクソンはチラリと一瞬だけ、廊下の先の主人に視線を投げてからコホンと小さく咳払いをした。
「旦那様から、奥様の為に夜会用のドレスを3着、茶会用のドレスも3着。また普段使いができるものを5着程仕立てる様、ご指示が出ております」
「……へはぃっ!?」
レオノラは目と口を思い切り開いた間抜けな顔を向けてしまう。
「勿論、侯爵家の奥様の為の予算でお作りしますので。間違っても、奥様に支払わせるようなことはことにはなりません」
「え、でも…そんな、いいんでしょうか?」
「前回の夜会も、その前の茶会も、ドレスが急ごしらえでしたので。これからは社交が増えることを見越し、いくつか作っておいて良いだろうと、旦那様のご指示です」
「ほ、ほんとうに…いいんですか?」
ゆっくりと視線を廊下の先でまだ立ち止まっているベルナールに向ける。その顔色を伺ってみるが、相変わらず不機嫌そうに眉が寄っているだけで、それ以外の感情が伝わってこない。
しかも微動だにしないものだから、レオノラも不安になってきたのだが。十秒以上続いた沈黙に、ニクソンが助け舟を出した。
「はい。旦那様からのご指示ですので」
「ありがとうございます!ベルナール様、すごく嬉しいです!」
レオノラがパァッと明るい表情でベルナールに向きなおれば、ビクリと彼の肩が揺れる。
そのまま今度は逃げる様に廊下を進みだしてしまったので、レオノラはその後を急いで追いかけた。流石に用件を聞いたからここでさよなら、は失礼だし。せめてもう少しきちんと礼を伝えたい。
「ベルナール様、本当にありがとうございます。私ずっとあのブランドに憧れてて」
スタスタとベルナールは足を動かし続ける。
「他のご令嬢の行きつけだからって聞いて諦めてたんですけど、こんなに早く機会が来るなんて。ベルナール様、ありがとうございます!」
その言葉に、それまでひたすら足を動かしていたベルナールが、ビクリとまた肩を揺らして立ち止まった。
気付けばいつの間にか彼の執務室の前に着いている。
「ベルナールさ…」
「お前の為にやったのではない!!」
ギロッと剣呑に眼光が光ると、そのままベルナールは素早く部屋に入り扉をバタンと乱暴に閉めてしまった。
耳が痺れるほどの怒声を投げられ、廊下に取り残されたレオノラは呆気に取られてポカンと口が開いてしまう。
「……えぇっと、ドレスの仕立てのこと、ですよね?」
レオノラの為でないと言うのは、ドレスはあくまでゲルツ侯爵家に恥を欠かせない為だから、その積もりでいろ。と釘を刺されたと解釈すれば良いのだろうか。
「あの、奥様……その、どうか旦那様の無礼な態度をお許しください」
「い、いえいえ。そんな無礼だなんて。そもそもドレスを買ってもらうのに、感謝しかありませんよ。サン・ブラム、楽しみです」
明るく笑う女主人にニクソンは、やはり真相を伝えた方が良いのでは、と浮かんだ考えを黙って飲み込む。
土壇場になって気まずさを覚えたのか。件の令嬢を交換留学生に急遽推薦する為この二週間尽力したことは、絶対に言うなと先ほど玄関で厳命されてしまった。
蛇宰相の流石の手際の良さで、留学生の枠を急遽増やすことに成功したベルナール。その為の根回しは完璧で、怒涛の勢いで王宮にも認められていた。
件のご令嬢の実家も『なんと名誉なことか』と手放しで喜んでいると聞く。
周りからすれば今回のことは、中立派の貴族にゲルツ宰相が恩を売るために便宜を図ったようにしかみえない。
が、実際のところは、妻が仕立屋を利用する為に、ここまで大がかりなことをしたのだが。
そこまでしたというのに、執事には何も言うなと口止めし、本人である妻には「お前の為ではない!」などと……
「はぁ…」
ままならない状況と主人の前渡に、老執事はその立場にあるまじき溜息を漏らしてしまった。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。
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