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26. あの顔が(ベルナールside)

 ー 私が好きなのはベルナール様のお顔だけで、フェザシエーラ公爵令息など少しも好きではありません ー


 そんな台詞を期待していたと自覚したのは、その期待が粉々に砕かれた時だった。


『ああいう顔()好きなんです』


 そう言う妻の顔も声も普段通りで、ベルナールはサァッと血の気が引く音を聞いた気がした。

 そして同時に胃からせりあがる吐き気と、足元が崩れていく様な錯覚に襲われる。

 馬車の中で座っているからなんとかなったが、立っていた時であったら確実に醜態を晒していた。


()、とはなんだ…)


 そんな疑問がグルグルと頭を回る。


『あれ、ベルナール様?』


 フッと覗き込んでくる妻の顔を見ていられなくて咄嗟に顔を背けた。しかし頭は動揺したままで、その後のレオノラの言葉など何一つ耳に届いてはいなかった。


 馬車に揺られながら屋敷についてもベルナールの疑問は解けず。フラフラと着替えもせずに、気付けば執務室の机で頭を抱えていた。


「もはや、私に用は無いということか?」


 あれだけ普段からこの顔が好きだと言っておきながら、フェザシエーラの顔()好きだと言ったのだ。

 もしや、この顔はもう見飽きたという意味だろうか。ここからあっという間に、あの顔()好きだと言い出すのだろうか。


「何か気に入らなかったのか……腕を掴んだのはやはり拙かったか?しかし、あれは……」


 多少腕の力が強かった自覚があるベルナールは、キッチリと整えられたオールバックの髪をグシャリと手でかき乱した。

 妻に対して乱暴だったとは思うが、そもそもあれは妻が悪い。


 いや、妻だけではなく、そもそもこの舞踏会そのものが悪いのだ。


 はじめ、舞踏会の招待状が届いた時、ベルナールは特に何も思わなかった。

 いずれ夫婦同伴の行事に参加する時がくることは覚悟していたし、そろそろかと予想もあった。


 だからといって普段の舞踏会と何が変わる訳でもない。いつも通りに挨拶と仕事の話しをする横に、今回は妻が付いてくる。

 ただそれだけのつもりだった。


 しかし今日。部屋から出てきたレオノラの姿を見た時、ベルナールは「これは、よくない」と思ったのだ。


 華やかなドレスは露出された腕や胸と対比して、肌の白さを強調させる。

 胸元に流れた長めのネックレスが輝けば目を引くが、その結果そのままふっくらした谷間へ視線が動かされる。

 耳を飾る宝石も同じことで、それに目を向ければ自然と、晒された項が目に入る。


 しかも、化粧が普段より濃く、可憐だった。ただでさえ妻が笑うと周りが何故か明るくなるのに、今夜の微笑みは太陽でも直視したかの様な眩しさを感じる。


 そのまま駆け寄ってくる姿に、ベルナールは思い切り眉が寄った。とにかく、これはよくない。人目に晒してはならない。


 訳の分からない衝動に駆られ、今日は屋敷に残るよう命じるつもりだったのに。


『素敵です!ベルナール様…』


 弾んだ声でそう迫られ、ベルナールは思考が止まった。

 真っ白な頭で、やっと普段通りの悪態を一つ返した気がしたが、あまり記憶はない。どうやって馬車に乗ったのか、馬車の間何をしていたのか、今でも思い出せない。

 そう考えると、行きも帰りも、馬車での記憶が曖昧だ。


 とはいえ、流石に王宮に着いた時には正気を取り戻し、今日のあるべき姿を思い出していた。


 舞踏会の招待客と、挨拶をする相手。必要な会話の内容、帝国の要人に探りを入れるタイミング。

 頭で整理すれば、ここからはいつも通りの舞踏会の筈で。その為にもレオノラには何も喋るなと厳命する。


 ベルナールの中で、レオノラを誰とも関わらせるつもりはなかった。

 のだが……


『これは美しい奥様で』

『是非奥様にご挨拶を』

『奥様をご紹介いただけませんか』


 誰も彼もがレオノラに興味を示してきたことで、ベルナールは吐き気を覚えた。


(どいつもこいつも、何故私の妻を見る…)


 屋敷で駆け上がった衝動がまた走る。

 この女を人目に晒してはいけない。

 そう思って自分の後ろに腕を引いて下がらせ、仕事の話題を振れば相手の興味も妻から外れた。それでも、相手がチラチラとしきりに気にしてる様に感じて仕方がなかった。


 そんな風にずっと妙な焦燥感に苛立っていたというのに、急にアレク・フェザシエーラに対しレオノラが喋りかけたものだからベルナールはギョッとしたのだ。

 しかも、下がるように腕を引いてもこれまでに無いほどの力で抵抗される。


 フェザシエーラの小倅に、妻がしきりに話し掛けている。目の前のそんな光景は、どうしようもないほどに不快だった。


 そしてアレク・フェザシエーラの嫌味な程お綺麗な顔にレオノラが微笑みを浮かべた瞬間に、ベルナールの我慢も切れた。

 レオノラの抵抗を封殺する力でその小さい身体を今度こそ引き離し、そのまま人気の少ないバルコニーへと連れ出していた。


(やはり、屋敷に置いてくるべきだった)


 そんな後悔を抱きながら、今度こそもう何もするなと念を押し、ベルナールはレオノラをその場に置き去りにしたのだ。

 頭の中では、これ以上妻に興味をもつ輩の前に連れ出してはならないと、それだけで一杯だった。


 挨拶回りが終わったので、次からはじっくりと話し込むことになる。先ほどのように自分の横に連れて歩けば、またどいつもこいつも興味を示してくるだろう。長い会話の間に、またレオノラが口を開けば目も当てられない。


 そんな考えで頭がいっぱいだったベルナールには、一人で置いて行かれた淑女がどうなるかにまで気を回す余裕はなかった。

 というより、悲しいことだがこれまでパートナーが一切居なかったベルナールには、そんなことを考える必要がなかったのだ。


 その結果を、ベルナールは思い知ることになる。

 少し経ってからやはり気になり、探し出したレオノラは、そのアレク・フェザシエーラとダンスをしていたのだから。




「やはり、乱暴だったか……次は、あの顔()好きだと言うのか…?」


 今日のことを思い返してみても、答えは出ない。ただただ、同じような言葉が頭の中をグルグルと回っている。


 そもそも、何故こんなことで悩んでいるのかベルナール自身、訳が分からなかった。しかし頭から不安と焦燥感が離れない。


 何度か頭をグシャグシャと掻いたことですっかり乱れた黒髪を、またしてもグシャリと潰していると、コンコンと部屋の扉が叩かれた。


「旦那様、そろそろお休みの準備を…」

「ニクソンか」

「はい……っ!?い、如何されましたか?今宵はもうお仕事はないと伺っておりましたが」

「いや、少し考え事をしていただけだ」


 鳥の巣のごとく乱れた主人の髪にニクソンは何かあったのかと肝を冷やす。

 否定はされたが、髪を乱して、上着も床に放り、顔色が悪い主人の姿は、どう見ても何か大きな問題にぶち当たっている者のそれだ。


「何か、酒でもご用意しますか?」

「いらん……そういえばニクソン。お前に聞きたいことがある」

「はい。なんでございましょうか?」

「最近のアレは、何か注文をつけたり、不満を言ったりしていたか?」

「は?…アレ、とは?」

「アレはアレだ!」


 眉を寄せて声を荒げたベルナールの姿に、アレとは彼の妻、レオノラ夫人のことだな、とニクソンは察した。

 彼女のこととなるとベルナールは途端に口調が荒くなる。まるで思春期の子どもの様だ。


「奥様でございますか?奥様の不満でございますか……」


 眉を寄せたまま頷く主人に、ニクソンはどうしたものかと頭を悩ませた。


 レオノラの不満など、当然だがベルナールの態度が一番にあるだろう。むしろそれ以外に何があるだろうか。


 と、言ったところでこの主人が行動を改めるなどしないだろうし、へそを曲げて終わってしまう。

 一体、何故急にそんなことを聞いたのか分からないが、妻に興味を持ったのは良い傾向なので、このまま上手く話を纏めなければ。


「……そうでございますね。奥様のご要望と言いますが、どの様なものを想定されているので?」

「なんでもいい。女なら新しいドレスが欲しいだの、調度品を揃えたいだの。高い店で食事がしたいというなら、それでもいい。何か言ってなかったか?もしくは、屋敷の外観が気に入らないとか」


 ブツブツと思い付いたそばから挙げていくベルナールの言葉を聞いている内に、ニクソンもだんだんとベルナールの言いたいことが分かってきたのだが…


「宝石類でもなんでも良い。とにかく、アレの機嫌が良くなることをしろ」


 これは果たしてどういう風の吹き回しだろう。


「そういえば、奥様が申しておりましたが。ドレスのことで少々……」

「ほぉ。なんだ?」

「奥様がご希望される仕立屋があるのですが、どうやらそこを普段から利用しているご令嬢との派閥の問題で、奥様が諦めるしかない状態でして。エルマル伯爵家のご令嬢ですが」

「中立派か。なるほど…そんな慣習があったな」


 宰相という立場からか、その能力の高さからか、一応ベルナールもお抱え仕立屋のルールは知っていたらしい。


「はい。もし、その店でドレスを作ることができれば、きっと奥様はお喜びになるのでは」


 仕立屋の慣習があるといえど、法で決まったものではない。多少強引になろうが、その蛇顔と権力を使い無理を通して一着、二着、圧力で作らせれば、きっとあの女主人も喜ぶのでは。

 そんなニクソンの提案だ。


「……いいだろう」


 ベルナールが頷いたので、ニクソンも安堵に口元が緩む。これはとても良い傾向ではないだろうか。

 あの主人が、妻の為に何かしたいと言い出したのだから。


「では数日中に旦那様のお名前で仕立屋に予約を…」

「いや。まだだ」

「はっ?」


 これからの二人の明るい未来に期待を膨らませたニクソンは、ベルナールに止められ目を瞬かせる。


「方法は幾つかあるが…たしかあそこの令嬢の歳は十六か七だったか?なら、丁度良い」

「あの、なにを?」

「二週間だな。そうしたら好きにさせて良い」

「は、はぁ…?」


 少し思案した後でニヤリと口元を歪めた主人に、ニクソンはこっそり首を傾げたのだった。



レオノラも言ってますが、そこまで乱暴なことされてないです。

ベルナール様も無意識にちゃんと手加減してました。



ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。

ブックマークやリアクションや評価くださった方々、誠にありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
ベルナールの情緒が小学生で止まってる・・・。この男の良さが全然分からない! 主人公の気持ちにここまで寄り添えない作品というのもそう無いですねぇ。それなのに面白いと思えるのが不思議。作者さんのお力でしょ…
ベルナールが、かわいい!!!!!この心情をレオノラに見せてあげたら絶対に好きになっちゃうかもしれませんね!!それくらいかわいいです!! 妻をバルコニーに置き去りにすることが、いまいちその危なさというか…
ちゃんと旦那さまの心にぶっ刺さってた! お屋敷の皆様が、今はベルナールを見てびくびくヒヤヒヤしているのがそのうちニヤニヤになって行くのを期待しています… 私はすでにニヤニヤしてます、かわいい!
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