10. 茶会
ゲルツ侯爵家に嫁いでから二週間。本日、レオノラはお茶会に招待されていた。世間で言うところの、新婚期間が終わった頃である。
新婚夫婦には結婚してから十日程、新婚生活を満喫する為、休みを与えられるのが通例だ。
新婚旅行をしたり婚家に慣れる為に二人で寄り添う期間、とされている。その休みが終わった頃に、夫婦は社交の場に招待される訳だ。
ベルナールは旅行どころか休みすら取ってはくれなかったが、そこは今更言ってもしょうがない。
そうして休暇期間が空けたと同時に届きはじめた招待状の中から、ニクソンが選んでくれたのが、中立派の中でも大きな力を持つ、ヘンデル侯爵家の夫人が主催するこのお茶会だった。
権力、派閥、が大好きのベルナールに嫁いでおいてなんだが、辺境に居たレオノラは王都の貴族関係に疎い。嫁ぐまでに少しは勉強してきたが、有力貴族がどの派閥に属しているかを覚えるので精いっぱいだった。それも表向きの情報のみであり、本質や家同士の関係性等はさっぱりだ。
だからこそ比較的、派閥に関する話題は無粋とされる空気の、中立派の大物貴族のお茶会に参加するのだ。
恐らく周りの貴族夫人達も、レオノラが派閥抗争に対してどう出るのか様子を見ている。
夫と共に派閥の争いに迎合するのか、夫の仕事を気にせず抗争からは距離を置くのか。社交界の貴族夫人は大体がこのどちらかに分かれる。
(一緒に派閥争いを頑張るって、お茶会で根回しや情報交換したり、が主なんだけど…)
レオノラとしては、ベルナールの助けになるなら手伝える部分は参加したいと思っていたが。夫婦で碌に会話もなく、何を考えているのか分からない状態ではどうしようもない。
ニクソンに相談もしたが、ベルナールも妻の助けなどそもそも想定しておらず、むしろ邪魔だと思うだろうと、ものすごく言葉を選んで説明してくれた。
ということで、レオノラは思い切り派閥抗争からは距離を置くことにしたのは良い。だがしかし、辺境出身のレオノラには、王都で頼れる存在がいない。旦那様がまったく頼りにならない今、それはまずい状態である。
なので今日のお茶会で派閥争いはしないタイプですとアピールしつつ、同じ様な立ち位置の友達を作りたかった。
そんな思いでレオノラが会場である侯爵家に到着すると、緑の芝生に白薔薇の生垣がよく映える、美しい庭園に案内された。
今日のお茶会の形式はガーデンパーティーで、既に何人もの貴婦人達が立ち話に夢中になっている。
勿論、所々にテーブルと椅子も用意されており、給仕も控えているので、座ってのお喋りも自由だ。
(うわぁー、綺麗なお庭。うちもこんな風にしたいなぁ)
日差しに照らされるガーデンに目を奪われながら、ゆっくりレオノラが会場に足を踏み入れた途端。
「あら…」
「…まぁ。あれが…例の?」
チラチラと視線が飛んできた。が、それは想定内。むしろ、今日は多くの貴族婦人達が、レオノラを見に来ていると言っても過言ではないだろう。
(蛇宰相の妻…といっても、思い切りお飾りなんだけど)
早いとこ自分は影響力はありません、と知って貰わなければ。という若干の焦りを覚えつつ、事前に肖像画で予習してきたヘンデル侯爵夫人を見つけて、足早に近付いていく。
「まぁ、ゲルツ侯爵夫人ね。初めまして、ライラ・ヘンデルと申します」
近寄ってきたレオノラに気付くと、少し恰幅の良いヘンデル夫人は柔らかい笑みで声を掛けてくれた。優雅で洗練された微笑みに、レオノラも丁寧に淑女の礼を取る。
「ヘンデル夫人。この度はお招きいただき誠にありがとうございます。先日ゲルツ家に嫁ぎました、レオノラと申します」
「こちらこそ、来ていただいて嬉しいわ。貴方には是非お会いしたいと思っていたの」
そう言いながら、ヘンデル夫人はそっと瞳を伏せた。
「お辛い思いをされているのでは?ゲルツ宰相との結婚で」
「…え?」
しんみりとした雰囲気で、いきなり核心を言われ、反射的に口元が引き攣った。
そんな風に見られる可能性を考えなかったわけではないが、初対面の挨拶終わりにいきなりその話題に触れられるとは。
咄嗟に強く否定しようと拳に力が入る。が、目の前のヘンデル夫人の顔に嘲りや好奇の色はなく、心底同情の気持ちが浮かんでいる。それを見ると、喧嘩腰に言い返すのもどうかと思い、レオノラは拳からそっと力を抜いた。
おせっかいなオバちゃん、という評価がピッタリなその表情に、とりあえず小さく微笑みを浮かべておく。
「いえ。私はこの結婚に不満はありません。むしろ、楽しく過ごせそうかと…」
「結婚式も挙げず。未だに派閥の貴族どころか、親戚筋へのお披露目もないのに?」
「…うっ、」
それは本当のことだ。婚約期間中にベルナールから“式はしない”という一方的な連絡が来た。しかし、それについてはレオノラも大いに賛同したので同罪である。
通常の結婚式であれば準備に半年ほど掛かるものだが、推しの顔を早く拝みたい一心で、同意してしまった。それに、まだ見ぬ推しと自分の結婚式が、レオノラには想像できなかったのだ。
なので、式に関してはレオノラは特に気にしていない。親戚筋への挨拶も、ベルナールが一切やる気を見せないので、レオノラも黙って便乗している。
「結婚休暇に関しても、夫から聞いた話によるとね。国王陛下は取れと言ったそうなのだけど、あの方、『妻などに構ってる暇はないので』って言い切ったそうよ」
「……」
それは知らない。そんなことを堂々と宣言していたとは。
やんわりとした口調に強い心配の色を滲ませるヘンデル夫人に、レオノラもとうとう口を閉じた。
反論したくとも、ベルナールを良き夫だと言える根拠が、今のところ思いつかない。
悪役推しからしてみれば、そんな所も悪役っぷりを見せつけられる気分で、レオノラは楽しく鑑賞出来てしまう。
しかし、もしこれが前世を思い出す前のレオノラだったらどうだろう。
間違いなく、ベルナールの行動や言動に傷ついていただろうし、そもそも結婚を承諾していたかも疑問だ。
たとえば、これがまったく別の令嬢の話だったとしたら、蛇宰相に冷たくされるそのご令嬢にレオノラもきっと同情していた。
だからヘンデル夫人の気持ちも理解できてしまう。
そんな戸惑いから目を泳がせるレオノラにヘンデル夫人は表情をハッとさせ、また笑みを貼り付けた。
「ごめんなさいね、私ったら。急にぶしつけなことを」
「あの、いえ…そんな」
「どうか気を楽にして、今日は楽しんでもらえたら嬉しいわ。困ったことがあればいつでも相談して頂戴ね。なんでも力になるから」
「はい。ありがとうございます」
ぶしつけではあるが、心配しているのも本当なのだろう。
否定も肯定もできないまま、楽しんでこいと庭園へ送り出すヘンデル夫人に従った。
あの様子なら、きっと夫の事で困っていると言ったら、腕まくりをして首を突っ込んでくれそうである。
おせっかいなオバチャン味を感じ、悪い人ではないとも思う。
が、レオノラが欲しいのはそういう交流ではない。
次は是非気の合う人との出会いを、と意気込んだレオノラだが、その後の挨拶周りで実感することになる。
夫となった蛇宰相は、よほど評判が悪いらしい、と。




