6-22.兄弟子と妹弟子(1)
極星宮の北に広がる鍛錬場には、木偶人形の設置された一角以外にも模擬武器を使った試合のできる平坦な広場や、自然の地形を再現したり障害物を置いたりして実戦に近い訓練ができるよう造成されたエリアなどがある。
その試合場に、レギーナは立っていた。ドゥリンダナではなく模造騎士剣を手に、呼吸を整え精神を統一しながら向かい合う彼を見る。
その彼女が対峙している相手はなんとアルベルトであった。彼もやはり模造の片手剣を手に、力を抜いた自然体で佇んでいる。
「さて。天眼の理解がどれほど深まっているか、ひとつ試験といこうじゃないか」
両者の中ほどに立っている朧華が、機嫌の良さそうな朗らかな声で告げた。
「えーと、朧華さん」
「ん、なんだい少年?」
「……相手が俺である必然性は?」
アルベルトの疑問はもっともであろう。経験豊富な熟練の冒険者で、冒険者ランクの昇格試験を受けていないゆえに実力とランクが見合っていない彼ではあるが、それでもレギーナと試合して勝負になるとは思えない。彼女の技量的なレベルが減退していることを差し引いたとしてもだ。
実力差に開きがある相手と戦ったところで、果たしてまともな試験になるのか。レギーナに天眼すら使わせずに終わってしまう自信がアルベルトにはある。
そしてレギーナにとっては、ある意味でもっとも戦いたくない相手でもある。師匠に名指しされた対戦相手を断れなかったからこそ、彼女は今精神統一してまで覚悟を決めようと頑張っているのだ。
「そんなの決まっているじゃないか」
だがそんなアルベルトの問いに、なにを分かり切ったことを、と言わんばかりに肩をすくめる朧華。
「少年だって我の弟子なんだから、もうそろそろいい加減、天眼のひとつも開いてもらわなくては格好がつかんだろう?」
「…………え?」
「少年だけじゃないぞ。この先、各地に散らばる我の弟子たちには全員慧眼まで開いてもらうつもりだからね。まあ最低でも天眼の開眼は必須だな」
真顔でそう言われて、さすがに唖然とするアルベルトである。いや確かに若い頃には手ほどきを受けたけれど、当時は確かに師匠と呼んではいたし自分でもそのつもりでいたけども、まさか正式に弟子認定されているとは。
「え……俺、弟子って名乗って良かったの?」
「何を言っているんだ少年。君は我が教えた中でも最初期のひとりだぞ。弟弟子たちに示しをつける意味でも、君には慧眼まで開いてもらうからな?」
「ええ……」
「えっ、じゃあ私、彼の妹弟子ってことになるのかしら!?」
「そうだよ?レギーナどのが最新の弟子ってことになるね」
「いやレギーナさん、そんなに喜ぶようなことじゃ……」
アルベルトの妹弟子になると知って途端に顔を綻ばせるレギーナに、これまた笑顔で朧華が肯定し、アルベルトはなぜ彼女が喜ぶのかよく分からず戸惑っている。
なおこの場にミカエラはいない。自らの霊力を東方の魔力の理である“相生”に最適化させるべく、クレアに引きずられるようにして宮廷魔術師の元へ向かって留守だからだ。
彼女はレギーナに「私が優先なのは分かるけれど、あなたもちゃんと修練して」と言われたこともあって、渋々別行動を取っている。
「話を戻すけど、少年は以前の鍛錬で基礎はできているんだよ。あれから君が怠らずきちんと修練を積んでいたのなら、さすがにもう天眼くらいは開眼していていい頃合いなんだよね。だからレギーナどのにとってはちょうどいい相手になるはずだよ」
朧華にそう言われてしまえばアルベルトも反論できない。確かに、西方世界に戻ってからは実戦で気功を使う機会はほとんどなかったとはいえ、鍛錬だけは教わった通りにきちんと真面目に積んでいた自負がある。それを怠っていなかったからこそ、発勁も瞬歩も思い通りに発動できているわけだから。
となると、自覚がなかっただけですでに天眼も修得できているのかも知れない。まあ自覚がなかった以上は理解の方はサッパリだが。
「さて、そろそろいいかな」
そしてアルベルトの困惑をよそに、朧華がパチンと手を叩く。
「形式は一般的な模擬試合。魔術は禁止、打撃を与えるのは手足と胴まで、急所狙いは許可するけど、その場合は寸止めで対応してほしい。それから威圧を含む各種技能の使用も許可するよ。——ただし、あくまでも天眼を用いて戦うこと。いいね」
「いやだから朧華さん……」
「天眼が開けてないというのなら、今この場で開いてみせるくらいはしないとね」
「えええ……」
「それから、特に少年にひとつ助言だ。相手をよく見ること。いいね」
「相手を、よく見る……」
「それでは、始め!」
有無を言わさず朧華が試合開始の宣言とともに大きく飛び退いた。それと同時にレギーナが模擬騎士剣を両手で構え、アルベルトもやむを得ず模擬片手剣を右手に半身に構えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カァン。
木製の模擬剣同士がぶつかる乾いた音が響き、剣が一本、宙を舞う。回転しながら大きく弧を描いた模擬剣はすぐに落ちてきて乾いた大地に到達し、そして一度だけ跳ねた。
「そこまで」
朧華の冷静な声が試合の終了を告げる。
「思った通り、少年の勝ちだね」
そして続けて、残酷な現実を告げた。
「え…………」
得物を弾き飛ばされて無手になってしまった両手に目線を落とし、呆然とするレギーナ。対するアルベルトのほうも、まさか彼女から勝利を奪えるとは思わなかったといった様子で、自分の手元とレギーナと転がる模造騎士剣とをキョロキョロと見回している。
「ほら、やればできるじゃないか。教えたとおりによく見ていれば、当然こうなる」
「それは……私がよく見ていない、ということ……なのですか?」
「貴女は見ようとしているよ。でも、まだきちんと見えていない。それだけのことさ」
つまり、レギーナはまだまだ天眼の理解が甘く、使いこなせていないという事なのだろう。
「も、もう一度!もう一度だけお願いします!」
「一度と言わず、修得するまで何度でもやってもらうつもりだけどねえ。——少年の方も、構わないかい?」
「え……ええまあ、俺はいいですけど……」
「よし、じゃあふたりとも二戦目だ」
その朧華の言葉で、模造剣を手にしたレギーナとアルベルトは再び向き合う。彼女は今度こその決意とプライドの籠った、やや睨みつけるような厳しい表情。対して彼の方はまだどこか困惑したような、それでも言われたことと、試合う意味を噛みしめるような表情で。
「始め!」
今度はレギーナは、最初とは異なり合図と同時に動いた。一戦目はまず様子を見たためタイミングの読み合いになり、それで見られてしまったのだと考えたのだ。
彼女は持ち前の敏捷力で一気に間合いを詰めると、低い姿勢から左腰に溜めた模造騎士剣で逆袈裟に斬り上げる。刀鍛冶の景季のところで習得した“居合”のアレンジ技だ。
だがアルベルトにはこれを読まれていたようだ。振り抜く模造騎士剣の出鼻、真剣で言えばリカッソの部分にあたる剣の根本に、同じく模造片手剣の根本を完璧に合わせられた。
アルベルトの剣圧はほぼ感じない。合わせられた力も剣を押し返されるほどではなく、ただ勢いを殺されただけ。だがそうなると、相手の力を利用しての上段袈裟斬りが放てない。
だから彼女は自ら身体をねじって剣の軌道を逆回転させなければならなかった。だがそうして身体ごと一回転して上段から袈裟斬りに振り下ろした剣は、相手の力を利用できていないせいか、これもアルベルトに片手剣を合わせられ防がれてしまう。
(もしかして、見られてる……?)
スピードには自信があるし、アルベルトがそう素早いとも感じないから、剣の軌道を見られているとは思えない。であればこれはきっと、見られているわけではなく剣の癖を読まれているだけだろう。もうすでに彼の目の前で何度も剣を振るってきているから、彼もある程度は自分の癖を掴んでいても不思議はない。
だったら、違うことをするまでだ。
瞬時にそう判断したレギーナは袈裟斬りを止められたタイミングで着地と同時にバックステップで距離を取り、間髪入れずに今度は踏み込みと同時に突きを繰り出した。純粋な剣技での突きはまだ見せていないはず。
「あっ」
だがその突きですら、完璧なタイミングでいなされる。剣の腹同士を下から合わせられ、力の方向が上向きに逸らされて一瞬だけ身体が泳いだ。
「それまで」
朧華の声が無情に響く。アルベルトの模造片手剣が、レギーナの胴を両断する形で止められていた。
「うん、君やっぱり天眼が開いているぞ、少年」
「えっ」
「レギーナどのの動き、全部見えていただろう?」
真剣勝負であれば斬り裂かれていたはずの腹部に手を当てて呆然としていたレギーナの耳に、朧華のその声が届く。
「見えて、いたの?」
「ええと……まあ、そうだね」
「せっかくだから、何をどう見ていたのか聞こうじゃないか」
朧華にそう言われ、やや考えながらもアルベルトは口を開いた。
「そうだなあ……開始の合図の前の立ち姿の時点でレギーナさんの脚に力が入っていたから、ああこれは開始と同時に突っ込んでくるな、って」
「えっ」
「剣を前に出すんじゃなくて身体から突っ込んできたから、多分居合だと思ってね。そしたらやっぱりそうだったから、動きからしても次は袈裟斬りだと思って、それで居合には合わせるだけにしたんだ」
「えっえっ」
「そしてレギーナさん、俺が袈裟斬りに合わせた瞬間にそれ以上力を込めずに逆に抜いちゃったでしょ。だからこれは手を変えてくるなって思って。だとしたら突きだろうと思って見てたら案の定で」
「うそ……」
ここまで何から何まで完璧に読み切られていたとは。さすがにショックを隠せないレギーナである。
「レギーナさんの剣技は正統派の騎士剣術だから読みやすい、ってのもあるんだけど、朧華さんに言われた通りに見ていたんだ。レギーナさんの全身の力の入り方とか、力の向きや流れをね。突きに関して言えば、俺に怪我させたり痛い思いをさせたくないって思って小手だけで突いたでしょ?」
確かに、言われてみれば無意識にそういう手抜きがあったかも知れない。今にして思えば踏み込みも甘かった気がする。だけどそんなの、自分自身でさえはっきり自覚していなかったのに。
「小手だけの突きなら軌道を逸らせば隙が作れる、と思ってやってみたらできたから、胴で一本取らせてもらいました」
レギーナは何も言い返せず悄然とするばかり。まさかここまで完璧に敗北していたなんて思いもよらなかった。
テレレレッテッテッテーン!
アルベルトはまたひとつ成り上がった!
“勇者の兄弟子”になった!
そういや、『勇者のお師匠様』って小説もありましたね〜。作者も大好きでブックマークしていますけど、たまに読み返したくなります。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次回更新は27日の予定です。




