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落第冒険者“薬草殺し”は人の縁で成り上がる  作者: 杜野秋人
【第六章】人の奇縁がつなぐもの
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6-14.アルベルトの本気

 翌日、アルベルトはレギーナたちの前にほとんど姿を見せなかった。顔を合わせたのは朝食の席を共にした時だけで、普段なら日中はミカエラと一緒に付き添っている、レギーナの機能回復訓練(リハビリ)鍛錬(トレーニング)にも顔を出さなかった。突然どうしたというのだろうか。


「ねえミカエラ、アルはどこで何してるの?」


 特に外出するとも聞いていないし、別行動するのなら一言あっても良さそうなものだが。

 ちなみに、ヴィオレは朝食のあと出かけていて留守である。クレアはいつも通りに自室で過ごしているはずだ。銀麗(インリー)は普段は個人的に鍛錬しているか、母朧華(ロウファ)の手がかりを求めて王都に出ているし、ライはなんだかんだと言いながらもアルターフはじめ侍女たちと共に、使用人の仕事をこなすようになっている。

 なおライに関しては客人扱いしようとするジャワドにレギーナが頼み込んで、それで使用人として働くのを黙認してもらっている。ただ王宮勤めが長いライはさすがに使用人としての職分をよく弁えていて、ジャワドも「ほほう……これはなかなか」などと感心していた。ただでさえ現状はシアーマクが抜けた分の人員補充がまだなので、ジャワドも侍従のフーマンも意外と助けられているらしい。


「アルさんやったら今日は1日、厨房やね」

「厨房?……あ!」


 そう。昨夜の約束通り、今夜の晩食にカリーを出すために、アルベルトは朝から厨房に籠もりきりなのである。


「えっ待って?カリーって今夜の晩食でしょう?朝のうちから仕込みを始めてるの?」

「なんか久々に本気で煮込むて言いよったばい。楽しみにしとってげなて(だってさ)

「ミカエラ、よだれよだれ」


 どうやらレギーナの知らない間にミカエラとアルベルトの間で話がまとまっていた模様。そして煮込めば煮込むほど美味しくなるからと言われたミカエラの顔が、その味を想像してだらしなくニヤけている。

 いやまあそうツッコむレギーナも、あまり人のことは言えないが。彼女は外見を取り繕うのが(王侯らしく)上手いだけであって、現在は心身ともに勇者として冒険者暮らしの身の上だし、上流階級に属しはするものの厳密な身分的には平民扱いでしかないミカエラと根っ子のところは似たようなものである。


 アルベルトは最初にアプローズ号でカリーを出してきた時、正確には分からないがそう長いことは煮込んでいなかったように思う。湯気が籠もると調度品に匂いが移るからと、窓を開けていたのを憶えている。次にイリシャ連邦でキャンプした際に作った時は、レギーナもミカエラも待ちきれないと騒ぐ中で炊飯の時間とも合わせて特大二(2時間)近く煮込んでいたはずだ。だがその甲斐あってか色艶といい味といい、最初の時とは比べ物にならないほどだった。追加で出てきたカリートーストがまた絶品で。

 そのカリーを、朝から仕込むとなると。『(煮込み時間を)我慢した先に、“美味しい”はあるんだよ』と、そう言っていたアルベルトの柔らかな微笑みが脳裏に蘇る。


「姫ちゃん、よだれよだれ」

「…………ハッ!?」


 ダメです、無理です。いくら王女であろうとも、それなりに長い時間を冒険者として、取り繕わない素の自分で過ごすことに慣れてきている身では我慢なんてできるわけがありませんでした。


「キャンプの時、前のとは比べ物にならないほどツヤツヤしてたわ……」

「味も前の時より全然旨かったけんねぇ。あの煮込み時間であの味やったら……」

「待って!?そんなの食べさせられて、私たち耐えられるの!?」

「無理」

「即答したわね!?」


 ミカエラも想像しただけで白旗を揚げる、それがカリー。まさに“悪魔の料理”である。


「カリー、美味しいですものねえ」


 と、トレーニングルームの壁際に控えていた侍女のニカがポロッと漏らした。


「えっ、あなた食べたことあるの?」

「はい、元々は東の隣国ヒンドスタン帝国で日常的に食べられている料理のひとつなので。リ・カルン(我が国)にもヒンドスタンから移住してきたヒンド人は多いですし、アスパード・ダナにはヒンドスタン料理の専門店もありますから」

「専門店まであるの!?」


 確かに王都アスパード・ダナは人口およそ108万人を数える超巨大都市で、街中を移動していても様々な人種が目につく。東方各国の人々は一見しただけでは違いがよく分からないが、西方ではあり得ない褐色の肌や縮れた髪の人種も見かけたことがある。そう言えば王宮前の庭園を案内してくれた兵士たちの隊長も、諸外国から来た人々の居住区(コミュニティ)があると言っていたのを思い出す。

 おそらくはそうした居住区のひとつに、ヒンドスタン帝国からの移民達の街もあるのだろう。


「アルベルト様がお求めになった調味料は、そうした外国料理の専門店で使われているものだと思います。王都には世界各国から様々な品物を運んでくる隊商(カールヴァーン)たちがやって来ますので、私たちは王都に居ながらにして世界の様々なものを手に入れることができるのです」


 普段はあまり感情を表に出さないニカが、やや興奮しているのか頬を紅潮させていて、なんなら拳を小さく握りしめてさえいる。どうやら彼女もこの街を誇りに思っているようだ。


「ちなみにカリーは作る人によってルーの配合などが変わりますから、店ごとに味が違ったりもしていて、食べ比べるのも楽しいですよ」

「そうなの?」

「はい。ですからアルベルト様のお作りになるカリーのお味も気になりますし、ヒーラードの話では私ども使用人の分まで作って下さるそうなので、私も今から楽しみです!」

「ニカ、よだれよだれ」

「……ハッ!し、失礼しました!」


 なんだか、もはや蒼薔薇騎士団の天敵というのみならず世の女子全てを魅了しかねない勢いである。さすがカリー。まさに悪魔の料理である。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 その日の晩食は、一種異様な雰囲気の中で始まった。


 日中からレギーナやミカエラはもちろん、普段は基本的に部屋にこもりきりのクレアまでもが一階の食事室付近で何度も目撃されたり、一度外出すると数日戻らないこともあるヴィオレが陽の沈む前に帰ってきたり、厨房から漂ってくるスパイシーな香りに誘き寄せられるように侍女のニカやミナーが厨房付近から離れようとしなくなり、侍女長のサーラーやその補佐のアルターフに叱られ引き離される姿が目撃されたりした。

 アルベルトと、一緒にカリーを作っているであろうヒーラードは厨房から出てくる気配すらなく、昼食の席にさえ姿を見せなかった。ヒーラードに代わって昼食の配膳を指揮したのはアルターフだったが、その彼女のお仕着せからほんのりと香るスパイスの匂いが気になって、レギーナたちは昼食の味さえろくに感じられない始末。そんな状態で顔色ひとつ変えずに仕事を遂行し切ったアルターフは使用人の鑑だと誰もが思った。



 で、誰もが待ちに待った晩食である。

 この日、レギーナが同席に許可を出したことによりジャワドやフーマンといった男性使用人、サーラーやアルターフをはじめ女性使用人、さらにサーサンやスーラ、ハーフェズら離宮配備の騎士たちまで含めて、極星宮付き人員のほとんどが一階の食事室に集まっていた。さすがに下人たちは同席しないものの、これほどの人数が食事室に顔を揃えるのは異例のことである。

 ただ、使用人たちの中で顔が見えない者も何人かはいたりする。


「アルミタの姿がないわね?」

「あの者は拝炎教の神官でもございます。今回アルベルト様がお作りになるお料理の食材の中に、拝炎教の教義で禁じられているものがございまして」


 つまりサーラーの説明を要約すると、厳密には禁止食材であるものの日常的にはそこまで厳しく言われる程でもないらしい。だがアルミタは神官でもあるため、そのあたりが厳格なのだとか。つまり彼女はあの旨いカリーを食べられないということになる。


「ああ、だからこの場には同席しないってことなのね」

「いえ、『匂いだけ嗅がされると死にたくなる』と申すものですから、本日彼女はこの離宮ではなく王都の拝火院(アータシュカデ)の方でお勤めを致しておりますわ」


 この場にいないどころか、朝から極星宮にいなかったらしい。全然気付かなかった。


「あとは全員いるわけ?」

「騎士マルダーン他3名が極星宮の正門と裏門を警護しておりますが」


 若い騎士マルダーンは騎士隊長サーサンから直々に警備任務を申し渡された際、泣いて抗議したらしい。そんなに出来たてを食べたかったのか。


 ちなみに“チーム蒼薔薇騎士団”の方では、ナーンとナンディーモがまだ帰ってきておらず同席していない。だが今この場に居ない以上は諦めてもらうしかないだろう。

 まあ後々、話を聞かされて悔しがる姿が目に浮かぶようだが。特にナーンは、アルベルトの料理の腕も良く知っているわけだし。

 なおこの場に同席する“チーム蒼薔薇騎士団”の中では、銀麗(インリー)とライがアルベルトのカリーを未経験である。


「勇者殿。(あるじ)の……その、カリーとやらはそんなにも美味いのか」


 銀麗はこれまでの人生でカリーを食したことがないという。だが彼女は元々、華国を出た直後に美味い飯に釣られた挙げ句に騙され奴隷に落とされたくらいなので、美味い飯には目がない方である。

 現に今も、まあ雰囲気に当てられてる面はあるだろうが、先ほどからソワソワとして落ち着かない。目は普段より大きく開かれ、瞳孔は収縮して縦に細長く伸びていて、頭上の大きく丸い耳はピクピクと、太い尻尾はフリフリと左右に揺れている。


「あなたも食べたら分かるわよ。——あ、そうだ。あなた辛いものは大丈夫なの?」

「うむ、熱くなければ大丈夫だとは思うが」

「あー、多分アルさん直前まで煮込むっちゃないかいな。銀麗の舌には熱いかも分からんね」

「む、では食す前に少し冷やさねばならんか……」


「どうせ大したことありませんよ、ひめさま」


 一方でライはどこか懐疑的。


「ぼくにはエトルリア王宮の料理人たち以上の腕の料理人なんて考えられないです」

「あー、まあライの言うとも分かるばってん」


 エトルリア王宮の専属料理人たちの中には[調理]レベル6とかレベル7とかの凄腕が何人もいるので、その意味では確かにアルベルトよりも美味い料理を作れるはずではある。


「あなたも食べたら、きっと気に入ると思うわよ」

「そうですかぁ?どうせ大したことないですよひめさま」

「ちゅうかライ、あんたの席はあっちたい。そこはアルさんの席なんやけん退()き」

「ええー!ミカエラさまひどいです!」

「姫ちゃんと特別に晩食を同席できるっちゃけん、それ以上文句やら(なんて)なかろうもんて!あんまギャーギャー文句言うごたるなら追い出すばい?」

「うう……それはイヤです……ちぇ、分かりましたよう……」


 追い出されては敵わないので、渋々ながら銀麗の向かいに移動するしかないライである。ちなみに席次は細長い食卓の短辺、上座の位置に極星宮の主人としてレギーナで、その両サイドの長辺でレギーナにもっとも近い位置に向かい合う形でミカエラとアルベルトの席がある。ミカエラの隣はヴィオレで、さらにその隣がライの席だ。

 なおアルベルトの席の隣にはクレアが座り、さらにその隣は銀麗が座っている。

 ちなみに以前であればレギーナの左右はミカエラとヴィオレが占めていて、アルベルトは銀麗と同様の位置にいた。席が近くなりすぎたことに彼は毎回恐縮しているが、レギーナにしてみれば上座に自分と席をくっつけて並べたいところを我慢しているくらいなので、当然聞き入れられることはない。



「さて、みんな揃ってるかな?」


 そうしていよいよ、アルベルトが出来上がったカリーを載せたワゴンを押して食事室に入ってきた。






いつもお読み頂きありがとうございます。

次回更新は9月1日です。



いやぁ、筆が乗っちゃって晩食シーン終わるまでが7000字近くまでなっちゃったんで、もう少し加筆して2話に分けました(爆)。カレー回引っ張っちゃってどうもスイマセン( ̄∀ ̄;ゞ

次回はちゃんとカレー回なので。頑張って旨そうなカレー書きますので。お楽しみに!


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― 新着の感想 ―
[良い点] カレーなら文字数伸びても仕方ない。だってカレーだもん。 ライスだけじゃなくナンもいつか味わってほしいところ。 [気になる点] 朝から煮込むとなると牛筋でも入れたのかな…?
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