5-28.奮闘、そして
「……まずいな、もう実体化してるのか。道理で瘴気が濃いはずだ」
「姿を隠したまま奇襲されるよりはマシだわ」
呻くようなアルベルトの呟きに、レギーナがそう返す。どちらがいいのかは何とも言えないが、少なくとも彼女に恐れの色はない。
そのまま彼女は広間の中央めがけて駆けてゆく。それにミカエラとクレアが続いた。
封印の広間の最奥部、石造りの玉座から蛇王がゆっくりとした動作で立ち上がる。身長比でレギーナのおよそ3倍ほどもありそうな巌のような巨体、魔術だけでなく膂力も恐るべき強さと聞いていた通りの姿である。
一見して衣服は身につけていないようだが、魔王クラスともなれば身を隠す衣服など魔力、いや瘴気でどうにでもなるのだから、おそらくこれは彼女たちの動揺を誘おうとしてのことだろう。
『ふむ、今代は女ばかりか。取り込む前に久々に愉しんでもよいかも知れんのう』
立ち上がった蛇王がニタリと嗤う。もうそれだけで身の毛もよだつほどの恐怖に襲われるが、アルベルトに気付けしてもらった今の彼女たちはそれに臆することはない。
なお、黒一点はサラリと無視された模様である。まあ広間の中ほどまで駆けてゆく彼女たちから離れて、ひとり入り口に留まっているからかも知れないが。
「悪いけど、私たちは負けないわ。今日を最後に、また20年ばかり眠っててもらうから」
レギーナがそう宣言して、ドゥリンダナを鞘走らせた。
それが戦闘開始の合図になった。
前衛に勇者レギーナ、一歩下がった中衛にミカエラ、そこから数歩離れた後衛にクレア。ヴィオレは戦闘中はクレアと一緒にいるか、もっと離れた場所で待機しつつ戦況を見守る。それがいつもの彼女たちのスタイルで、蛇王戦であろうともそれは変わらなかった。
そしてそれを戦場全体を見渡せる位置、つまり広間の入り口からアルベルトが眺めている。彼の仕事はあくまでも案内役であり、今回は蛇王と直接戦える立場ではない。得物も新調したところだし、もしも戦ってよいのならレギーナより前に出て、標的役くらいは務められるのだが。
蛇王の討伐と再封印は、あくまでも使命を帯びた勇者とそのパーティの手によらねばならない。もし部外者の手を借りていいのなら、数に物を言わせて死者の山を築きながら力ずくで押さえてもいいことになってしまう。それでは勇者の役目とは言えないのだ。
「やあああっ!」
『ぬうううん!』
先制はレギーナ。蛇王目がけて駆け寄り跳び上がり、裂帛の気合とともに大上段から斬り下ろす。それを蛇王が無造作に腕で払いのける。吹っ飛ばされた彼女は素早く詠唱して空中で姿勢を整える。
「[飛斬]!」
『効かぬわ!』
詠唱とともに斬撃を飛ばすが蛇王は避けるそぶりすらなく、斬撃は瘴気の壁に阻まれてその身まで届かなかった。
「こらぁ、瘴気の防護の分厚かねえ。やおいかんばい」
などと言いながら、ミカエラは詠唱して氷の槍を作り出す。彼女の足元に六芒星型の青い魔方陣が浮かび上がり、彼女の頭上に集まる氷はいつもの腕程度の太さではなく、あっという間に彼女自身の身の丈ほどもある巨大な氷柱になった。
「貫け、[氷槍]!」
蛇王に突きつけた指に従い、ゴウ、と音を立てて氷の槍が飛んでゆく。
『ぬん、そんなもの⸺』
さすがに瘴気を切り裂いて飛来する氷槍には蛇王が直接手を伸ばす。叩き落とそうとして、その顔が歪んだ。
『ぬぐぅ、あ……?』
「攻撃が一方からだけと、誰が言ったのかしら?」
氷槍の影に隠れるように距離を詰めたレギーナが、蛇王が氷槍に意識を向けた瞬間に脇腹を斬っていた。一瞬、蛇王の動きが止まり、そこへ氷槍が到達して胸板を貫いた。
『ぐぅ、おのれ……!』
氷槍の質量に押されて蛇王がたたらを踏む。
「隙あり!」
『ぬがああっ!』
そこへ蛇王の脇腹を斬りつつ後方へ抜けたレギーナが、後ろから蛇王の踵を斬り裂いた。
「なっ……!?」
だがレギーナはそれ以上の追撃を打てずに飛び退いた。崩れ落ちる蛇王の、氷槍が貫いた胸部と斬り裂かれた脇腹から膨大な瘴気が漏れてきて、それが無数の魔物に変じたからである。
東方に独特の魔物なのか、どれも見たことのない存在ばかりで、咄嗟に対処ができずに一旦距離を置くしかない。
「なんなあら、神代の魔物とかやろか?」
「さあ?分からないけれど、神話の記述はやはり正しかったようね」
ミカエラとヴィオレにも分からないようだ。というか。
「しもたなあ、東方の魔物の種類とか調べとらんやった」
そう。蛇王を剣で斬ったら無数の魔物が湧いたという記述があったのだから、あらかじめ調べておくべきだったのだ。まあ今さら悔いても遅いのだが。
「おいちゃん!」
「分かってるよ、任せて!」
ここで初めて、アルベルトが動く。彼は蛇王とは直接戦えないが、その眷属たる魔物たちとなら戦えるのだ。そしてかつてこの地で1年近くを過ごし、やはり剣を使うユーリとともに蛇王を討伐した経験のある彼は、湧いてくる魔物のことも知っていた。
彼はまず、赤い魔方陣を展開して詠唱を続けるクレアの元に駆け寄る。彼女とヴィオレの盾になるためだ。
「出てくる魔物は瘴気で出来た幻想体だから、瘴気を斬り払えば霧散するよ!」
「そうなん!?」
「分かったわ!」
手短かにレギーナたちにアドバイスを与えつつ、アルベルトは自身でも向かってきた1体を斬り捨てる。獅子の体躯に蠍の尾と人の貌を持つ醜悪な姿のマンティコアが首を刎ねられ、瘴気に戻って霧散してゆく。
「私も手助けをしなくてはね」
ヴィオレがそう言って、姿勢を整えると歌い出した。黒加護の加護魔術である[靭歌]だ。歌が流れている間、聞こえる範囲にいる対象者の身体を強靭化する、範囲強化の一種である。
意外によく通る澄んだ歌声が響き、レギーナ、ミカエラ、アルベルトの身にたちまち力が漲ってくる。
「これは凄いな!」
「助かるわ!」
強化を受けて、レギーナもアルベルトも次々と瘴気の魔物たちを斬り払う。もちろんミカエラもクレアも、得意の魔術で魔物たちを屠ってゆく。
「姫ちゃん、後ろ!」
「おっと!」
ミカエラの警告が間に合い、レギーナは後ろから振り下ろされた巨岩のような腕をひらりと躱した。躱しざまに背後をドゥリンダナで斬り払うのも忘れない。
『おのれ、ちょこまかと!』
「敏捷性で私と勝負しようだなんて思わないことね!」
背後に迫っていた蛇王の巨体はすでに脇腹にも胸板にも傷はなく、周囲にはまだ数十体もの瘴気の魔物の姿がある。この魔物の数だけ蛇王の瘴気を浪費させたと考えていいのだろうが。
たった今斬った腕からもさらに瘴気の魔物が湧いてきて、彼女は素早く距離を取る。だがすぐさま再び斬り込んで湧いた魔物たちを斬り払う。
「でも、相当に面倒ね!」
先に蛇王を斬り刻んでしまえば、逆にこちらが魔物の数で押し切られてしまいかねない。
「これキリがないばい」
「[浄炎柱]⸺」
クレアの位置までミカエラが下がってきたところで、クレアが自身の持てる最大の浄化魔術を発動させた。今回はアンキューラの皇城地下と違って瘴脈はないが、広範囲の空間を浄化するにはやはり効果的な一手になる。
その上でさらに。
「クレア、やるばい」
「わかった」
ミカエラとクレアはふたりで儀式魔術を編んで、[浄散霧]の詠唱に入った。アルベルトはヴィオレも含めて3人を守りつつ、瘴気の魔物を屠ってゆく。
「ホントに凄いな、断鉄」
刀鍛冶の景季の鍛えた“断鉄”は、瘴気の幻想体とはいえほぼ実物と変わらない魔物たちを紙のように容易く斬り裂いてゆく。しかもいくら斬っても斬れ味にいささかの衰えもない。
まあ実体ではないから血糊が付かないというのもあるのだろうが、それでも驚嘆するばかりである。
「⸺くっ!」
そしてレギーナもまた瘴気の魔物たちを先に減らそうとしているが、彼女には蛇王の巨体が執拗に迫ってくるので思うように戦えていなかった。
『うぬは勇者であろうが!我の相手をせよ!』
「あんたを先に刻んだら面倒なのよ!」
巨岩のごとき腕で掴みかかろうとする蛇王と、その両肩から鎌首を伸ばしてくる二匹の蛇を、ひらりひらりと躱すレギーナ。蛇王が徒手であることも幸いしてか、今のところ彼女は問題なくあしらえている。
だがいつまでもそうしてはいられない。勇者といえどレギーナは人間で、長引くほどに体力を消耗する。逆に蛇王をはじめ魔物たちは瘴気の実体化でしかないので、アンキューラ皇城の地下ダンジョンで戦った血鬼と同じく体力などという概念を持たないのだ。
だがミカエラとクレアが[浄散霧]を発動させるまでは、魔術の援護は期待できない。それまでは回避と、雑魚の数減らしに専念するしかない。
「「[浄散霧]⸺!」」
そして程なくして、待ちわびた魔術が発動する。浄炎柱がかき消えると同時に空間全体に浄化の力を帯びた霧が一気に立ち込め、瘴気の魔物たちの動きが目に見えて鈍る。さすがにそれだけで消滅するほど弱い個体はいなさそうだが、それでも格段に戦いやすくなった。
『ぬうう、小細工など!』
「強がってないで効いてるって認めなさいよ!」
[浄散霧]によって動きが鈍ったのは蛇王も同様である。その蛇王が喋っているのを見て、レギーナはあの血鬼と同じ結末を脳裏に描く。ただそうなるとしても効果はすぐには現れないだろうし、そもそも魔王は血鬼などとは桁が違う存在なので、最悪効かないことまで想定して過度な期待は持たない。
初手で呑まれかけたことを除いては、彼女に油断は一切なかった。周囲の魔物を掃討し、時々蛇王に斬りつけ、増えた魔物をまた薙ぎ払う。浄散霧が発動している限り、この繰り返しで蛇王は弱体化させられるはず。
『ええい、小癪な小娘め!』
対して蛇王には、やや余裕が失われつつあるようである。相変わらず巨岩のような剛腕を振るい、肩の蛇を伸ばしてレギーナを捕まえようと躍起になっているが功を奏していない。
さすがにこの巨体からの攻撃を一撃でももらえばレギーナの[物理防御]でも防ぎきれるか分からないため、彼女はあくまでも一撃離脱に徹していた。
油断せず、着実に。鮮やかさなどなくとも勝てばいい。現状で優勢を保っているのだから、それを覆させる隙などレギーナは与えない。
「このまま行きゃあ、問題なく勝てそうやね!」
「最後までがんばる」
[浄散霧]の[固定]も終えて魔術での周囲の掃討に復帰しつつ、ミカエラもクレアも勝利の手応えを感じ取っていた。もちろん油断などしないが、それでも気持ちに余裕が出てくるのは人の身では無理からぬことだろう。
(おかしい……!)
だがアルベルトには違和感が拭えない。蛇王は果たして、こんなにも弱かっただろうか。
まだ何か、見落としがあるように思えてならないが、だがそれがなんなのか、アルベルトにさえ明確に言語化できない。
今また、蛇王がレギーナの身を捕らえようと低い姿勢から右腕を振り上げる動作に入る。拳が開いているのはおそらく、彼女の身を鷲掴みにせんとしてのこと。
対して敏捷性に勝るレギーナはそれを余裕を持って躱すべく、バックステップで距離を取る。油断こそ見当たらないがその顔には余裕が浮かび、揺るがぬ優位を疑っていないように見受けられた。
「あっ」
唐突に、アルベルトは違和感の正体に気付いた。蛇王が拳を握っていない理由にも。
「レギーナさん!」
蛇王の拳が人差し指を立てる形に握られる。その人差し指の先に集まる黒い光。
「避けるだけじゃ⸺」
ダメだ、避けるにもただ下がったらダメだ!
そう言いかけたアルベルトの言葉は、最後まで発せられる事はなかった。
『気付くのが遅いわ』
蛇王が腕を突き出すと同時、その人差し指から漆黒の光線が迸った。
レギーナの眼前、黄色く淡く光る六角形が無数に連なった[魔術防御]が展開する。
その[魔術防御]が、パリィンと澄んだ音を立てて一瞬で砕けた。
「えっ」
そして黒い光線が、驚くレギーナの腹部、右脇腹を貫通した。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次回更新は5月5日です。
次回、急転直下。




