5-25.最後の試練(1)
「遅っそいのう。待ちくたびれたぞ妾は」
アプローズ号の行く手を遮るように、その女は立っていた。腕組みをし、スラリと伸びた脚を肩幅ほどに開いて、尊大に胸を張って。
肌は全身赤褐色、というより暗めの赤銅色で、深いスリットの入った装飾の少ない緋色の、シンプルでタイトなロングドレスを身に纏っている。ドレスには袖がなく、肩口から腕が剥き出しになっていて、その腕には黒鉄色の籠手が装着されていた。
全身のプロポーションもその容貌も完璧なる美の体現としか表現のしようもないほど美しく、さながら天上の神が顕現したかのごとき神々しさで、およそ地上の存在とは思えない。組んだ腕に乗せられた双丘も完璧と言って良い美しさとサイズである。
だがそれ以上に目を引いたのが、なんとも異様な人間にはあるはずのない特徴。
まず目についたのは、腰下まで伸びる緋色の髪に包まれた側頭部から異様に突き出た、大小二対四本の漆黒の角。さながら竜の角のごとく太く大きく湾曲した角が、天に向かって伸びているのだ。
そればかりではなく、腰の後ろから太く長い尻尾が生えていて、これもまた竜のそれのごとく赤銅色の鱗に覆われている。しかもよく見れば、一見して風になびいているかのように見える緋色の長髪は、半ばからは炎そのものであった。
その目の、人間ならば白目に当たる部分は人と同じく白目であるから、魔族でないことは分かる。だが真紅の瞳孔は縦に長く、明らかに人のそれではなかった。
「全く、余計なものを連れ込みおってからに。おかげで威圧する手間が増えたではないか」
どうやら先ほどまで感じていた圧倒的なまでの気配は、やはり目の前のこれが発していたようだ。
「…………あなた、何者なの!?」
登山を再開したあと再び助手座に出てきていたレギーナが、たまりかねたように口を開く。先程のような恐怖こそ感じないものの、彼女は目の前の相手が途轍もない力を持っていると肌で感じ取っていた。
だが返ってきた答えは質問へのそれではなく、なんならレギーナに向けてのものですらなかった。
「ああ?なんじゃ、話しておらんのか小僧。お主前回も来ておったろうに」
この場に小僧などという二人称で呼べる者など、アルベルト以外には存在しない。
「いや、君らが伝えたらダメだって言ったんじゃないか」
「融通利かんのう小僧。この山まで来ておいて、そんなもん今さらではないか」
『そうですねー。そう言えば情報解禁のタイミングを言ってなかった気がしますねー』
「えっ、だ、誰!?」
突如としてどこからともなく、虚空から降ってきた声にレギーナが狼狽する。気配も何も感じなかったのだから無理もない。
「これ、いきなり声だけ聞かせるやつがあるかミスラよ」
「そうだよ。スルトにだけ任せてないで出てくればいいのに」
「み、ミスラにスルトですって!?」
『勇者級がふたりも居るのに、スルトだけでなく私まで顕現したら悪竜くんが怒るのでダメでーす』
「あーまあ、それもそうじゃな」
「ちょっと!?何なの説明しなさいよ!」
『さすがに“終末”を早めるつもりはないので、私は今回はお休みでーす』
「それだったら口出しも控えるべきじゃろうに」
『えー、サボってると思われるのは心外なので』
「あのね、レギーナさん。落ち着いて聞いて欲しいんだけど」
レギーナを放置して言い争うのを見て、アルベルトは説明すべく彼女に顔を向けた。
「…………はぁ。目の前に立ってるのが“赤竜”スルトで、声だけ聞こえるのが“輝竜”ミスラ。そうでしょう?」
「うん、まあ、そうなんだけど」
要するにレギーナの、というか蒼薔薇騎士団の行く手に待ち構えていたのは、この世に11柱しか存在しないとされる伝説の“真竜”である。今目の前に立つ、全身を緋色と赤銅色に彩られた角と尻尾を持つ絶世の美女が“赤竜”スルト、そして声だけ聞こえてくるのが真竜を統べる女王こと“輝竜”ミスラだ。
ミスラは拝炎教においても善神のひと柱として信仰を集めており、リ・カルンの創世神話にも光の鳥となった“光輪”を捕まえ管理していることが示されている。もっと東へ行けば彼女を主神と崇める宗教もあるという。
スルトがこの場にいる意味は分からないが、ミスラと共にいることで、この先で封印されているやはり真竜のひと柱でもある“悪竜”の関連であろうことは容易に推察された。
そんな存在がここにいるから、あの大量の魔物たちが山を逃げ降りてきていたのだ。神に等しい、いや神をも超えるとされる“超神者”が顕現しているのだから、そりゃ逃げ出すに決まっている。
「“真竜”が二柱もいるんなら、わざわざ勇者が封印に手を出す必要なくない!?」
「確かに初代勇者の登場までは、悪竜を抑えるのは同じ真竜の役目だったそうなんだけどね。でも真竜同士で戦って、何度か世界を滅ぼしかけたらしいんだよね」
「……あー、まあ、それは分かるかも」
「だから真竜は見守るだけにして、基本的には人間の勇者に任せることにしたんだって」
「だったらアレはなんでここに居るのよ!?」
「スルトは勇者のお目付け役だよ。蛇王に太刀打ちできないようなレベルの勇者だったら、ここで追い返すんだって」
「……じゃあ、私はどうなのよ?」
「いきなり『帰れ』じゃなかったから、多分大丈夫だと思うんだけど。⸺そのあたりどうなんだい、スルト?」
「んー?まあそうじゃな」
アルベルトのその問いかけに気付いてスルトが答えようとして、
『合格でいいと思いますよ』
「あっこら!妾のセリフを取るでないわ!」
ミスラが先に答えてしまった。
「いやスルトがいる意味」
「ほんそれじゃ!この馬鹿ミスラ!」
『言ったもの勝ちでーす』
「勝ちもクソもあるかー!」
「ねえちょっと、このふたり仲良くない?」
「本人たちは全否定するけどね」
『「そこ!勝手に仲良し認定するでないわ!」』
「ほら仲良しでしょ」
「息ピッタリだったわ」
「……もしや、吾が居らなんだならミスラは姿を見せたということか?」
『正解ですよー銀麗ちゃん』
「ち、ちゃん……!?」
『朧華ちゃんもいい後継者を得ましたねー』
「そこな小僧の契約奴隷でなかったら、お主も追い返しておったわ」
つまり、スルトがこの先に通すのは基本的には勇者一行、この場合は蒼薔薇騎士団だけということになる。アルベルトはパーティメンバーではないが、その蒼薔薇騎士団と契約した案内役なので随行が認められる。そして銀麗はアルベルトと契約した奴隷なので、主人に従うという条件で同じく認められた、ということのようである。
「主の予測、全部当たっとるのう」
「まあ、俺は前回もこのふたりと会ってるからね」
要するにレギーナは、蛇王と戦えるだけの実力を備えていて勇者の役目を果たす資質があると認められたことになる。そして銀麗が本来なら追い返されていたということは、彼女の蛇王戦への助力は禁じられたということだろう。
「ふむ、そういうことなら吾は洞窟の外で蒼薔薇号を守って待つとしよう」
「そうだね。スルトが還ればまた魔物たちが寄ってくるだろうし」
「じゃ、もういいでしょうスルト。そこを通して頂戴」
ようやく理解と納得に及んだレギーナは助手座に腰を下ろすと、スルトに向かってそう言った。
だというのに。
「まあそう急ぐでない。せっかく顕現しておるのじゃから、ちと遊んでいけ」
腰に手を当てて再び仁王立ちになったスルトの全身から、ぶわりと濃密な魔力が立ち上った。
「……なによ。結局、実力で突破しなくちゃダメなんじゃない」
不機嫌そうに呟いたレギーナが、待機していたミカエラとクレアを覗き窓越しに呼んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「勘違いされる前に言うておくがの、妾は別に死力を尽くして戦わせるつもりはないぞ」
勢揃いした蒼薔薇騎士団の面々、4人全員を目の前にして、スルトは鷹揚に胸を張った。
「剣でも魔術でもそれ以外でもよい。妾の想定外の一手を打ってみせよ。それで勘弁してやろう」
さすがにスルトも、レギーナたちがこの後蛇王に挑むのを分かっているため、ここで消耗させるつもりはなさそうだ。
「なんだか、随分舐められたものね」
「熱血バトル漫画の王道にはせぬということじゃ。なかなか良心的であろ?」
「熱血」
「バトル」
「まんが…」
「何そら?」
『スルト、この世界に無い語彙で説明したって分かりませんよー』
「おっと、それもそうじゃな」
「……まあいいわ。要は実力を見せろってことでしょう?」
「おう、それでも良いぞ」
そう言われて、レギーナは“迅剣”ドゥリンダナを抜いた。それを合図にヴィオレがまず大きく下がり、クレアが一歩下がると、ミカエラがレギーナの横に展開する。レギーナはそのままドゥリンダナを“開放”した。相手は真竜、出し惜しみする余裕などない。
そのまま彼女は自身の最速をもって瞬時に距離を詰め、スルトに斬りかかった。
「まあ天眼は当然として、“慧眼”はまだか。勇者も年々質が落ちて敵わんのう」
だがスルトは余裕をもってその斬撃を籠手で受け止め、レギーナごと弾き飛ばす。華奢な肢体のどこにそんな力があるのかと驚く膂力だったが、人型に変じているとはいえ相手は真竜である。驚くには値しない。
吹っ飛ばされたレギーナは瞬時に詠唱して[空舞]を発動させると、そのまま空中に留まり次の詠唱を紡いでドゥリンダナの切っ先をスルトに向ける。
「[飛突]三連」
ドゥリンダナの切っ先に、小さく形成される黄色い魔術陣。それが3重に連なり、次の瞬間にスルトめがけて刺突が飛んだ。その数、3つ。
「3重詠唱とか器用なことを⸺おう?」
余裕をもって受けようとしたスルトだったが、不意に大きく飛び退いた。次の瞬間、スルトがそれまで立っていた位置に大きな氷の柱が立ち上がる。
「えいくそ、躱された!」
「甘いのう。そっちもじゃ」
[氷棺]を躱されて舌打ちするミカエラには目もくれず、スルトは籠手でドゥリンダナの突きを弾いた。
「二射目と三射目、それとその後の自身の刺突にそれぞれ間隙があるのう。まだまだ練りが甘い」
「……くっ![飛斬]!」
「当たらなければどうという事もないわ」
レギーナの[飛突]に合わせてミカエラが[氷棺]で相手を捕まえ、確実に[飛突]を全中させるというコンビネーション。“開放”した上で全速のレギーナに合わせられるのは彼女の呼吸を知り尽くしたミカエラだけであり、初見の敵に躱されたことはなかった。
だがスルトは察知して逃れたばかりか、上空から急降下して刺突してくるレギーナとの距離を瞬時に詰め、ドゥリンダナ本体の刺突をも弾いてみせただけでなくその後の[飛斬]すら難なく躱しきる。
膂力、速度、そして状況把握能力。どれを取ってもスルトのほうが上手であると一目瞭然。
「やはり一筋縄では行かなさそうね」
「腐っても真竜、っちゅうことやな」
「[隕石]とか、行っとく…?」
「やめんか馬鹿者。山体を抉ったら封印を壊しかねんぞ」
クレアの呟きまできっちり拾うスルト。余裕綽々である。
「……そういえば貴女、さっきの口ぶりからすると“慧眼”を会得してるように聞こえたけど」
地上に降りてきたレギーナが、不意に思い出したように訊ねた。
「あん?“慧眼”どころか五眼全て開いとるぞ」
生物が“神”へと至るための潜在能力の解放、それが“眼”である。最初は“肉眼”。これは肉体に備わる眼のことであり、動物なら生まれながらに備えている。それから天眼、慧眼、法眼と進んで、最後に開くのが“悟眼”、つまり悟りの境地である。
東方、ことに「仏」と呼ばれる曼荼羅教の神々はほぼ全てが“法眼”に至っており、上位の神格は“悟眼”にまで至っている。西方の神々も、伝えられぬだけで実は似たようなものである。
「やはり“慧眼”も開けぬでは話にならんかのう。じゃがそれでは、封印にすら到れぬ未熟者ばかりになるしのう」
面と向かって未熟者と言われて、レギーナが静かにキレた。
「いくら真竜であろうとも、ここまで舐められては黙っていられないわ。そんなに偉そうに言うのなら、貴女も全力を見せてみなさいよ」
「ほう、良いのか?」
「全力ではなかったと言い訳されても面倒だもの」
「…………ほほう、言うたな?後悔しても知らんぞ?」
それまでスルトが見せていた余裕の雰囲気、というか手加減の気配が消えた。
膨大な魔力が湧き上がり、渦を巻く。あまりに濃密なその魔力は周囲に立っていられないほどの暴風を巻き起こし、大地が震撼する。
その魔力の渦にスルトが無造作に右手を突っ込んで、何かを掴んで引きずり出した。
「そ、それは……!?」
スルトが掴み出したものを見て、レギーナの瞳が驚愕に揺れた。
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次回更新は14日です。
おかげさまで150話まで到達しました。完結まではまだまだありますが、最後まで書ききれるよう頑張りますので、応援よろしくお願いします。




