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5-21.いざレイテヘランへ

 出発の朝は、静かなものだった。

 レギーナの希望により華々しい壮行会などは行われず、少数の関係者だけが集まってアプローズ号の出発を見送ることになった。その代わり、首尾よく蛇王を再封印して戻った暁には大々的に祝勝会を開くとメフルナーズに約束させられている。

 とはいえ北方面クシュティ・アバラグ・元帥(スパーフベド)であるラフシャーン元帥の部隊が随行するため、否が応でも目立ってしまう。その準備のためにラフシャーンも北のレイテヘランから戻ってきていたし、準備で書記官(ダビール)たちも忙しなく動いていたため、王宮ではおそらく知らぬものもないだろう。


「いよいよですね。ご武運をお祈り申し上げておりますわ」

「ええ、ありがとうございますメフルナーズ殿下」


 静かに挨拶を交わすメフルナーズとレギーナ。メフルナーズの方が歳も上だしリ・カルンの代表として臨んでいるため、本来ならば客分であるレギーナのほうが一歩引いて立たねばならない。だが力強く視線を交わすふたりは、この場においては完全に対等の関係に見えた。


 メフルナーズの後ろに居並ぶのは宮殿秘書(ダビーレ・サラーイ)のジャワドを始めとする離宮の使用人たち、司書官(ケターブ・ダビール)のダーナを含めた書記官たちも来ている。書記官の説明を受けた時に聞いた通り、記録のために何人も随行者がいるという。そのほか、やはり随行する拝炎教の神官たちも姿が見える。

 離宮の侍女たちの中で、アルミタとニカは随行する者たちの中に加わっている。アスパード・ダナから蛇封山の最寄りの都市レイテヘランまでは3日間の旅程になるため、各地で宿泊する際には彼女たちが引き続き専属で仕えてくれることになっている。

 そんな中、アルターフだけは姿が見えなかった。ジャワドが言うには、本日は非番とのこと。彼女は主にレギーナに付いて身の回りの世話を甲斐甲斐しく務めてくれていたので姿が見えないのはやや残念だが、まあそれは仕方ないだろう。



 こうして蒼薔薇騎士団は、ラフシャーン麾下の騎兵五百の部隊を引き連れアスパード・ダナを出発した。

 一行は北上して途中でカーシという街に一泊し、2日目を道中で野営して3日目にレイテヘランへと入る予定だ。その後はザバーン渓谷にあるポロウルという小さな集落に一泊し、それからいよいよ蛇封山へ登ることになる。


「レイテヘランまで3日よね?」

輝ける虹の風(俺たち)の時はそうだったけど、スズの脚なら2日で行けると思うんだよね。だけど今回は軍隊も一緒だから⸺」


 出発時に御者台に出て見送りの者たちに笑顔で応えたあと、走り出した車内に戻ったレギーナが御者台の覗き窓越しにアルベルトとやり取りする。半月ぶりということで、なんだか若干懐かしく感じてしまう。


 蛇封山へ向かうのがスズの曳くアプローズ号だけならば、おそらくレイテヘランまで2日でたどり着けるだろう。2日目がやや強行軍にはなるものの、それでも出発時間を早めれば日没までにレイテヘランに入れるはずである。

 だが軍の部隊が同行しているとなるとそうもいかない。軍の車両を曳くのはスズより脚の遅いアロサウル種だし、人数や荷物が多ければ自然と行軍速度も遅くなる。休憩も必要になってくるし、日没ギリギリまで走るわけにもいかなくなる。ということで2日目は道中どこかで一泊する必要が出てくるのだ。

 ただしその付近に宿泊できるような都市がないため、程よい距離まで進んだところで夜営に適した場所を探さねばならない。


 アルベルトは蛇封山までの案内役(パイロット)なので、御者も王宮の使用人任せにしなかったし、メフルナーズからは交代要員の随行も打診されたが丁重に断った。その代わり道中の食事を作らなくてもよくなり、御者に専念できることになった。食事は随行の部隊で用意されたものをレギーナたちもアルベルトも食べることになる。なお毒見役はニカが担う予定だ。

 そのニカとアルミタは、今回アプローズ号に同乗している。女性のほとんど居ない行軍で、むくつけき兵士や騎士たちと彼女たちを同じ脚竜車に乗せるのは忍びないと、レギーナが許可して招き入れたのだ。


「わあ……!」

「さすが、勇者様の御乗車ともなると豪華ですね」


 その彼女たちが車内に入るなり感嘆した。


「まあ、それほどでもないわね。ちょっと特注しただけよ。⸺って何笑ってるのよミカエラ」

「いやいや、別に笑ったりやらしとらんて」


 褒められて満更でもなさそうなレギーナの様子が可笑しくて、ちょっとだけニヤついてしまうミカエラである。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 道中は何事もなく、無事にレイテヘランまでたどり着いた。さすがに一部隊単位で揃っている国軍相手に突撃してくるような盗賊などいるわけもないので、まあ当然のことではあるが。


「さあ、着いたぞ。ここが俺の街(・・・)、レイテヘランだ!」


 騎竜に乗ってアプローズ号の隣を伴走するラフシャーンが声を上げる。それが覗き窓越しに聞こえたのだろう、レギーナが御者台に顔を出してきた。

 その彼女の眼前、黄色くけぶる砂漠の大気の向こうの尾根の合間に広がる市街地が見えてきている。高く尾根を連ねるエルボルズ山脈を背にして、その山脈の切れ間に小さく広がる狭隘な盆地にひしめくように立ち並ぶ家々は、これまで見てきたハグマターナやダラーム、ザンジャーン、タウリスといった大都市にも引けを取らない規模に見える。


「正しくは、ミフラーン家の治めるマルティア藩国の藩都ですがね」

「うるせぇよ。マルティアとヴェルカナを併せて俺が統治してんだから、事実上俺のモンだろうがよ」


 やはり伴走している副官に冷静にツッコまれて、ラフシャーンが不機嫌そうに言い返した。


「どう主張しても構いませんがね、七大貴族の二家を敵に回しても知りませんよ?」


 そして副官にピシャリとそう言われ、若干不満そうながらもラフシャーンはそれ以上言い返そうとはしなかった。


 リ・カルン国内の地方統治体制は直轄州と藩国と従邦とに大別され、それぞれに地方領主がいて王の代行者として治めているという。

 直轄州はリ・カルンの王たる“諸王の王(シャーハンシャー)”が直接支配する土地で、藩国は国内の有力貴族たちが支配する“自治国”とでも言うべき土地である。そして従邦とはリ・カルンの支配下にある独立国のことであり、従属国と言い換えてもいい。従邦は治安維持と政権運営にリ・カルンの介入を許す代わりに独立を保障してもらって、その対価として毎年決められた額の歳貢(さいこう)を納めている。

 藩国は限定的な首都機能を持つ藩都を定めて、そこに赴任する地方領主たる藩王が治めている。藩王は一定の自治権、特に徴税権や軍事権などを藩国内で自由に行使でき、その代わりにリ・カルン中央政府の求めに応じて資金や人材、特に兵士をいつでも供出しなければならない。



 リ・カルンには国内で強大な権力を持つ貴族たちが存在する。それを“七大貴族”と称する。


 スーレーン家。

 カーレーン家。

 ミフラーン家。

 アスパーフド家。

 スペンディアード家。

 ヴァラーズ家。

 アンディガーン家。


 以上の七家門が現在の七大貴族である。

 どの家門が七大貴族の地位を占めるかは時代によっても異なるが、ここ百年ほどはこの七家で占められているという。藩都レイテヘランを擁するマルティア藩国の藩王はミフラーン家、その東隣のヴェルカナ藩国の藩王はアスパーフド家の出身者である。

 そしてその両藩国を統括する地位にあるのがラフシャーンの務める北方面クシュティ・アバラグ・元帥(スパーフベド)であるのだが、ラフシャーン自身は七大貴族より家格の劣るナハーバド家の出身だという。


「それじゃ統治するのにも苦労するんじゃない?」

「“(アバラグ)”は旨みがないからな、大人しく従ってくれてるよ」


 何でもないことのようにラフシャーンは笑い飛ばすが、色々と苦労しているであろうことは副官の苦み走った顔を見れば明らかである。



 レイテヘランは北方最大の大都市である。リ・カルン国内でも人口増加の顕著な都市で、事実上の副都のひとつに数えられるという。事実上、というのは、首都機能の構築が現在は凍結されているためだ。凍結されたのは内乱期で、国内が再統一されて以降も各地の復興が優先されてそのままになっているという。

 だがそれでも、レイテヘランは活気に溢れる大都市である。エルボルズ山脈を越えた北にある“央海”からもたらされる水産物を王都アスパード・ダナに届ける拠点都市として、また山脈の南北にそれぞれ走る、東西をつなぐエルボルズ街道の中継都市として、交易の中心地になっているそうである。

 レギーナたちの目指す蛇封山はレイテヘランのほぼ真東、脚竜車でおよそ半日ほどの位置にあるエルボルズ山脈の最高峰で、レイテヘランからはその雄大な山体がはっきりとよく見える。この日はよく晴れていたが、山頂は雲に刺さるように聳えていて山頂が望めなかった。


「いよいね……」

「そやね、いよいよやね」


 蛇封山に目を向けて、さすがにレギーナやミカエラの顔にも緊張の色が浮かぶ。彼女たちはこれから本物の魔王、それも人類史上でも最強最悪の存在のひとつに数えられる蛇王と対決しなければならない。封印でその力を大きく制限されているとはいえ、彼女たちにとっては明らかに格上の相手と戦おうというのだから、緊張するのも無理もない。


「そのためにも今夜はしっかり英気を養って、もう一度作戦会議をして、万全を期さないとね」

「……そうね。万が一にも失敗なんてできないのだから、最善を尽くしましょう」


 少々気負いが見られるレギーナに、アルベルトが労るように声をかけるが、彼女の表情は晴れなかった。



 レイテヘランでの夜は、ラフシャーン元帥や同行する軍の隊長たちとの綿密な軍議のあと、マルティア藩王のほか、マルティア藩国の首脳陣をも交えた宴会になった。


「ちょっとラフシャーン卿?この国って飲酒は宗教的に禁止されているのじゃなかったかしら?」

「なあに問題ないぞ勇者殿!こいつは神酒(ハオマ)だからな!」


 神酒(ハオマ)とは、ウォルカシャと呼ばれる天の海の中心にある島に生えているとされる、ガオケレナという巨木の枝葉を絞って作られるという神聖な酒のことで、神々の飲み物とされる。本来、拝炎教の教義では酒は狂騒をもたらす悪魔の飲み物とされ忌避されるが、このハオマだけは善神のもたらす神聖なものとして、祭事や吉日には王侯も庶民も飲むことを許されている。

 という建前だが、要は普通の酒である。拝炎教は戒律が厳しく、違反者は厳しく罰せられるのだが、そうと分かっていてもこの地の人々も西方世界と同様に、酒を飲むことが大好きだ。そこで戒律違反と謗られるのを避けるために、「飲んでいるのは酒ではない、神酒(ハオマ)だ」と言い張るのである。

 ただまあそんな感じで調子に乗って酒を飲み、料理をたらふく食らって騒ぎ倒したラフシャーンら軍部指揮官たちは翌日見事に宿酔(ふつかよい)になり、そのせいでレギーナたちはレイテヘラン出発を1日延期せざるを得なかった。


「もう、だから言ったじゃない!そんなんで私の護衛が務まると思ってるの!?」

「うう……面目ない……あと大声出さないでくれないか……」


 とはいえ、ラフシャーンらを叱責するレギーナの顔からはいつの間にか険が取れていたので、これはこれで良かったのかも知れない。


いつもお読み頂きありがとうございます。

何とか間に合いました。

次回更新は、書ければ17日の予定です。

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