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5-20.西の勇者は東の魔王

 アスパード・ダナ到着後およそ半月ほどかけて、レギーナたちは司書官(ケターブ・タビール)のダーナが最初に用意した書物を全て一通り読み終えた。

 中には書かれている言語が違うだけでほぼ同じ内容の書物もあったのだが、ダーナによれば用意した書物には古代語と中世語、それに拝炎教の使う神聖語で書かれたものが含まれていたからだという。確かに書物によって言語が異なっているのはレギーナたちも理解していたし、言語が異なれば固有名詞や文章表現も異なってくるわけで、その意味で全くの無駄でもなかったのだが。


「んー、ほとんど同じ内容を何度も読むのはちょっと疲れたわね……」


 んんん、と伸びをしながらレギーナが呟いた。困ったことに細かい表現や描写も各言語で異なっているため、読み飛ばすこともできずに真面目に読むしかなかったので、読み飽きたのだろう。


「細かい違いば探すとは、それはそれで面白かったばってんね」

「そりゃあなたは神話とか伝承とか好きだものね。でも私はそこまでないもの」


 ミカエラは法術師であり、法術師とはそもそも世界の神々に仕える者たちの総称だ。歴史や神話、伝承などの研究に関しては専門職と言っていいため、彼女もこの書殿では拝炎教の教典などを中心に読んでいたし、拝炎教の用いる神聖語で書かれた経典や書物も興味深く読めていたようだった。



 レギーナたちの鍛錬も、アルベルトの断鉄の習熟も、半月の間に一通り終えた。


「もうすっかり使いこなせるようになってるわね」


 久々に訪れた千手院景季の工房の裏の試し切り場で、動きを止めたアルベルトの背に向かってレギーナが呟く。

 アルベルトの足元に転がる四本の藁束。鮮やかに切断されたその断面から覗く鉄芯は、最初の時のおよそ倍の太さである。


「これだけ手の内に入れてもらえれば、わしも言うことはないのう」


 レギーナの横で、景季も満足そうである。

 アルベルトは袈裟斬りだけでなく、逆袈裟も横薙ぎも片手斬りも自在に繰り出せるようになっていて、四本の藁束は全て違う太刀筋で斬られている。それでいて断鉄の刃には刃こぼれひとつ無い。


「いやあ、ホントにこれ、すごい刀ですね」

「そりゃそうじゃろ、このわしが鍛えた上業物なんじゃからの」


 振り返ってアルベルトが笑う。その笑顔に手応えのほどを見て取って、レギーナもひと安心だ。

 これで、封印の洞窟内でも彼を守ることに気を遣わなくても良さそうだ。それはつまり、レギーナが全力で蛇王と戦えるということでもある。もしも彼を洞窟内に伴わないとしても、それはそれでアプローズ号をしっかり守り抜いてくれそうだ。


 レギーナはすでに、蛇封山が蛇王の生み出す瘴気(ミアスマ)によって魔物の巣窟になっていることを聞いている。アルベルトもそう言っていたし、現地調査を依頼しているラフシャーン将軍からも同様の報告を受けていた。

 ということは、洞窟に至るまでの登山道や洞窟内の封印までの間にも、魔物たちの攻撃に晒されるということになる。パーティメンバーではないから蛇王戦そのものにはアルベルトは参戦できないが、今の彼なら道中での戦力としても充分に計算できるだろう。



 ちなみに、実際に会ってみたラフシャーン将軍は40代半ばほどの鳶色の髪の壮年男性で、若干軽薄だが相当に鍛えられた、隙のない精悍な人物であった。性格にも裏表がなさそうで、信頼の置ける人物というのがレギーナの評価である。そのラフシャーンが無二の忠誠を捧げるアルドシール王についても、逆説的に信頼度が向上している。

 だがそのアルドシール王については、相変わらず会えないままである。さすがにどういう事かと副王メフルナーズを問い詰めてみれば、最終的に「陛下(おとうと)は……その、宮廷儀礼の作法がなかなか身につかなくて、人前に出せないのです」と申し訳なさそうに頭を下げられてしまった。

 そんな事ある!?と驚いたものだが、メフルナーズの話によればアルドシール王つまりアリア王子は幼い頃から父王の寵を得られず、唯一の男児であるにも関わらず事実上の庶子扱いだったらしい。そのせいで一部の使用人や姉たち以外にはまともに世話する者もおらず教育も受けさせてもらえず、しかもその状態でクーデターが起こったことで、庶民に身をやつして長い潜伏生活を送らねばならなかった。それで即位した今になって各種の教育をやり直しているのだそうだ。


「それは……確かに4、5年でどうにかなるものじゃないわね」


 通常、王族の教育というものは5、6歳から始めて短くとも10年は費やすものである。レギーナが知っているそれはあくまでも西方世界の常識でしかないが、東方でもそう大きな違いはないはずだ。特にリ・カルン(この国)(いにしえ)のオーリムアースの時代には、現在のイリシャ連邦の主要民族であるへレーン人たちと深い交流があって文化的にも近似しているため、尚更である。


「それであの時、怯えたみたいに小さく縮こまってたんだな……」


 話を聞いたアルベルトも納得するしかない。かつて輝ける虹の風が謁見した際の、姉王女の陰に隠れるように縋りついていたアリア王子の姿は、見知らぬ大人たちの多くいる場に連れて来られてもどうしていいか分からなかったからだったのだろう。


 輝剣クヴァレナの継承者であるロスタム卿とも相変わらず会えないままだったが、レギーナは蛇封山に乗り込むことを決断した。

 鍛錬は一通りやり込んで、旅の道中でやや緩んでいた身体も締まりを取り戻していたし、文献も一通り読み込んで蛇王の詳細ももう頭に入っている。弱点らしきものこそ見当たらなかったが、かつての英雄王が蛇王を倒した際の詳細や、アルベルトから聞いた先代勇者ユーリの戦いの詳細も合わせて鑑みれば、大きく戦い方を変える必要はないとの結論に至っている。

 いまだ迅剣ドゥリンダナの覚醒に至れていないのは懸念材料ではあったが、ユーリも蛇王戦当時は旋剣に覚醒していなかったそうだし、決定的な不安要素にはなり得ないだろう。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「今さらなんだけど、どうして西方の勇者が東方の魔王である蛇王を代々討伐することになったんだろうね」


 いよいよレギーナたちが蛇封山に向かうと聞いた副王メフルナーズに招かれ応じた晩餐会の席上で、アルベルトがポツリと呟いた。

 招かれたのは蒼薔薇騎士団とアルベルトだけで、リ・カルン側のホスト役は副王メフルナーズのみ。ごく小さな、内輪だけの壮行会といった趣だ。とはいえ給仕の使用人たちは出入りしているし、晩餐室の扉の前には警護の近衛騎士たちも控えているから、完全に内輪だけという訳でもないが。

 ちなみに、ある意味で関係者でもあるラフシャーン将軍は、一足先に蛇封山のあるレイテヘランへ戻ったとのことで同席しなかった。


「あら、あなたそれ知らないの?」

「ユーリ様から聞いとらんと?」


 先代勇者パーティの一員だったのだから当然知っていると思っていたので、レギーナもミカエラも意外そうである。


「パーティの運営は年長の3人が仕切っていて、詳しい話はあまり聞いてないんだよね。俺は事実上ただの雑用で、アナスタシア(ナーシャ)は魔力のコントロールを優先させてパーティ内での役目はほとんどなかったし、マリアはまだ未成年だったしね」


 “輝ける虹の風”が蛇王を封印した当時のメンバー構成で言えば、勇者候補ユーリ21歳と探索者ナーン23歳のほか、エルフの狩人ネフェルランリル(年齢秘匿)の3名が年長者である。立ち上げ当初からのメンバーとはいえ当時16歳のアルベルトと17歳のアナスタシア、それにまだ13歳だったマリアは基本的に年長者たちの決定に従うだけだった。


「わたし、マリア様と同い年だけど…」

「うん、だから最初は驚いたんだ。クレアちゃんは宿の手配や昼食の食事処を探すのとかも手伝うし、偉いなあって」


「そ…そんなこと、ないよ…」

「うわクレアが照れとう(てる)。可愛かあ」


 大好きなおとうさんからナチュラルに褒められて照れるクレアを見て、ミカエラが目尻を下げている。まあ基本的に感情の起伏をあまり見せないクレアが頬を赤らめると可愛さが倍増するので、無理もない。レギーナだってメフルナーズの目がなかったら多分抱きしめに行っている。


「蛇王の封印管理は“勇者”が担うこと。これは古のアサンドロス大王の時代に決まったことよ」


 ミカエラのように表情には出すまいと努めつつ、レギーナはアルベルトの質問に答えてやった。


 アサンドロス大王はおよそ三千年以上昔のオーリムアースの時代に、現在のイリシャ連邦の地に乱立していたへレーン人たちの都市国家群を史上初めて統一し、古代グラエキア王国を興した伝説上の人物である。そればかりでなく彼は、東方から侵略の手を伸ばしてきていた大国パルシスの大軍を退け、逆に東方遠征の軍を興して大河を越え、かの地を征服統一して、東方西方にまたがる世界帝国を一代で築き上げたことで知られている。

 その巨大すぎる功績から、歴史上で特に「大王」の称号を冠せられる数少ない人物のひとりである。それだけでなく後の古代ロマヌム帝国の時代には、正式に勇者のひとりに数えられてもいる。いわゆる歴史上の偉人というやつだ。


 アサンドロス大王がパルシスを征服した当時、長く戦乱が続いて蛇封山の封印が顧みられなかった時期があり、そのせいで封印が危うく破られそうになるほど弱体化したことがあったという。何とか封印を修正したあと現地の古老から封印の詳細を聞いたアサンドロス大王は、自らがパルシスの国都を焼き払って伝承が失われたことが原因のひとつにあると思い至って、悔いるとともに以後の封印管理を引き継ぐと宣言したという。


「アサンドロス大王の遠征以降、勇者は西方世界から選ばれるようになったわ。そして選ばれた勇者たちは東方に遠征して、封印を修復して管理するという盟約を果たし続けているのよ」


 レギーナやミカエラ、それにユーリもそうだが、〈賢者の学院〉の卒塔者たちは学院の歴史科の授業でそのあたりの経緯を習っているため、当然知っていることだ。だが賢者の学院どころか大学そのものを経験していないアルベルトはそうした歴史事実をほとんど知らなかった。彼が知っているのは、何かのタイミングで知っている誰かに教わった事だけだ。


「へえ、そうだったんだね」

「そうよ。勇者パーティ経験者なら常識レベルの基礎知識なんだから、知っておいた方がいいわよ」


 恥じるでもなくへらりと微笑うアルベルトに、やや呆れながらもレギーナが忠告してやる。


「え、西方ではそういう話になっているのですか」


 だがこの場にはもうひとり、その事を知らなかった者がいたようである。

 声に振り返って見た先には、珍しく唖然とした表情のメフルナーズがいた。


「勇者様が『アサンドロス大王』と仰るのは……その、“双角王(ドゥル・カルナイン)”……ですよね」


 メフルナーズのその言葉に、今度はレギーナが首を傾げる。


「“双角王”の伝承は確かに『王の書(シャー・ナーメ)』に記述がありました。ですが、おそらく別人ではないかと思いますが」


 『王の書』に記された双角王とは、ピシュダディ朝の後に興ったカーヤーニー朝の王ダーラーンと西方ルームの王女との間に生まれた王子で、カーヤーニー朝最後の王ダーラヤワウの異母弟イスケンデルンのことである。


 ダーラーン王に疎まれ離縁され故国に戻った王女は、帰国後に王子を産んだのち失意のまま世を去った。遺されたイスケンデルン王子は母の無念を晴らすべく東方に侵攻して、異母兄ダーラヤワウ王を倒しカーヤーニー朝を滅ぼした。それだけでなくアリヤーン民族の王朝であるシャームとトゥーランまでも征服して、アリヤーンの悲願であった三国統一を果たした唯一の王ということになっている。

 イスケンデルン王は(ピィル)のごとき巨躯で頭部に二本の角を生やし、勇者アーリヤ・ブルダーナをも倒してカーヤーニー朝の国都のひとつである“祭都”タフテ・イマに至り、一晩の戦勝の宴のあと祭都を焼き尽くした。その後敗れて逃亡した兄ダーラヤワウを追ってトゥーランの地に至り、トゥーランごとダーラヤワウを滅ぼして統一を果たし凱旋した。その魁偉な容姿から、“双角王(ドゥル・カルナイン)”と呼ばれて恐れられたという。

 だが彼は最後まで王として戦った兄に敬意を示して、ダーラヤワウを祭都の近くに墓所を設けて手厚く葬った。そのことで後世に評価が改められ、今では正式にイスケンデルン朝唯一の王として『王の書』にも記されている。なお双角王の死後は後継者が居なかった事もあり、アリヤーン諸王朝の王族の生き残りたちが各国を再興したという。


「双角王は西方より侵来し勇者アーリヤ・ブルダーナを打ち倒し、この地を蹂躙したのです。その後の統治が蛇王と違ってこの地に寄り添うものであったため、現在は王として称えられていますが、当初は魔王として伝えられていたのです」

「魔王!?」

「はい。(ピィル)の如き巨躯に二本の巨大な角を持ち、他を圧する強大な力を有して、誰も倒すことができなかったと伝わっています」


「いやいや(ピィル)て。しかも二本角て」


 (ピィル)はレギーナたちもアスパード・ダナに至ってから初めて目にしたが、長い鼻と大きな耳を持ち、脚竜の一種ハドロフス種と変わらぬ大きさの巨獣である。おそらく竜種を除けば地上でもっとも巨大な生き物であろう。

 象のような巨体に角まで生えているなど、そんな人間がいるわけがない。


「アサンドロス大王は西方では勇者のひとりとして数えられているのですけど!?」

「そうなのですか!?けれど双角王以降に“勇者”の称号は西方に移り、双角王の焼き払った祭都で蛇王封印の文献が失われた事により封印崩壊の危機が起こって、以後ずっと西方から勇者が派遣されてきているのです」


「えっ…………じゃあ、本当に?」

「わたくしも信じられませんが……」

「「勇者アサンドロス大王と魔王“双角王(ドゥル・カルナイン)”が同一人物だ、ってこと!?」」


 真実はひとつでも、伝える人と伝わる土地が異なれば伝承は正反対にもなる。悪魔イブリースのようにほぼ同じ形で伝わることもあれば、アサンドロス大王こと“双角王”のような事例も当然起こりうるわけで。


「これやけん(だから)、伝承学て面白かとよねえ」


 唖然呆然とする一同の中で、ひとり楽しそうに笑うミカエラであった。






 書籍化した拙作『公女が死んだ、その後のこと』にもチラッと出てくる、アサンドロス大王のお話でした。

(アルファポリス様より書籍化のため、なろう上では現在は取り下げ済みです)

 ちなみにリ・カルンの古代王朝であるピシュダディ朝とカーヤーニー朝は実在が確認されておらず、リ・カルンの歴史学上ではダーラーン王およびダーラヤワウ王は『パルティス(・・・・・)朝』の王ということ(設定)になっています。

 あとイスケンデルン王がダーラヤワウ王の異母弟という歴史的事実は確認されておらず、アリヤーン唯一の統一王が他民族であることを認めないための伝承上の事実、という設定です。現実世界でもそうした歴史事実を捻じ曲げた形で伝わる伝承って多いですからね!


 あ、ちなみに、アルベルトとアナスタシアはアナスタシアのほうがひとつ歳上ですが、誕生日的には数日しか変わりません。年明けとともに加齢するこの世界で、アナスタシアが年末の生まれでアルベルトは年明けの生まれという設定です。



 いつもお読み頂きありがとうございます。

次回更新は一応未定で(爆)。書けたら10日に更新しますが、『公女が死んだ〜』のほうが広く読まれてしまって執筆を優先せざるを得ない事態になっているので、ちょっとお約束できません(汗)。いよいよ蛇王戦のクライマックスに入ってくるのでテンポよく更新したいんですけど、執筆時間ががが。

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