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5-18.リ・カルン創世神話(2)

 結局レギーナは、ひとまずイブリースのことは考えないようにすることにした。そもそも蛇王と違ってどこにいるのかも分からない相手だし、そちらにかまけすぎて蛇王の封印が破壊されてしまっては元も子もないからだ。

 勇者選定会議から受けた指令はあくまでも蛇王の再封印であり、それ以上のことは再封印を終えたその先のことでしかない。いくら元凶とはいえ、優先順位を違えるわけにはいかなかった。


「ダハーグを打ち倒したのって、英雄王フェリドゥーンよね?」

「その通りです。英雄王の項に詳しく記されています」


 目次を見れば、僭主ダハーグの次が英雄王となっている。レギーナは早速そのページを開いた。



 ダハーグの両肩の蛇に生贄にされたことで、国からは若者の姿が消えた。それでも人々はひっそりと子を産み、それを隠して育てつつ世代を重ねていたが、ダハーグの兵士たちは容赦なく家々に押し入り、隠された者たちを見つけては連行してゆく。

 そんな中、ひとりの若い母親が、産んだばかりの赤子とともに北の辺境を目指して逃亡生活をしていた。これこそが後の英雄王フェリドゥーンことスラエータオナと、その母である。

 彼女は逃げる途中で、素晴らしく見事な雌牛を放牧している牧場を見つけた。惹かれるように彼女はその牧場を訪ね、我が子をあの雌牛の乳で育ててくれるよう牧場主に頼み込んだ。牧場主は玉のようにふっくらと元気そうな赤子を見て、匿い育てることを快諾した。母親は安心して、当初の目的地だった霊峰を目指してひとり旅立って行ったという。


 だが赤子が平穏に育てられたのはわずか5年に過ぎなかった。『自身を討つ者がすでに生まれている』との予言を得たダハーグが全世界に捜索の手を広げ、それがとうとう牧場にまで及んできたのだ。

 牧場も、牧場主も、飼われていた家畜たちも、そして後の英雄王をその乳で育ててくれた聖牛バルマーエも、幼子を隠匿したとして滅ぼされ破壊し尽くされた。だが幼子自身は、その直前に戻って来た母によってすんでのところで連れ出され、霊峰に逃げ延びた。

 ダハーグの兵士たちは付近をくまなく捜索したものの赤子の手がかりを見つけることはかなわず、その場での捜索は打ち切られた。


 それからおよそ10年の歳月が流れた。

 相変わらずダハーグによる生贄狩りは続けられていて、人々はダハーグを蛇王と呼んで恐れていた。そんな中、10人の息子のうち9人を生贄として殺されたカーヴェという鍛冶師が、最後に残った末息子カーレーンまでも生贄に取られそうになり、ついに蛇王へ叛旗を翻した。

 カーヴェは密かに賛同者を集め、自ら鍛えた武器を配り、仕事用の革の前掛けを旗に仕立てて反乱軍を組織した。『イマの血を引く英雄が霊峰にいる』と善神(ヤザタ)スラウェシに告げられた彼とその軍は北へ向かい、霊峰の麓までやって来て、逞しく成長した15歳のスラエータオナと出会う。彼はカーヴェとその仲間たちの願いを聞き入れ、フェリドゥーンと改名し反乱軍に加わった。

 カーヴェは喜び、彼のために彼を育ててくれた聖牛バルマーエの頭部を模した鎚矛(メイス)を鍛えて、これがフェリドゥーンの武器となった。


「フェリドゥーンの武器って、剣じゃなかったのね……」

「文献によっては剣を用いたという記録もございます。ですが、剣では打倒できなかったとも言われています」


 一説によると、蛇王の身体は剣で傷つけられるたびにその傷口から、夥しい瘴気とともに魔物や魔獣の大群を発生させたため、剣で討伐するのを諦めざるを得なかったという。


「剣では倒せなかった……」


 それは、剣で戦うレギーナにとっては由々しき事態だ。


「実際のところは、どうなんでしょうね。歴代の勇者様がたもほとんどは剣の遣い手ですし、それで毎回再封印を成功させてますし」

「そっか、それもそうね」


 フェリドゥーンとカーヴェの軍勢は蛇王の軍を蹴散らし、破竹の快進撃であっという間にその居城までたどり着く。王城の守備兵はそれまでの恐怖政治からの解放者としてフェリドゥーンとカーヴェたちを迎え入れ、配下にも裏切られた蛇王は玉座の間に追い詰められ、フェリドゥーンの牛鎚によって打ち据えられた。

 だがフェリドゥーンが蛇王の頭を牛鎚で打ち砕こうとするのは、彼らを導く善神スラウェシによって止められた。そのためフェリドゥーンは蛇王を(いまし)め、聖山ダマヴァンドの洞窟に封印することにした。

 蛇王は獅子(シール)の革で撚った縄で手足を縛られ、鋼の枷と鎖で壁面に拘束された上で、光輪(フワルナフ)によって封印を施された。以来聖山は蛇王を封じた山として、“蛇封山”と呼ばれるようになったという。だが蛇王は封印の中でまだ生きていて、時折縛めを振りほどこうとして暴れるため、蛇封山の周辺では地震が絶えないという。


「この善神というのが殺すのを止めたのって、やっぱり“悪竜”だからよね」

「そのように解釈されています。別の文献に善神の言葉が残されていますが、それによると『蛇王はまだ死の運命にはない』と。ですので英雄王もトドメを刺せなかったのです」

「終末の時に蛇王が“悪竜”に変じるまでは倒せない、という話だったわね」

「仰る通りです。そして終末の時には“竜殺しの勇者”ガルシャースプが復活を果たし、授けられた光輪(フワルナフ)を用いて悪竜を討ち果たすとされています」


「そう。蛇王を倒すべき勇者の存在はもう予言されている、というわけね」

「そういう事になりますね」


 であれば、その点についてはレギーナの役目ではないという事だ。レギーナに課されたのは、あくまでも終末の時に向けての封印の延長と、そのために蛇王の力を削いで弱体化させること、それだけという事になる。


「蛇王の封印は、文献にある通りに再現した方がいいかしら」

「そこは、何とも言えませんね。蛇王を縛めたのは獅子(シール)の革の縄とされていますが、そもそも現在では我が国の国内の獅子はほぼ絶滅してしまっていて、手に入れることすら非常に困難な状況です。それにただの縄や鋼ではなく魔術的な処理をされたものと考えられますし、その術式はどの文献にも記載がありませんので……」

「……再現は難しい、か……」

「不可能とまでは言えないとは思いますが、相応に難しいかと」


 ともかく、こうして蛇王は討たれ、蛇封山に封じられて千年にも及ぶ暗黒の時代は終わりを告げた。人々は解放の英雄としてフェリドゥーンを迎え入れ、彼を英雄王と呼んで称えた。

 このフェリドゥーンが、初代勇者として歴史に名を残す事になる。

 英雄王は霊峰で自身を匿い養育してくれた賢者シャハラースブを宰相に任じ、世界を統治した。賢王にも仕えていたという老賢者の補佐を得たその統治は暗黒の時代の暗さを払拭するかのように空前の繁栄を見せ、賢王の治世にも劣らぬ千年間もの黄金時代を築き上げることになる。英雄王は蛇王に捕らわれその妃にさせられていた賢王のふたりの娘、美姫シャルワーズとアルナワーズを救い出して妃とし、姉のシャルワーズは長男と次男、アルナワーズは三男を産んだ。


「栄光に満ちた平和な時代だったのね、英雄王の治世は」


 蛇王という悪の化身が討ち果たされたことによる人々の歓喜や解放感が、文面からも如実に伝わってくるようで、思わずレギーナの表情も緩む。初代勇者の輝かしい業績は同じ勇者であるレギーナから見ても理想の具現化であり、ある種の憧憬をも覚えさせた。


「ところが、彼の治世はともかくその生涯は、順風満帆とはいかなかったのです」

「……どういうこと?」

「続きをお読み下さい」


 ダーナに促されるまま、レギーナは読み進めた。


 英雄王の3人の息子たちは逞しく立派に成長し、父の目には優劣付けがたく、英雄王は3人に名を与えられなかった。王子たちも年頃になり、妃を迎えるべきとの話が持ち上がると、重臣たちとも協議の結果、西方のとある国の3人の姫を妃とすることで話がまとまった。

 そこで英雄王は一計を案じ、息子たちを姫たちの元へ求婚に向かわせた。彼らは首尾よく姫たちから婚姻の承諾を得て、その報告のために一旦国へ、父王の元へと帰ることとなった。

 その帰路で、彼らは竜に襲われたのである。


 実はその竜は、英雄王が魔術を用いて変化したものであった。だがそんな事とは気付かぬ3人は、この危難に当たって全く異なる判断を示した。

 長男は「君子たるもの危険は避けるものだ」と言い逃げ出した。次男は「覇者たるものは危難を恐れず立ち向かうのだ」と言って戦おうとした。そして三男は「王者たるもの、悪竜と言えども教え諭して恭順させるのが務めだ」と竜への説得を試みた。

 満足した王は変化を解いて息子たちの前に姿を現し、長男を「賢き者(サールム)」、次男を「勇ましき者(トゥール)」、三男を「正しき者(イーラジ)」と名付けた。そして長男には先進的な西方の地シャームを、次男には東方の武侠の地トゥーランを、三男には自らの後継としてアリヤーンの地を与えて、三男を正式に世継ぎとした。こうして英雄王は退位し、イーラジが新たなる王となった。


「待って、この3人の名前と、与えられた地名」

「お察しの通りです」


 サールムが与えられたのが現在の大河下流西岸域を領有するシャーム国であり、トゥールが与えられたのがリ・カルンの東北に位置するトゥーラン国である。そしてその三国は、もう数千年にも及ぶ不倶戴天の敵同士だと、レギーナたちはすでに聞き及んでいるのだ。

 英雄王の血を分けた兄弟3人の治める国が、どうしてそんな事になったのか。知りたくてレギーナは読み進める。


 偉大な父王に息子たちは従ったが、内心では兄ふたりともアリヤーンの地が欲しかった。サールムとトゥールは密かに会談し、弟を殺してアリヤーンの地を分け合おうと画策した。この時サールムは相談役としてイブリスと名乗る老人を連れていた。


「また!?またイブリースなの!?」


 兄たちの計画を知ったイーラジは驚き恐れ、兄たちと仲違いするくらいなら王位もアリヤーンの地も要らぬと言い放ち、ふたりを説得するために直接彼らのもとを訪れて行った。だが兄たちは弟の言葉に耳を貸さず、とうとう弟を殺してしまった。


「なんて事……英雄王の血を引く息子たちが、またしても悪魔(イブリース)の甘言に踊らされるだなんて……」


 この時まだ存命だった英雄王は驚き悲しみ、そして怒り、アリヤーンの地をふたりに渡さなかった。イーラジの新妻が身籠っていることを知り、後継者の誕生を期待したが生まれたのは女児だった。落胆しつつも英雄王は引き続き王位を保持し、そして孫娘はイーラジの後に生まれた英雄王の四男と結婚し男児を産んだ。


「叔父と姪の婚姻って、血が近すぎないかしら」

「創世神話の上では近親婚こそ神聖視されているのです。最初の人類であるガヨーマルタンは女神と交わり男女の双子を得て、その双子が婚姻して7組の男女の双子を産み、その7組がそれぞれ婚姻して世界を治めた7氏族の祖となったとされています」


 人類最初の王朝ピシュダディ朝の開祖ホーシャングは、最初の人類ガヨーマルタンの遺した双子の夫婦が産んだ7組の双子夫婦の1組から生まれた。ホーシャングの子らも双子同士で婚姻し、そのうちの1組から生まれたのが賢王イマであるという。


「……まあ、最初の人口の少ないうちはそういうことにもなっちゃうか……」


 リ・カルンの創世神話に限らず、最初期の人類が兄妹あるいは姉弟から生まれたとする神話は東方西方を問わず世界中に多くある。そこに現代の倫理観を求めるのはナンセンスというものだろう。


 亡きイーラジの娘の産んだ世継ぎはマヌーチェフルと名付けられ、老いた英雄王によって大事に育てられて凛々しくも逞しい青年となった。マヌーチェフルの噂はサールムとトゥールの元にも届き、ふたりはマヌーチェフルに復讐されることを恐れた。

 そこでふたりは密かに会って相談し、マヌーチェフルが自らやって来るなら直ちに降伏し、領土と財産を全て差し出すと言ってきた。どう見てもイーラジの時と同じく謀殺するつもりにしか見えなかったので、英雄王はマヌーチェフルに軍を与え、彼はその軍を丘の裏に隠してふたりの王と会談の約束をした。


 そうして北方国境、三国の境界が交わる地で三者は会見した。マヌーチェフルは挨拶もそこそこに有無を言わさずサールムの首を刎ね、驚いたトゥールが伏兵をけしかけるとマヌーチェフルも軍を呼び寄せて乱戦となった。

 マヌーチェフルの軍は精強で知られたトゥールの軍を散々に打ち破り、その首都まで攻め上がってついにトゥールを討ち果たした。マヌーチェフルは大おじふたりの首級を手紙とともに英雄王に届け、息子たちの首と対面した英雄王は悲しみのあまりに視力を失ったという。

 英雄王はマヌーチェフルに王位を譲ると、程なくして失意のうちに世を去り、祖父の復讐を遂げたマヌーチェフルは、以後「復讐王」と呼ばれることとなる。そして初代王を殺されたシャームとトゥーランの両国は、以後アリヤーンの地を治める王家と不倶戴天の敵同士となったのだ。


「英雄王の晩年なんて、栄光に彩られなければならないはずなのに……」


 それもこれも、サールムとトゥールに弟殺しを唆したイブリースのせいである。


「姫ちゃん、もう決めたやん?」

「……分かってるわよ」


 頭では解っていても、心はなかなかそうはいかないものだ。人一倍正義感の強いレギーナは、心の整理がつくまでしばらくは葛藤で煩悶しそうである。






また長くなった……orz

実はこの創世神話にも伏線が色々あったりなかったり。


次回更新は、書ければ18日に。

ていうかなかなか蛇封山に旅立てねえ!もうぼちぼち10万字使っちゃうじゃん!誰だよ五章は短めだとか言った奴!(爆)

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