5-4.体調不良とアルベルトの気遣い
「勇者殿、銀麗だ。入っても宜しいか」
と、その時、カーテンの向こうから銀麗の声がした。
「いいわよ、入って頂戴」
「では失礼する」
起き上がる気力がなくてまだ着替え始めていなかったレギーナが許可を出し、カーテンの隙間からするりと銀麗が入ってくる。
「我が主からの提案だが」
「提案?」
「いつまでも救護所に留まっておっても宜しくなかろう。蒼薔薇号の車内の方がまだしも気が休まるであろうから、動けるうちに移ってはどうかと」
なるほど、確かに一理ある。アプローズ号ならベッドもあるから休めるし、そのまま移動も可能だし、ある程度の魔術防御も施してあるから救護所よりは安全だろう。何より、初めて入った救護所よりは心身を落ち着けることができ、治療の手段もミカエラの調子さえ戻ればどうとでもなる。
「そう……ね。動けるうちに……」
言いつつレギーナは隣に寝かされているクレアの方に顔を向けた。魔術師の少女は、船から担ぎ出された時の虚無顔とは打って変わって、今は額に玉のような汗を浮かべて苦しげに顔を歪めている。
彼女たちは直接見ていないので分かりようもないが、クレアの苦しみようはティルカンで拐われた際の、魔力欠乏症のまま昏倒してうなされていたあの時の様子とも少し似ていた。
「……クレアの様子がおかしいのよね」
「ウチもそうっちゃけど、なんか体内の魔力がえらい落ち着かんとよね」
レギーナの言葉に、ミカエラも同意を示す。先ほどからずっと顔が青いままなのは、船酔いなどではなく魔力の不調であるらしい。
「なんちゅうか、魔力のバランスのおかしいっちゅうか。⸺魔力酔いとはまたなんか違うとよねえ」
魔力酔いとは、急激に多量の魔力に晒されたりすることで起こる、一種の急性中毒症状である。魔力の高い者の身にははなかなか起こらないが、魔力なしの人物を中心に一定数の症例報告が西方世界の各所で毎年上がっている。
どれほどの量を浴びると魔力酔いの症状を起こすのかは人それぞれだが、霊力⸺人体を構成する魔力のことを特に霊力と称する⸺の高いクレアとミカエラが揃って似たような症状を来たしているとすれば、これはちょっと由々しき事態かも知れない。
「それは、まあ、慣れれば治る」
だが事も無げに銀麗がそう言うので、全員が一斉に彼女を見た。
「慣れれば、治るの?」
「恐らくだが、西方と東方とで魔力の理が異なっている。吾も西方に渡った直後は似たような症状を得たが、程なくして治まったゆえ問題はないはずだ」
「これだけ苦しそうなものを、問題ないと言われても俄には受け入れられないわね……」
「理が違う……?」
「まあ吾も詳しく解っているわけではない。そう推測しているだけだ」
そう言われてミカエラが思案顔になった。
「ほんなら、クレアの意識が戻ったら聞いてみろうかね。こん子やったら何かしら分かるやろ」
「…………じゃ、とりあえずアプローズ号に戻りましょうか」
ということでレギーナは半ば無理やり身を起こして、ミカエラに持ってきてもらった衣服に着替えはじめた。
時間をかけて着替える間にヴィオレが救護所の所員を呼んで退去の手続きをして、レギーナは強がって自力でアプローズ号まで歩いて行った。本当はヴィオレに肩を借りたいところだったが、さすがに人目のある場所では勇者としてもエトルリア王女としても弱いところを見せられなかったのだから仕方ない。その代わり、彼女はアプローズ号に乗り込むなり寝室の自分のベッドに突っ伏して眠ってしまったのだった。
なお、クレアは銀麗が横抱きにして移動させた。
「……大河ば渡った直後やのに、あんたえらい元気やない?」
「今回は仕立ての良い座席を得て揺れもさほどでもなかったのでな。自分でも意外と平気じゃと驚いておるよ」
「…………あれ、ほんなこつ大したことない揺れやったんや……」
「普段はどうだか知らんよ。だが吾は前回、頑丈な檻の中で天井と言わず壁と言わず叩き付けられ続けながら渡ったのでな。それに比べればどうという事も無かった」
「うわぁ……」
銀麗は前回の大河渡河で、他の奴隷たちとともに大きな檻に押し込められたまま船倉に放置された。檻の中には座席も身体を固定する腰帯もなく、重い手枷足枷を嵌められたままの奴隷たちは渡河中ずっと檻の中で壁や床や天井に叩き付けられ続け、阿鼻叫喚の地獄絵図であった。身体能力に優れる銀麗ができうる限り助けてやったものの、それでも手足を骨折する者が続出したし、当たりどころが悪くて命を落とした奴隷さえ出たのだった。
それに比べれば柔らかな座席に腰帯で固定され、全身に打ち身を作ることもなく渡河を終えられた今回は、銀麗にとっては天国のようだった。しかも今回は西方から東方への帰還であり、体内の魔力もなにやらしっくりと馴染んで調子が良い。そんなわけで、銀麗だけがやたら元気なのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結果的には、無理してアプローズ号に移って正解だった。
レギーナはもちろんミカエラもヴィオレも人目を気にすることなく安心して休むことができたし、彼女たちが眠っている間にアルベルトはスズを歩かせて、リ・カルン側の渡河準備地であるロムジアの近郊まで移動を済ませることもできた。そのままロムジア入りして宿泊しても良かったが、彼女たちの状況を鑑みてアルベルトは独断で野営を決めた。
「そう言えば、主は比較的平気そうだな?」
「俺は二回目の渡河だからね。前回はそれなりに調子が狂ったけど、今回はそうでもないかな」
そう言うアルベルトの様子を見る限りでは、慣れれば渡河も問題ならなくなるのかも知れない。まあそれでなくとも彼は霊力が4なので、そういう意味でも影響は限定的なのだろう。
「なんだかいい匂いがするわね」
ひと眠りした蒼薔薇騎士団で最初に起き出してきたのはヴィオレだった。寝室を出て居室に顔を出したところで、彼女は空腹を刺激する香ばしい匂いに気付く。
「無事に渡り終えたら食べられるものを作る、って約束だったからね」
そう答えたアルベルトが、フライパンで何か焼いていた。なんの気なしに側に寄り、その手元をヴィオレは覗いた。
「…………これは、何を焼いているのかしら?」
それは見る限りでは、渡河前に出された五色の炒飯であった。だが手に持てるようなサイズの潰れた三角柱状に固められ、それがフライパンにいくつも並べられている。
そしてアルベルトの手に握られているのは刷毛だった。その刷毛の毛先にたっぷりと含まれていたのは。
「それ、バーベキューの時の……?」
そう。ラグシウムの〈女神の真珠〉亭のプライベートビーチでバーベキューをやった時の、肉にたっぷりとかけられて彼女たち全員の喉を鳴らさせた、あの濃い味のバーベキューソースである。それをアルベルトは刷毛で三角柱状に固めた炒飯全てに塗りつけ、フライ返しに持ち替えると器用な手つきで次々とひっくり返した。
すると塗られたソースが熱されたフライパンの上でジュワァと音を立て、食欲を刺激する匂いが一気に立ち上る。
「ちょっと貴方、それって絶対美味しいやつでしょう!?」
「さっき1個食べてみたけど、我ながら美味しくできたと思うよ」
要するにアルベルトが作っているのは、炒飯の残りで作った“焼きおにぎり”である。しかもヴィオレがあの時のバーベキューソースだと思ったものは、焼きおにぎり用に薄めて炒飯の味と喧嘩しないように改良した特製ソースだ。
しかも彼はそれだけでなく、体調がまだ優れなくて濃い味のものが食べられないであろうレギーナやクレアのために、やはり五色の炒飯の残りで雑炊まで作っている。そちらはフライパンの隣の手鍋の中で、たっぷりと入れた水とともにくつくつ煮立っている。
「まさか貴方、最初から……!?」
そう、アルベルトは渡河前の昼食時、いつも通りの分量で炒飯を作ったにも関わらず敢えて少なめにしか出さなかったのだ。そして残った炒飯で、今焼きおにぎりと雑炊を作っているのである。
それはつまり、どういう事かというと。
「初めて渡河する人がやりがちな失敗なんだけど、渡河前に満腹にしたら絶対に吐いちゃうんだよね」
「そ、それはそうでしょうね……」
特大三もあの調子で揺らされ続けたら、当然そうなるに決まっている。
「というか、それならそれで事前に教えてくれても良かったのではなくて?」
船が揺れることもそうだが、昼食時に教えてくれていれば量が少ないことを不満に思う事もなかったはずだし、渡河への心構えもできたはずだが。
「渡河も“試練”のひとつだからね。それに……妙齢の女性に『満腹になるまで食べたら吐くよ』とか言えないでしょ」
普通にデリカシーの問題でした。さすがにアルベルトにもその程度の配慮はできたのであった。
「そうそう、前回渡河した時はユーリが盛大に吐いてね」
「え゛」
それは聞いても良かったのだろうか。ヴィオレは訝しんだ。
「…………あ、これ絶対誰にも言うなって言われてたんだった」
「ちょっと止めて頂戴よ!私聞いてしまったじゃないの!」
「あー、えーと、この件は絶対に内密で」
「喋れるわけないでしょう!?」
当代勇者のみならず先代勇者までリバース案件の黒歴史持ちだったとは。そんな極秘情報など知りたくなかったヴィオレである。
「なーんか、えらいよか匂いのしよるごたる。お腹減ったぁ〜」
と、そこへミカエラが起きてきた。顔色は相変わらず青白いが、体調はいくぶん持ち直したように見える。
「ああ、ミカエラさんちょうど良かった。どっち食べるかい?」
「うわ、なんこれどっちもちかっぱ美味しそうっちゃけど!?」
「渡河前に約束したでしょ、何か追加で作るって」
「え、あれおやつ作るって話やなかったん!?」
「渡河直後はどのみち何も食べられないからね。休憩するかひと眠りするかして身体を落ち着かせてると、ちょうど今みたいに時間的にも陽が暮れるし、それならちゃんと食事として食べた方がいいでしょ?」
「まさか……おいちゃん全部分かっとって……」
「俺は渡河も二回目だしね。対策するのは当然のことだよ」
「おいちゃん……いや、アルベルトさん」
顔つきから急に改まったミカエラが、何故か手を差し出して握手を求めてきた。アルベルトは全て解っているとでも言いたげに微笑んで、その手をしっかりと握り返す。
「よう分かっとんしゃあね!アンタが神か!」
「いやあ、それほどでも」
「アンタ雇うてやっぱ正解やった!」
「こっちこそ、喜んでもらえて嬉しいよ」
きっと、これが男同士なら熱い抱擁を交わしていたことだったろう。ミカエラが彼に完全に心を許した、いや正確には胃袋から陥落した、その瞬間だった。
それを横で微笑ましく見ているヴィオレと、若干呆れ気味の銀麗。寝室の方からミカエラを呼ぶレギーナの声がして、ヴィオレはそっとその場を離れてレギーナの元へと向かった。
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次回更新は27日の予定です。
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