c-10.【幕裏】マリアと愉快な真竜(なかま)たち
マリアはアルタンについて地下牢まで来ただけなので、帰りの道筋が分からない。なので戻るのもアルタンに道案内を頼むしかない。アルタンは先ほどまでとは打って変わって愛想が良くなり、「おう!任せてくれ!」などと気安く請け負って、何となく見覚えのある道を先導してくれる。
だが途中、皇宮の執事と思しき老齢の使用人がアルタンを見つけて何事か声をかけてきた。アルタンは「そうか、分かった」と頷くと、その執事に案内を任せてしまう。そして執事は少し進んだ先の分岐を曲がる。
「待って下さい」
「ん、どうした君?」
「なんで階段を上がろうとしてるんですか?」
地下から地上へ戻るには確かに階段を登らねばならないが、地下エリアなどとうに抜けてしまっている。今は皇城の1階を、正面門に向かって移動しているはずなのだ。
だが執事が曲がった先には上り階段しかない。そんなもの登ったら外に出られないではないか。
「ああ、そんなことか。心配ないよ、君の部屋が整ったそうだから」
「要らないって断ったんですけど!?」
「ヴィオレ様も部屋を用意するよう仰ってたじゃないか。せっかくなんだし泊まって行きなって」
「で、でも……!」
「ご心配には及びませんぞ。勇者様をお救いになった聖女様に失礼があってはならぬと、皇太子妃アダレト殿下の厳命により特等客室をご用意させて頂きました。ささ、こちらへ」
特等客室、つまりは蒼薔薇騎士団の専用にしている部屋と同等の客室である。もっとも泊まるのがマリアとジズだけなので、部屋の規模は人数に見合ったものになるだろうが。
そうして、あれよあれよという間にマリアの宿泊する居室へ丁重にご案内されてしまった。おまけに専属の侍女まで付いて「さ、まずは湯浴みをなさいませ」とか言ってくる。
見た目が16歳になってるマリア(の外見)よりも明らかに歳上なのに、侍女はもうこれでもかというほど恭しい。しかも態度に嫌がる素振りが一切見られない。さすがに皇城の侍女ともなるとよく教育が行き届いている。
『……で、どうするのマリア?』
『うーん、もうこのまま帰っちゃうかなぁ』
疲れているのでまずは休みたい、湯浴みは明日の朝にでも……とか何とか誤魔化して、侍女にも下がってもらって今は広い室内にジズとふたりきりである。ジズにも個別に部屋を用意されかけて、慌てて「姉弟だから同室でいい」とこれまた嘘ついてしまったマリアである。
『でも忽然と消えたら騒ぎになるよね?』
『だったらさ、書き置きでも残しといたら?』
出て行きますけど探さないで下さい、って?
それなんか前世のちょっと古い小説とかでよく見るパターンのやつじゃん!
だが結局、それしか手はなさそうである。朝になればレギーナやアルベルトはともかく、力尽きて眠っているだけのミカエラは起きるだろうし、顔を合わせたら霊力の特徴などで正体バレしかねない。
そうしてマリアは一旦下がらせた侍女を再び呼んで、紙とペンを用意してもらった。朝まで誰も部屋に入れないようにと言い含めて侍女を下がらせたあと、紙につらつらと言い訳を書き連ねて文机に置き、晴れやかな笑顔でジズに言った。
「さ、帰りましょ」
「うーん……それなんだけど」
あとは戻るだけだというのに、ジズはなぜか煮え切らない。
「……どうしたのよ?」
「見つかっちゃったみたい」
「えっ?」
何に?と問う間もなく、突然部屋の中に沸き起こる濃密な魔力の渦。とてもではないが人類が扱える魔力量でないことは一目瞭然である。
「な……なに!?」
『なに?じゃないわこのバカ者どもが!』
人身大にまで魔力の塊が膨れ上がり、それが唐突に人の形にまとまる。つぎの瞬間、そこにはひとりの美女が立っていた。
非の打ち所のないほど完璧な肢体に、その身体のラインをより強調するようなタイトなシルエットの真っ赤なロングドレスを纏った美女は、切れ長の緋色の瞳を怒らせてマリアとジズを睨めつける。深いスリットから覗く脚までもが完璧な美しさだ。
完璧なのは身体だけでなく、顔立ちもおよそ天上の神々かと見まごうほどの凄絶なまでの美貌で、赤褐色というより赤銅色に近い肌がその美貌をさらに引き立たせている。そしてその両側頭部には、節くれだって大きく湾曲した大小二対四本の、これでもかと存在感を誇示する大きな雄々しい黒い角。さらには足元まで伸びる緋色の長い髪、それ自体が揺らめく炎そのものであった。
『お主ら、気安く権能を揮うのも大概にせぬか!』
『わあ、やっぱり!』
『誰!?……ってなんだ、スルトじゃないの』
現れたのは、そう、真竜の一柱である“炎竜”スルトである。だが同じ真竜であるジズはともかく、マリアが平然としているのはどうしたことだろう。
『なんだ、ではないわマリアよ!“世界”にどれほど影響を及ぼすか、少しは考えんか!魔力のバランスが損なわれたらどうするつもりじゃ!』
『え、そんなに大変なこと?』
『……だって、マリアがお願いするから……』
『そなたもマリアの言うことを聞きすぎじゃ!おかげで妾がミスラから叱られたではないか!』
そしてまたしても出る真竜の名。
輝竜ミスラ、12の真竜を束ねる“真竜の女王”である。
ちなみにスルトは歴代勇者とその仲間たちの監督役、つまりはマリアとは面識があったりする。
『うわぁ……』
『何だったら、今からミスラの元まで飛ばしてやってもよいのじゃぞ!?』
『いやたった今自分で権能使うなって言ったばっかじゃん』
『やかましいわ!それはそれ、これはこれじゃ!』
そういうのをダブスタっていうんだけどなあ、などとマリアが内心考えている間にも、スルトの怒りは収まらないようでくどくどネチネチ小言は続く。それを眺めつつ、美人って怒ってても美人なのよねえ、なんかちょっとズルいわ……などと考えているマリアはもちろん、そのほとんどを聞き流している。
まあそんなマリアも人の身としてはかなり上位の美貌なのだが、それはそれ。
スルトによれば、真竜の権能執行は神々ほど厳しくはないものの、それでも許可されたもの以外はほとんど使ってはダメなのだそうだ。下手に使いすぎると森羅万象の魔力のバランスが崩れて、世界の崩壊にも繋がりかねないのだという。
真竜の権能執行が部分的に許可されているのは、真竜たちが“どこにもない楽園”に引き籠もった神々とは違って地上に在るからだ。
ちなみに、どれが許されている権能なのかと言えば、例えばスルトだと火山の噴火がそれである。森竜ベヒモスであれば地震がそうで、海竜レビヤタンは地震に伴って大津波を発生させる。
『いやいや災害ばっかじゃない!』
『じゃから使いすぎると世界が滅ぶと言っておろうが!』
なるほど、それは確かにスルトの言うとおりである。
『じゃあジズの使っていい権能ってなんなの?』
『ボク?ボクは無いよ』
『ないの!?』
『強いて言うなら、地球とアリウステラとの物理移動かなあ?』
『物理的に行き来できるの!?』
『ボクだけねー』
“星竜”こと宙竜ジズ。星の海つまり宇宙空間を自在に飛べるのはジズのみが持つ権能である。その権能をもってすれば“世界”を渡ることすら可能であり、ゆえにジズは物理的に“世界”間を移動できる唯一無二の存在なのだ。
『その件に関して、レビヤタンから苦情も来とるわい』
『……ん?レビヤタンがどうしたのよ』
『あー、今地球に行ってもらってるんだよね』
『…………は?』
『だってホラ、ボクら“星の獣”が三匹とも地球を離れるなんて有り得ないからさ。だから代わりに思念体だけ行ってもらってるんだよ。森竜が眠ってて動いてくれないから、行けるの海竜だけなんだよね』
地球には古来から、星を護るとされる“三匹の獣”の存在がある。それが大地の王ベヒモス、海洋の王レビヤタン、そして天空の王ジズである。
だが現在、地球よりも後発の世界であるアリウステラにベヒモスとレビヤタンの存在が移っていて、ジズだけが地球に残っている。アリウステラにおいてジズの存在がほぼ伝わっていなかったのはそのせいだ。
なので、今ここにいるジズは思念体でしかない。ジズの本体は変わらず地球に残っていて、だがそれは思念の抜けた抜け殻でしかないため、代わりにレビヤタンの思念体が地球にいるのだとジズは語った。
『さっさと戻って来い、そして私をベヒモスの元へ戻せ。そう言って泣いとったぞレビヤタン』
『こっちに帰ってきたってベヒモス寝てるだけなのにね』
『その寝顔を眺めるのが何よりも至福なのだそうじゃ。邪魔してやるでないわ』
ベヒモス(雄)とレビヤタン(雌)は夫婦である。何億年経とうともイチャイチャラブラブのバカップルだと、真竜の界隈では有名だ。いやまあ人間にとっては知ったことではないが。
結局、マリアを中央大神殿に戻すのにあと1回だけ、あとはちゃんと地球へ戻るから、と渋るスルトを何とかなだめすかして、マリアはジズの権能で戻って行った。“世界”間を移動できるジズの権能をもってすれば、同じ地上でどこまで移動しようとも造作もないことである。
そしてふたりが帰ったのを見届けてから、スルトもミスラの元へ、東方世界の蛇封山へと戻って行った。
そうして無人になった特等客室には、マリアの書き置きだけが残されたのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、客人が客室から忽然と姿を消したことでアナトリア皇城はやはり大騒ぎになった。
書き置きこそ残されていたものの、誰にも見られずに城の外まで出ていくなど不可能に決まっている。アンキューラ市街へと通じる大手門には第一騎士団が終日詰めていて必ず人の目があるのだし、それでなくとも昨夜はダンジョン騒ぎで多くの人が夜通し動いていて、だから誰にも見つからなかったというのは無理があるのだ。
なのに若い法術師の娘が弟と称する少年ともども消えたのだ。昨夜から有り得ない事ばかり起こっているアナトリア皇城の人々には気の休まる暇もない。
「…………で、これがそん子の残してった書き置きかいね?」
一夜明けて、万全とはいかないまでもある程度回復したミカエラが手に取ったのはマリアの書き置き。彼女の手がかりが何かしら残っていないか見せてもらおうとやって来て、まずは文面を見て、最初の一行読んだだけで彼女は叫んだ。
「アンタほんなこつなんばしよっとなマリア様あああぁぁぁ!」
書いてあった文字が見間違いようもないほどマリアの筆跡だったのだ。個人的に何度も会っていて手紙のやり取りをしたこともあるミカエラには一目瞭然。むしろちょっとくらい偽装する努力をして欲しい。
「マリア様だったの?マリナと名乗っていて、16歳くらいの水色の髪の若い子だったのだけれど」
「そげなん[貼付]でナンボでちゃ変装でくっけんがなーんも当てにゃあならんて!」
「でも、10歳くらいの小さな子も一緒だったわよ」
「…………そっちは、ちぃとよう分からんばってんが」
さすがにジズが実体をもって人前に顕現したのは初のことなので、ミカエラにもその正体は分からなかった。もちろん実際に会ったヴィオレにも、あとで話を聞かされたマリアをよく知るアルベルトにもだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
レギーナたちを癒やした正体不明の法術師の娘が実はマリアであったことは、ミカエラの独断で伏せられることになり、レギーナにさえ知らされることはなかった。一度ならず二度までも助けられたと知れば、レギーナの性格上、借りを返すまでいつまでも気にするからである。
蛇王の再封印に向かう旅の途中でまさか、マリアに謝礼するためだけに引き返すわけにもいかないし、さりとて全部終わらせてから戻るにしてもレギーナが気にしたままでは蛇王討伐に影響しないとも限らない。そんな細かい所にまで気を使わねばならないミカエラは、ストレスのあまり胃に穴が空きそうである。
その代わりミカエラは、ちょっとした意趣返しにマリアの言い残した通り、巫女神殿のアグネス宛に蒼薔薇騎士団名義で大量の謝礼品を送りつけることにした。自分たちでは直接手配できないので、レギーナを通してヴィスコット王家に代行手配を依頼したのである。
「くくく……。全部バレとるっちゃけんね、せいぜい慄きんしゃい」
「ちょっとミカエラ?なんか顔が凄いことになってるわよ?そんなにそのマリナとかいう子に恨みでもあるわけ?」
「恨みっちゅうか、ちょっとした嫌がらせやね」
「…………ねえホントに、私が意識を失ってる間に何があったのよ!?」
(ミカエラったら……そんなにマリア様が好き勝手に振る舞うのが気に入らないのかしら……)
(ミカ、ああ見えて真面目で優等生で気にしいだから…)
(うーん、マリアは昔から常識に囚われずに自由に振る舞う子だったからなあ……)
(ああ、誰であろうとも教団の取り決めは守らせなくちゃとか、そういうことを考えているわけね……)
そんなミカエラが、巫女にも婚姻を認めるという教団の宣言に腰を抜かすほど驚くのは、もう少し後のことである。
いつもお読みいただきありがとうございます。
次回更新は23日の日曜日です。
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