c-7.【幕裏】“真竜”
ジェルマンはその場で大司徒ミゲルに命じられた神殿騎士たちに拘束された。今後は教団幹部用の拘束室で軟禁されつつ、罪状を取り調べられる事になるだろう。
彼への処罰がどのようなものになるかは取り調べ次第だが、これまでの彼の言動や周囲の評判を考えてもおそらくは無罪にはならない。少なくとも侍祭司徒の地位の剥奪は間違いないだろうし、場合によっては破門もあり得る。
連行されるジェルマンが、虚ろな表情を向けてマリアの方を窺った。その黒い瞳にたちまち憎悪が滾る。
「おのれ……!大人しくわしの言いなりになっておれば良いものを……!」
「相手の気持ちも考えずに自分の欲望だけを満たしたいのなら、独りで勝手にオナニーでもしといて下さい。気持ち悪い」
唐突に巫女へと浴びせられる罵声。だがミゲルや神殿騎士たちが制止する前にマリア本人からそれ以上の罵倒が返されて、ジェルマンも含めて場の全員が固まった。
「お、オナ……?」
マリアは元日本人の転生者だから、彼女自身には「自慰」という言葉は馴染みがある。だがこちらの世界ではそれは北部ゲール語にのみある言葉で、エトルリアは南部ラティン語系のエトルリア語を母語とする国である。しかもこの時代、男性にしろ女性にしろ交合によらずに自身の手によって性欲を発散するという行為自体があまり一般的ではなかった。
つまりこの場の誰も、マリアの言葉を正確に理解できなかったのだ。
「巫女を自分の思うさまに操りたいという今の発言自体が罪ですわ。ミゲルさま、そうですわね?」
「……あ、おお、そうじゃな」
何食わぬ顔で平然とマリアがその場を流して、なんとなくミゲルもそれに乗ってしまった。そしてそのまま、ジェルマンは議場を連れ出されて行った。何やら口汚く喚いていたが、もうマリアを含めて誰も聞こうとしなかった。
「…………さて。ジェルマン侍祭のことはさておいてじゃな、巫女の婚姻に関する詳細を詰めねばならん」
気を取り直して、咳払いのあとミゲルがそう発言した。それでようやく、マリアも安堵の吐息を漏らした。
ここまでの流れで巫女に婚姻を認めるのはほぼ決定事項である。あとはその相手を教団の都合で決められるようなことがないよう、しっかり注視しなくてはならない。
『お取り込み中のところ悪いんだけどさ』
不意に声がして、マリアは隣を見た。視線を下げるといつものようにジズがそこにいた。
『マリアの“兄さん”、ちょっとピンチじゃない?』
『えっ?』
マリアの“兄さん”といえばこの世にはアルベルトだけである。こちらの世界ではマリアに兄弟はおらず、こちらでの父母もすでに他界していて、従兄弟などもいない。
まさか、と思いつつもマリアは詠唱して[追跡]を起動させ、そしてマーキングしたアルベルトの霊力を探した。彼は今旅を進めて、蒼薔薇騎士団ともどもアナトリア皇国の皇都アンキューラに滞在しているはずだ。色々と問題の多い国とはいえ大国で、政情も比較的安定していて、命の危機になどそうそう遭わないはずだが。
だがそうして探ったアルベルトの霊力は、確かに揺らいで輝きを失っていた。怪我か病気か分からないが、ちょっと通常では考えられないほどの霊力の減衰量で、間違いなく加療が必要なレベルにまで落ちている。
だが、それだけではなかった。
その彼の周囲には比較的安定した霊力がみっつ。ひとつは元気そうだが残りのふたつは疲弊しているようで反応がやや小さい。その小さな反応の片方に自身の霊力を感じて、これはイリュリアの首都ティルカンで癒やしたミカエラの霊力に間違いないだろう。
『あれ……?でもそれじゃあ……』
アルベルトとミカエラがいるのなら、残りふたつの霊力はいずれも蒼薔薇騎士団のメンバーだ。だがそれだと、レギーナの霊力が見当たらないのだ。その違和感に気付いて、マリアは詠唱とともに[感知]を強めに発動させた。
「……巫女?」
「マリアさま?」
「マリアちゃん、どげんしたとな急に詠唱やら始めてから」
ミゲルが、アグネスが、ファビオが、マリアの異変に気付いて声をかけるが、彼女は聞いていない。
『…………見つけた!』
距離のせいもあるだろうが、マリアの[感知]をもってしてもほとんど拾えないほどの微弱な霊力反応が、ふたつ。どちらもどう見ても瀕死の状態で、すぐにでも[治癒]しなければ危険なほどだ。
もしもそのうちのひとつが、レギーナであるとするならば。
「……大変!」
急に慌てた様子で声を上げて立ち上がったマリアに、訝しげな視線が一斉に向けられる。
「大変て、なんがね?」
「蒼薔薇騎士団が、ピンチ!」
「…………は?」
「私、ちょっと行ってきます!」
「な、なんば言いよっとねマリアちゃん?」
「説明の暇が惜しいです!レギーナちゃんが死にそう!」
「「「「……はあ!? 」」」」
蒼薔薇騎士団が指名を受けて東方まで蛇王の再封印に向かっていることは、この場の全員も当然知っている。彼女たちに雇われる形で、マリアが兄と慕うアルベルトという冒険者が随行していることももちろん全員が承知していた。何しろ彼に会うために先ごろマリアが巫女神殿を抜け出して、結果的に教団の一員である侍祭司徒ミカエラの命を救って戻ってきたのだから。
その騒動の記憶も新しいのに、またしてもマリアは行くという。しかも今度は勇者の危機だと、そう言って。
だが、どうやって行くというのか。ティルカンに行った時にも「転移した」としか彼女は言わなかったが、巫女神殿にも大神殿にもどこにも[転移]の魔方陣など見つからなかったし、個人の霊力で発動させて跳ぶには距離が長すぎる。
「ジズ、許可するわ!顕現しなさい!」
「えー、結局またボクがやるの?」
マリアのその言葉とともに突然姿を現した、宙色の髪の少年の姿に、場が騒然となった。
「な、誰じゃ!?」
「どこから入ってきた!?」
「神殿騎士は何をやっておる!?」
「あー、皆さんにとっては初めましてだね。ボクはジズ、宙竜ジズです。よろしくね♪」
「挨拶とかいいから!早く跳ばして!」
「「「「…………ジズ?」」」」
「宙竜って、まさか……!?」
「もー、前も言ったけどボクが権能を使うと後々大変なんだよ?」
「緊急事態につべこべ言わない!」
「仕方ないなあ。ホントにマリアは言い出したら聞かないんだから……」
愚痴りながらも、ジズの全身から濃密な魔力が立ち上がる。それはどう見ても人の身では考えられない魔力量だ。
「まさか、失われたはずの12番目の……“真竜”の名か!?」
普段は何事にも動じることのないファビオが見たこともないほど驚愕するのを見て、グレゴリオ以下全員が呆気にとられ、次いで蜂の巣をつついたように騒ぎ出す。
「真竜ですと!?真竜はこの世に11柱だけでは!?」
「“宙竜”など、聞いたこともありませんぞ!」
「いや、いにしえの文献には12柱あると記されてはおるが……」
「その12番目が……その“宙竜”とやらだと申されるのですか!?」
「しかし、それがこんな子供なはずが!」
「もー、うるさいなあ。本人がそう言ってるんだから信じとけばいいじゃん。それともここで本体に戻ろうか?」
「やめてジズ。大神殿が吹っ飛ぶから」
「「「「吹っ飛ぶじゃと!?!? 」」」」
「さ、マリア手を出して。跳ぶよ」
「急いで!あと私の姿も変えといて!」
「もー、相変わらず注文多いなあ!」
「ま、待てマリアちゃん!説明ば」
「帰ってきてからね!」
ファビオにそう返事した瞬間、マリアの姿はジズとともに消えた。魔方陣を展開するでもなく、詠唱を紡いだわけですらなく、ただ有り得ないほど濃密な魔力を纏ったまま、ふたりの姿はその魔力とともに消え去った。
「………………“魔法”……か?」
ファビオが呆然と呟く。
「ま、魔法ですと!?」
「まさか!?」
「じゃが、あれがもし本当に“真竜”であれば、神に等しい存在のはず……」
「で……では、本当に……!?」
“真竜”。
この世界に一般的に棲息する大型爬虫類を総称して“亜竜”と称するが、その意味は「竜のようなもの」である。世間一般的に亜竜は竜種だと認められているのだが、それがなぜ亜竜などと言われるのかといえば、“本物の竜”が別に存在するからに他ならない。その“本物の竜”、それこそが真竜である。
本来、竜と称されるのは真竜だけだ。亜竜はあくまでも、真竜に似た姿をしているだけの、全くの別物でしかないのだ。
真竜はこの世に11柱存在するとされている。それは地上のどこかにいて、だが決して人々の前に安易に姿を現すことはない。
もっともよく知られているのは西方世界で誰しもが子供の頃に触れる寓話に登場する5柱の竜、すなわち黒の“死竜”、青の“海竜”、赤の“炎竜”、黄の“雷竜”、白の“湖竜”である。
その他に緑竜、桃竜、橙竜、紫竜、光竜、闇竜がいるとされ、それで計11柱。その中に宙竜は含まれていない。だが太古のとある遺跡から出土した石版のひとつにのみ、“世に十二の竜あり”と書かれていて、それで実は真竜は12柱あるのではないかと一部の賢者たちの中では考えられていた。ファビオはそれを知っていたわけである。
「あ、あれが本当にその真竜だとすると……」
「馬鹿者、不敬なるぞ。“真竜”は神に等しい……いや、神々をも超越する存在ぞ」
神教の教えでは、世に神々は無数に存在することになっている。各地の土着の宗教をいくつも取り込んで信仰を拡大したためでもあるが、この世の森羅万象はもとより全ての事象、人の感情や言動、思考などにも全て個別に神々が宿ると考えられている。
だが真竜は世に12柱しか存在しない。それは五色の魔力および世界の神理を体現するものとされ、ゆえに一部の賢者たちの間では神々をも超越する者、つまり“超神者”とも呼ばれているのだ。
その“真竜”の一柱である宙竜ジズの力により、巫女マリアは中央大神殿より姿を消した。行き先はもちろんアナトリア皇国皇都アンキューラ、そして蒼薔薇騎士団と最愛の兄アルベルトの元である。
「だ……だとしてもだ!巫女が連れ去られたのじゃぞ!?これは一大事である!」
だがこの場に残った者たちに、それを知る術はない。彼らがそれを知るのは、全てが終わった後のことになるだろう。
次回更新は15日の予定です。
【真竜】
狭義の意味で「竜」と言えば真竜を指す。その姿は雄大な体躯と長い首、長い尻尾、それに頭部の角と背に翼を持っていて、全身を鱗で覆われた姿をしているという。いわゆる“竜”に相当する。
世に神々は数多存在すると言われるが、真竜は11柱しか存在しないとされ、そのため神々をも超える権能を持つ可能性があると一部では考えられている。実際、伝承によれば真竜の中には世界の終末に関わるとされる存在がいくつもあるため、あながち間違っていないのではないかと言われている。
・白竜(善/秩序)雌
[湖竜シャヴォンヌ]
所在と生存が確認されている唯一の竜。ラグ山中の“竜の泉”に眠るとされている。ただしその事実を知るのは歴代の〈竜の泉〉亭のマスターのみ、現在はザラックただ独りである。
性格は温厚、知能も高く、歴代の〈竜の泉〉亭のマスターたちに匿われる形でひっそりと生き続けている。ただし思い上がった人間たちが敵対したときはその限りではなく、実際に約百年前に挑んだとある高レベルパーティは一瞬で消し飛ばされたと伝わっている。
自ら名を明かすことはないが、その名は湖竜シャヴォンヌという。
・黒竜(悪/混沌)雄
[死竜ニーズヘッグ]
終末の時に死者を乗せて飛ぶ死竜ニーズヘッグ。
大樹海の最奥に聳える“世界樹”の樹頂部に止まったまま眠り続けている。死竜が目醒める時、それは世界が終わる時であるという。
ただし起きることがなくとも、その身は時折身じろぎするという。そのタイミングと“黒死病”の流行が重なっているのは、果たして偶然なのだろうか。
・赤竜(善/混沌)雌
[炎竜スルト]
かつて一度は世界を滅ぼしたと寓話に語られる炎竜スルト。姿を消したものの滅ぼされてはいないはずで、世界のどこかに潜んで、再び訪れる終末の時を待っているとされる。
・青竜(中立/秩序)雌
[海竜レビヤタン]
終末の時に海嘯を起こして全てを呑み込むとされるのが海竜レビヤタンである。世界の海のどこかにあるというその最深部で、目醒めの時を待っているという。
・黄竜(悪/中庸)雄
[雷竜ブロントス]
慈悲無き悪意、天災の象徴たる雷竜ブロントス。その羽ばたきは嵐を喚び雷雲を起こし、その息吹は稲妻となって大地を焦がす。
・緑竜(善/中庸)雄
[森竜ベヒモス]
大地の王たる森竜ベヒモス。
エルフの王都、森都の地下深くで眠っている。身じろぎするだけで、各地に大地震を発生させるという。
・桃竜(悪/秩序)雌
[淫竜ハーロッツ]
黙示録の獣こと、人類の欲望の化身が淫竜マザーオブハーロッツである。
・橙竜(中立/混沌)雌
[母竜テュポーン]
全ての魔物の母たる母竜テュポーン。世界のどこかにある“深淵”にて、常に瘴気を生み出していると言われる。
・紫竜(中立/中庸)雄
[毒竜ヨルムンガンド]
世界を取り巻き支える毒竜ヨルムンガンド。その身は全て毒とされるが、同時に全ての薬の元でもある。
・光竜(善/秩序)雌
[輝竜ミスラ]
終末の時に世界を救うとされる輝竜ミスラ。東方世界では“光の神”ミトラースとしても知られている。
・闇竜(悪/混沌)雄
[悪竜アジ・ダハーカ]
終末の時に現れ世界を滅ぼすという悪竜アジ・ダハーカがこれであるという。蛇王の封印をひたすら更新し維持し続けているのは、ひとえに悪竜を顕現させないためとされている。
・星竜(中立/中庸)雄
[宙竜ジズ]
天宙の覇者たる宙竜ジズ。その身は大陸ひとつに匹敵する大きさだとされ、常に遥かな高空、星の宙を舞っているという。
存在さえ知られていない“12番目の竜”。実はアリウステラの鏡面世界である地球に存在する。白と黒に対応しその中間である「灰」に対応するものとして、光と闇の中間としての「星(宇宙)」であり、今は宇宙空間を隔てて繋がりのある地球へと身を移している、この世界で唯一「物理的に地球とアリウステラを往き来できる存在」が星竜である。
【龍】
ちなみに“龍”というのはこの世界ではまた別個の存在である。龍とは東方世界、華国や“極島”に伝わる霊獣の一種とされ、雨を喚び嵐を起こす荒ぶる存在として知られている。数ある神々や霊獣の中でも一部族を形成しており、多くの“龍”がいるとされる。
その龍の姿を象った炎系の魔術[炎龍]は、元は東方世界で編まれた魔術であるとも言われている。




