4-35.初めての強敵
魔物の中でもある程度高位の存在、つまり現実に生きた肉体を持たない魔王や吸血魔、魔族などには『霊核』と呼ばれる、いわゆる心臓のようなものがある。と言っても物理的に存在するのではなく概念的なものなので、それがどういったものかは定かには分かっていない。
霊核は概念上の存在であり、全ての霊体の「核」となるものであって、本来は善悪正邪に関わらず霊体であれば⸺人間も動植物も神も精霊も、自我や生命を持つ存在はすべからく霊体である⸺例外なく持っているとされている。森羅万象の構成元素たる魔力、それをまとめて自我を持つ個体として成立させるために霊核が必要になるのだと考えられている。
ただし人間や動物、魔獣や低位の魔物などは固有の肉体を持っており、霊体である以前に現実に存在する“生物”として生きている。そうした存在は霊核の有無に関わらず実際に存在する心臓を壊せば死ぬし、霊炉を止めさせて魔力(霊力)の供給を止めても死に至る。
だから通常、生物の持つ霊核とはいわゆる『魂』と同一視される。それさえ残っているなら存在としては滅びない、という意味で。
実体を持たない高位の魔物に関して言えば、霊核が瘴気を取り込み魔物の身体を実体化させる「核」となっていると考えられている。そしてそれを壊せば、魔物はその身を維持できずに瘴気に戻ってしまう。⸺そう、あの皇太子のように霧散して消滅してしまうのだ。
つまりそういう意味で霊核は魔物にとっての心臓部と言える。
だから魔物の霊核を壊せばその身が維持できなくなって瘴気に戻ってしまうのだ。それゆえに魔物は何を差し置いても霊核だけは守ろうとするし、逆にそれらと対峙する勇者や冒険者たちは魔物の霊核を破壊することを最優先目標にする。
だが問題は、霊核が魔物の体内のどこにあるのか分からないことにある。通常ならば[感知]や[解析]でもっとも魔力の集まる部位を探ればいいのだが、高位の魔物はどれも全身に濃密な瘴気を纏っているため探れない。しかも個体ごとに霊核の位置は異なるため、戦闘中に手探りで探すほかはない。
この戦闘でレギーナは最初、祭官長を大上段から真っ二つにした。だがそれでは倒せなかったため今度は上半身を細切れに刻み、その次には一閃して首を刎ねた。それでも倒せなかったのだから黒幕の霊核は下半身、それも左右の脚のどちらかにあると踏んだのだ。そして手応えを感じたため、今度は確実にヒットさせたと確信していた。
だというのに、のたうち回る祭官長は消え去る気配がない。
「姫ちゃん、黒幕多分、霊核ふたつ持っとるばい」
「ふたつ!?」
高位の魔物で霊核をふたつ持つほどの存在、それはつまり霊核ひとつで集めきれないほどの量の瘴気が、実体化するために必要だということ。そんな存在など、魔物の中でも三種類しかいない。
そして先ほどの祭官長が見せた、斬られては実体化を解いて逃げる様子、さらに瘴気の塊と化していた皇太子の変わり果てた姿。生きている人間をあのような姿に堕とせる存在だということを考え合わせると⸺
「ということは魔王は無いにしても、血祖か……」
「血鬼のほうであることを祈っとこうかねえ」
魔物たちの最上位存在である魔王と、吸血魔の最上位種である血祖。そしてそれらに次ぐ存在で、吸血魔としても血祖に次ぐ高位の血鬼。霊核をふたつ持つとされる存在はその三種だけだ。
そして魔王と血祖が敵ランク判定で“頂点”、血鬼は同じく“到達者”である。
つまり敵は最低でも、到達者であるレギーナと同等かそれ以上の強敵ということになるわけだ。そしてレギーナたち蒼薔薇騎士団は、血鬼以上の存在との戦闘経験がまだ、ない。
「参ったわね……」
「愚痴ってもしゃあないばい。いつか経験せなならん事やん」
蒼薔薇騎士団の“到達者”は顔を見合わせ、そして祭官長を見た。その祭官長は地に倒れ伏し、いつの間にか動かなくなっている。
「あっ」
「こらマズい、アイツ抜けたばい!」
慌てて周囲の気配を探る。だがこの空間に濃密に立ち籠める瘴気がその気配を遮り探せない。
そう、彼女たちは今度こそ敵を見失ってしまったのだ。
「あっそうや、おいちゃん!」
ミカエラが不意に何かに気付いた様子で、アルベルトに声をかけた。
「おいちゃんどっち消したん!?」
「ええと、[魔術防御]のほうだよ」
アルベルトは九層での皇太子と戦った際、[破邪]や[鏡面]の術式を発動させている。だが彼は霊力が3しかなく、同時に二種類しか魔術を発動できない。皇太子との戦闘前に彼は[物理防御]と[魔術防御]を発動させていたから、そのどちらかを解除しなければ魔術が使えなかったはずなのだ。
「分かった。ほんならウチがかけといちゃあ」
ミカエラは彼に駆け寄り、素早く[魔術防御]を発動させアルベルトの身に[付与]した。皇太子は魔術を使ってこなかったが、敵が血鬼以上だと考えられるだけに、魔術による攻撃を受けるのはほぼ確定的だ。範囲攻撃魔術でも発動されたら無防備なアルベルトはひとたまりもない。
「悪いね、助かるよ」
「よかよか。それよりか油断できんばい」
「分かってる。敵が血鬼以上なら⸺」
アルベルトはそう言って、空間の中央部に目を向けた。
「眷属を呼ぶだろうね」
アルベルトが言い終えぬうちに、その中央部の瘴脈から立ち昇る瘴気が一気に膨れ上がった。
「来るわよ!」
緊張を孕んだレギーナの声。膨れ上がった瘴気は無数の蝙蝠と化して、空間をあっという間に埋め尽くした。
「[浄炎乱舞]⸺」
「乱れ飛べ、[千本氷槍]!」
クレアとミカエラがすかさずオリジナル術式の殲滅魔術を展開し、次々と蝙蝠を撃墜していく。だが蝙蝠の数が明らかに多く、しかも瘴脈からとめどなく湧いてくる。
『ふはははは。足掻いても無駄じゃ』
どこからともなく、黒幕の声が響く。祭官長の身体を捨てたせいか聞き慣れぬ声で、しかも蝙蝠が全て同じセリフを発しているかのように反響して、それ自体が呪詛のようにレギーナたちの身にまとわりつく。
「これじゃキリがないわ!」
ドゥリンダナで当たるを幸い斬り落としているレギーナが、早くも音を上げた。
「姫ちゃん!節約!」
「分かってる!けど!」
「親玉さえ見つけれりゃあ、くそ!この!」
ここまで戦い詰めで、さすがのレギーナも霊力の残量が乏しくなってきているため、軽々しくドゥリンダナを“開放”できない。そしてミカエラは治癒系の魔術や防御系の魔術に備える意味でも魔術使用は最低限に済ませたい。
そうすると必然的に、無数の蝙蝠に対する有効打が無いということになる。一匹ずつ物理的に落としていては本当にキリがない。
「親玉なら瘴脈の中だよ!」
「「「「あっ!」」」」
だがアルベルトの叫びに、蒼薔薇騎士団の全員が息を呑んだ。
なるほど、言われてみれば確かに。
「だったら!」
「待ってレギーナさん!」
「えっ?」
「クレアちゃん、行くよ!」
「⸺!分かった!」
その叫びを受けて瘴脈に突入しようとしたレギーナを押し留め、アルベルトはクレアを呼ぶ。そのクレアは自分の役割をすぐに理解したようで、まとわりつく蝙蝠を焼き払いつつ駆け寄ってくる。
「ミカエラさんはヴィオレさんを!」
「あっうん、分かった!」
クレアが動いたことでヴィオレが孤立する。それを防ぐためにミカエラが代わって下がっていく。
そのヴィオレは真銀のダガーで蝙蝠を倒しているが、明らかに間に合っていない。[魔術防御]のおかげで無傷だが、削り切られればひとたまりもないはずだ。だがミカエラがついていればひとまずは安心だろう。
「何をすればいいの」
アルベルトに駆け寄ってきてクレアが訊ねる。
「あの瘴脈の中を浄化したい。できるかな」
クレアを一瞥もせず、瘴脈を見据えたままでアルベルトが答える。
「炎でいいなら」
やや目を伏せながらも、クレアはそう言った。浄化は赤加護であり、炎と密接に結びついている。そのため炎でなければ浄化の効果は発揮されない。
ただ、先ほど浄化の力を持つはずのクレアの[浄炎乱舞]が一度無効化されたことが気にかかる。
「それでいいよ。できるだけ強い炎を」
「⸺分かった」
力強く頷いて、クレアが前に出る。
「魔方陣描くから、描いたらわたしの指を切って、おとうさん」
彼女はそう言って腕を瘴脈に向かって突き出し、詠唱を始めた。
「ねえ、私はすることないの!?」
そこへレギーナも駆け寄ってくる。
「レギーナさんは、弱ってヤツが出てきたらトドメをお願いするよ」
「そう。⸺分かったわ」
それだけ言って頷くと、レギーナは周囲の蝙蝠を再び斬り落とし始めた。
いつもより長いクレアの詠唱。その足元に赤い光を放つ円形の魔術陣が現れ、すぐに描かれた文様が切り替わる。[方陣]の術式で魔方陣に強化された証拠だ。
それを見てアルベルトがクレアの細い手指を掴むと、腰ベルトに差していた真銀のダガーを抜いてその切っ先で、華奢な人差し指の指先に小さく切り傷をつけた。
クレアの指先に真っ赤な血がぷつりと玉を作り、そして重力に従ってひとしずく、魔方陣へと落ちた。
次の瞬間、足元の魔方陣が目も眩むほどの輝きを放ち始め、そのまま瘴脈を飲み込むほどに拡がってゆく。
『ふはははは、無駄じゃ無駄じゃ!儂に炎が効かんのはもう見たじゃろう』
「[浄炎柱]⸺」
黒幕の勝ち誇った声が響いた瞬間、瘴脈の中心に轟音とともに巨大な炎の柱が立った。
炎柱は人を数人飲み込めるほどの太さで、上は天井に到達するほどの高さまで一気に聳え立つ。下はおそらく地下深くの瘴気の流れまで到達していることだろう。
「くっ……!」
思わずアルベルトが顔を腕で覆う。熱風が吹き付けてきて一気に周囲が熱せられ、肺が灼けつきそうなほどの熱量が襲ってくる。ミカエラにかけてもらった[魔術防御]がなければ全身を炎に包まれていたかも知れない。
と、そこへ水の膜が展開する。ミカエラの[水膜]だ。おかげで熱が緩和され、呼吸もだいぶ楽になった。
「クレアちゃん!これどのくらい保つ!?」
「わたしの霊力が尽きるまで」
つまりクレアはこの[浄炎柱]を最大強度で発動させ、持てる全霊力を注ぎ込むつもりなのだ。とはいえ本当に彼女の霊力を使い尽くさせるわけにもいかないので、なるべく早く炙り出されてくれることを祈るしかない。
『ぬ、ぐ、ああああああ!!』
瘴脈の中から絶叫が響く。そして瘴脈の、轟々と燃え盛る炎の柱の中に人影が姿を現した。
「出てきたわ!」
「いや、あれも眷属だね」
「なんですって!?」
レギーナがアルベルトを振り返るのと、炎の中の人影が飛び出してきたのはほぼ同時だった。一瞬だけ虚を突かれたレギーナの反応が刹那遅れた。
『アアアアアア!!』
「⸺くっ!」
雄叫びを上げて襲い掛かってくる人影。成人男性と変わらぬ大きさの手足と身長を持つそれは、全身を炎に包まれながらも人の身では到底ありえないほどのスピードで一瞬にして距離を詰めてくる。レギーナが迎え撃つも、人影が振り上げた鉤爪鋭い腕のほうが僅かに速い。
「姫ちゃん!」
悲鳴に近い、ミカエラの叫びが聞こえた。
人影を迎え撃つレギーナの背後に、別の小柄な影が音もなく襲いかかった。
【吸血魔の主な種類と名称】
・血祖
吸血魔の王たる存在。1人だけとも複数いるとも言われるが定かではない。
事実上魔王と同等の存在であるとされ、魔王と同じく歴代勇者たちに討伐された記録がいくつも残っている。少なくとも定期的に新たな血祖が生まれているのは間違いないと考えられている。
・血鬼
通常現れる吸血魔たちの中では最上位の存在。場所や年代を問わず各所に現れては瘴気を撒き散らし生物を襲い、自らの眷属に堕として軍勢を構成する。
血鬼と血祖は実体を持つ生物ではなく、魔力(瘴気)によって実体化しただけの霊体である。そのため疲れることもなく、自由に実体化を解いて霊体に戻ることが可能。
・血者
血鬼によって眷属に堕とされた者の中でも比較的上位の存在。自我を持ち、人語を解し、血祖や血鬼の眷属の中でも特に力を与えられた者が血者となる。また血鬼と同じく下位の存在を自らの眷属とすることができる。
一般的に“吸血魔”と呼ばれるのは血者である場合が多い。深夜に若い娘を誑かしてその血を啜り眷属となす、といった、いわゆる「物語に見える吸血魔」は大半が血者である。
・血霊
東方世界に伝わる吸血魔の一種。多くは美しい女の姿で、陰神の満ちる夜に道端で出会う男性を誘い、一夜を共にするがその腹を引き裂いて内臓と血を啜るという。
青白い肌、長い髪、白い衣服が特徴で、現れる前触れとして決まって赤子の泣き声がするという。
ただ稀に誘惑した男性に惚れる事があり、男性がそれを受け入れるなら正体を隠し、美しくも貞淑な妻として一生添い遂げるとも言われている。そうして生涯ひとりの男性と添い遂げた血霊は魂が浄化されて、本当の人間として生まれ変われるのだとか。
・隷者
血者以上の吸血魔によって殺され眷属に堕とされた生物の総称で、姿形も能力も様々。多くは自我を持たず、命じられたことだけ行う“奴隷”であり、元が生物なだけに物理的に倒すことができる。
【その他】
・吸血人
いわゆる魔人族の一種。人類からすれば見た目は吸血魔とほぼ見分けがつかないが、人類と同じく実体を持ちコミュニティを築き社会生活を送っている、立派な亜人種のひとつ。モンスターとしての吸血魔とは異なり性質は比較的温厚で、人類を害する意図は持たないとされている。吸血行為はするものの、吸われる側の同意を得ずに襲うことはないという。
人類に見つかればほぼほぼ問答無用で討伐されるため、人目を避けるように隠れ住んでいて実態がほとんど掴めていない。そのため種族として扱うべきかも議論がある。一部の学者の唱える学説として、生物であるヴァンピールが瘴気によって闇に堕ちた存在が吸血魔になるという。
歴史上ごく少数が存在したことが確認されている。そしてその全てが吸血魔を専門に狩る冒険者“ヴァンパイアハンター”であったと伝わっている。
※吸血魔との見分け方としては、白目の部分が闇の色をしていれば吸血魔、人類と同じく白目に瞳があるのがヴァンピール。違いは唯一そこだけと言われる。
※ヴァンピールの設定もそのうち作品化(文章化)できればと思っていますが、とりあえずまだ予定はありません。




