20
ジェラルドが自宅に戻ったのは、夜明け間近のことだった。
そこから数刻の睡眠をとり、いつも通りの時間に起きる。
リャナザンド侯爵、つまり、シャルロッテの父から封書が届いたのは、昼頃だった。
呼び出し状である。
要件はもちろん、メレディアの件だろう。
分家が巻き込まれた醜聞に、本家が事情を尋ねる、ということだ。
本館の父に会い、事実をそのまま述べても構わないだろう、という判断を打ち合わせ、実家の馬車を仕立てて本家へと向かった。
「やあ、大変だったようだね」
柔和な笑みをたたえて、侯爵が出迎えたその横に、シャルロッテがむっつりとした顔で座っている。
「事情を聞かせてくれるかい?」
全てを知っているのだろうが、それでも、ジェラルドの口から当事者の話を聞こうというのだろう。
出来るだけ客観的に、昨日の出来事を説明した。
「気丈で、賢い。よいお嬢さんを迎えたね、君は」
「……ありがとうございます」
「しかし、やはり気になるのは、メレディアちゃんによく似た間諜の存在と、メレディアちゃんとラインハルト殿下の関係だね。
君はどう思う?」
数秒、口ごもったジェラルドの隙をついて、シャルロッテが鋭く口を挟んだ。
「まさか疑ってるんじゃないでしょうね?」
「何をだ」
「あの子が、隣国のスパイだってことよ! そんなわけないでしょ!」
「なぜ言い切れる」
「根拠なんてどうでもいいのよ、あなたが信じてるかどうかを聞いてるの!」
おろおろとした侯爵が、両手を上げたり下げたりしながら、
「ど、どうしたんだいシャルロッテ、何を怒ってるんだい?」
そう聞いた。
父親を睨み、ジェラルドを睨み、それから、シャルロッテは、──泣き出した。
「え、ええええ、ごめんよ、お父さんが何かしたのかな? シャルロッテ、何が悲しいんだい!?」
動揺している父をしり目に、シャルロッテは泣きながらもジェラルドを睨んだ。
「私、失敗したわ。あなたとあの子を会わせることになっちゃうなんて」
「……どういう意味だ」
「あなたがクラリスを好きだったって知ってたのに……クラリスを失ったあなたに、クラリスそっくりのあの子を会わせちゃうなんて……」
時が止まった。
ジェラルドは、鼻をすすり上げるシャルロッテと、なぜかジェラルドを睨む侯爵を交互に見てから、叫んだ。
「いつの話をしている!」
「時間なんて関係ないわ」
「そういうことじゃない、そんなの、ほんの子供のころの話じゃないか!」
「いいのよ、初恋ですもの、分かるわ」
「そうじゃない! 確かにクラリスに多少の憧れのようなものはあった! 5歳とか……そんな頃に!」
「そんな頃からこんなに長く……!」
「違う! 聞け! 子供心に一緒に遊ぶのが楽しいとは思ったが、シャルロッテ、お前とだって同じくらい楽しかったし、お前のところの執事とだって同じくらい楽しかった!
そんな程度の、子供のお気に入りの遊び相手であって、初恋なんてもんじゃない!」
シャルロッテの泣き声が止まる。
「嘘」
「いったい嘘だったとして、なんの意味があるんだよ」
「ごまかすためよ、あの子を妻にしたことの」
ジェラルドは首を振った。
「本気で意味が分からない。ちゃんと話せ」
「だから! クラリスを好きだったあなたは、クラリスが嫁いでもう手が出せなくなって、失恋したのよ! それで……クラリスにそっくりのあの子を、身代わりに娶った」
ふと、ジェラルドは、結婚前にメレディアの様子がおかしかった時期を思い出した。
出会いから婚約の申し込みまで、彼女は確かに、自分に好意をよせていたはずだ。
決して溺れるほどの強い愛ではないが、貴族同士の結婚にありがちな、政略的な好意でもなかった。
ほのかに感じるその思いが、くすぐったかった覚えがある。
それがいつしか、一線を引いたものになった。
婚約が確実になったからか、と考えたのだ。
彼女は安定していて、浮ついたところがなく、妻として理想的だった。
それは、間諜としての資質でもあり、正義のありどころを見極める必要があるなと気を引き締めたところでもあった。
「お前、そのことをメレディアに言ったか?」
我知らず、硬質な声が出た。
シャルロッテは、びくりと肩を揺らす。
隣の侯爵は、シャルロッテを脅すようなジェラルドを睨みつつも、ちらちらと娘を見ていた。
「ご……ごめんなさい。そんなつもりはなかったのよ。
あなたたちが婚約したなんて、知る前だった。
たまたま、あの子が居合わせたところに、クラリスが訪ねてきて……その時に……」
シャルロッテは語る。
あの時、メレディアは一瞬傷ついた顔をして、そして、それから、なるほどというようにうなずいたのだ、と。
何かをとても納得して、その上で、シャルロッテに婚約の事実を告げた。
彼女は笑っていた。
すっきりしたような顔をして。
「……俺はな、シャルロッテ。クラリスとはもう、十年以上顔を合わせていない」
「えっ。……でも……」
戸惑った顔をした後、シャルロッテは、あ、と口を開けた。
「そうだ。我が家の男は、長男以外、結婚するまで社交界を避ける。
むやみな貴族に好意を持たれたり、入り込もうと娘を差し向けてこられては、困るからだ」
シャルロッテは、分家であるリャナザンド子爵家の家業をようやく思い出したらしい。
「大人になったクラリスを見たのは、結婚後、王宮の夜会に出席した時だけだ。
確かに、メレディアに少し似ている気はしたが……」
「そんな。嘘でしょう」
「嘘じゃないことは、侯爵もご存じだ」
隣で必死で肯く父親を見て、シャルロッテは呆然としている。
「私……なんてこと、私の思い込みだったっていうこと?」
ジェラルドは立ち上がった。
そして、侯爵に辞去の礼をし、
「ああ、そうだ。クラリスはそんなにメレディアと似ているのか?」
「え、ええ……。夜会では化粧の仕方が違うし、遠くからだったから、少し似ている程度に思ったのかもしれないけど。
正直とっても似ているわ」
メレディアに似た女。
それは、奇妙な符合だった。
「シャルロッテ。
気に病む必要はない。
俺が彼女と結婚したのは、確かに愛ではなかった。
事情は違うが、それは真実だった。
彼女に間諜の疑いか色濃くかかっていることは、ずっと前から知っていたんだ。
だから俺は……彼女と結婚した」
罪悪感の奥に、かすかにジェラルドを責める色を含ませ、しかし、家業のことを思えば口に出して責めることもできない。
シャルロッテはそんな表情をしている。
「後日、メレディアとともにラインハルト殿下に会いに行きます。
そこで分かることもあるでしょう」
今度こそ、部屋を出る。
過去形なのね、とつぶやくシャルロッテの声は、届かないまま。




