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わたくしが溺愛されるのは当然です ― 薔薇たちの純愛革命 ―  作者: 入鹿なつ
第1章 わたくしが秘密を持つのは当然です

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5輪 蕾の薔薇の密談

 ロザリーが向かいの席に着くと、ジェイデンはケイレブにお茶の用意だけさせてすぐに下がらせた。侍衛が温室の外へ出たのを確かめてから、この場所に合わせたような薔薇の柄のティーカップを持ち上げる。皇太子は香りを楽しむ仕草をして、金で彩られた(ふち)に唇を当てた。


 彼の喉が上下するのを見てから、ロザリーもティーカップを持ち上げた。薔薇の香気に満たされた温室では茶香はどうしても紛れてしまうが、口に含めば喉から鼻腔へと温かな香りが染みていった。


「なかなか美しい場所だろう」


 ロザリーが一口目を飲み下すのを待って、ジェイデンは言った。ロザリーは上目に窺うように、ティーカップから正面の席へと視線を移した。美貌の皇太子は二人きりのときに見せる、どこか面白がるような不敵な笑みを浮かべていた。


「確かに、これだけ薔薇が咲いていると壮観ですわね」


 視線を合わせてロザリーが率直な感想を口にすると、ジェイデンは鳩羽(はとば)色の瞳を細めて笑みを深めた。


「この温室に出入りできる者は限られている。秘密の逢瀬にはうってつけだ」


 蠱惑的な微笑で、誘うようにジェイデンが言う。ロザリーはちょっと片眉を上げて、ティーカップをソーサーに戻した。


「面白いことを考えたものですわね」


 動じないロザリーに、ジェイデンは笑みを不敵なものに戻して脚を組んだ。


「なんのことかな」

「あなたとわたくしの仲立ちを、彼に指示なさったのでしょう」

「わたしと違って真っ直ぐな男だからね、彼は」


 しらばくれる気はないらしいジェイデンに、ロザリーは呆れのため息をつく。


「本当に、あなたとは大違い──さすが、と申し上げるべきかしら」


 ロザリーが言葉の後半で声色を低めると、ジェイデンは喉を鳴らして軽く笑った。


「それは、わたしへの褒め言葉かな。ずいぶんと熱を入れてくれているから、これからも度々、わたしの名代や使者として君のところへ通ってくれるだろう。せいぜい同情をあおって距離を詰めるといい」

「言われるまでもありませんわ。あなたのことですから、こうして策を共有しやすくする魂胆もあってのことでしょう」

「やはりすべてお見通しか」


 ジェイデンが笑い声をたて、ロザリーは芝居がかった身振りで扇を口元に当てた。


「性格の悪い従弟を持って、彼には同情いたしますわ」

「その性格の悪い従弟と共謀する女性の言葉とは思えないな」

「わたくしの性格の悪さを知っている殿方の言葉とは思えませんわね」


 棘を隠さない応酬に、ロザリーもまた笑みを漏らす。


 ジェイデンはティーカップを置き、企む者の眼差しをきらめかせた。四阿(あずまや)の屋根から落ちる影の模様が、まばたく睫毛の先に光を添える。


「なにも君だけのためではない。君に未練があるように周囲に思わせておくのは、わたしにもメリットがある」


 そうだろう、と思いながらロザリーは扇を下げ、ティーカップと同じ意匠の皿に盛られたピンクの薔薇の砂糖漬けへと手を伸ばした。


「わたくしを虫除けにするのも、大概にしていただきたいものですわね」

「君も同じように利用しているから、噂を放置しているのだろう」


 ジェイデンの指摘は正しかったが、ロザリーは答えないまま薔薇の砂糖漬けを口へ入れた。


 皇太子の婚約が白紙となったならば当然、空いたその座を狙う者が数多く現れる。皇太子妃ひいては次期皇后という権威はもちろんのこと、異性を惹きつけてやまない彼の容姿もまた、群がる女性たちに拍車をかける。


 そんな彼女らへのもっとも簡単で強い牽制となるのが、心に決めた相手がいるとアピールすることだ。しかもその相手が、生まれも容姿も評判も文句のつけようがないほど、効果は高い。が、そこに本気の恋愛感情が生じては意味がない。となれば、適任者は必然的に限られる。


 それはそのまま、名のある侯爵家の令嬢にも言えることだった。一国の皇太子を相手どってアプローチをかけられる男性など、そうはいない。もしも二人の関係破綻に乗じて近づく者があれば、警戒すべき相手として(ふる)いにかけることもできる。


 現状、本命以外の異性に極力わずらわされたくない二人にとって、虫除けにこれほど最適な人物は、お互いの他にいなかった。


 ロザリーは舌の上の甘みをお茶で流し、唇の滴をそっと拭きとった。


「わたくしの行動を読めるほど抜け目のない殿下が、今回はすっかり抜かりましたこと」


 ごく抑えたロザリーの呟きに、ジェイデンの表情が渋くなった。珍しく都合が悪そうに、鳩羽(はとば)色の瞳が逸らされる。


「証拠収集と裏づけに時間をかけ過ぎた。ソーンに逃げる隙を与えてしまったのは、完全にわたしの手抜かりだ」


 忌々しそうな吐息まじりに、ジェイデンは吐き捨てた。


 先月、皇都ラガーフェルドで盗品を扱っていた宝飾店の摘発がおこなわれた。それによって多くの盗品が押収され、関係者が捕らえられた。一網打尽と言えるこの大々的な摘発は新聞にも載り、ラガーフェルドのほとんどの民が知るところとなっている。しかし、盗品仲買の首謀者である宝飾店の店主が、今なお逃亡中だった。その店主の名がソーンだ。


 ジェイデンの指示によって捕らえた関係者への尋問や、ラガーフェルドの門での検問は続けられている。現時点ではまだ、逃亡者ソーンの手がかりはつかめていない。


 ロザリーは扇で口元を隠して嘆息した。


「不手際に自覚がおありならよろしいですわ。早急な解決をお祈りしております」


 重々しくジェイデンは頷く。


「全力であたっている。しかし、君も十分に用心してくれたまえ。摘発のきっかけが君と皇后の首飾りであることは、すでに知られている。店の客だった貴人らがことごとく無関係を決め込んだ以上、追い詰められたソーンが報復を考えないとも限らない。極力、一人で出かけることがないよう。可能ならば、男性の同行者を」

「もちろん心得ておりましてよ」


 ロザリーが頷き返すのを見て、ジェイデンは険しくなった眉間を軽く揉みほぐした。


「今日、彼女は?」


 眉間から手を離したジェイデンは、話題を戻すように短く問いかけた。表情からも声からも、険しさはすっかり抜けていた。


 ロザリーは扇を閉じて、同じようにごく短く返した。


「屋敷です」

「わたしはまだお預けというわけか」

「時期をずらすとおっしゃったのは殿下です」

「侍女としてなら連れていても不思議ではない」


 ごねる言葉を吐いているが、鳩羽(はとば)色の瞳は相手の考えを探る目つきをしている。駆け引きを好む彼らしい婉曲さを、ロザリーは鼻で笑った。


「わたくしの目の届く場所で、彼を別の女性と二人きりにさせるつもりはありませんわ」


 ロザリーとジェイデンがこうして二人きりで会う以上は、侍女は侍衛と共に温室の外に待たせることになる。立場として心理的な近さ生じやすいだろう近侍同士を、あえて傍に置く必要はない。


 ジェイデンは硝子扉の向こうに見える二つの人影を横目に見て、すぐにロザリーへと目線を戻した。


「君にとって、ザックは数に入らないか」


 ザックとは、ケイレブと共に温室の外に待機しているもう一人の侍衛、ザック・ランザンのことだ。暗色の髪を刈り上げ、見るからに肩幅が広い彼は、外見でいえばケイレブよりもずっと騎士らしい騎士と言えるかもしれない。


 ジェイデンの甘さともケイレブの凜々しさとも違うザックの精悍さに、惹かれる女性は間違いなくいるだろう。皇太子が近侍に選んでいるだけあって、忠誠心と口の堅さは折り紙つきだ。信頼できる若者だと、ロザリーも評価している。ただ、話しかけても寡黙で表情の乏しい彼は、ロザリーにとっては少々面白みに欠けるのだった。


「彼女に余計な虫もつけたくありません」


 ロザリーの宣言に、ジェイデンは噴き出すように吐息を震わせた。


「その虫には、わたしも入っていそうだな」

「ご想像にお任せいたします」

「意外に嫉妬深いことだ」


 「あら」と呟きながらロザリーは目を見開き、わざとらしく驚いてみせた。


「殿下は、思いを寄せる女性が別の男性と親しくする姿を楽しむような、奇特な趣味がおありでしたかしら」


 ロザリーによるあからさまな嫌みに、ジェイデンはくつくつと喉を鳴らす。


「ありえないな」

「安心いたしましたわ。意見が合うようで」


 極上の笑顔を浮かべて、ロザリーは薔薇の砂糖漬けを摘まみ上げた。砂糖の衣を纏った花弁を一枚お茶に落とし、もう一枚を口元へ運ぶ。


「焦らずお待ちくださいな。今、裏切ったところで、わたくしにメリットがないのはお分かりでしょう」


 濃いピンクの花弁を噛めば、まぶされた砂糖がさくりと音をたてた。甘美な香気が口腔にはじけ、ロザリーは恍惚と目を細め、呟く。


「彼の運命の相手は、わたくしでなくてはなりませんのよ」


 蔓薔薇の堅い蕾が、四阿(あずまや)の柱の陰で淡く色づき始めていた。

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