再起動
「簡単に言えば、私は自分の体を浄化したのです」
日も暮れて、エクスはたき火を挟んでドロシーと向かい合って座っていた。濡れたローブを乾かしたり、腰を抜かしたクリスティーナ婆さんを介抱しているうちに日が沈んでしまった。
仕方なく、今夜は森に野営することになった。魔物や危険な動物が現れないのだから下手に外へ出るより安全だろう。空は曇っていて、星一つ見えない。クリスティーナ婆さんは馬車から持って来た毛布にくるまって眠っている。
「浄化というのは『アプデの泉』で、ですか?」
ドロシーはうなずいた。
「ご存じのとおり、結界を維持出来る人間は年々減り続けてきました。何故だかおわかりですか?」
「結界の術式と魔力の質がどうとか、という話だったかと聞き及んでいますが、正確には……」
「だいたいそんなところです」
たき火に照らされた顔がほころぶ。
「ご存じの通り、『結界』を張っている魔法陣は三百年前に作られたものです。本来であれば魔力量さえあれば誰でも動かせるはずでした。ですが昔と現代の人間では魔力の質が違うのです」
「何故ですか?」
「詳しい理由はわかっていません。ですからこれは私の推測になります」
人間の魔力は体内から生まれる。昔と今とでは決定的に違うものがある。食べ物だ。
「昔は貧しい者が多く、王侯貴族であっても今から見れば粗食であったと言われています。ですが結界のおかげで豊かになり、食べ物の味も向上し、作物の種類も増えました。体つきも良くなり、飢える者も少なくなりました。食べ物が変わったために魔力の質もまた変わってしまったのではないかと」
エクスは自身の手を見つめる。貧しい農民だった時代は麦は大半が税に取られ、芋や麦粥、あとはいくつかの野菜がほとんどだった。背も小さく、体つきも細かった。だが、傭兵に拾われてからは肉や魚をたらふく食えるようになった。命懸けの毎日だったが、食い物だけははるかに良くなった。そのおかげが背も伸び、筋肉も付いた。
「下手に現代人の魔力で動かそうとすれば、誤作動を起こし、結界そのものが消えてしまいます。ですから私も魔力が変質しないよう、なるべく粗食で過ごしてきました」
聖女様はエクス以上に貧しい育ちである。それだけに魔力の質も昔の人間と近かったのだろう。
「『結界』が魔物を防ぐと、魔物の持つ瘴気……魔力の毒が『結界』の内部に入り込みます。そのままでは誤作動を起こすため、魔力補充の際に澱みというか、魔力の毒を聖女の体に戻す仕組みになっているのです。その結果があの姿です」
エクスの脳裏に昨日までのドロシーの姿が浮かぶ。
「では、あの体は肉ではなく、その魔力の毒だと?」
「あまりに溜まりすぎたので、肉体まで変化させてしまったのです」
普通ならばとうに死んでいただろう。事実ここ数代の聖女は、みな短命である。が、歴代有数の魔力許容量が皮肉にもドロシーの命をつなぎ止めた。
「それは取り除けなかったのですか?」
「取り除くには私の体を浄化しなくてはなりませんが、それが可能なのはこの泉だけです。ですから……」
やりたくてもできなかったわけか、と心の中で後を引き継ぐ。『結界』を構築する魔法陣には魔力を一日に一度は注がねばならない。王都から『アプデの泉』に来るのに七日はかかった。どれだけ急いでも三日はかかるだろう。魔力を補充できる聖女は、今ではドロシーただ一人。詰んでいる。
「それは誰にも言わなかったのですか?」
事情を知っている人間がいれば、王宮内での扱いも違っていただろう。
「言いましたよ」ドロシーはこともなげに言った。「ですが誰も信じてくれませんでした」
身分が低く、不器量な姿の娘の言うことなど言い訳程度にしか思わなかったようだ。メレディス王子がその代表だろう。
「ですが先日、『結界』保持の任を解かれました。なので体にたまった澱みの浄化をするためにこの泉に来たのです」
「そもそもの話、この泉は一体何なのですか?」
「昔から神聖な泉だったそうですが、それに『結界』を作られた賢者様が手を加えられたと聞き及んでいます。おそらくは体にたまるであろう澱みを浄化するために用意されたのではないかと」
もっと近くに作れば良かったのに。聖女ならぬ身のエクスとしては、ぼやかずにはいられない。
「さすがの賢者様も聖女の数がこれだけ減るとは想定外だったのでしょう。昔は何十人もいたそうですので」
「それでですね」
折を見て、エクスはようやく本題に入る。
「今のが、その……浄化された本来のお姿というわけですか」
確かに面影はある。が、十歳の頃の少女がそのまま成長したとしても、これだけの美女になれるかと聞かれたら首を傾げざるを得ない。
「正確には違います」
受け取り方次第では失礼極まりない質問の筈だが、ドロシーは気にした風もなく泉の方を向いた。
「『アプデの泉』にはもう一つの効果がありまして、浄化した澱みを魔力に変換し、肉体を強化するのです」
「強化、ですか?」
「澱みの反対です。魔力は肉体に影響を及ぼします。良くも悪くも」
普通ならば大した影響もないそうだが、十年以上も溜めに溜めた澱みは膨大な魔力となり、肉体すら変質させたのだろう、とはドロシーの推測だ。
「たとえば、こんな風に」
ドロシーは何事か呪文を唱えると頭上へと腕を伸ばした。不意に空が明るくなった。それまで空を覆っていた鉛色の雲が消え去り、満天の星空が広がっていた。
もう一度呪文を唱える。夜に一筋の光が駆け抜けていく。流星だ。流星は一つまた一つと流れていき、ついには夜空に瀑布となって降り注いでいった。
「まさか、これを、あなたが……?」
天候を操るなど、人間の魔術を超えている。
ドロシーは返事の代わりに微笑むと三度、呪文を唱える。すると流星雨はまたたく間に消え去り、夜空を再び雲が覆い始めた。
「これだけの魔力量となると神、とまでは言いませんが精霊クラスはあるでしょうね」
魔力量が人間を超えたため、外観まである意味人外に近くなったのか、とエクスは推測した。
「事情はわかりました」
『アプデの泉』に来たがった理由も、ドロシーの姿が変わった理由も、一応は納得した。桁外れの力を手に入れたのも理解した。
「でしたら!」自分でも驚くほどの大声が出た。「どうして先に言って下さらなかったんですか! ここに案内していただいたみたいに手紙でもなんでも書けたでしょう!」
事前に伝えてくれていたらエクスもあれほどあわてふためかずに済んだだろう。第三王子の元家来など信用出来ないのは仕方がないとしても、せめてクリスティーナ婆さんは安心させてやるべきだった。身の回りを世話する者に対して、あまりにも無神経ではないか。
ドロシーは目を見開いてエクスの説教を聞いていたが、やがて目に涙を浮かべ、顔を両手に埋めた。
「え、あ、その」
言い過ぎた、と後悔するもドロシーは肩をふるわせ、すすり泣いている。どうにかなだめようと肩に触れようとした途端、後ろから殴られた。
「おめ、聖女様になにするつもりだ。こんの、たらしが!」
振り返ると、いつの間にか起きてきたクリスティーナ婆さんが杖を振り上げていた。
「おい、こら、やめろ!」
杖を振り回す老婆から逃げ惑いながらちらりと見ると、ドロシーはまだ泣き続けていた。




