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31 霧の覚悟

 ■


 パラソルの側に戻った四人は、とりあえず一息ついた。それから高坂と秋山はビーチチェアに横たわり、体力の回復に努めている。

 

 霧は不満そうな表情を浮かべていたが、二人が体力をかなり使ったであろうことは分かっていた。だから彼等に背を向け、一人で歩き出す。


「どこへ行くの?」


 青色のシロップをべっとりと掛けたかき氷を掻き込みつつ、久が霧に問うた。直後に目を顰めてこめかみを叩いていたから、かなり冷たかったのだろう。

 そんな久に眉を顰めながら、霧がつまらなそうに答えている。


「トイレよ、トイレ。それより久、あんた一人で、なに珍妙なことやってんのよ」

「つ、冷たい……」

「あんたって結構馬鹿よね?」


 捨てゼリフを残して立ち去る霧の後を、久あすかが付いて行く。彼女は素知らぬ顔で霧の横に並ぶと、透明のプラスチックスプーンをひょいと立てて言った。


「弊社は所属の女性アーティストを一人で出歩かせるような、薄情な事務所ではありません」

「は? 自分もトイレ、行きたいだけなんでしょ? かき氷食べて、お腹でも痛くなった?」

「……そうとも言います」

「呆れたわ、流石に」


 しれっと答えるマネージャーを横目に、霧が肩を竦めている。


「ところで霧」

「なに?」

「高坂さんは霧の恋人――なんですよね?」

「そうよ、あたしのモノ。あんたがいくら彼のファンでも、あげないからね」

「隙あらば、と、思っていたのですが――……」

「ダメだっつってんだろ、オイ」

「ええ、分かっています。ですが霧は秋山さんとも同居しているでしょう?」

「そうよ、それが何か?」

「もしかして、三人で色々とお楽しみなのかな――……と」

「ねえ、久。あんたの頭、何か湧いてない? 大丈夫?」

「いえ、正常ですとも。ただ三人が四人に増えても、何ら問題はないのではないかと」

「ちょっと、ねえ、何が言いたいの?」

「私も一緒に住めないかなぁ、なんて」

「何の為に?」

「隙あらば……」

「ダメだつってんだろ、オイ。二度言わせるな」


 ふたりの髪が、風にそよぐ。爽やかな潮の匂いが吹き抜ける中、ぶつぶつと呪詛のような言葉を久は紡いでいた。どうやら霧に文句があるものの、立場上言えないといった類のことを言っているようだ。


 目の前はトイレだが二人はそこで足を止め、向かい合っている。


「聞こえてるわよ、久! あのね、いい、あたしがこの旅行に来たのは、陽華ちゃんに先輩を完璧に諦めて貰う為なの。確実に先輩が自分よりもあたしを選んだって分からせる為にわざわざ来たんだから。

 久――……あんたも陽華ちゃんと同じだっていうのなら、その目で見て聞くといいわ――あんた達にチャンスなんて無いのッ!」

「それは霧と高坂さんが、この旅行でめちゃくちゃイチャつく――ということですか?」

「……あんた本当に馬鹿ね」

「そんなに褒めなくても、いいです」

「褒めてない。先輩がどれだけあたしのことを想い、愛しているのか、この旅行であんたにも、しっかりと分かることでしょうね」


 ■■■■


 暫くビーチチェアで横になっていると、高坂の体力は回復した。隣を見ると秋山陽華がスースーと寝息を立てて、眠っている。


「飲む?」


 ぶっきら棒な物言いで、霧がビールを差し出してきた。どうやら高坂も先程まで眠っていたらしく、太陽が大分傾いていた。


「おう」


 高坂は半身を起こしてビールを受け取り、サングラスを掛けたままの霧を見上げている。ニッと笑い、霧は自分のビールを掲げて見せた。乾杯をしようという意思表示だろう。高坂に異論はなく、コンと音を立てて、二つの缶がぶつかった。


「霧、お前それ何本目? 飲み過ぎだろう」

「二本目。今日は、そんな飲んでないって。ねえ、先輩――ちょっと歩かない?」

「ん……なんで?」

「夕日がさ、綺麗だから」


 高坂は水平線の先に沈みゆく半球に目を細め、軽く頷いた。大自然が作り出す雄大な景観を見れば、どれだけ映像で「海」を知っているつもりでいても、圧倒されずにはいられない。

 

「ああ」


 高坂は立ち上がって、霧に頷いた。側で久あすかが砂の山を作っている。「秋山を頼みます」と高坂が一声掛けると、彼女は親指を立てて頷いた。


 悪い人ではないし優秀でもあるが、どうにも癖の強い人だと高坂は久あすかを評している。そしてそれは、あながち間違った評価でも無かった。


 高坂と霧がゆっくりと砂浜を歩いている。風がやや強くなってきており、衣服の裾がバタバタと揺れていた。けれどそれが風景を壊すようなこともなく、赤々とした夕日が水面に映り、藍色になった空にはキラキラと星々が瞬き始めていた。

 

 霧は手を後ろで組み、高坂を見上げて言う。


「ねえ、先輩。あたしのこと、ちゃんと好きになった?」


 サングラスを外して黒目がちな目で、まっすぐに高坂を見つめている。彼女とは三日と空けず、愛し合っていた。霧が求めるからと言えばそれまでだが、高坂が彼女を拒否をしたことも無い。

 けれど「好き」とは何なのだろう。大切に想っているし、魅力的な声、顔、身体――相性だって良いと思うが、肝心な所がよく分からなかった。


 今日も高坂は秋山陽華の身体に息が詰まり、恐ろしいほどの肉欲を覚えている。

 高校生の頃、彼女のことを焦がれるような気持で見つめていた。あれを「好き」だと表現するのなら、霧に対する思いはまた、別のものだろう。


「ねえ、答えてよ」


 霧がもう一度、不貞腐れたように言う。

 高坂は苦笑を浮かべ、「ああ、好きだ」と頷いていた。


 そもそも、好きの定義が曖昧なのだ。カレーライスが好き、ロックが好き、シルバーアクセサリーが好き、動物が好き、猫が好き、犬が好き、子供が好き、宇宙が好き、生命の神秘が好き――どれも好きだろう。

 そういう括りに入れてしまうなら、霧のことだって高坂は大好きだ。


 それに霧は、いつだって自分を最優先にして考えてくれる。こんな女性は後にも先にも彼女だけだろう。だからこそ高坂は、前よりもずっと霧を――いや、鍋島貴理子を大切に想っていた。そんな彼女が喜んでくれるのなら、「好き」という言葉を使うことに何の躊躇いも覚えない。


「じゃあさ、結婚しよう」


 足を止め、霧が高坂の両手を握る。流石に付き合い始めて数か月で結婚というのは、早いのではないか。高坂がそういうと、霧は頭を振った。


「出会ってから九年――結婚するには十分な期間、あたし達は一緒にいるでしょう?」


 じっと自分を見つめる霧の両目が、涙で濡れた。震える声で、彼女は言葉を紡いでいく。


「でも先輩が嫌だって言うなら、あたし諦める。一緒に音楽をやることも、何もかも全部……」


 高坂の手を握る霧の手が、小刻みに震えている。

 だから高坂良は、彼女の言葉に嘘偽りが無いことを確信して……。

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