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16 本当の条件

 ■


 霧はマンションの手前でポカンと上を見上げる秋山陽華の手を引き、エントランスの中に入った。虹彩認証キーを有効にする為、エルフの女をシステムの前に導き、カメラをじっと見つめるよう指示を与えている。


「ほほう……今どきのマンションとやらは、見るだけで鍵が開くのか」

「そ……これなら複製できないし、安心でしょ。その上で自宅の鍵が指紋認証キーだから、泥棒に入られる心配も無いの」


 サングラスに帽子、そしてマスク姿の霧がくぐもった声で説明をする。

 秋山の虹彩を登録し終えると、早速システムが彼女を認証して奥へと続く自動ドアが開いた。

 奥行きのある大きなエレベーターに乗り、霧の部屋がある最上階へと移動する。


「おおお……!」


 玄関の扉を開けて、秋山はまたも感嘆の声を上げていた。

 観葉植物の置かれた玄関の先には、よく磨かれた長い廊下が伸びている。それだけで高坂の部屋が二つは入るのではないか――というくらいの広さがあった。


 霧はリビングから浴室、トイレ、寝室、それから秋山の部屋などを案内していく。

 秋山はそれぞれの部屋を見るたび、目だけを大きくして驚いている。一つ一つが大きく、美しかった。しかも家賃が無料ただなのに、個室まで与えてくれるという。


 中でも秋山が最も驚いたのは、室内にエレベーターと階段があることだった。

 要するにこのマンションは、内部で二層構造になっているのだ。


「凄いな、ここは。同じ部屋の中に、二階があるなんて」

「――そう、ここがあたしの、自慢の寝室よ!」

「おお……」


 霧が案内した二階の部屋は大きなガラス張りの天井で、電動式のシャッターが付いている。今は昼間なので光が燦燦と降り注ぎ、とても眩しい部屋であった。


「良い部屋だが、一つ問題があるぞ。こんなところで寝ていたら、二日酔いの日には辛い。強制的に目覚めさせられてしまうだろう」


 すっかり「のんべぇ」になってしまったエルフの、ダメ人間的発言だ。

 しかし、霧は動じずに答えている。


「大丈夫だよ」


 手庇を作りながら言う秋山の前で、霧は天井を覆うシャッターを動かして見せた。すると見る間に暗くなって、陽光を遮ってくれる。


「タイマーで自動開閉も出来るから、目覚ましにもなるんだ」

「これならいいな」

「夜はね、星が降ってくるように見えるの」

「うむ――それはまた、みんなで寝るのが楽しみだな」

「ちょっと――なんでみんなで寝るのよ、陽華ちゃん!?」

「え、だって今までそうしていただろう?」

「だめ! 嫌よ、嫌! ここはあたしと先輩の寝室なんだから! 陽華ちゃんには部屋をあげるんだから、そこで寝てよね!」

「そう言うが、随分と広いベッドじゃないか。三人で並んで寝ても、問題無さそうだぞ」


 高坂の部屋が一つ丸ごと入ってしまいそうなほど大きなベッドを見つめ、秋山が言う。そんな彼女に対し、口をへの字に曲げて霧が言った。


「あのね、陽華ちゃん――言っておくけどあたし、先輩のことが好きなの。そりゃ陽華ちゃんのことも好きだけど、三人じゃ、出来ないこともあるでしょ」

「出来ないって、何がだ?」

「セックス。あたし――やっと先輩の事を振り向かせる自信が持てたんだから、邪魔しないでよね」


 ■■■■


 霧は不安だった。

 学生時代から今に至るまで、ずっと彼女は高坂良のことが好きで、ずっと見てきたのだ。

 

 そもそも鍋島貴理子が『霧』になるきっかけを作った人物が、高坂良だった。

 高坂は霧が大学に入学した時、新歓ライブでギターを弾き、歌も歌っていたのだ。


 今思えばギターの腕も大したことが無かったし、歌もお粗末なものだったと思う。

 けれど何とも言えない味があって、霧はそのライブを見てから一週間ほどボンヤリと考えていた。


 霧は母親がヴァイオリニストで、父親が指揮者という音楽一家に生まれている。だからもともと音楽の素養があったし、むしろ音大に進まなかったことが両親に対する数少ない反発であった。

 だというのに高坂の音楽が頭から離れず、気付いた時には彼の所属する軽音サークルに入っていたのだ。


 霧は最初、自らの出自を隠してピアノが少しだけ出来ると申告し、サークルに入った。

 どうしても高坂のバンドに入りたくて、そうなると、彼が必要とするパートを演奏出来ると思われねばならなかったからだ。ピアノと書いておけば、キーボードを担当出来る者が少ないサークルの事、きっと誘われると思っていた。

 

 それから首尾よく高坂のバンドに入った霧は、すぐにコーラスで自分の声を披露することとなる。

 この時、自分の歌声を聞いた高坂の表情を、霧は今でもよく覚えていた。

 

 いきなり演奏を止めてギターを後ろへ回し、霧の両肩をがっしり掴むと「お前がメインボーカルをやってくれ!」と言ったのだ。真剣な眼差しだった。


 鍋島貴理子として音楽をやっていた頃には、あり得ない喜びが霧の全身を包んだ。だから一も二も無く頷いた。

 それからは高坂が住んでいるアパートに毎日通い、一緒に歌い、曲を作り、アレンジをしたのだ。今思えば何かに取り付かれたような日々で、だけども心から充実した毎日だった。

 そうして一夏を過ごす頃、霧は自分の気持ちをはっきりと自覚したのだ。

 

 ――ああ、あたし、この人のことが好きなんだな。と。


 けれど高坂は、鍋島貴理子を女性として見なかった。あくまでも彼は霧を後輩として――或いは音楽仲間としてしか接さない。


 それどころか高坂は、手の届かない誰かを想い曲を書いている。

 霧はその曲を歌うのだから、高坂のどこまでも切ない気持ちが、手に取るように分かってしまうのだ。

 そんなことが分かってしまったら、霧は自分の気持ちを言うことなど出来なかった。


 それでも一度だけ霧は高坂に、どんな人が好きなのかと聞いたことがある。


「髪が長くて、物静かな人」


 高坂は譜面に音符を書き込みながら、ぶっきら棒に答えた。 

 だから霧は髪を伸ばし、クールなキャラを演じるようになったのだ。

 そこから彼女は――徐々に霧様と呼ばれるようになっていく。


 本来の自分――鍋島貴理子とは乖離した存在、それが「霧」だった。

 けれど「霧」である自分なら、高坂が好きになってくれるような気がしたのだ。

 そうして霧は、霧になった。もう、完璧だと思った。

 

 ――だというのに。


 霧は秋山=エルフィーネ=陽華を見たとき、直感した。

 この人が、高坂良がずっと思っていた人なんだ――と。


 だけど彼女が高坂良を想っているとは限らない。

 仮に想っていたとして、自分の想いの方が遥かに上だ。


 霧は大きなペントハウスにある大きなベッドに腰かけた秋山に、言った。


「ねえ、陽華ちゃん――あたしね、ずっと先輩のことが好きだったの。でも今までの関係を壊すことが怖くて、ずっと言えなかった……だから、あたしが先輩とセックスする為の協力をして。それが無料ただで部屋を貸す、本当の条件よ」

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