東天の王
310
かめさんが完全に姿を消してから振り向く。
エルバステラさんが、腰を抜かしていた。
そりゃびっくりもするわ。あんなバカでっかいかめさんが、目の前に「ぬをっ」と出てくればねぇ。って、
「なんとか、穏便にお引き取り願えました〜。大丈夫ですか?」
さっきのかめさんの台詞を忘れてくれればいいんだけど。
「あ、あれは、おそらく・・・」
「おそらく?」
「東天王です」
初耳です。
「山脈を挟んで存在する[魔天]以外にも、魔力の満ちた特異な地域があって、そのうちの一つが、ここから遥か東に存在する[東天]です。うわさでは、そこを統べる魔獣がいて山ほどもある巨大な亀の姿をしている、と」
「それが「東天王」?」
「はい・・・」
そんな大物が、なんで自分に声をかけるかな〜?
「さっきの話、聞こえました?」
「! 会話したんですか?!」
「いえ、挨拶してみただけなんですけど」
「「東天王」が現れたあと、ただ見つめ合っておられました」
なんかが邪魔して彼の声も自分の声も聞こえなかったらしい。はぁ、一安心。
「いえ、賢者様ならそれも有りです! どんなお話をされたのですか?」
その「賢者様」って、やめようよ。ねぇ。
「湖を渡る方法がないか、聞いてみました」
「お返事は!」
「音を立てるな、でした」
さわさわ、葦の葉の奏でる音がする。
「櫂が水面を叩く音とかが駄目らしいです」
さわさわ。
「えーとですね? エルバステラさん?」
「・・・はい、なんでしょう?」
「その、「東天王」に遭ったとか、話をしたとか、内緒にしてもらえませんか?」
さわさわさわ。
「・・・そうですわね。賢者様は周りに騒がれるのはお好きではないと、お聞きしていますし」
「そうなんです」
さわさわ、さわわわ。
エルバステラさんが、くすりと笑った。
「賢者様との秘密、ですね。うれしいです。絶対、誰にも話しません!」
「そこまで、力まないでも・・・」
「だって、他の人は知らないんですよ? ふふ、うれしい、うれしいです」
・・・まあ、いいか。内緒にしてくれるんだから。
「とりあえず、戻りませんか?」
「はい!」
今から発てば、馬がゆっくり歩いても日暮れまでに居留地に着く。かめショックで遁走しようとしていたエルバステラさんの馬は、ムラクモが手綱をくわえて引き止めていた。いやほんと、賢いわ。ところで、ユキ達が見当たらない。どこまで行ったのかな?
途中で、昼食を取った。[森の子馬亭]の料理を取り出すと、「これも内緒です!」とかいって、喜んで食べてた。
しかし、何を内緒にするんだ? 案内役の若い衆とも食べちゃってるんだけど?
馬の背に揺られながら、エルバステラさんのこととか、シンシャの街のこととかを教えてくれた。
解決方法を聞いてこないのは、たぶん「今考え中だから、邪魔しちゃいけない!」とかなんとか勘ぐってるんだろうな。
そうとも言えるし、違うとも言えるし。
居留地に戻ると、ユキ達が、迎えてくれた。つまり、かめさんが出てきたとたんに、居留地まで逃げ帰っていた、と。
しっぽを下げて、ごめんなさいと言わんばかりにすり寄ってくる。まあ、野生だし、あんなの目の前にしちゃあ、無理もない。頭をなでて、気にしてないことを伝える。
ムラクモの鞍を外す。どことなく不満げだ。一緒にいたエルバステラさんの馬の鞍をちらちらみている。
「自分の鞍が欲しいの?」
大きく頭を上下に振る。ほんとに、いいのか? 君、魔獣でしょ?
「・・・わかった。そのうちにちゃんとしたのを作ろうか」
嬉しいらしい。しっぽを振り上げて、草地に戻っていった。
「彼は、賢いですね」
「ごく最近、懐かれたばっかりなんですけど」
「三翠角に懐かれるとは。さすが賢者様です」
「三翠角って?」
「ご存知ありませんでしたか? 翡翠色の角を持つ馬型の魔獣ですわ。滅多に姿を現さない、珍しい種族です」
「魔獣って、なんでわかるんですか?」
角は隠しているのに〜。このままじゃ、厄介ごとが!
「体毛の色が、あり得ませんもの。それに、実家に三翠角の毛皮があってよく知っているものですから」
「〜〜〜連れ回すのは、まずいですよね?」
「従魔でしたら、問題ありませんよ?」
またも、初聞きだ。いや、野火の騒ぎの時に聞いたかな?
「魔力量の多い人なら、魔術は使えなくても従えられます。普通、従魔にするのは街中で繁殖させた種族ばかりですけど。でも、賢者様なら、問題ありません!」
前にレウムさんが言ってたやつか。そうか、従魔って呼ぶんだ。
「あ、でも」
「なんですか?」
「従魔である印を何かつけておかないと、街中で狩られてしまうかもしれません。ほかにも、欲張りな貴族が横取りしようとするとか、勝手に売り買いしようとするとか」
「・・・」
「シンシャでは、よく、お揃いのペンダントをつけてます」
「・・・考えておきます」
考えることばかりが増えていく。知恵熱が出そうだ。
夕食後、テントに一人きりになってから、三頭に声をかけた。
「エルバステラさんの話をきいてたかな? なんか、従魔とか言うのの振りをしておかないと、いろいろ厄介なことになりそうなんだけど。
ねえ、やっぱりついてくるつもり?」
しっぽ、ぱたぱた。
「それって、ついてくるって、意思表示、だよね?」
ぱたぱた。
「そう。それでね。なにがいいのかな?」
自分の耳たぶをなめる。くすぐったい。そうか、イヤーカフタイプのイヤリングだ。首輪よりはいいかも。
「待っててくれるかな?」
ぱたぱた。
体を洗ってあげた時に、耳の形もだいたいわかっている。防御の魔術を仕掛けてやりたいから、ロックアントは却下。考えた末、魔獣の角をベースに、ミスリルコーティングを施すことにした。
ミスリル。ロックアントの変異種が含んでいる金属だ。こちらの名前は知らないけれど。
変異種を蟻板に形成する時に、分離してきたものだ。最初は水銀かと思って警戒したけど、揮発はしないし毒性もない。地球にもあり得ない金属だったので、そう呼ぶことにした。
意外にも魔力の通りがよく、それでいて術の負荷抵抗値が高い。自分のイヤリングにも使っている。
イヤリングを作りながら、東湖を渡る方法も考える。
帆船もあるが、帆の向きを変える時や舵を操る時にそれなりの音を立てるはず。また、風向き次第で使えない時も出てくる。
空気の帆をたてて、風を受ける。あるいは、自分で風を起こして船を進ませる。それらを魔術を使って行う。さらに、水中に音を伝えにくい魔法陣を船底に張る。
自分が思いつけたのはこれくらいだ。
どう考えても、街の魔術師の協力が必要だ。
自分の実験でうまく言っても、ほかの魔術師さんも成功するとは限らない。[魔天]では、ちょっとでも自分の魔力が漏れると魔獣達は一目散に逃げていく。東湖の大型動物もその可能性はある。魔術師さん達に確かめてもらうしかない。
そもそも、さっきの方法で船が進むとも限らない。
アンゼリカさんの声が聞こえた。
「また一人で何やってるの!」
肩の力を抜く。
成功させてくれ、とは言われていない。できる限り成功率の高い案を出して、それらを採用するかは彼らが決めることだ。
よし、そういうことにしよう。
イヤリングを作るのも、続きは明日にしよう。
翌朝、ムラクモにも従魔の振りをすることを話して、他の子達とおなじイヤリングでいいか聞く。
口先で、自分のイヤリングに触れてきた。いいようだ。
「鞍はもう少し待ってて〜」
そう言って離れる。これから、騎士さん達に、自分のアイデアを話すためだ。
一応、ロー紙に一通りの案をかき出しておいてから、彼らを呼び出す。
「賢者様。何かご用でしょうか?」
「その、賢者様ってやめませんか? 自分、そんな恥ずかしい呼ばれ方はされたくありません!」
「いやでも」
「賢者様は賢者様ですから」
「なぁ?」
人の話を聞け!
「・・・これ、要らないんですか?」
紙をつまんで、目の前にぶら下げる。
「こんなに早くに!」
「さすが!」
「ありがとうございます!」
「とにかく、読んでみてください。話はそれから」
三人が顔を突き合わせて目を通す。
一通り、読み終わったころを見計らって声をかける。
「騎士さん達だけじゃ解決できない方法しか思いつきませんでした」
「・・・いえ、これだけの情報があれば」
「ただ、今度は、魔術師さん達に被害が出るかもしれません」
「あの! 賢者殿はあの砦の発案者であられます。是非とも、シンシャでこの移動方法の研究をお願いすることはできませんか?!」
思い詰めたように、騎士さんの一人がお願いしてきた。
「あれはですね、術式の基本アイデアしか出してないんです。魔法陣を完成させたのはローデンの学園魔術科の教員と学生が総掛かりで取り組みましたし、それができてから、砦の建設に組み込まれているわけで。自分は実働部分に関与していません」
魔術科での実験経費は、匿名でじゃんじゃんつぎ込んでるけど。
「! そうだったんですか」
そうなんです。
「勝手に名前を使われて、本っ当に! いい迷惑です!」
「「「・・・」」」
「もう一つ言えば、自分の魔法陣は他の魔術師さんには使えませんでした。そして、自分がずーっとここにいてお手伝いしていられるわけじゃありません。
実用化するなら、こちらの魔術師さん達にお願いするしかないんです」
「「「・・・」」」
移動方法のアイデア、それに使えそうな魔術のヒント、それらをすべて資料として書いておいた。それをもとに、使える魔術を、魔法陣を開発することは、自分にはできない。
「・・・いえ、可能性を示していただいただけでも、十分です。そうでしょう?」
エルバステラさんが、同僚さん達に言う。
座ったまま、頭を下げる。
「唐突なお願いにも関わらず、依頼を引き受けていただき、ありがとうございました。急ぎ、街に持ち帰り・・・とにかく、やってみます!」
「シンシャにお越しになられた時は、歓迎します」
「本当に、ありがとうございます!」
「あ、いえ、成功するかどうかは、皆さん次第なので。でも、うまくいくといいですね」
三人はすぐにシンシャに帰っていった。ここからだと、馬で一日ぐらいかかるそうだ。
偉いさん達に、ちゃんと話が通じるといいんだけど。
たとえ、そばにはいなくても、困った時のアンゼリカ。隠れ主人公だったかも。




