慚愧
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「なんと!」
コンスカンタ宰相、カラキウムは、兵士の報告を聞いて、血相を変えた。王宮内の噂では聞いていたが、まさか、そこまで行き過ぎた行為に及んでいたとは。
しかも、相手は、密林街道に名高い「森の賢者」。各国からの非難は免れられない。
隠蔽するなどもってのほか。こういう話は、すぐさますべてを詳らかにし、謝罪しなければ、後々の外交にも禍根が残る。
「すぐさま近衛を差し向かわせなさい」
控えていた侍従らに、次々に指示を出す。
ランガの診療記録の回収。被治療者達からの聞き取り。同時に、かの方への謝罪をなんとするか、陛下とご相談しなくては。
そこにセレナストル騎士団長も合流した。肩で息をしている。傍には、ずぶ濡れの兵士が一人。今日は、雨が降る前兆はなかったが。
「・・・大変な事になってしまった」
「宰相! それどころではありません! アルファ殿が川に転落、いえ流され、ああ、なんと言ったらいいのか。とにかく行方不明です。至急捜索隊を出しました。これから指揮を執りますので、ランガの件はお任せしたい!」
「な? 何が起った?」
「・・・すまない。お前から報告してくれ」
がたがた震える兵士は、団長の命令にいっそう身震いする。
「も、申し上げます。先の報告後、ゲーレン隊長以下、賢者殿のつくった囲いを殴りつけ始めました。それを見かねて、賢者殿が魔術を使われました! それが、その、」
「どうした」
「今でも信じられないのですが、コンスカンタを水没させるほどの水量がありました。居残っていた兵士やガーブリアの王子殿下、ローデンの王子殿下と同行者は山手に流されて、そこに生えていた木々にしがみつく事で助かりました。ただ、賢者殿は、賢者殿だけが、その、水ごと、崖下の川へ・・・」
「下流に向けて、急ぎ兵士を派遣しました。私もこれから加わります」
「なぜ、そんなことに・・・」
「理由は後です! とにかく一刻も早い救出を行わなくてはなりません。陛下へは、宰相からのご報告してください。では!」
騎士団長は、兵士と共に駆け出していった。
「女官長を呼んでくれ」
侍従の一人が、すぐに動く。
じっとしてはいられない。だが、情報をまとめ、指示を出すには一カ所に留まっているしかない。
「陛下へ先触れを。賢者殿の身が危険であると。だが、まだほかの者には知らせるな」
さらにべつの侍従も素早く立ち去る。
「フェライオス王子は、今、どちらか?」
「厩舎にいらっしゃるかと」
「「急ぎ、ご報告したい件がある故、ご足労いただきたい」と、ご伝言を」
「はっ」
「いや、私が向かおう。お前達は、この部屋で待機。陛下がいらしたら、伝えに来なさい」
「かしこまりました」
「後を頼む」
真っ青な顔をした侍従達を残し、一人だけ供に連れて行く。
「宰相殿。何事ですか?」
常ならば、宰相の位にある貴族が、厩舎を訪れる事はない。
「すまない。少し下がっているように」
まず、厩舎にいる兵士達を下がらせた。それを見届けてから、まっすぐにフェライオス王子を見つめる。一瞬、言葉が詰まる。でも、言わなくてはならない。
「アルファ殿が、行方不明になりました」
「何かのまちがいでしょう? ありえません」
房にいる、従魔達が一斉にこちらを向く。その眼圧に、体が硬くなる。
「それが」
先の兵士達の報告をそのまま伝えた。
「だって、だって。アル殿ですよ? そんな事、起こすはずはないですよ」
「もうじき、ミハエル王子、バラディ王子も戻られる事だろう。現場にいらしたそうだ。詳しい話をお聞きできるとよいのだが・・・」
「・・・私はここにいます。彼らを、友人達を放っては置けません」
「わかりました。お連れの方には、そのようにお伝えしましょう。
今更ではありますが、我らの不手際をここにお詫び申し上げます! 今は、ただ、あの方のご無事を祈るばかりです」
他国の王族に宰相が頭を下げるなど、それこそあってはならない事態だ。我が身の不甲斐なさに、体が震える。
「何か判りましたら、お知らせくださいますか?」
「もちろんです!」
「よろしく、お願いします」
種類の異なる五頭の従魔が、やさしく王子にすり寄る。まるで、あの方のように。膝を折り、背中が小刻みに震える様から目をそらした。
兵士達に持ち場に戻るように指示を出す。加えて、フェライオス王子、バラディ王子の要求にはすべて応えるように命令し、執務室に戻った。早く、早く見つかってくれ。
執務室には、王自ら出向かれていらした。
「ランガの件、私の監督不行き届きと言われても仕方ありません。この首、いついかなるようにもお使いください!」
「いや。宰相だけの責任ではない。王宮のすべてを預かる私の責任でもある。・・・なんと、お詫びをすればいいのか、見当もつかない」
陛下ともあろう方が、あまりにも陳腐な言い回しをされる。だが、それほどに事態は悪化している。
「ゲーレン隊長から、今朝の一件、いや、三件の報告が上がって来ている。先に読ませてもらった。・・・あの方は、なんといっていいのやら」
それは深いため息をつかれる。つられて、宰相も。
「そうですな。あまりにもご自分を顧みられない。誰にもなし得ない偉業を行っていながら、我々がどれだけ感謝しているか、ちっとも判ってくださらない」
「そうだな」
アルファ殿の安否も気にかかる。しかし、盗賊に占領されていた件の後始末が、まだいろいろと残っている。それらの処理を滞らせるわけにはいかない。
筆の音だけが、執務室にある。
「バラディ殿下、ミハエル殿下、お戻りになられました。衣服を整えられた後、フェライオス殿下にお会いするとの事!」
「なにか、暖かいものも用意しておくように」
「はい」
再び、静寂が戻る。
「陛下は、お会いになりませんので?」
苦い笑いを浮かべた。
「私が行ったところで、何のお役にも立てんよ。要求があった時に、すぐに応じられるようにしているのが精一杯だ」
「・・・はい」
まだ、騎士団長からの吉報は入ってこない。
日が傾き始めた頃、
「竜の姫君がお戻りになられました」
「「!」」
忘れていた。
「今どちらに?」
「練兵場です。お発ちになられた場所です」
「フェライオス王子に伝令を。姫君には、王子方の居場所をお伝えしたか?」
「はい!」
「後は、あの方々の指示に従うように」
「畏まりました」
異様な緊張が残る。
「・・・姫君が怒り狂ってしまわれたら」
「我々の自業自得でありましょう」
「そうだな。三百六十年前の再来、か」
「未だに愚かである事の証、でしょう」
「フ、愚か、か」
夕焼けに染まる窓辺に目を向ける。ここからは、城壁に遮られ、石塔は見えない。
「旧大陸より生き残られた先人方。彼らに託されたものを、技術を、守り育てて来たつもりだった。だがしかし、それを担う人材が育っていなかった。いや、後継者を自認するが故に、鼻に掛けていたのだろうか。我々は技術力に驕り、他国を卑下していなかっただろうか。
どの国一つ欠けても、この世界は立ち行かないというのに」
「陛下・・・」
「ランガは、我々の鏡だ。あの方に糾弾されたのは、あやつだけではない。コンスカンタの国民すべてであろうよ」
カーン、カン、カーン、カン、・・・・
今までの記録にない自然現象が起きた時に鳴らされる鐘だ。
宰相も国王も腰を浮かせる。
「報告します! 白岩の発光現象に異常有り! 色も明滅間隔も観測されたことがありません!」
「すぐに避難指示に切り替える。偵察員を出せ」
「は!」
「私は物見の塔に行く。宰相はここで情報をまとめるように」
「はい」
それでも、窓に差し込む光は、ここ数日来の白く刺すような光ではなく、まるで、たき火を囲むような暖かさをたたえている。
「何が起っている?」
あの方が、コンスカンタに来られてからは、驚きの連続だ。・・・まさか。
厩舎に詰めていた兵士が駆け込んで来た。
「報告! 竜の姫君が!」
「どうされた?」
「あ、アルファ様の気配が大きく膨らんで、消えていく、と」
「な?!」
「アルファ様の従魔方は、昏倒されました!」
「獣医を派遣するように。
私も、物見の塔に登る。お前は、各方面からの報告を受けておくように。私の指示が必要でなければ、采配する事」
「了解!」
侍従達を残し、塔に向かった。歳はとっても、まだ足腰は萎えていない。必死に階段を駆け上る。
「陛下!」
「何か判ったか?」
「違います。竜の姫君より、アルファ様の気配が消えると、報告が! っかはっ。じゅ、従魔の皆様は昏倒された由!」
太陽は、既に地平の彼方に見えなくなっている。名残の薄明かりの下、石塔から放たれる、柔らかな光が、ああ。
「・・・消えていく」
城内の一角から、甲高い悲鳴が聞こえた。
「そんな・・・」
「騎士団長を呼び戻せ!」
「はい!」
「松明を用意。広間の端に並べて、石塔を見張れ!」
「陛下! あれは!」
いままで、異質な存在感を持ってそびえていた石塔が、影も形もなくなっている。
「とにかく調べろ。クモスカータに急使。ワイバーンを使った捜索協力を依頼する。部屋に戻るぞ」
指示を出される陛下の横顔は、今までに見た事がないほど強張っていた。
夜に入ってしまえば、捜索活動も出来ない。そうでなくとも、忌々しい濁流が我々の手を阻む。松明を増やして、一晩中、石塔のある辺りを見守るくらいだ。だが、どれだけの灯が掲げられても、谷底までは届かない。
・・・なにが、技術の守り手だ。我々の手には、出来ない事が多すぎる。
「思い上がりも甚だしい、とはこういうことか」
もはや、隠し通す事は不可能だ。朝を待たずに、アルファ殿が行方不明である事を街中に通達する。石塔の異変に関与している可能性も、詳らかにした。手がなければ、知恵を寄せ集めるしかない。
仮眠をとりつつ、朝を待つ。
日の出と共に、捜索を再開した。とはいえ、出来る事は多くない。
住人に見守られる中、竜の姫君が谷底に赴かれた。その背にはフェライオス殿下を預かっておられる。
川下から接近し、川の中央にある岩棚に着陸した。昨日までは、白岩を支えていた岩だ。あまりの深さに、フェライオス殿下の姿を確認する事は出来ない。ただ、まだ暗い谷底にかすかに姫君の薄黄色の鱗だけが見えるのみ。
高々と陽が昇り、谷底を照らし、よく見えるようになったはずだというのに、まだ戻られない。
あの方が、更に負傷されているのか?
動きがあった。
飛び立たれたようだ。
川上側の谷から上昇し、一度コンスカンタから離れる向きになる。緩やかに方向を変えて、こちらに戻ってこられた。
我々の頭上を飛び越え、練兵場に入られた。
なにか、あったのだろうか。
陛下と宰相が、練兵場に入る。広場で姫君の飛翔を見守っていた兵士や住人達も、次々とやってきた。
姫君は、すでに人型になられている。練兵場の中央にはフェライオス王子と姫君しかいらっしゃらない。あの方は?
姫君が、厩舎に向けて走り去っていく。
「・・・行かせて、あげてください」
くいしばるような声で、まとわりつく兵士達を制止される。
「・・・」
フェライオス王子のお言葉を待つ。誰も口を開かない。
「残っていたのは、これだけ、でした」
ややあって、手にされていた赤い棒と、背負っていたバッグから数点の品を地に並べ始める。数十枚の白いカードと、黒いナイフ、毛皮の切れ端、透明な小さな玉。
「残されていたのは。見つけられたのは、これだけ、でした。あ、アル殿の姿は、どこにも、っ」
とうとう、声を詰まらせてしまわれた。周囲からは、すすり泣きが聞こえ始める。
「まだだっ! これから下流に向かい、先行の捜索隊と交代する。準備、かかれ!」
騎士団長が、涙に濡れた顔で、それでも毅然と命令を下す。
諦めきれないのは、私もだ。命令を撤回することはしなかった。
厩舎から、遠吠えが聞こえる。
バラディ王子が、つぶやく。
「そうですよ。まだ、ムラクモさん達が健在です。主を失えば、従魔は死ぬんです。だから、まだ、生きてます! そうでしょう?」
フェライオス王子の肩をつかみ、揺さぶっている。
「う、うん。そうだね。諦めたら、そこで終わりだ。っでも! それなら、なんで、あの人は帰って来てくれないんだ?!」
王族でありながら、人前で、大声で泣き始める。
あちらこちらで、縁の深い者達が、号泣している。
聞こえておられるか? 斯様に、多くの人々が貴女の不在を嘆いているのです。どうか、どうか、今一度、我々の前にその姿を見せてください。
前話のコンスカンタ視点。
主人公の怒りポイントを誤解してたり、深読みし過ぎてたり。
次話が、最終回です。




