ローデンギルドの憂鬱

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　ローデン・ギルドマスターのヴァンと、ギルド顧問付き秘書のトリーロは、いきなり部屋を出て行ったアルファの態度に困惑していた。

「旅先で、本人が注目を集めちまったんだ。俺たちや街の連中が、ますます自慢したくもなるってもんだ」

「全くです。ローデンの誇りですよね。先ほどのお話、本当に理解していただけたんでしょうか？」

「あ、ああ。うわさ話なんて、有名税みたいなもんだよな？」

「顧問殿は、今までも軽くあしらっておられましたよね？」

「・・・」

「・・・」

「なあ、大丈夫だと思うか？」

「どういうことでしょうか」

「さっきの様子がな。気になるっていうか、ほら、こいつまで忘れていきやがるし」

　ヴァンの膝の上には、撫でられ疲れてぐったりしたオボロが取り残されていた。

「商工会館に手紙を届けてきますので、途中、［森の子馬亭］までお連れしましょう」

「トリーロ、すまんな。ついでで悪いんだが、女将にも「お嬢の様子を見ておいてくれ」と伝言を頼む」

「了解です。では、オボロ殿、失礼します」

　トリーロは、ヴァンから小さな黒い生き物を預かった。

　初めて見た時は、その大きさと何よりも視線に込められた威迫に恐怖した。だが、今はこうしてその身をゆだねてくれている。顧問殿が我々を信頼していることを理解しているのだろう。

「俺も執務室に戻るわ」

「はい。お疲れ様です」

　主のいない部屋で、男二人はそれぞれの仕事に戻った。

　ずいぶんと時間が経ってから、トリーロがギルドハウスに戻ってきた。

「お帰り。遅かったな。ん？　どうした？」

　だが、ずいぶんと顔色が悪い。

「それが・・・」

　ヴァンの顔が引き締まる。

「何があった」

「それが、女将様から、その、呼び出し、というか」

「げっ。って、まだ、なんにもしてねえぞ！」

「やはり、宿に戻られた顧問殿の様子がおかしい、と。女将様でも要領を得なかったとのことで、それで・・・」

「だ、だが、ローデンの住人や商人達のうわさ話を教えただけだぞ。だよな？　そうだったよな？」

「あの、明日、顧問殿が商工会館に出かけていらっしゃる間に、ギルドハウスに来られるそうなので、ええと、ご伝言です。

「待っててね」

だそうです」

「あああ、俺は明日、頭が腹痛だ！」

「しかも、」

「休むぞって、まだ、なんかあるってのか？」

「王宮の方々も呼ばれました」

「な！」

　ヴァンが絶句した。

「先ほど、女将様からのお手紙を王宮に届けて参りました。・・・どうしましょう」

　トリーロの顔は、すでに土気色だ。

「どうしましょう、ったって、お嬢が倒れたわけじゃないんだろ？　俺の方が、どうしたらいいか聞きたいくらいだ・・・」

　ヴァンの方も、ギルドのハンター達を纏め上げるギルドマスターとは思えない狼狽ぶりだ。

「なあ。朝が来なくなる魔術とか、一足飛びに明後日になる魔術とか、お嬢ならやってくれねえかな」

「あるわけないですよ。だいたい、顧問殿は、今は［森の子馬亭］にいらっしゃいます。女将様との面談を、前倒しにしますか？」

　ものすごい早さで、首を左右に振る。

「とにかく、お伝えしましたからね」

「おい、お前は？」

「・・・私も、です」

「そうか」

「はい・・・」

　顔を見合わせると、それはそれは深いため息をついた。

　どれだけ寝返りを打とうとも、眠りが浅くても、胃がきりきりと痛もうとも！　無情にも夜は明ける。

　ギルドマスターの執務室に、人が集まってきた。ヴァンとトリーロはともかく、王宮からは、賢者付き侍従と、そして、王太子殿下がやってきた。

「おはようございます、殿下。ですが、なぜ？」

「私は、宰相の代理で放り出されてきました。訓練が終わり次第、騎士団長も来ます」

　困惑顔で、自ら説明する殿下。

「殿下が、宰相殿の代理って・・・。普通、逆じゃねえか？」

「いえ、お二方で押し付け合った結果、殿下が負けられたのです」

　侍従が、暴露した。

「いやいやいや！　すっぱぬかなくてもいいから」

　なんとなく、たしなめてしまうヴァン。

「女将様から、賢者殿が思い詰めたご様子だったとお伺いしました。昨日は、いったい何があったのですか？」

　侍従が、殿下の前で堂々と質問している。他の都市ではありえない状況だ。よくても降格、悪ければ王宮から放逐されてしまう。

　だが、ここ、ローデンでは、賢者・アルファが絡む話となると、身分など大陸の果てまで放り投げられる。

「そうなのよ。もう、本当に、どうしたのかしら」

「女将！」

　［森の子馬亭］の名物女将、アンゼリカが来ていた。先に部屋に来ていた一同が、直立不動の姿勢になる。そう、殿下も。

「ねぇ、マスター？　昨日、ここで、お話、したんでしょう？　全部、教えてもらえるかしら？」

「お、女将様？　まずは、お座りになってください。今、飲み物をご用意します」

　我に返ったトリーロが、とにかくアンゼリカをなだめる。そう、口調も物腰も普段通りに見える。だが、目が笑っていない。

　わずかに先延ばしは出来たが、小細工をすればするほどアンゼリカは疑惑を深める。

　全員が、席に着いたところで、爆弾を投下した。

「今朝はねぇ、いつも通りに見えたのよ。でも、急にやることを思い出したから商工会館に向かった足で森に帰る、なんて言い出すし。フェンが、明日、店に呼んでいるからって、もう一泊はしてもらえることになったけど。

　だけどね？　昨日、帰ってきた時は、すっごく暗い顔をしてたのよ。初めてお説教したときみたいに、思い詰めた様子で・・・」

　ヴァンとトリーロも、困惑した。

「話ったって、また、お嬢宛にいろいろと届いてるぞ〜、ぐらいしか」

「あの騒ぎは、王宮でもギルドでも対応策を決めたのでしょう？　あんな顔をするはずないわ。

　さ、他にどんな話をしたの？」

「え、え〜と、トリーロ？」

「はぁ。確か、顧問殿がいらっしゃらない間の私の仕事に、お礼を言ってくださいました。その後は、私が聞いた限りのうわさ話をお教えしました」

「俺も、ギルドでのお嬢の評判を伝えた、ぞ？　・・・女将？」

「あのう、よろしいでしょうか？

　新砦のお披露目の時も、でしたが、賢者様は多くの方にこう、褒めそやされる、とか、注目される、違いますね、持ち上げられる？　などの騒ぎは好んでおられないようにお見受けしております。お二方の「よいしょ」に辟易されてしまったのでは？」

　侍従が、控えめに考察を述べる。

「女将、気にし過ぎじゃねえのか？」

　それを聞くと、アンゼリカは深くため息をついた。

「男って本当にデリカシーがないから。ついうっかり、で、どれだけ女性が傷つくか全く判ってないのよね」

「「「！」」」

「いつものアルちゃんだったら、「それは自分じゃありません！」とか言って、いやがるだけよ？」

「あー。そう言われれば、そうかも」

「ギルドマスター。注意力が足りないわ」

「お、女将！　俺んとこは野郎どもの面倒だけで手一杯だ！」

「そういうことを言ってアルちゃんに甘えてばかりいるから、いつまでたっても女性ハンターが増えないのよ」

「そ、それとこれとは！」

「王宮からアルちゃんに何かお願いとかはしてないの？」

　慌てるヴァンを無視して、今度は殿下に質問するアンゼリカ。

「いえ。今回の訪問では何も」

「今回？」

「学園訪問以降は何もお願いしておりません！」

「でもねぇ。ほら、アルちゃんの名前をつけた砦を作った時は」

「あの方のご助力があってこその砦でした。他にも、ノーンの災厄の解決やロー紙の開発など、様々に活躍されておられます。結果的に、ローデンの評判が高まりました。しかし、あの方は褒賞にはいっさい関心を示してくださいません。せめて、後世に残る名誉をっ」

　真正面から視線を外さないアンゼリカに、殿下の声が詰まる。

「自慢の娘だもの、大勢の人に好かれているのは嬉しいわ。でも、無理はして欲しくないし、させたくもないの」

「け、決してそのようなことは」

「あの子はやさしいもの。目の前で困っている人を放っておかないくらいには」

「あ」

　それを聞いて、ヴァンが声を上げた。

「ほら、心当たりが在るんじゃないの！」

「いや、ずっと前の話だから！」

「だから？」

「砦が出来る前！　練兵場で対魔獣戦の訓練を付けてた理由を聞いたことがあって納得というか感謝というかっ」

「あら。私の知らないところで、また無茶してたのね？」

「お、女将〜」

　そこに、騎士団長と王宮侍女のロロロッカが駆け込んできた。

「でっ、殿下ッ！　いち、一大事ですぞ！」

「王宮では箝口令を敷いた上で、一級の警戒態勢に入りました」

　口々に報告する。が、執務室に居合わせた一同には、なにがなにやら、事情が判らない。

「騎士団長？　詳しい報告を」

「ロロロッカ殿、【遮音】を頼みます」

「そこまでするたぁ。俺やトリーロが聞いていい話なのか？」

「聞いていただかなければ困ります。賢者殿の偽物が現れました！」

「「「・・・はぁ？」」」

「ぶちのめせばいいだろうが」

「ヴァン殿、ことはそう簡単ではなくてですね」

「先月の来訪者騒ぎの際、王宮職員と貴族一同には、賢者様に関わる情報は逐一王宮に連絡するよう通達しています。

　先日、ある貴族から、賢者様の名前を騙って入り込もうとする者がいると、報告がありました。その報告者は、お披露目の時に賢者様を見ていて、偽物と断定しました。狙いを聞き出すよう指示したところ、ある商人を重用して欲しい、という話だそうです。

　それで、王宮の追跡調査で、他国の商人とつながっていることが確認されました。そこから先は、まだ調べが着いておりません」

「そいつら、ばかじゃねえか？」

「ローデンですから、すぐに偽物と発覚しました。ですが、ただでさえ、取り入ろうとする者たちが押し寄せている状況です。

　しかし、これが他国ならどうでしょう？　まして、「賢者の代理人」を名乗れば、底の浅い方々がいくらでも釣れる、と宰相様がご指摘されました」

　ロロロッカの補足を聞いて、全員が息をのむ。

「殿下」

「うん。これは放置できないね。ローデンの信頼にも関わる重大事だ。騎士団長、父上や宰相からは、他に何か？」

「それが。・・・殿下には「賢者殿にご協力をお願いしてくるように」、と」

「な！」

　殿下が悲鳴を上げた。

「私、が、「それ」を、お願いするのか！」

「まあ」

　アンゼリカの声に、全員が硬直した。

「アルちゃんってば、予想してたのかしら？　それで、急いで街を出ようとしてたのね。お山の時といい、さすがだわ」

「いや？　女将、たぶん、それ、違うと・・・」

「それで？　アルちゃんに、どんな「協力」をお願いするのかしら」

　騎士団長は、さっきの声を聞くまで、殿下へ報告することに集中していて、アンゼリカがいることに「全く」気がついていなかった。

　今は、顔中に汗をかいている。

「陛下も宰相様も、ご本人のご協力がなければ解決は難しいだろうとおっしゃっておられました。出来る限り、賢者様のご要望にお応えします、と証書をいただいて参りました」

　ロロロッカが、証書の筒を示す。

「さすがだわ、ロロさん」

「恐縮です」

　女性二人が、にっこりと微笑み合う。それを見た男性陣は、背中に冷たいものを感じた。