強者の敗北
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ヌガルの王宮から追い払われた後、街中で米を探した。新米が街に潤沢に入荷するのは、もう少し先のことらしい。少しだけ、購入した。
まあ、栽培されていることも、収穫時期も判ったのだから、来年、また探しにくればいい。
それよりも、[魔天]西側の魔獣の暴走が気になる。早く峠を越えたい。
ヌガルの街を抜けると、密林街道は西に向きを変える。街道の両側には、黄金色に穂を染めた稲をたまに見かける。小高い丘陵地では、小麦だったり牧草だったり、あるいは牛を放牧していたりする。
耕作地の周辺は開けており、狼や猪が潜みにくくしてある。きっと、定期的にハンターが巡回しているのだろう。放牧されている家畜達は、のんびりと草を食んでいた。
街道では、いくつもの隊商とすれ違った。最初、四頭もの魔獣を連れているところを目撃されたときは、大騒ぎになった。自分が騒動の元になるのは困る。
ということで、街道や農地を大きく迂回することにした。遠回りにはなるが、ムラクモ達を影に隠しっぱなしにしたくはない。自分たちの速度なら、移動時間を短縮できるだろう。
街道から、やや南よりの山道に入る。細いけど、馬車が通った跡があった。
「ムラクモ? 道が途切れるまでは飛ばしていこう」
このところ、荷物を背負わせるばかりで、全然走っていない。声をかけたとたんに、はりきって走り出した。
ムラクモは、巨体であるにもかかわらず、とても静かに走る。さすが、魔獣。ハナとユキが先行する。後方にツキ。時折、配置を入れ替えている。
この道の左右にも、小さいながら農村が点在していた。そこを通り過ぎるときは、自分が指示を出す前に足を遅くしている。みんな、賢い。
太陽は中点を過ぎている。そろそろ休憩しようかと思って、適当な場所を探しているとき。
声が聞こえた。年配の女性のうめき声。どこからだ?
全員で、耳をそばだてる。すぐにわかった。左手の林の奥からだ。ムラクモから降りて、慎重に近づく。もし、狼などに襲われているのだとしたら、急に脅かすのは悪手にもなりかねない。だが、獣の臭いも息づかいもしてこない。
急いだ。
林の先には、見事な棚田が広がっていた。その、中段辺りに人が倒れている。
「だいじょうぶですか!」
そっと、抱き起こそうとする。が
「あたたた、腰、腰が! 動かすな!」
小柄な女性が、うめき声を上げる。真っ白な髪を手ぬぐいのような物で包んでいて、少し離れたところに鎌が落ちている。
伏せたユキの背にもたれるように座らせる。怪我の塗り薬や飲み薬は一通り持っているが、残念ながら湿布薬はない。
「ああ、すまないねえ。助かったよ」
「お家はどちらですか? 人を呼んできますから」
「アタシは、一人暮らしだよ。ちょっと登ったところがアタシの家さ。あたたた、あんた、そこまで、連れて行ってもらえるかい?」
「持ち帰る道具はありますか?」
「そこの鎌と、家に戻る途中に背負いかごが」
彼女を背負い、指示されるままに田んぼ道を登る。どの田んぼも、重そうに穂を垂れている。見える範囲では、刈り取り済みのところはない。その家は中腹にあり、その背後にも棚田は続いている。
彼女の家に着いた。引き戸を開き、中へ入る。作業場所にもなるであろう土間の脇に板の間があって、まずはそこに彼女を下ろす。反対側には、いろいろな道具が整頓されている。土間の奥には、かまどと水瓶があった。
なんて言うか、日本の古民家? ハナ達が、興味津々で家の中を覗き込む。
板の間には大きなテーブルがあって、その奥が寝室だった。
「しばらくは、動かない方がいいですよ」
「だけど、早いとこ刈り取らないと」
「集落の人に頼みませんか?」
「ここにはアタシ一人しか住んでいないよ。どこに頼めっていうのさ」
「戻ったところに数軒ありましたよね。連絡してきますから」
「あいつらだって、収穫の真っ最中だよ。それより、あんた、そんな格好しているけどハンターだろ? 依頼を受けておくれよ」
体は動かなくても、口は達者だった。
「先を急いでいるので」
「急ぎの旅人が、こんな山奥に入り込むわけないだろ。
アタシが動けるようになるまででいいからさ。このまま置いといたら、水麦の味が落ちちまう」
それはいけない!
「ただ、自分、水麦の収穫作業は未経験なんですが」
「しょうがないねぇ。仕事をえり好みしてるから、肝心な時に役に立たないんだ。アタシが、畑の横で見ててやるから」
「横になってた方が・・・」
「畑を知らないやつに好き勝手されて、収量が落ちたりしたら困るんだよ」
いちいち、ごもっともです。でも
「そういうことなら、ちゃんと仕事のできる人を頼んだ方が・・・」
「時間がないんだ! つべこべいってないで、さっさと仕事しないか!」
なし崩しのうちに、収穫作業を手伝うことになってしまっている。
「せめて、昼食を食べてからにしませんか?」
「おや、そうだね」
「・・・」
彼女は、ラシカさんという。一つ一つは小さいが、たくさんの棚田で米を栽培している。家の近くには、野菜用の畑もあった。
それはともかく。彼女は、今、自分の監督をしている。
「ほらほら、どこを握ってるんだい。穂に土がついちまうじゃないか」
「遅い! さっさと次の畑に行くんだよ」
自分、農作業の経験がありません。せいぜい、朝顔の観察日記をつけたとか、ベランダで育てたキュウリをもいだとか、その程度です。アララさんの農場では、籠を運んだだけでした。鍬を握ったことも、鎌を持ったこともありません。とにかく、稲刈りするのは初めてなんです。
「束の根元はしっかり縛って! 干してる時に、ばらけちまうだろ」
・・・中腰で、鎌握って刈り取るのがこんなにきつい作業とは! もう駄目だ〜
「ラシカさん、ちょっと、休憩させて・・・」
「なんだい、まだ二枚しか終わってないじゃないか」
「このままじゃ、刈り取る前の水麦に倒れ込みそうです〜」
「・・・しょうがないね」
ラシカさんには、数枚の田んぼを見渡せる位置に座ってもらった。ハナが、クッション代わりをしている。腰を冷やさないようにするのと、体調に異常がおきても、すぐに自分にわかるようにするためだ。
魔獣だと聞かされても、全く動じないラシカさん。ハナの方が、ラシカさんの大声にビクビクしている。
とてもとても、病人には見えません。
作業手順は、一通り説明をうけている。
まず、よく乾燥している田んぼから刈り取る。そこに、刈り取った稲束をぶら下げるための干し竿を組み立てる。干場ができたら、周辺の田んぼから刈り取った束をそこに集めて、数日間、穂を乾燥させる。
程よく乾燥したら、穂から籾を落とす。そして、保存用の袋につめていく。
はっきり言おう。一人じゃ無理だ! まして、腰を痛めたラシカさんにできる作業じゃない。
その日、自分は、四枚分しか収穫できなかった。
便利ポーチから取り出したウサギや人参、外の畑の野菜で夕飯を作る。ラシカさんには、かまどで米を炊く火加減だけ見てもらった。
大きなテーブルで、夕飯をいただく。
「これだけの畑を、一人で育てて収穫するなんて。ラシカさん、すごいです。偉いです。とんでもないです。超人です」
「ばかを、お言いでないよ。去年までは、夫と二人でやってたんだ。それに、手のかかる時期には、息子も帰ってきてたしね。ただ、今年は、戻ってくるのが遅くてねぇ」
「お二人とも、外で働いていらっしゃるんですか?」
「夫は、春先に死んださ。息子は、モガシで兵士をやってるよ」
盗賊騒ぎのせいで遅れているのだろう。だが、既に解決している。もうじき帰ってくるはずだ。
「ご主人は、動物に襲われたとか?」
「いや、大往生さ。ただねぇ、苗の植え付けが全部終わってからだったからね。畑の手入れが大変だったよ」
「・・・畑を減らそうとは思わなかったんですか?」
「だって、植えちゃったんだよ? それに、息子が「うちの水麦がいちばんうまい!」っていってくれるし。やめるわけにはいかないね」
「それで、ご自分の体を壊しちゃったら、本末転倒でしょう」
「いいから、味見用に先に収穫したぶんがあるから、食べてごらん」
差し出されたのは、おにぎりだ。海苔も梅干しもない、ただの塩むすび。だのに、口の中いっぱいにご飯のうまみが広がる。
「〜〜〜」
「ほらごらん。食べてみればわかるんだよ」
降参です。
でも、それとこれとは別。なによりも、収穫作業に最後まで付合っていたら、西側の魔獣の暴走に間に合わなくなるかもしれない。
翌朝、ラシカさんに提案した。
「ラシカさん? あのですね?」
「なんだい、あらたまって」
「これだけの数の畑を、自分だけで作業するのはとても無理です!」
「泣き言は聞きたくないね」
そう言わずに〜
「え〜と、とにかく籾を収穫できればいいんですよね?」
「天日干しするから、あの味になるんだよ!」
「そこをちょこっと曲げてもらってですね?」
「うちの息子に、味の落ちた水麦を食べさせようってのかい?」
「畑一枚だけ、ためしにやらせてもらえませんか?」
「なにをやろうってんだい」
「手を使わない収穫」
「はあ?」
一番湿っている田んぼに向かった。籾を入れる袋も数枚持っていく。
昨日、夕飯を作る時に玄米を触らせてもらった。そのときに、含んでいる水分を計ってある。天日ではなく魔術を使って、籾を乾燥させてしまおうと考えたのだ。
夜中に、こっそり数株の稲を使って実験した。高熱で一気に水分を飛ばした場合、玄米がひび割れ、また、玄米内部の水分が均一にならなかった。ほかにもいくつかの条件を試した。その度に、使う魔術も新規開発した。
・・・中腰で一日中鎌を振るうことに比べたら、魔術式の改良の方がよっぽど楽だ!
田んぼの周囲に、術杖仕様の黒棒をたてておく。自分も畦に立つ。
「では、いきます!」
『実渦』
結界内の穂を叩き浮かせ、脱穀する。そして、少し低めの温度にした乾燥した空気の中で、籾をくるくるとかき回す。
「・・・あんた、魔術師だったのかい?」
「森で一人暮らしをするための必須技術です〜」
「そんな話は聞いたことがない!」
田んぼの形は、それぞれが異なっている。黒棒の先に仕込んだ術弾を使って、変形結界を維持できるようにした。そして、結界内の温度湿度、攪拌速度も自動化した。えっへん!
いい感じに乾燥したところで、『実渦』を解除。籾が落ちる前に、『浮果』で手元に引き寄せ、結界の一部に穴をあけて、そこから籾袋に落とし込む。
袋の口を閉じて、おしまい。
「乾燥具合を見てもらえますか?」
田んぼ一枚分の収穫を、半刻で終わらせた。籾の乾燥具合によっては、もう一度『実渦』にかける必要がある。
「これもって、家にもどるよ。試食してみよう。あんたは、昼までにさっきの変なやり方で収穫しておいで」
「・・・変なやり方って」
「どうみても「変」だからね」
くすん。自分では、よくできた術だと思ったのに。
ユキとツキには、ラシカさんに付いているように頼んだ。
『実渦』は、術弾の数さえあれば、いくつでも結界を増やせる。しかし、四つの田んぼから籾を集めようとしたとき、『浮果』でも取り落としそうになった。それからは、隣り合った田んぼ二つに限ることにした。
乾燥させただけの籾は、便利ポーチにしまえない。またも、ムラクモに運搬をお願いする。
籾を乾燥させている間に、収穫済みの田んぼで残った稲を刈り取る。いや、ハナが【風刃】で刈り倒し、自分がそれを束にする。藁も大事な農業資材だから、集めてくるように言われているのだ。
穂先に籾が残ってないから、少々手荒に扱っても大丈夫。最初の刈り取りよりは、腰に響かない。また、藁束は、便利ポーチにしまっておけた。
昼時になったので、ラシカさんの家に戻った。ご飯の炊けたいいにおいがする。
「ラシカさーん、戻りました〜」
「あんたの腹時計は、ずいぶんと正確だね」
「それほどでも」
「・・・。まあいい。あんたの収穫したやつを食べてみよう」
いつの間に精米まで済んだんだ? 早いなぁ。
白いご飯と、みそ汁。そう、味噌もあった。豆味噌だ。煮干しの出汁が欲しくなる。
『いただきます』
自分では、おいしいと思う。だけど、これはラシカさんの米だ。
「・・・いいだろう。残りの水麦も、変な方法で収穫してもいい」
「! ありがとうございます」
これで、滞在期間が短縮できる!
腕力はあっても、慣れない姿勢を続けていれば、どんな人でも腰にきます。つまり、主人公は、今回、腰痛に負けました。ちゃんちゃん。
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水麦
米のこと。短粒種。
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『実渦』みか
籾の収穫、乾燥を行う。言うなれば、魔術式乾燥機能付きコンバイン。
外部よりも低温、低湿度、低圧力の結界内部で、攪拌し続ける。術弾を使うことによって、変形結界でも実行可能。無駄に多機能な結界術。
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『浮果』ふか
空気中の固体を引き寄せ、結界内に集めて保持する。




