第九十六話 冬から春への花びらスープ 後編
前編と後編、同時投稿です。
厨房では、相変わらず老婆が静かに座っている。
エルジルディンは、自分が持ってきた籠の中身を確かめてから、ラズに聞いた。
「水、汲んでこれる?」
「……うん」
彼が外に汲みに行っている間に、煉瓦作りの竈の鉄扉を開け、埋み火になっていた竈の火を起こし直す。土瓶にレイゼルの処方した薬種を入れたところへ、ラズがえっちらおっちら水桶を持って帰ってきた。
「ありがと」
目を見て言うと、ラズは「うん」と小さくうなずいた。
土瓶に水を入れ、竈の上板の小さな穴に置いて煎じている間に、エルジルディンはスープ作りに取りかかった。すぐ横でラズがじろじろ見ているので、やりにくい。
「えっと……水に海草を浸して……」
教わった通りの手順で出汁を取り、それから野菜の下拵え。彼女は籠から、丸くて緑がかったダイシュの根を取り出した。冬の根菜で、細長い種類の方がよく栽培されているが、丸いものもある。
まっぷたつに切った瞬間、ラズが目を丸くした。
「なに、それ」
彼が驚いたのは、切り口が赤に近いムム色だったからだ。細長い方のダイシュは、普通は白である。
エルジルディンは切り口を下にし、慎重に薄い半月切りにしながら、短く答える。
「紅芯ダイシュ」
「これが、ダイシュ?」
「そう」
紅芯ダイシュはここ数年、アザネ村で育てるようになった野菜だ。そろそろ季節が終わるが、少し前に収穫して保存し甘みが増したものを、レイゼルが持たせてくれた。
半月切りにすると、皮が緑で中が赤い、とある果物を切った時のように見えた。
ラズもそう思ったようで、ぼそっと口にする。
「レドグリンみたい」
「私も最初、そう思った。……そういえばラズ、ジンニ嫌いなの?」
「え、うん」
「私も苦手」
エルジルディンが言うと、ラズは少し口元を緩めた。
そんなやりとりをしているうちに、ラズは警戒心を解いたらしい。
「ねーちゃん、なんでかーちゃんにやさしいの?」
「え」
不思議な質問に戸惑いつつ、エルジルディンは答える。
「優しい? 普通じゃない?」
「人間族にはやさしくするの? リーファン族には?」
エルジルディンは少しムッとして、ダイシュを切りながらつっけんどんに答えた。
「何族かって、関係ある? 具合が悪いリュリュさんのお世話をして、少しでも楽になってほしいだけだよ。リュリュさんは私の先生のともだちだし、私も好きだから」
「好きだから? 嫌いな人間族もいる?」
「もちろんいるよ。リーファン族にもいる。それも、何族かは関係ない」
自分の両親や、レイゼルの養母の顔を思い浮かべながら、エルジルディンはきっぱりと答える。
「何族でも、いい人は好きだし、悪い人は嫌い。人間族にだって、悪い人はいるでしょ」
「ぼくは悪い人じゃないもん!」
自分のことを言われたと思ったのか、ラズは口をとがらせる。
ダイシュを切り終えたエルジルディンは、ちらりと横目で彼を見た。
「本当?」
「本当だもん!」
「じゃ、手伝って。はい、これをバラバラにしてお鍋に入れて」
ラズに干しキノコを渡すと、彼はまるで『いい人』であると証明したいかのように、それをほぐして鍋に加えた。
「できたっ。あとは?」
「リュリュさんの薬湯ができあがったから、持ってって」
「わかった!」
薬湯を注いだカップをトレイに載せて、ラズは慎重に運んでいく。
(ミックスの私のこと、警戒してるみたいだったけど……悪気があるんじゃなくて、知らないものを知りたくて質問しただけ、みたい)
それは、エルジルディンにとって嬉しいことだ。
ラズが戻ってくる頃には、海草とキノコの澄んだ出汁がさらに美味しく、香りよくなっていた。
「……よし」
エルジルディンは薄い半月の紅芯ダイシュを、ひらり、ひらりとスープに入れていく。
じわり、とスープが色づき始めた。
ラズが再び、目を見開く。
「あっ。ムム色のスープになった」
「ダイシュの色が出るの。冬の野菜だけど、レイゼル先生は『もうすぐ春、って感じがするスープでしょ』って言ってた」
「すっげぇ」
まるで何かの実験のようで興味をひかれたのか、彼はまじまじとスープを見つめている。
塩を少し加え、味を見ると、なかなかの仕上がりだ。
器にまずは白いキノコをよそい、ムム色のスープを注ぎ、そしてムム色のひらひらしたダイシュを大きな花びらのように載せる。ダイシュの葉を茹でて刻んだものも、散らして彩りにした。
「はい、『冬から春への花びらスープ』……だったっけ。それの、出来上がり」
器を作業台に置く。
「リュリュさんの分は少し冷ましてから持って行くから、ラズはこれ、先に食べて。パンもあるから」
ラズは小さくうなずき、スツールを運んできて座った。
エルジルディンは竈にフライパンを置き、持ってきたパンを載せて温め始めた。
気がつくと、老婆が彼女の方をじっと見ている。ラズとの会話の一部始終も、聞いていたようだ。
思い切って、声をかけた。
「あの……おばあさんも、スープ、食べませんか?」
「…………」
老女は竈にいったん目を戻したが、やがて、よっこいしょと立ち上がった。
エルジルディンは、老女が座っていた椅子を机に持って行った。彼女はゆっくりとその椅子に腰かける。そして、目の前に器が置かれると、ふと視線を上げた。
「あんたも、一緒に食べなさい」
「……! はい」
急いでエルジルディンもスープをよそい、ふんわりと温かくなったパンを皿に盛ってから、椅子を持ってきて座った。
「いただきます」
ラズは器ごと持って、スープをずずっとすする。さらに、スプーンをうまいこと使ってダイシュをはむっとくわえた。
「ん! うま! ちょっとしゃりしゃりする」
「う、うん。あんまり煮ない方がいいって、先生が言ってたから……」
ダイシュの色がすっかり抜けてしまうのももったいないので、煮すぎないようにと言われていた。しかし、固さを残すか残さないかは好みだろう。エルジルディン的には、美味しくできたと思う。
「……かーちゃんも、食べれるかな」
ラズがぽつりと言ったので、リュリュは微笑んだ。
「綺麗な色のスープを見たら、少し、気分が良くなるかも。そうだといいね。……ラズはいい人みたいだから、リュリュさんにも優しくしてあげて」
「うん!」
彼はうなずくと、パンにかぶりついた。
やがて、スッ、と老女が立ち上がる。
「ごちそうさま」
作業台を離れていく彼女の器は、すっかり空っぽだ。
(ぜんぶ、食べてくれた)
エルジルディンは嬉しく思いながら、自分のスープを口に運んだ。
ガーちゃんの嬉しそうな鳴き声に、シェントロッドは窓から外を覗いた。川からエルジルディンが上がってくるのが見える。
「エルジーが帰って来たぞ」
「はーい」
レイゼルは扉を開けて、弟子を迎えた。
「おかえ……わっ」
驚いて目を見開く。エルジルディンが、雪まみれだったのだ。
「ただいま」
「どうしたの? もう降ってないのに……誰かに、何かされた?」
レイゼルは心配して言った。一瞬、ミックスの彼女がいじめられたのではないかと思ったのだ。
「何?」
座っていたシェントロッドはそれを聞いて、眉を顰めながら立ち上がる。
「ううん、そういうんじゃないです」
玄関の外で、髪や上着についた雪を払い落とすと、鼻を赤くしたエルジルディンはほんのり微笑んだ。
「ラズと遊んだの。雪玉のぶつけっこ」
リュリュが薬湯で気分が良くなり、スープを食べて眠ったので、エルジルディンは家の人が帰ってくるまでラズと遊んでいたのだ。
「そ、そう、なの?」
「あ、リュリュさん、薬湯だいじょうぶだった。それからスープは」
「報告は後でいいよ、乾かすから上着脱いで! あと、お湯を沸かしてあるから」
「はーいっ」
荷物を下ろして上着をレイゼルに預け、エルジルディンは奥に駆け込んでいく。
「……何やら、楽しそうだな」
「ですねぇ。いつの間に、ラズとそんなに仲良くなったのかな」
シェントロッドもレイゼルも、不思議そうに首を傾げたのだった。




