第九十五話 冬から春への花びらスープ 前編
前編と後編、同時投稿です。
季節の変わり目には、界脈の様子も変わる。
(あ、山からの水に、ウィエロの花の香りが混じってる。もうすぐ春が来るんだなぁ)
森の家から水脈に入ったエルジルディンは、自分の界脈流で春の兆しを感じ取りながら、アザネ村の北へと移動していた。
あっという間にたどり着いたのは、ナダヒナ村である。今日はレイゼルから、リュリュに薬湯を持って行くよう頼まれたのだ。
雪で遠出ができないこの時期、エルジルディンが界脈を使って行う配達は、とても重宝されている。
薬湯と、お土産のパンや野菜を入れた籠を背に、エルジルディンは雪の積もった土手を上った。昨夜はアザネよりもずいぶん降ったようで、膝上まである雪をかきわけるのはなかなか大変だ。
登り切ると、リュリュが夫のテランスの一族と大所帯で暮らす、平屋の大きな家が見えた。
エルジルディンは、勝手口をトントンとノックする。
「こんにちは。薬湯、届けにきました」
「はいはい! 入って!」
年輩の女性の声が応える。扉を開けると、まだまだ寒い外と比べて、火を使う厨房は温かく、ふんわりとした空気がエルジルディンを包んだ。
中年の女性が「いらっしゃい!」と声をかけてくれる。テランスの母、つまりリュリュの義母だ。
もう一人、腰の曲がった老女がいてジロッと彼女に視線を向けたけれど、何も言わずに竈に向き直った。ここで暖まっているらしい。
“ミックス”であるエルジルディンは、金の髪ととがった耳を持つ。忌避する人も多い中、ここナダヒナ村の人々は、彼女の存在にそこそこ慣れてきていた。
老女も当初はあからさまに席を外したりしていたのが、こうして消極的にでも受け入れてくれている。
エルジルディンは老女にぺこりと頭を下げてから、テランスの母に向き直った。
「リュリュさんの薬湯、持ってきました」
「ありがとうね、ちょっと待ってて。ああ、リュリュは奥で休んでるわ」
テランスの母は、厨房から廊下へと小走りにいく。
現在、一児の母であるリュリュだが、お腹に二人目の子がいる。一人目の時と同様につわりがひどく、今日持ってきた薬湯はそのためのものだ。
ぱたぱたと戻ってきたテランスの母に、エルジルディンは尋ねた。
「……あの。何か、ありましたか?」
大勢がいるはずの家の中が、何だかずいぶん静かなのである。
財布を持って戻ってきたテランスの母は、困り顔で説明した。
「村の倉庫にしていた建物が、昨日の雪の重みで潰れてしまってね。今、男衆が総出で掘り出しに行ってるのよ。備蓄の食料とか、祭りに使う道具とか、使えるものは掘り出しておかないとダメになっちゃうからねぇ」
リュリュには甥っ子(テランスの姉の子)がいるが、その子もいないようだ。エルジルディンより一つ二つ年上なので、立派な戦力として行っているらしい。
薬湯代を渡してくれた彼女は、椅子にかけてあった上着を着込み始めた。
「ごめんなさいね、私はちょっと出かけてくるわ。男衆の食事を皆で作らないと。エルジー、時間があったら、リュリュに薬湯を煎じてやってくれない? ここ好きに使っていいからね。あ、そこにある漬物、一瓶持って帰っていいよ。じゃあお義母さん、行ってきますね!」
老女に声をかけ、あわただしく勝手口から出て行く。
ばたん、と扉が閉まった。
「…………」
エルジルディンは少しの間、どうしたらいいか迷い、それから老女に向き直った。
「あの……リュリュさんの様子を、見たいんです」
老女はちらりと彼女を見上げ、そして竈に視線を戻してから、ぼそぼそと言った。
「廊下の突き当たりを曲がって、すぐの部屋だよ」
「ありがとう、ございます」
ぺこりと頭を下げ、エルジルディンは奥に向かった。
教えられた部屋は、扉が開きっぱなしになっていた。中から声がする。
「かーちゃん、おなかすいたー」
男の子の声だ。リュリュの声が、弱々しく答える。
「厨房に、おばあちゃんがいると思うから、何かもらいなさい……」
「ばーちゃん、ジンニ食わそうとするからヤなんだもん。ねーえー」
「ちょ、揺らさないで……うぅ」
扉をノックしながら中をのぞくと、ベッドに白い顔をして横たわるリュリュと、そのすぐそばに立つ男の子が目に入った。
リュリュの息子、ラズである。今十二歳のエルジルディンが五歳の時に生まれたので、七歳のはずだ。
リュリュ譲りの赤毛を後ろで一本に結んだ彼は、エルジルディンの姿を見てぎょっと口をつぐんだ。まだ数えるほどしか会ったことがないせいか、ミックスの彼女を警戒しているようだ。
そんな反応には慣れっこなので、彼女は特に気にせずベッドに近づいた。
「こんにちは。薬湯、持ってきました」
「あぁエルジー、ありがと、助かるー!」
嬉しそうに微笑むリュリュに、エルジルディンは説明する。
「レイゼル先生が、以前作った時と季節が違うから別の薬種を使ったって言ってました。合わなかったら教えて、って」
「うん、うん、わかった。うー、レイゼルの薬湯がないと死んじゃうぅ」
半泣きのリュリュの顔を見て、エルジルディンはすぐに申し出る。
「みんな出かけちゃってるから、今、私が煎じてきます。厨房、使っていいって言われて」
「すっごく嬉しい、ぜひお願い」
「あと……」
彼女はちらりとラズを見てから、続けた。
「お昼作ったら、食べますか?」
「エルジー、料理できるんだ!?」
「レイゼル先生に、教わったばかりのスープがあって。材料、あるし」
「スープなら食べれるかも。頼める? ラズもお腹すいちゃったみたいで、さっきからうるさいの」
リュリュは言い、そしてラズの尻をポンと押した。
「ほら、エルジー姉ちゃんがお昼作ってくれるって。手伝っておいで」
「…………」
ラズは眉をしかめ、母親とエルジルディンの顔を見比べる。
(別に、お手伝い、いらないけど……)
エルジルディンは思ったものの、ラズを連れて行った方が、リュリュは休めそうだ。
「行こ」
促すと、彼は渋々といった様子でついてきた。




