第九十四話 チュウトハンパな採薬師 後編
前編後編、同時投稿です。
それから数日経って、エルジルディンは再び一人で出かけることになった。フィーロの郊外で薬種を育てている農家があり、そこに買い物に行くお使いである。
初老の、小柄な女性がエルジルディンを迎えた。農家の主人のポレットだ。
「エルジー、いらっしゃい!」
帽子から茶色の癖毛を覗かせたポレットが、ヒョイと片手を上げた。
「ポレットおばちゃん、こんにちは」
エルジルディンも片手を上げ、彼女の手にタッチする。これはポレットが好んでする挨拶で、最初は手をかざされて驚いたエルジルディンも、今はすっかり慣れていた。
「レイゼル先生が、赤プルパをたくさん買ってきてって」
「あるわよぉー、もっさもっさに育ったところ。あと、そろそろティムの季節が終わるから、おまけにつけたげる」
ポレットはシロトウコモの畑をわさわさと通り抜けて、隣の畑で赤プルパを収穫した。エルジルディンもついていき、赤プルパを受け取ってカゴに入れる。
ふと見ると、その畑の一角に見慣れない植物があった。濃い緑の葉と茎に、黄色い花のつぼみをたくさんつけている。
「これ、なに? エルジー知らない」
「ああ、それはカーサリーネという花なんだってさ」
「『だってさ』?」
「うん。あたしも、今年初めて育ててみたんだよ」
ポレットは、ティムを摘みながら説明する。
「『採薬師』から買った苗を育ててみたんだ。花は染料になるし、薬種としては血を補うんだって。うまく育てられそうなら、増やしてみようかと思ってるよ」
エルジルディンは、首を傾げた。
「おばちゃん、採薬師、って何……?」
ポレットのところに行って以来、エルジルディンはふとした時に考え事をするようになった。森の家の書庫に入り、調べ物もしている。
レイゼルは「何だろう?」と不思議に思いながらも、ひとまず黙って見守った。
数日後の夜。
テーブルの上には、こんがり焼いたパン、炒めたニオニンたっぷりの茶色いスープ、それに収穫の始まった薄紅色のムムの実が並んでいる。
エルジルディンは、スープを口に運びながら、やはり考え事をしていた。
レイゼルもシェントロッドも、テーブルについている。シェントロッドは、スープに浸したパンをもくもくと食べながら、ちらりとエルジルディンを見た。レイゼルが、声をかける。
「エルジー、チーズも食べる? スープに合うよ。出してこようか」
「……今日はいい」
「そう?」
「ん。……」
エルジルディンはスープを食べ終えると、両手を膝に乗せて背筋を伸ばした。
「レイゼル先生、シェントロ先生」
「おう。何だ」
「なーに?」
二人が耳を傾けてくれているのを確認すると、彼女は言う。
「エルジーは、大人になったら、薬種を探しに行きたい、です」
「え」
レイゼルは目を見開いて、シェントロッドと顔を見合わせ、そして聞いた。
「大人になったら、って……将来の、仕事の話?」
「そう、です」
エルジルディンは緑の瞳で、師たちを見つめる。
「エルジーはこないだ、ポレットおばちゃんのとこで、『採薬師』っていう人がいるって聞いて」
レイゼルは目を瞬かせたけれど、何も言わずにうなずいて先を促した。
エルジルディンは続ける。
「採薬師さんは、ナファイ国じゅうを旅して回って、新しい薬種を見つけたり、土地に伝わっている薬の作り方を調べる人だって。お年寄りから話を聞いて書き残したり、他の土地に伝えたりもする」
「うちの書庫にも、採薬師が書いた本があるね。最近、それを読んでたのね」
「はい」
うなずいて、エルジルディンは目をきらめかせた。
「エルジー、採薬師になりたい」
「採薬師……。そうね。エルジーは、あちこち飛び回るのが好きだし、目端が利くから向いていそうだけど、でも」
レイゼルはつぶやきながら考え込む。
シェントロッドが尋ねた。
「エルジー。それはつまり、いずれアザネ村を離れるということか?」
「違うです」
エルジルディンはすぐに否定した。
「ずっと旅に出ちゃうんじゃなくて。行った先でお仕事したら、水脈を通って帰ってきます。そして、また出かけて、戻ってくる。エルジーの家はここだから」
普通の人間が移動する場合、何日もかかるような距離でも、たとえ一度に短い距離しか動けないにせよ、彼女ならうんと短い時間で済む。
「レイゼル先生は、エルジーが一人でも生きていけるようにって弟子にしてくれたし、薬湯屋のお仕事は好き。お仕事はちゃんとしたいし、先生が心配だからそばにいたい」
「う、うん」
「それに、シェントロ先生に教えてもらったリーファンのちからも、役に立てたい。遠くで見つけた薬種、アザネ村の人に持って帰りたい」
エルジルディンは、頬を紅潮させる。
「採薬師になったら、チュウトハンパが全部、役に立ちます」
「…………!」
レイゼルはハッとして、急に涙ぐんだ。
「……うん……そっか。いっぱい考えたんだね、エルジー」
「せ、先生、どうして泣く」
あわてて立ち上がり、レイゼルにしがみつくエルジルディンに、レイゼルは笑いかける。
「嬉し泣きだよ。大人になったなぁ、って」
「いい夢ができたな」
シェントロッドも珍しく微笑んだので、エルジルディンはパッと顔を明るくする。
「ほんと?」
「ああ。薬湯屋で採薬師、目指したらいい」
「私も、応援するよ」
「うん!」
エルジルディンはレイゼルに背後から抱きついて、嬉しそうに笑った。
弟子が眠った後は、レイゼルとシェントロッド、二人の時間だ。
ベンチのクッションに並んで座り、二人は言葉を交わす。
「あぁ、成長したエルジーがこんなこと考えるようになりましたよって、グザヴィエ様ニネット様にお手紙を書かなくちゃ」
レイゼルは笑って言い、そして胸を押さえた。
「……でも、さっきは私、『チュウトハンパ』って言葉にドキッとしてしまいました」
そんな彼女の肩を、シェントロッドは緩く抱き寄せる。
「うん。ミックスであることはついてまわるからな、一生」
「ずっと気にしているんでしょうね。……でも、それを生かすことを考えてたのが、私、すごく嬉しくて」
「お前や、アザネ村を愛する故だろう」
「隊長さんのことも大好きだから、リーファン族の血を引いているのを受け入れられるんだと思います。自分の、有りようを」
口には出さなかったけれど、レイゼルは思う。
やはり、自分とシェントロッドは「違う」存在でよかった。人間族として生きることを選んでよかった、と。
そして、シェントロッドも思う。
いずれは、エルジルディンも本格的に旅に出るのかもしれない。しかし、人間族のレイゼルのそばにいられるうちはその時間を大切にしてほしいし、エルジルディンもそうしたいだろう、と。
二人は未来に思いを馳せる。
「採薬師、かぁ。旅に行った先で、薬学校の卒業生たちに会うかもしれませんね。あっそうか、私が手紙を持たせれば、彼らがその土地のお年寄りを紹介してくれるかも」
「なるほどな。そこをとっかかりにして、採薬師としての仕事を広げていくのはいいんじゃないか?」
「はいっ。まあ、まだ十二歳ですから、先の話ですけれど!」
「まだまだ勉強してからじゃないと心配だ」
可愛い子に旅をさせるために、何が必要か。
初夏の夜、二人はゆっくりと話し合ったのだった。
久しぶりの更新、楽しんでもらえたら嬉しいです。
薬種農家のポレットは、『薬草茶を作ります』電子合本版の特典SSにも登場しました。そちらではレイゼルと二人、とある商品開発に挑戦しています(笑)
「採薬師」を主人公にしたお話はいつか書きたいなと思っているんですが、エルジーにぴったりの仕事なので、ひとまず彼女に目指してもらうことにしました。
遊森のお仕事については、活動報告をご覧ください。5月6月だけで3冊刊行があったり、賞をいただいたりしています。
7月で作家デビュー10周年ですので、まずは走り抜けます!




