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Uターン薬湯屋の寝込みがちスローライフ  作者: 遊森謡子
第四部(完結後の物語)
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第九十三話 チュウトハンパな採薬師 前編

前編後編、同時投稿です。

 小雨の降る中、エルジルディンは一人、森の中を歩いていた。

 雨を弾くように桐油を塗り込んだマントから、ズボンをはいた足がすらりと伸びている。ずいぶんと背が伸び、今ではレイゼルの肩まであるが、まだ十二歳なのでこれからさらに伸びるだろう。

 一本の三つ編みにした淡い金髪は、フードの中から覗いて肩口に垂れていた。あまり長いのは好かないので、胸までしかないけれど。彼女は強いくせっ毛で、前髪を作るとおでこでクルクルと巻いてしまうので、伸ばして後ろ髪と一緒にまとめている。

(暗くなる前に帰らないと、レイゼル先生が心配するな)

 師であるレイゼルは、雨が続くとあまり体調が良くないようで、家でおとなしくしている。

 エルジルディンは十歳になった頃から、師の代わりに薬種を摘みに行ったり、薬種を栽培している人のところに買いに行ったりと、一人で村の外に出かけるようになった。

(先生たちは、エルジーがやりたいこと、何でもやらせてくれる。だからよけい、先生たちの役に立ちたい)

 今では距離や時間をのばし、近くのナダヒナ村やハリハ村、それにペルップの住むレッシュレンキッピョン村にも、一人で出かけている。

 当初は、レイゼルがとても心配して、エルジルディンが帰ってくるまで気が気ではなく、かえって具合が悪くなるほどだった。

 さすがに慣れてきたとはいえ、帰ると予告した時間を過ぎると病弱な師に心労をかけてしまうし、もう一人の師が界脈流を追って探しに来てしまうので、エルジルディンも時間は守るようにしている。


 苔の匂いや土の匂いが、歩くエルジルディンの身体をしっとりと包み込む。

 木々の葉が屋根代わりになってくれているものの、時々、葉を伝って集った大粒の雨水が、パタパタッと落ちてくる。

 両手でフードを持って軽く振り、水を払い落とした時、彼女はふと顔を上げて足を止めた。

「あ。ルーマベリーの木がある」

 斜面の木々に、赤黒い小さな粒が寄り集まったような実が、たくさんついている。

「摘んでいこう」

(ええと。ルーマベリーは目にいいんだったな。あと、身体を冷やす効果があるって)

 レイゼルに教わったことを頭の中で思い出しながら、せっせと採取用のカゴをいっぱいにした。

「ジャムにしよう。レイゼル先生もきっとよろこぶ。あと、シェントロ先生も食べられるし」

 もう『シェントロッド』という名をきちんと発音することができるエルジルディンだったが、『シェントロ先生』という呼び方が習慣になっていた。

「……よし、と。この場所、覚えておかないと」

 このあたりはアザネ村の南西、アザネ村とレッシュレンキッピョン村の中間だ。

 界脈の流れ、そして地形や植生などの目印を確認してから、エルジルディンは再び道なき道を歩き出した。

(もう少し見て回ったら、川に降りて帰ろう)

 人間族とリーファン族の“混血(ミックス)”であるエルジルディンは水脈を通れるが、一度に短い距離しか移動できない。それを逆手にとって、というか、せっかくなので、移動するたびにあたりをサッと見て回ることにしていた。

 シェントロッドも、

「俺は目的地まで一気に移動してしまうが、エルジーのような移動の仕方の方が、新しい発見があるかもしれないな」

 と言っていた。

 界脈士の移動の仕方をうらやましく思っているエルジルディンにとって、その意見はなかなか新鮮だ。

(エルジーみたいな、チュウトハンパな方が役に立つことも、あるかもしれないんだ)


 藪をかきわけ、川に続く道をざっくりと作りながら歩くうち、エルジルディンはふと気づいた。

(あれ? 道がある)

 彼女が通ろうとした場所を横切るように、下生えの少ない空間が伸びていた。確かに、かつて人が行き来した跡のようだ。

(この先に、何かあるのかな)

 エルジルディンは慎重に、その道をたどってみた。

 やがて、木々の合間に、不思議なものが見えてきた。水色と、淡い紫色のモヤのようなものだ。

(何だろう?)

 目の前が開ける。

 小さな広場を中心に、民家が並んでいた。しかし民家は崩れかけて苔生し、ツタが絡みついている。人の気配も感じられず、廃村のようだ。

 そして廃村全体を包み込むように、美しい水色と紫色の花が咲き乱れ、雨にけぶっていた。

「綺麗、だけど……見たことない花」

 エルジルディンは、広場の中央に立ってぐるりと見回してから、花をつけた低木に近寄ってみた。

 小さな花の集合が、大きな鞠のようになっている。そんな鞠と、濃い緑の葉が、ふんわり、ぎっしりと、家の周囲を埋め尽くしている。

(人がいなくなって、花だけが咲いてる……)

 雨に濡れた花は、とても美しかった。

 エルジルディンは、腰のベルトに挿してあったナイフを抜くと──十歳の誕生日にシェントロッドが(あつら)えてくれたものだ──、一枝切り落とした。

(お土産に持って帰ろう)


「わぁ、綺麗! お土産、ありがとう」

 家に帰って花を見せると、レイゼルはパッと顔を明るくした。

「素敵な水色ね。ええと、花瓶、花瓶」

「エルジーがやります。レイゼル先生、この花、知ってる?」

 棚から花瓶を出してくるエルジルディンに、レイゼルはうなる。

「実物は見たことはないけれど、本で見たような気が……」

 レイゼルは、自分の部屋から分厚い本を一冊持ってきた。ぱらぱらとめくって探す。

「その村にだけ咲いていて、広がってなかったわけね。じゃあ、野生ではなくて園芸種かも。……あ、あった!」

 開いたページに、そっくりの花の絵が描かれていた。水色と紫以外に、白や、赤みがかったものもあるようだ。

「ハイランジードっていう花。花びらに見える部分、これ、ガクなのか……種から増えるんじゃなくて、挿し木で増やすんだって」

「じゃあやっぱり、あの村の人たちが育ててた?」

「たぶんね。えーと、根を摂取すると嘔吐……なるほど、じゃあ少量を用いて吐かせるのには使える……」

「毒で、薬。トリアツカイチュウイ」

「その通り。必要になることがあるかもしれないね。一株だけいただいてしまおうか。今度、根っこごと採取してきてくれる?」

「はいっ」

 エルジルディンはうなずく。

 その時、不意にシェントロッドが外から入ってきた。

「今、帰った」

 彼は界脈を移動するので、足音などの前触れなしに現れる。たまに、アヒルのガーちゃんが驚いて騒いでいる。

 シェントロッドは、緑の目をテーブルの上に止めた。

「珍しい花だな」

「エルジーが見つけて、切ってきてくれたんです」

 レイゼルがいきさつを説明すると、彼はうなずく。 

「なるほど。エルジーが見つけなかったら、誰にも知られずに山の中で咲き続けていたわけだな」

(そうか。チュウトハンパのエルジーが見つけなかったら、見つからなかった)

 そう考えると、この巡り合わせが嬉しくなるエルジルディンである。


 夜、ベッドに入ってから、彼女は考えた。

(今日みたいなこと、たまたまじゃなくて、もっと起こせないかな。エルジーだからできること……)

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