第九十二話 気になる卒業生 後編
春になり、薬学校を卒業したエクトルは、いよいよ故郷に戻ることになった。
まっすぐ北上してから、途中で西に向かって山越えをする予定だったが、少々ルートを変えて先に西に向かうことにする。
乗り合い馬車でやってきたのは、ロンフィルダ領。
アザネ村だ。
(べ、別に下心なんてないし。北に帰る前にお礼を言わないと気が済まないだけだし)
心の中で言い訳しつつ、王都でバッチリお礼の品も買ってきている。
もし仲良くなれたら、しばらくアザネ村に滞在してしまおうかとか、故郷にお嫁さんを連れて帰ったら家族も喜ぶだろうなとか、色々と妄想が広がった。
途中の馬車の駅で降りて休憩した時、近くに花が咲いていることに気づいた。色鮮やかな黄色い花は、春の訪れを告げているかのようだ。
(まだ寒いけど、もう咲いてる花もあるんだな。なんだか、幸先いいや)
エクトルはその花を摘んで、花束にした。
到着したアザネ村は、清流に恵まれた静かな村だった。
馬車の発着所は村の大通りに面していて、店がいくつか並んでいる。雑貨屋に入り、メガネをかけた若い店員に薬湯屋の場所を聞いてみると、彼は教えてくれた。
「店の裏の小川に沿って、森に入っていくと新しい家があるんですけど、そこが薬湯屋です。でも、今日は村の広場で教会孤児院の子どもたちがカショイモを焼いてるんで、レイゼルもそこにいると思いますよ」
そこで、エクトルは広場の場所を聞いて、そちらに行ってみることにした。
雑貨屋からやや南に下り、家々がとぎれて畑が見え始めたあたりに、広場はあった。かまどがひとつ組んであり、それとは別にたき火もしているようだ。
カショイモはおそらく、熾火の中で焼いているのだろう。秋に収穫したはずなので、数ヶ月経っていい具合に水分が抜け、美味しくなっているころだ。
子どもたちは、何人かは元気に遊び回り、何人かはたき火のそばで焼けるのを待っている。
「焼きジオレン、食べる人! 甘くて美味しいよ!」
聞き覚えのある声がして、そちらを見ると……
(いた!)
もこもこと厚着をした人が、こちらに背中を向けてかまどのそばに座っている。
優しい声と背中に垂れた黒髪には、覚えがあった。ジオレンの皮を剥こうとミトンを外した手は、ほっそりしている。
(レイゼルさんだ)
にわかに、胸がドキドキし始めた。
エクトルは上着のポケットに入れたお礼の品を確かめ、軽く咳払いをしてから、花束を手に近づく。
そして、口を開いた。
「レ」
「れーぜるー!」
彼より先に、五歳前後の男の子がタタッと彼女に駆け寄った。エクトルはあわてて口をつぐむ。
「なーに?」
「あのね、これ見つけた!」
男の子が手を開くと、そこには一カ所だけ尖った茶色いリツの実が載っている。
たまに、枝に残ったままなかなか落ちない実があるが、このリツも今の季節まで頑張ったのだろう。
「大きいリツの実だね、落ちてたの?」
「うん。食べるの。だからね」
男の子が何か言いかけた、その時。
ポン! と、何かが弾ける音がした。
たき火の方で、あっ、という声が上がり、続いて「うわぁあん」という女の子の泣き声。
「アレット?」
レイゼルが立ち上がり、たき火に駆け寄った。
(……ええっと)
どうしていいかわからず、エクトルは花束を持ったまま、ひとまず様子を見る。
泣いている女の子は、六歳か七歳くらいだろうか。足下を指さして、レイゼルに何か訴えている。
転がっていたのは、リツの実だった。割れて、中の黄色が見えている。
(あっ。さてはさっきの男の子、拾ったリツの実をたき火に放り込んだな?)
それが熱せられて弾け、アレットという女の子に当たったのだ。焼きリツは相当、熱い。
「リツの実が……熱かったねアレット、冷やそう。エルジー」
レイゼルが呼ぶと、「はいっ」と別の女の子が駆け寄ってきた。その拍子に上着のフードが脱げ、珍しい金の髪がふわっと踊る。
金髪の子は心得たようにアレットを連れ、広場の南側の川に向かった。しゃがみ込んだアレットは、火傷した手を川に浸して冷やしているようだ。
その時になってようやく、レイゼルがエクトルの方を振り向いた。
「あっ?」
不意を打たれて、エクトルはあわてる。
「わ、ええと、レイゼルさん、僕は」
夏にフィーロで会った者だと、彼は説明しようとした。
するとレイゼルは、彼に向かって足早に近寄ってきた。さらに、手まで伸ばしてくる。
(えっ? そんな、熱烈歓迎!? 彼女も僕を!?)
反射的に彼からも手を伸ばし、花束を差し出す格好になった。
その花束を、レイゼルは両手で受け止め、言った。
「セフーキの花! 助かるわ、ありがとう!」
「へっ?」
手を出したままのエクトルが固まっている間に、レイゼルはサッと花束をベンチの方へ持って行く。
「火傷にはこれが一番なんだけど、アザネ村の周りには生えてないのよね。もう少し乾燥した土地じゃないと育たないから……よし、これで」
彼女は花束をサッとほぐし、黄色い花をブチブチッとむしった。
「あ……」
絶句しているエクトルには気づかないまま、レイゼルは葉と茎を細かくちぎり、その辺の石の上に載せた。もう一つの石で潰し始める。
(く、薬にしてる、のか)
女性に花束を贈ったら目の前で花をむしられた、という衝撃からようやく立ち直り、エクトルは理解した。
(僕の持ってきたあれが、火傷に効く? 知らなかった)
やがて、アレットが金髪の子に付き添われて戻ってきた。
「先生、ひやした」
「ありがと、エルジー。アレット、おいで」
レイゼルはベンチにアレットを座らせると、先ほど潰した葉と茎を火傷にたっぷり塗った。そしてその上から、布巾で包む。
「はい。これで、跡にならずに治るからね」
「うん。ありがと、レイゼル」
泣きべそ顔だったアレットは、ようやく笑顔を見せた。
そんな彼女たちを横目でちらちら見ながら、エクトルはさっきの男の子に近づいた。
「こんにちは」
「こんちはー」
小さな男の子は、リツの実を一つ握りしめたままニコニコしている。
彼はしゃがんで、彼と視線を合わせた。
「いいもの持ってるなぁ、見せて」
「はいっ」
リツの実が渡される。
エクトルは自分のポケットから何気なくナイフを取り出しつつ、聞いた。
「君、リツの実、いくつ見つけた? 焚き火にはたくさん入れたのかな?」
「ううん、いっこだけ」
「そっか」
話しながら、手の中でリツの実の皮に切れ目を入れた。
(もうレイゼルさんが把握してると思うけど、念のためだ)
これで、もしこの子がまたこっそり焚き火に放り込んでも、実は弾けない。さらなる被害者が出ることはないだろう。
「ありがとう」
リツの実を返すと、男の子は手を振って走っていった。
「あの」
声がかかって振り向くと、レイゼルだ。
「さっきはセフーキをありがとう! ごめんなさい、バタバタしてて……あの、どこかでお会いしたことがありますよね?」
「あっ、はい」
エクトルはサッと立ち上がる。
「エクトルと言います。夏に、フィーロでお世話になりましたっ。酔いつぶれてるところに、薬湯を作ってもらって」
「あの時の!」
彼女はすぐに思い出したようで、笑顔になる。
「ペルップが後で手紙で教えてくれたんですけど、薬学校の学生さんだったんですってね。もしかして、この春に卒業?」
「はい」
「おめでとうございます!」
レイゼルは両手を合わせる。
「的確にセフーキを選んで出してくれて、とっても助かりました。こんなに優秀な卒業生さんなら、きっとこれからも大活躍ね!」
「ええと、はぁ」
彼は、苦笑いした。
夏に会った時、レイゼルは手持ちの薬種を的確に使ったけれど、今回エクトルは何も知らずにセフーキを出しただけ。偶然である。
(ペルップさんが言ってたけど、レイゼルさんは三年間、ずっと首席だったって。……さすがだな)
エクトルはひとつ、ため息をついた。
(僕なんか、とても釣り合わない)
吹っ切ると、逆に落ち着いてきた。
彼は上着のポケットから、小さな包みを取り出す。
「あの。これ、夏のお礼です」
レイゼルは両手をぷるぷると振る。
「そんな、気にしないで! 今、十分なお返しをしてもらったし」
「いやその、そういうつもりのアレじゃないんで。こっちがお礼なので」
「……? でも」
「故郷に帰る前に渡そうと思って、アザネ村に来ました」
彼が言うと、レイゼルは戸惑った様子ではあったけれど、包みを受け取って微笑んだ。
「ありがとう」
せっかくなので、エクトルはレイゼルとベンチに腰かけ、焼きカショイモを食べながら話をさせてもらった。卒業後にどのように知識を役立てているのか、聞いてみたかったのだ。
レイゼルは自分のことや、連絡を取っている他の卒業生の様子など、快く答える。さっきの金髪の子は、弟子なのだそうだ。
「あの子、“ミックス”ですよね」
「そう。だから、私だけじゃなくて一緒に──」
言いかけたレイゼルが、ふと視線を動かした。
「あ、隊長さん」
見ると、小川の方から長身の人物が近づいてくる。
緑の長髪。リーファン族だ。
(えっ!? 何でこんな村に)
驚くエクトルに、レイゼルが紹介する。
「シェントロッド・ソロン隊長です。ロンフィルダ領の警備隊長さんなの」
彼はジロリと、エクトルを見下ろす。ものすごい圧を感じる。
「……君は?」
「あっ、エクトルと言います、あの」
「隊長さん、前に話したでしょ。夏にフィーロで会ったんです」
妙に親しげに、レイゼルが説明する。
(フィーロで酔っぱらいを助けた話なんて、警備隊長にわざわざするか!? え? この二人は一体?)
「ああ……」
警備隊長は興味なさげに鼻を鳴らすと、ひょい、とレイゼルの手を握った。
「もうずいぶん、広場にいるんじゃないのか? 寒くないか」
「火を焚いてるので、大丈夫です。でも、そろそろ帰ろうかな。隊長さんは休憩ですか?」
「ああ。お前たちの様子を見に来た。……何だ、それは」
レイゼルが膝に乗せている包みを、隊長は目に止めた。レイゼルはにこやかに答える。
「夏のお礼にって、いただいたんです」
「……ふん?」
またもやギロリと、隊長がエクトルを見る。
(殺気……!)
エクトルは、パッと立ち上がった。
「あ、僕、そろそろ馬車の時間なので」
「あぁ、これから出発なんですね」
レイゼルも立ち上がった。
「道中、気をつけてくださいね。本当に、わざわざありがとう!」
「こ、こちらこそ! じゃあ、お元気で!」
ぎくしゃくとエクトルは頭を下げ、くるっと回れ右をして、広場を後にした。
一度だけちらりと振り返ると、リーファン族隊長がジッとこちらをにらんでいる。
もう一度ペコッと頭を下げ、めちゃくちゃ早足で広場を脱出する。
馬車まで戻ってきて、エクトルはなぜか「命拾いした」という気がした。
ちなみに、エクトルが立ち去った後。
レイゼルとシェントロッド、それにエルジルディンは、連れだって森の家に戻った。
レイゼルは、エクトルにもらった包みを開けてみる。
細長い箱が現れ、中には薄青く透き通ったガラスペンが入っていた。
「わあ、素敵!」
大喜びで、レイゼルは手に取る。
「エクトルさん、趣味がいい。薬種を扱う人なら書き物もたくさんするって、わかってるー。……さっそく使わせてもらおう。えっと、インク、インク」
インク瓶の蓋を開けようとする彼女に、シェントロッドが低い声をかけた。
「レイゼル」
「はい?」
レイゼルが顔を上げると、彼はまるで睨みつけるような眼光を放った。
「それを、使うのか」
「え、はい。使いますけど……?」
首を傾げる彼女に、シェントロッドはゆっくりと近づく。
「俺という存在がありながら、他の男からもらったものを使うのか、と言っている」
「………………ええっ!?」
ようやく理解して、レイゼルは真っ赤になった。
「隊長さん、え、どういう想像をしてるんですか!? 別に私は」
「それは俺がもらう。レイゼルには、俺が別のガラスペンを贈る。それでいいな」
「これを? 隊長さんが使……?」
「い い な」
「ハイ」
反射的に、レイゼルはうなずいたのだった。
そんなわけで、そのガラスペンは今、シェントロッドの私室の引き出しの一番奥に収まっている。
『スパイス&ハーブ検定』というのがあるんですが、合格者にはその後も講演会などの案内が届いて、さらに知識を深められるようになっています。薬学校の卒業生たちなら、自主的にそういうのをやりそうだなと思って、ペルップに発起人になってもらいました(笑)
エクトルも見習って、北ナファイでやるかもしれませんね。




