第八十八話 風邪をひいたら何食べたい?
エルジルディンが、珍しく熱を出した。
レイゼルとシェントロッドは、赤い顔でボーッとしている彼女を、診療所に連れて行った。モーリアン医師は、
「『あー』って言ってごらん」
とエルジルディンに口を開けさせ、喉の奥を確認する。
「喉に赤い水膨れができている。風邪だね。悪い病気じゃないよ」
「そうか、それならよかった」
シェントロッドはエルジルディンの肩に手を置き、レイゼルは質問する。
「喉がかなり痛そうなので、痛みを抑える薬湯を飲ませようと思うんですが、注意することはありますか?」
レイゼルが薬種の名前を挙げると、モーリアンはうなずいた。
「それでいいと思うよ。この風邪は直接的に効く薬があるわけではないから、症状を抑えつつ……だね。エルジー、しばらくしんどいだろうけど、食べられるものを食べてゆっくり休めば、ちゃんと治るからね」
エルジルディンは小さくうなずいた。
森の家に帰り、エルジルディンは真新しい自分のベッドに腰かけると、レイゼルが作った薬湯を飲んだ。
「エルジー、何かお昼に食べたいものはある? スープは作るけど」
レイゼルは聞いてみた。あまり食欲がないようなので、好物を用意しようと思ったのだ。
「いらない……」
しんどそうに彼女はベッドに潜り込んだが、ふと、つぶやいた。
「あ……。『ぷい』、たべたい……」
「ん? 何?」
「『ぷい』……お熱のとき……たべれる」
そのまま、エルジルディンは目を閉じてしまった。すーっ、と寝息が聞こえてくる。
(『ぷい』?)
レイゼルは首を傾げつつも毛布をかけなおし、エルジルディンの部屋を出た。
居間では、シェントロッドが上着を着ている。
「レイゼル、俺は仕事に戻る。エルジーを頼む」
「あ、はいっ。あの、隊長さん」
レイゼルは、エルジルディンが食べたいと言ったものの話をしてみた。
「『ぷい』と言ったように聞こえたんですけど、何のことかわからなくて」
「エルジーは少し舌足らずだからな。お前がそれっぽい食べ物に心当たりがないなら、シスター・サラに聞いてみたらどうだ。孤児院にいた頃に食べた何かかもしれない」
レイゼルは軽く両手を打ち合わせる。
「なるほど、そうですね! ちょうど今日来ると言っていたので、聞いてみます」
それから間もなくして、シスター・サラが薬湯を取りにやってきた。
「『ぷい』……?」
彼女は頬に手を当てて、首を傾げる。
「何かしら。ごめんなさい、ちょっとわからないわ」
「そうかぁ。うーん」
「具合が悪い時でも食べられるものって、貴重よね。私は子どもの頃、熱を出すと、ムムのシロップ煮の瓶を母が開けてくれて、食べさせてもらえて。嬉しかった覚えがあるわ」
シスターは懐かしそうに言う。ムムは夏の果物で、アザネ村の特産品でもあった。
「具合の悪いときは、果物は食べやすいわよね。果物で、そんなような名前のものはない?」
「果物かぁ……『ピパ』もちょっと違うし。あ、『ピパ』といえば」
レイゼルはそこからの連想で、トラビ族のペルップのことを思い出した。
彼の住むレッシュレンキッピョン村は、ジオレンという果物が特産品なのだが、同じく果物であるピパも育てている。ピパは葉の薬効が高い。
実は、エルジルディンは一度、レッシュレンキッピョン村にホームステイしたことがある。ペルップの所にしばらく泊まって、学ばせてもらったのだ。
「もしかしたらあの時、ペルップの家で、何か珍しい物を食べさせてもらったのかも!」
昼になると、シェントロッドが一度、様子を見に戻ってきた。そっとエルジルディンの部屋を覗き、顔を確かめてから居間にやってくる。
「よく眠っているようだな」
「はい。あの、隊長さん」
レイゼルは、シスター・サラには『ぷい』に心当たりがないこと、もしかしてペルップの所で何か食べたのではと思いついたことを話す。
「隊長さんがエルジーの送迎をした時、ペルップ、何かそれっぽい話をしてませんでしたか?」
「俺は聞いた覚えがないが、確かめてこよう」
あっさりと彼は言うと、サッと界脈に入ってレッシュレンキッピョン村に向かった。界脈士は行動が早い。
それほど時を置かずに、彼は戻ってきた。
「ペルップにも、心当たりはないようだぞ」
「そうですかぁ」
レイゼルは腕を組む。
「うーん、エルジーが起きた時に用意しておいてあげられたらと思ったけど、もう一度エルジーに聞いてみるしかないですね」
シェントロッドが仕事に戻ってしばらくして、ようやくエルジルディンが目を覚ました。
「れーぜるせんせい、ちょっと、おなかすいた」
「よかった。少し熱が下がったし、食欲が戻ってきたかな?」
喉が痛いと固形物は食べにくいので、レイゼルは昼食にモリノイモをすり下ろしたトロトロのスープを用意していた。
ゆっくりとスープをすするエルジルディンに、レイゼルは話しかける。
「エルジーが食べたいって言ってた『ぷい』、わからなくて用意できなかったの。ごめんね。それって、果物か何か?」
「ううん」
エルジルディンは首を横に振る。
「えっと、あまくて、黄色くて……柔らかいの」
そして、スープのスプーンで、何かすくうような仕草をする。スプーンで食べるもののようだ。
「どこで食べたの?」
聞いてみると、エルジルディンはボーッとした表情ながらも、ちょっと視線を上に向けて考えた。
「うーんと……ジンナの、お屋敷」
「ああ、そこかぁ!」
レイゼルは思わず声を上げた。
エルジルディンがアザネ村に来る前に暮らしていた、ジンナの領主グザヴィエの館。彼女はそこで『ぷい』を食べたのだ。
夕方になってシェントロッドが帰宅し、レイゼルの話を聞いてすぐにグザヴィエの館に向かった。
戻ってきた彼は、メモを手にしている。
「エルジーが風邪を引くたびに、ニネット殿が料理人に言って作らせていたものらしい。作り方を聞いてきた」
「どれどれ、うちで作れるかな。ええと……」
レイゼルはメモを読む。
「材料、卵と牛乳と砂糖だけですね。やってみます!」
スプーンですくうと、ぷるんと揺れる。
口に入れると、卵の風味と優しい甘さがトロリと広がり、喉をするすると落ちた。
エルジルディンはニコニコしながら、それを食べる。
「『ぷい』、おいしい」
「『ぷい』って、『プリン』のことだったのね。そういえば、私も王都時代にお店で食べたことがあったわ」
レイゼルが言って、自分も口に運ぶ。小さな器に入れて蒸して作ったプリンだ。
「なかなか上手にできた。栄養があるし、喉が痛いときでも食べやすいね」
「うん、美味い。なるほどな、幼かったエルジーに『プリン』は言いにくかったわけか」
シェントロッドも自分の分を食べている。
レイゼルはふと聞いてみた。
「そういえばリーファン族は、風邪を引いたときに決まって食べるものってあるんですか? 界脈から力をもらうから、そういう考え方はしないのかしら」
「体調の崩し方によるな。界脈にうまく寄り添えないような時は、普段よりも食べて栄養を得ることはある。これ、というものは思いつかないが」
「そうですか。じゃあ」
レイゼルはにっこりした。
「隊長さんが体調を崩した時も、プリンを作ることにしようかな!」
各家庭で、風邪を引いた時の定番の食べ物があるものだ。
森の家では、それは『プリン』ということになりそうである。
エルジーがペルップの所にホームステイするお話は書籍版3巻収録ですが、web版だけでもお話は読めるようにしてあります。




