第八十六話 百五十歳のお祝いは
そういえば第三部でシェントロッドは百五十歳になってたんだった! というあたりから生まれた小話です。このお話に登場するスプーンのエピソードは書籍2巻に収録されていますが、webのみでも話は通じるので大丈夫です。
食事が終わり、食器を洗っていたエルジルディンが、ふと言った。
「れーぜるせんせいとしぇんとろせんせいのスプーン、かわいい」
「ああ、それ」
レイゼルは彼女の手元をのぞき込む。
木製のスプーンだ。綺麗に形が整っているわけではないのだが、逆にちょっといびつなところに愛嬌がある。
「私が二十歳になった時、友達が作って贈ってくれたの。シェントロ先生の分も一緒に。……あ、そうだ」
レイゼルは提案した。
「エルジー専用のスプーン、ジョスに注文しようか」
孤児院出身のジョスは、現在は木工職人の弟子になっている。
エルジルディンは、ぱっ、と顔を明るくした。
「ほんと?」
「うん。だって、もうエルジーはお客さんじゃなくて、家族なんだし。五歳だし」
「んふ……」
嬉しそうにはにかみながら、エルジルディンは食器洗いを再開する。
「……ん?」
ふとあることに気づき、レイゼルは薬草をより分ける手を止めた。
(そういえば、隊長さんって今、何歳……?)
彼女は、界脈調査部時代のことを思い出した。
副部長だったシェントロッドが、彼の方の都合で、『レイ』に休むように言ったことがある。
『界脈士は五年ごとに、ナファイ北部のリーファン族の長に挨拶に行くことになってる。俺は今年百四十五歳だから、行く年だ。数日留守にするから、レイも仕事はなしだ』
シェントロッドがいなくても界脈調査部の仕事はできたはずなのだが、今にして思えば、彼のいないところでベルラエルが『レイ』を誘惑(?)するのを警戒したのだろう。
それはそれとして。
(あれは確か、私が薬学校二年生の時。隊長さんは百四十五歳だったと。それから、一、二、三……)
レイゼルは指折り数え──
──そして、パッ、と振り向くと駆けだした。
階段を上り、シェントロッドの部屋の扉をノックする。
「何だ」
短い返事ももどかしく、バターンと扉を開けたレイゼルは、言った。
「隊長さん、今年で百五十歳じゃないですか!」
「あ?」
書き物机に向かっていたシェントロッドが、振り向く。
「それがどうかしたか?」
「節目の歳でしょう、言って下さい! お祝いするのに!」
駆け寄ったレイゼルに、シェントロッドはちょっと身体を引く。
「あ、ああ。いや、別に俺はそういうのはいらないが」
「えぇ……お祝いしたい……もしかして嫌ですか?」
「嫌な訳じゃない。ただ、リーファン族には年齢を祝う習慣がないからな」
シェントロッドは手にしていたインクペンを置き、椅子をずらしてレイゼルに向き直った。
「祝いをすること自体は、エルジーも楽しめていいかもな」
「でも、せっかくだから隊長さんにも楽しんでほしいです。希望はありますか? 食べたいものとか、欲しいものとか」
レイゼルが尋ねると、シェントロッドは口の端を少し上げて微笑んだ。
「俺の希望は、もう叶っている」
彼の手が伸び、レイゼルの腰を引き寄せた。
「欲しいものはもう、この手の中にあるしな」
「隊長さ……わっ」
あたふたしているうちに、レイゼルはシェントロッドの膝に乗ってしまった。
「ん。満足だ」
シェントロッドはレイゼルの顔に頬を寄せ、本当にすっかり満足そうだ。
「えええー……」
求めていた答えと違う反応ではあったが、心地よいドキドキを感じて、レイゼルはおとなしく身体を預ける。
(それにしても、どうしよう。私にできることなんて、美味しいものを作るくらいだしなぁ。何か縫ったり編んだりしてみる? うーん、上手にできる自信がまったくない……)
ふと気配を感じて視線を動かすと、扉を開けたままだった部屋の入り口に、エルジルディンが立っていた。
彼女は表情を変えないまま、二人をじっと見ると、
「おじゃましました」
と頭を下げ、立ち去っていった。
「ちょ……た、隊長さん……見られる前に下ろしてほしかった……」
レイゼルは思わず両手で顔を隠す。耳のいい彼なら、エルジルディンが階段を上がってきたことに気づいていたはずだ。
彼はレイゼルの三つ編みをもてあそびながら答える。
「この間、エルジーに質問されたんだ。『しぇんとろせんせいは、れーぜるせんせいにあまりチューをしない。どうしてか』と」
「へ?」
ぎょっとしてレイゼルは顔を上げた。
シェントロッドは苦笑する。
「グザヴィエ殿は、ニネット殿にしょっちゅうしていたらしい。『なかよしで、いい』とエルジーは思ったんだそうだ」
「ああ……」
リーファン族はあまりベタベタしないのが普通なので、シェントロッドとしては人間族の夫婦と比較されても少々困ってしまう。
しかし、憎しみ合って別れたエルジルディンの両親よりも、グザヴィエ・ニネット夫妻の方を、彼女は好ましいと感じたのだろう。
「レイゼルはいつも、客の出入りの多い一階にいる。エルジーの生活時間帯に、俺とお前があまり触れ合っていないと言われても、人前だからだとしか……。だから、今みたいなタイミングで、エルジーが安心するならいいかと思ってな」
「な、なるほど?」
「というわけだから、たまには俺の部屋に来るように」
シェントロッドは改めて、レイゼルの頬に触れ、口づけた。
結局、レイゼルはシェントロッドの百五十歳のお祝いに、刺繍糸を使って組み紐を編んだ。フィーロで流行っているそうで、作り方をルドリックの兄嫁に教わったのだ。
「お守り代わりに。ちょ、ちょっといびつなんですけど……一応、手首に巻ける長さで作ったけど、何に使ってもいいです」
紐は指一本分くらいの幅のある平たいもので、緑と黄色と黒の糸を使って模様を編み込んである。レイゼルが編んだにしては、模様が一応ちゃんとわかる出来だ。
「ありがとう。俺たち三人の色だな」
シェントロッドはもちろん、左手首を出してレイゼルに結んでもらう。
組み紐は同じものがもう二本作ってあり、レイゼルがエルジルディンの手首に、そしてシェントロッドがレイゼルの手首に結んだ。
「みんなでお揃いのもの、ひとつくらいあってもいいかなって。隊長さんのためだけの贈り物じゃなくて、すみません」
レイゼルは言ったものの、彼女が三人の手首を見比べて嬉しそうにしているだけで、シェントロッドは幸せをもらった気分になったのだった。
ちなみにその後、興味を持ったエルジルディンが編み方を教わり、大変美しく編んでみせてレイゼルが凹んだのは、また別の話である。




