第八十三話 山の薬草摘みのルール(1)
秋の始めにフィーロ滞在を楽しんだレイゼルは、ほんの数日で疲れを回復させることができた。
やはり、家が界脈の上にあるということと、シェントロッドと暮らして安心しているということが大きいのだろう。
そして元気になると、またもや出かけたくてうずうずし始めたレイゼルである。
「隊長さん、あのー、ご相談が」
朝食の席で、レイゼルは遠慮しいしい切り出した。シェントロッドはスプーンを持つ手を止める。
「何だ」
「またちょっと、行きたいところが……あっ、今度はすぐ近くなんですけど。西の山です」
「山? 薬草採取か?」
「ええと、そうですね」
レイゼルはうなずいた。
彼女たちが暮らしている森でも、様々な薬草や薬効のある実などが採れるが、村の西側にそびえる山には山で、そこにしかない植物があるのだ。
「それはもちろん、構わないが。なぜ俺に断る?」
シェントロッドは軽く眉を上げて、疑問の意を示した。
水車小屋から登山道の入り口は比較的近く、一人で行ける距離だ。今は主な生活の場をこの家に移しているとはいえ、ごく普通に「行ってきまーす」と出かければいいものを、わざわざ「ご相談」などと言い出す理由が彼にはわからなかった。
レイゼルは視線を泳がせる。
「あのですね。私、この森の中なら、何がどこに生えているか、必要なものはだいたい知ってて、採取しに行けるんですが」
「ふん」
「西の山はほとんど行かないので、よく知らないんです。でも、いい薬草が色々あるという話は聞いていました。それで、歩き回って、生えている場所を確かめて覚えたいなと、以前から思っていて」
「で?」
「そうすると、何か採取して帰ってくるだけじゃなくて、じっくり歩き回るので、かなり時間がかかるわけですが……実は山の中腹に、村が管理している山小屋が」
彼女の言いたいことを理解したシェントロッドは、すぐに言った。
「泊まりで行きたい、ということだな。俺も行く」
「あの、でも」
レイゼルは、彼のその言葉を予想していたが、元々は一人でも行けるという話をしておきたかったのだ。
「きっと隊長さんはそう言って下さるだろうなとは思ったんですが、お仕事があるのに、長い時間つきあわせるのは申し訳ないです。険しい山じゃないですし、大型動物はもっと上の方なので、心配はいらないかと」
しかしシェントロッドは即答した。
「お前が山で一泊、というだけで十分心配だが?」
「ですよね」
そういった部分では信用がないレイゼルである。
シェントロッドは目元を和らげた。
「ゴドゥワイトでお前の助手としてくっついて回るのも、なかなか楽しかった。休日にお前と山で過ごすのも悪くない」
「そ、そうですか……? それなら、いいんですけど」
少しホッとして、レイゼルは続けた。
「あの……エルジーを連れて行っても、大丈夫だと思います?」
「……そうだな」
シェントロッドは考える。
確かに、どこに何が生えているかというのは弟子にも必要な知識だろう。
「エルジーはあまり疲れるようなら、すぐに界脈を通って帰れるからな。一緒に連れて行こう」
「はい!」
レイゼルはにっこり笑ってうなずいた。
というわけで、次のシェントロッドの休日に、三人は山に出かけることになった。
エルジルディンも一緒に出発するために、前日から森の家に泊まっている。
「お外で、お泊まり!」
頬を上気させたエルジルディンは、少し興奮しているようだ。レイゼルは、ああ、と思い当たる。
「そういえば、エルジーにはそんな機会がこれまでなかったよね」
エルジルディンは、人間族の王女を母に持つ。王城で生まれ、ジンナ領のグザヴィエ・ニネット夫妻の屋敷に引き取られて育ったので、『深窓の姫君』だったと言えなくもない。
そんな生活環境では当然、野宿などしたことがなかった。
一方、レイゼルは幼少期を山際の森で過ごしているせいか、森や山を身近なものに感じている。いつぞやは、一人で出かけた森の中でうっかり昼寝してしまい、日のあるうちに帰れなくなって、「じゃあ野宿」と決めたこともあった。
「隊長さん……は界脈士ですし、外に出ずっぱりですよね。子どもの頃からですか?」
レイゼルが聞いてみると、シェントロッドはうなずく。
「界脈士の素質のある子は、集められて訓練を受けるからな。森や山での野宿もあった。山は色々と不慮の事態も起こる場所だ、俺も常に界脈には気を配っておく」
「ふふ、エルジー、シェントロ先生がいれば安心だね」
レイゼルが笑いかけると、エルジーも真顔でうなずいた。
「……そういえば」
ふと、シェントロッドが顎を撫でながら、何か思い出す表情になる。
「界脈がらみで、子どもが山に入る時に気をつけた方がいいことがあると長老に言われたような気がするが……何だったか」
「大事なことですか?」
「山は、他の場所に比べて界脈の力が強くなるんだ。子どもはそれに影響されやすいとかなんとか、そんな話だったと思うが、百年前の話だしな」
「百年前」
さすがに百年も経つと、リーファン族も細かいことは忘れる。
シェントロッドは軽くため息をついた。
「まあいい。とにかくエルジー、俺やレイゼルから離れないようにしろ。何をおいてもこれだけは守ってもらうぞ、いいな」
「はい」
神妙な顔で、エルジーはうなずいた。
レイゼルは声をかけた。
「さぁ、支度しちゃいましょう。えーと、夜は冷えるから毛布を持っていかないと。それから」
立ち上がった彼女に、シェントロッドが声をかける。
「必要なものがあれば俺が行き来して運ぶから、最小限でいい」
「あっ、そうでした。すごいなー、やっぱり界脈を通れるって便利ですねぇ」
レイゼルはシェントロッドとエルジルディンの顔を交互に見て、面白そうに笑った。
「じゃあ、お昼ご飯と飲み物と……あとは道々薬草を摘むと思うので、カゴとナイフがあればいいかな?」
そんなわけで翌朝、レイゼルにしてみたらとても山登りするとは思えないほどの軽装で、三人は出発した。
アザネ村を南北に貫く農道を横切り、牧草地の間を抜けると、だんだん木が増えてきた。靴が地面を踏むときの感触が変わってくる。
やがて、木の杭が二本、門のように立っているのが見えた。登山道の入り口だ。
「薪を取りに山に入る人もいるし、この山から尾根づたいに南へ行く人もいるから、道はしっかりついてるはず。よし、行こう!」
レイゼルが歩き出すと、横からエルジルディンが追い抜いて、先頭を切って登り始めた。無言だけれど、足取りは弾んでいる。
「張り切ってるね、エルジー」
「疲れないようにな」
レイゼルとシェントロッドは声をかけた。
落ち葉が積もってしっとりと湿った地面は、緩やかな登りになっている。少しずつ斜面はきつくなり、道は細く、山道らしくなった。
木々は鬱蒼として、あたりはやや暗い。嵐で倒れたのか、倒木が斜めに他の木によりかかっている。三人はその下をくぐって、登山道を進む。
エルジルディンは所々で止まって二人を待っては、また先へと登っていた。
「大丈夫ですかね……?」
レイゼルがささやくと、シェントロッドが答えた。
「見える範囲にはいるしな。危険な時は教える」
彼はもちろん、周囲の界脈に注意を張り巡らしている。異変があれば感じ取ることができるはずだ。
「俺は何度もエルジーと一緒に界脈を渡っているから、あの子の界脈流は覚えている。道を外れたとしても、すぐに探し出せる。お前はとにかく自分に気をつけろ」
「はいっ」
レイゼルは肩をすくめた。
ご無沙汰しております。
11月中に更新するつもりが、3巻の刊行月になってしまいました。この「山の薬草摘みのルール」のお話はなろうさんのみのもので、3巻には載っておりません。もう少し続きます(全3話くらいかな?)。
活動報告に3巻の書影を上げましたので、可愛いエルジルディンを見てやってくださいませ!




