第八十二話 初デート!
界脈の上に建てられた新居に住み始めて、数ヶ月が経った。
レイゼルは例年よりも、安定した体調で過ごすことができている。
「リーファン族って、すごいですねぇ」
この場所を選んだシェントロッドに感心しつつ、彼女は元気に働いていた。しかし元気なら元気で、やはり心配になるのがシェントロッドである。
「油断して働きすぎるなよ。雨の日などはしんどそうじゃないか」
「はい、ちゃんとそういう時は休みますね。エルジーもお手伝いしてくれるし」
レイゼルは答えたものの、やはり何やらウズウズするのを抑えられない。
そしてある日、言った。
「季節もいいし、フィーロに行ってきていいですか? 去年は行けなかったし、一昨年はひったくりに遭って、やりたいことがあまりできなかったので、また行きたいんです」
「それは構わないが……」
移動にもかなりの体力を使うレイゼルである。もう少し楽な移動方法はないかと、『同行』についても二人は検討した。
しかし、失敗するとレイゼルの界脈流が傷つく恐れがあるし、睡眠薬もレイゼルの場合は使うこと自体が心配……ということで、見送られた。緊急の時だけにしておいた方が良さそうだ。
「フィーロでの宿は、以前と一緒だな?」
当然、シェントロッドは様子を見に行くつもりだ。
「はい。エルジー、四日後に帰ってくるから、『庭』でシスターの言うことを聞いていい子にしていてね」
レイゼルはエルジルディンに言いおいて、ルドリックの馬車で出発していった。
前回同様、フィーロに到着してすぐ動けなくなったレイゼルだが、しっかり休んだためか、翌朝起きた時にはだいぶすっきりしていた。
「よし、まずは本屋さん!」
フィーロの中央広場に面している、大きな書店に行く。
薬種の最新の研究書から、他種族との交流について書かれたエッセイ、エルジルディンの好きそうな物語、さらにレース編みのパターン集まで、興味のある本をじっくり選んで数冊買い込んだ。
もうそれだけで荷物が重くなってしまい、レイゼルはいったん宿に戻ることにした。
宿の女将に荷物を預け、さて……とレイゼルは考える。
(隊長さん、今、どうしてるかなぁ)
もちろん、シェントロッドはフィーロ本部で仕事中のはずである。
しかし、前回フィーロに来た時、彼はレイゼルの様子を見に来てくれた。その流れで引ったくりを捕まえてくれたのだ。
(お仕事の邪魔をするつもりはないけど、無事に着いて楽しんでますよって、こう、ちらっと会って話……せないかなぁ)
しばらくまごつき、それから決める。
(ほ、本部の近くまで行ってみよう! 偶然会えるかもしれないしね。よし!)
気合いを入れたレイゼルが、宿屋の扉を開けて外に出たとたん。
長身の男とぶつかりそうになった。
「わっ、済みませ……」
「レイゼル」
「隊長さん!」
会いたかった当の本人が目の前に立っていて、レイゼルはあわてた。
「え、どうしたんですか、見回りですか!?」
「お前の様子を見に来たに決まっているだろう」
シェントロッドは当たり前のように言う。
「色々買い物をすると言っていたが、お前はどうせそんなに荷物を持てない。買い込みすぎて、昼には置きに戻ってくるだろうと思った」
大正解である。
「隊長さん、鋭すぎ……」
「お前がわかりやすいんだ。元気そうで良かったが、あまり夢中になりすぎるなよ」
「はい……」
「さてと」
シェントロッドが一瞬、彼女から視線を逸らしたので、もう行ってしまうのかとレイゼルは焦った。
「あ、あのっ」
「ん?」
「隊長さんは、あの、すぐにお仕事に戻っちゃうんですか?」
すると、彼は面白そうに目を細める。
「戻ってほしくなさそうだな?」
「いえっ、その……」
「昼食は?」
「あ、まだです。どこか美味しいところがあれば、外で食べたいなって」
「俺は今、昼休憩だ。お前が食事をするなら付き合おう。こっちだ」
シェントロッドはレイゼルの背を軽く押して、通りを歩き出した。心当たりの店があるらしい。
表通りは、大勢の人が行き交っている。
シェントロッドはレイゼルが歩きやすいよう、人通りの比較的少ない裏通りに入った。彼はフィーロを熟知している。
「お前一人の時は、なるべく表通りを歩け」
「はい。……初めてですね、一緒に町を歩くなんて」
レイゼルはちょっとドキドキしながら、隣のシェントロッドを見上げる。
「ゴドゥワイトであちこち行きましたけど、あの時は私のお仕事がらみだったし」
そう言われると、シェントロッドも少し意識してしまい、視線を泳がせた。
「まあ……そうだな。王都でも当然、出かけることなどなかったしな……」
つまりこの二人、甘酸っぱい初デートなのである。
途中、雑貨屋の前を通りかかった。
「隊長さん見て、リボン売ってます! エルジーの髪が伸びてきたし、お土産に買って帰ろうかな」
「ああ……その色とかいいんじゃないか」
軍服姿の警備隊長が、ほっそりした小柄な人間族女性と仲むつまじく買い物している様子は、割と目立った。通行人の中にはチラチラと見ていく者もいる。
しかし、レイゼルはシェントロッドと過ごす時間が嬉しくて、視線が気にならない。一方、シェントロッドの方はいつも「リーファン族の警備隊長」としてこの町では目立つ存在であり、視線には慣れていて、やはり気にならない。
この二人なのに意外と、ちゃんと『二人だけの世界』であった。
シェントロッドがレイゼルを案内したのは、警備隊本部の一本裏手、比較的静かな立地の店だった。
花屋を兼ねているらしく、店内の半分は鉢植えや切り花で華やかに溢れ、食事をする人々の目を楽しませている。
「野菜中心のお店じゃないですか! お茶も美味しそう」
黒板に書かれたメニューを見て、レイゼルが声を上げた。シェントロッドはうなずく。
「本部の外で一息つきたいこともあるから、そういう時にここにくる。俺は飲み物くらいしか頼まないが、人間族の隊員がここはパンも美味いと言っていた」
なぜ飲み物しか頼まないのかといえば、リーファン族にとって食事はたまにすれば十分足りるもので、後は嗜好品として楽しむ程度のものだからだ。
シェントロッドにはレイゼルのスープがあるため、他で食べる必要がないのである。
「でも、テーブルも椅子も人間族用って感じですね?」
「俺はいつもカウンター席だ。どうせ一人だし、あそこは高く作られている」
「じゃあ、今日は私もカウンターで!」
やや高い椅子に、レイゼルはよいしょと座った。シェントロッドも隣に座る。店内でもやはり、目立つ組み合わせの二人である。
テーブル席で向かい合わせに座るより、カウンターで隣り合わせの方が、距離が近い。そんな事実も、レイゼルをドキドキさせた。
レイゼルの注文した定食が運ばれてきた。
「パン、焼きたて! 確かにこれは美味しい……! うわ、立派なガスパラス。揚げ浸しって美味しいですね! あ、カショイモの蜂蜜煮も美味しーい」
彼女は食事を楽しんだが、普通の大人一人分の定食は、やや量が多かった。
「あのー、隊長さん、少し食べてみませんか……?」
「ん」
結局、二人で分けて食べた。店員はニコニコしながら、その様子をこっそり眺めている。
レイゼルは満足そうに、店の中を見回した。
「ここに来れて、嬉しいです」
「そんなに気に入ったか?」
「お店もとっても気に入ったんですけど、隊長さんの行きつけのお店に来れたことが嬉しくて」
彼女はちょっと恥ずかしそうに、シェントロッドに笑いかける。
「これからは、アザネ村で一人で食事をしている時、隊長さんも今ごろあのお店で休憩してるかな、って想像できるので!」
そんな言葉が可愛らしく、人前ではあったが、シェントロッドはちょっと指の背でレイゼルの頬を撫でてみたのだった。
「これからまた買い物か? 気をつけろ」
「はい。隊長さんも」
食事の後、表通りに出たところで、シェントロッドは仕事に戻り、レイゼルは市場に向かって立ち去ったのだが──
──本部の隊員たちに、二人の姿はばっちり目撃されていた。
「あれ? あの二人って別れたんじゃなかった?」
「いつの話してんだよ、隊長が一時的にアザネ村に行かなくなっただけだろ? 別れてないよ」
「でも、一緒に暮らしてるって話はガセだったんだよね?」
「だからそれもいつの話だよ、この春から一緒に暮らしてるんだってさ」
「そういえば隊長、家を建てたって……あの子と暮らすため? うわー」
「俺、もう子どももいるって聞いたけど」
「えっ」
「えっ」
「違うって。薬湯屋のあの子が弟子をとったんだって」
「お前、何でそんな詳しいの?」
好き勝手ウワサした隊員たちだが、この話は、
「隊長が幸せなら良かった」
で落ち着いた。
その後、レイゼルはこの日のことをリュリュに手紙で報告したのだが。
「二人で買い物して、ソロン隊長の行きつけのお店に連れて行ってもらって、食事を分けて食べた? っほぉーっ、『らしい』ことしてるじゃない。ソロン隊長ったら意外とそっち方面はマトモね」
リュリュはニヤニヤしながらも感心したのだった。




