第八十一話 冗談と本気
毎年夏に、ディンフォラス国で流行する、ディラジア病。その薬の材料になるバニ草の栽培は、最近ナファイ国でも始まっている。
これをきっかけに両国の交流が始まり、ディンフォラス国から使節団が来ることになった。ディンフォラスのリーファン族は、今まではレド川周辺の自由国境地帯までしか立ち入ることを許されなかったのだが、監視付きでならナファイに短期滞在することが認められたのだ。
使節団はまずリーファン族のナファイ王に挨拶し、それから団の構成員それぞれが、自分の専門分野の者と交流を持った。
「シェントロッド・ソロン殿。また世話になる」
シェントロッドの前に立っているのは、灰色の軍服姿のリネグリンである。ディンフォラスの国境警備隊副隊長の彼も、使節団の一員なのだ。
フィーロの隊舎を案内しながら、シェントロッドは少し呆れて言った。
「なぜロンフィルダ領の視察を選んだ? 俺は人間族の警備隊に出向している形だから、リネグリンの仕事の参考にはならないだろう」
「そうでもない。俺も人間族と交流することが増えたので」
「あぁ……なるほど」
そもそも、リネグリンとウストのかかわりから両国の交流も始まったのだったと、シェントロッドは思い出す。
正反対のタイプに見える二人は、意外と馬が合うらしい。というか、空気を読まないウストがグイグイ行くので、リネグリンが仕方なく相手をしているうちに……という感じだ。
「実は、ウストから頼まれたことがあって……アザネ村に寄っても構わないだろうか」
リネグリンに言われ、シェントロッドは軽く眉を上げる。
「アザネ村?」
「レイ、という名の薬湯屋に、伝言と届け物を頼まれた」
「…………」
(そういえば、前にウストの話をレイゼルとしたが、まだウストは少年『レイ』だと思っているわけだ)
シェントロッドは考える。
わざわざ手紙で明かすのも変ですしね、とレイゼルは苦笑いしていたので、バレること自体は問題ないのだろう。
「わかった。視察の最後に寄ろう」
彼はうなずいた。
森の中に、真新しい二階建ての家が建っている。界脈の恵みを受け、澄んだ小川の流れる音も涼やかな、落ち着いた雰囲気の家だ。
「ここが薬湯屋か」
リネグリンの言葉に、シェントロッドは「まあ、そうだ」とうなずきながら扉を開け、声をかけた。
「レイゼル」
作業台の前で、三つ編みを揺らせながらレイゼルが振り向いた。
「隊長さん、おかえりなさい」
「おか……?」
リネグリンは彼女を見て、一瞬目を見開いてシェントロッドに視線を走らせた。
レイゼルの隣でエルジルディンも振り向いたが、浅黒い肌のリーファン族がいるのを見て、ビクッとしてレイゼルのエプロンを握った。
シェントロッド以外のリーファン族に、彼女はいい思い出がない。
シェントロッドは、二人の顔を見ながら声をかけた。
「エルジーは勉強中だったか、悪いな。レイゼル、お前に客だ」
「あっ、はい。いらっしゃい!」
レイゼルは挨拶しながら目を見開いた。
「ディンフォラスの方ですね? まさかうちにも来て下さるなんて」
「…………」
リネグリンは珍しく、絶句している。
シェントロッドはレイゼルからエルジルディンを引き取り、抱き上げながら説明した。
「リネグリン、ウストが『レイ』と呼んでいる男は、実は彼女のことなんだ。少々、事情があってな」
リネグリンは、レイゼルとエルジルディンとシェントロッドを順番に見つめ、一言。
「今驚いているのはそこじゃない」
リネグリンは、シェントロッドとレイゼルが一緒に暮らしているらしいこと、そしてエルジルディンがシェントロッドとレイゼルの実の子だと思ったために驚いたわけだが、事情を聞いても尚、驚きが冷めやらない様子だった。
「団長殿が混血の子を引き取って、人間族と一緒に育てている……ということか。何というか……新しいな」
唸ってから、改めてレイゼルに向き直る。
「失礼。ディンフォラスの国境警備隊副隊長、リネグリンだ。もしかして、団長殿が以前話しておられた、ソロン家に実力を認められた薬湯屋というのは、おま……君か」
「はい!?」
レイゼルはびっくりしてシェントロッドを見上げる。
「隊長さん、そんなこと言ったんですか!? 一度イズルディア様の依頼を受けただけなのに大げさです!」
「やっぱり言われた……」
シェントロッドがぼそぼそとつぶやく。
レイゼルはあたふたとリネグリンを見る。
「レイゼルと呼んで下さい。本当に、ただの薬湯屋なんですよ」
「では、レイゼル。ウストからこれを預かった」
リネグリンは懐から、やや厚みのある封筒を取り出した。
レイゼルは礼を言って受け取り、さっそく封を切る。
中から、なにやら乾燥した実がたくさん出てきた。
「わ、サシーシだわ! 手に入りにくいんです。これからの季節によく使うから助かるな。えっと」
手紙に目を通したレイゼルは、うふふと笑った。
「代わりにライハンかルグサの種があったらくれー、って」
「貴重なものなのか?」
シェントロッドに聞かれ、レイゼルは首を横に振る。
「そうでもないですけど、ナファイ中部のリーファン族が栽培している薬種なので、南の、しかも人間族の村まではちょっと回りにくいのかも。両方ともうちにあるので、リネグリンさん、ウストに持って行っていただけますか?」
「わかった」
リネグリンはレイゼルをじろじろ見ながらうなずく。
レイゼルはニコッと笑い、そして突然、言った。
「よかったら、薬湯をお作りしましょうか」
「あ? ああ……では頼む。お手並み拝見だ」
リネグリンはうなずいた。
「そんな大げさなものじゃないですって」
困り顔になりながらも、レイゼルは立ち上がって薬草棚をあちこち開け始めた。
「ディンフォラスは暑いし、湿度が高いですよね。湿度が高い土地の人は、胃が弱りやすいんです。身体の中の水分を巡らせて、余分な水分を出して、胃を元気にする薬湯を作りましょう」
レイゼルは薬研の中に、薬種を一つ一つ入れた。
「ライハンは、葉っぱも茎も根っこも全部使います。余分な水分を出す、夏の薬湯には必須の薬種ですね。それからルグサの茎と根、この香りが胃の働きを助けます」
いつの間にか、エルジルディンがシェントロッドの膝から降り、レイゼルの横にいた。
「やってくれるの?」
レイゼルが聞くとうなずき、薬研の中の茎や根を薬研車でつぶし始めた。車を転がさず、擦るように動かしていて、なかなか慣れている。レイゼルに教わったのだろう。
エルジルディンが荒く潰した薬種を、レイゼルは土瓶に入れ、さらに薬種を追加した。
「ウストにもらったサシーシは、身体の熱を取ってくれます。後は、界脈流を安定させるチャグリンの葉を入れて、ミュントの葉で調和させて」
土瓶に水を注ぎ、レイゼルは火脈鉱を使って煎じ始めた。
薬湯の香りが漂い始める。リネグリンはシェントロッドと話しながら、その様子を眺めていた。
やがて、できあがった薬湯がカップに注がれた。
「どうぞ」
レイゼルからカップを受け取り、リネグリンは一口、口に含む。
「お」
彼は目を見張った。
「俺の界脈が……整っていく。繋がる……」
とたんに、レイゼルがクスクスと笑い出した。シェントロッドが「どうした?」と聞くと、彼女は答える。
「隊長さんに初めて薬湯を作った時とおんなじことを、リネグリンさんが言ったので」
「……そうだったか?」
「一字一句、同じですよー」
「よく覚えているな」
「そりゃあ、覚えてますよ」
レイゼルは頬をわずかに染め、そしてリネグリンを見た。
「リネグリンさん、ウストの手紙に書いてあったんです。同封したサシーシを使って、リネグリンさんに合う薬湯を作ってみてくれ、って」
「あ?」
「ライハンとルグサの種がほしいのも、リネグリンさんを始めとしたディンフォラスのリーファン族のためなんですって。リーファン族との交流が始まって、ウストもしっかり準備するつもりみたいですね。私ならどんな薬湯をリネグリンさんに作るか教えてほしいとのことだったので、作ってみたんですけど……どうですか?」
「いい。とても、俺に合っている」
「よかった! じゃあ、処方箋を書いて同封しますね。ウストに言えば、今日のこれと同じものを作ってくれますよ」
レイゼルは作業台に紙を置き、書き始めた。横からエルジルディンが興味深そうに覗いている。
「レド川周辺でお仕事をしていると、界脈流が乱れると隊長さんに聞いていたので、やっぱり界脈流を安定させる薬種は絶対ですよね……。よし、書けた。あと、ライハンの種と、ルグサの種」
封筒を出してきて、必要なものをすべて入れて封をすると、レイゼルはそれをリネグリンに両手で差し出した。
「じゃあこれ、お願いします!」
受け取りながら、リネグリンはレイゼルを再びまじまじと見つめる。
「レイゼルみたいな薬湯屋なら、うちの隊に欲しい」
「わぁ、ありがとうござむぐっ!?」
突然、抱え込まれてレイゼルは目を丸くした。
いつの間にか背後に回っていたシェントロッドが、レイゼルを羽交い締めにしたのだ。
驚いたレイゼルが首をひねり見上げると、シェントロッドはじろり、とリネグリンをにらんでいる。
「悪いが、彼女は俺の専属だ。渡せない」
リネグリンは淡々と答える。
「そうか、残念だ」
シェントロッドはリネグリンと共に王都に移動し、彼が使節団の人々と合流するところまで見届け、再び家に帰ってきた。
すでに夜になっており、森の家の玄関横にはランプが吊され、穏やかな光をあたりに広げている。
ランプを外して中に入ると、ちょうどレイゼルが奥の部屋から出てきたところだった。
「隊長さん、おかえりなさい! エルジー、寝ましたよ」
「そうか。今日は泊まる日か」
彼はうなずきながら作業台にランプを置くと、レイゼルに近寄った。
そして、レイゼルを軽々と抱き上げ、「わっ」と驚く彼女を膝に乗せながら、どすんとベンチに座る。
おそるおそるシェントロッドの顔を見上げ、レイゼルは聞いた。
「あの……何か、怒ってますか?」
「ふん」
彼は鼻を鳴らす。
「リネグリンに求められて、礼など言うからだ」
「ええ? でもほらっ、リネグリンさんが社交辞令でも褒め言葉を言ってくれて」
「人間族とは違う。リネグリンは、本当にお前が欲しいから欲しいと言ったんだ」
「えええ? ……冗談でもなく?」
レイゼルは戸惑うが、まだシェントロッドはむっつりしている。
確かにレイゼル自身、リーファン族は冗談を言わないな、という認識があるにはあるのだが、つい自らの種族の考え方に引きずられてしまうのだ。
ちなみに以前、シェントロッドがレイゼルに「お前は俺のベッドに来ればいい。……冗談だ」とか言ったのも、全然冗談じゃなかったりする。『人間族っぽく』紛らせてみせただけである。
「お前を欲しがる奴は、王都時代からいただろう? リネグリンもそうだったし、これからもいるかもしれない」
シェントロッドの大きな手が、レイゼルの頬を撫でる。
「だから、俺の専属だと言った。リーファン族ならこれで、お前に手出しする奴はいなくなる」
ソロン家の者にそう言われて、レイゼルを横取りする度胸のある者などいない。
「そ、そこまで」
レイゼルが言葉に困っていると、ようやくシェントロッドの表情から怒りが消え、彼女の様子を窺う風になった。
「嫌なのか」
「嫌じゃないです、びっくりしただけで。……考えてみると、助かるかも」
ちょっと頬を染め、レイゼルは微笑んだ。
「だって、よそでのお仕事を考える余裕なんて、ないですから。私、人間族だし、ただでさえ身体が弱いし、大事なことをたくさん抱えていて、もういっぱいいっぱいだもの。村の役に立つことと、エルジーを育てること。それから、隊長さんと……一緒に過ごすこと」
「…………」
シェントロッドはじっとレイゼルを見つめ、やがて目を細めてにやりと笑った。
「可愛らしいことを言う。冗談じゃないだろうな?」
レイゼルは顔を真っ赤にしながら言い募った。
「じ、冗談じゃないです本気ですっ!」
「わかっている。冗談だ」
「んん!? どっち!?」
レイゼルは、混乱している。
シェントロッドは笑いながら、彼女の小さな頭を抱え込むようにして抱きしめた。
こうしてすっぽり包み込んでいると、レイゼルの界脈流が繊細に、そして穏やかに流れているのを感じ取れる。
自分の持つしなやかで強い界脈流と寄り添わせると、最初は緊張している彼女の流れが、やがて向こうからも無意識に寄り添ってくる。
顔を覗くと、レイゼルは目を閉じ、安心したような面持ちでシェントロッドの胸に頬を寄せていた。
(もっとレイゼルが俺の腕に抱かれることに慣れれば、一晩中こうしていてやるのに)
早くその日が来るといいと思う、シェントロッドだった。




