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第八十話 特別な存在

 この冬、結局レイゼルは、またペルップのところで療養する羽目になった。

 死んだと思っていたエデリが現れただけでも、心に大きなダメージを負ったのに、エデリが本来受けるはずだった刑罰に処せられたのも一因だ。彼女は逃亡後も罪を重ねていたので、もはや逃れようもなかった。

 彼女がアザネ村に来た時に乗っていた馬は、警備隊の一員となっている。

 

 レイゼルはピリナがつきっきりで世話を焼き、シェントロッドがしょっちゅう様子を見に行き、アザネ村の人々が差し入れしまくったことで、多くの愛情に包まれて心を回復させていった。


 シェントロッドが見舞いに来る度、二人は色々な話をする。


「お前の仕事時間に仕事を詰め込んだのは、お前の手が空くとベルラエルに持って行かれるからだ」

「もしかして、めちゃくちゃ細かいダメ出しも……」

「ほとんど難癖で済まなかったな。しんどかったか」

「しんどかったですよぅ」

「しかし王都にいたころは、それほど寝込んでいる様子はなかったな」

「学校での勉強で、心が充実していたからかも……薬学校、憧れだったので。でも、休みの日は下宿でほとんどベッドでした」

「そうだったのか」

「界脈調査部の皆さんは、お元気ですか?」

「ああ。受付のあいつが、王都にレイが立ち寄ることがあれば調査部にも顔を出せと言っていた」

「行きたいなぁー、でもいつになるか……」

「ベルラエルがいるのに、行くのはやめておけ。せっかくあいつの目をレイゼルから逸らさせたのに」

「ちょ、え、どうやって……?」

「まあ、ちょっとした策をな。ああ、そういえば昨年、お前の友人のウストに会ったぞ」

「はい!? 聞いてません、何で!? どういうことですか!?」


 ようやくできるようになった、王都時代にまつわる話である。

 アザネで再会してからの三年だけではなく、それよりも前にあった王都での三年間は、出会いの大切な思い出だ。二人の距離を、ますます縮めてくれる。


 しかし、レイゼルはやはり『恩』のことを気にした。

「何か、少しでもお礼をしたいです。人間族なりにお礼をしていこうと思っているのに、結局、お世話になりっぱなしになっちゃってるんですよ、私……」

 しょんぼりするレイゼルに、シェントロッドはあっさりと言う。

「俺も世話になっているし、恩のことは忘れろ。人間族は、家族の間で貸し借りなどあるのか? ないよな?」

「か、家族っ?」

 ひっくり返った声でレイゼルが聞き返すと、彼はたたみかけた。

「俺とお前でエルジーを育てるなら、それは人間族で言う『家族』だと思うが、違うのか?」

 不意に、レイゼルの目に、涙が浮かんだ。

「ちがわない、と、思いま……ふえぇ」


「おーい」

 部屋に入ってきたペルップが、半目になって二人を見る。

「そこのリーファン族さん、レイゼルの熱がまた上がるぞー」

「す、済まない」

 珍しく口ごもったシェントロッドだが、レイゼルは熱に潤んだ瞳でペルップを見る。

「ごめんね、ペルップ……。でも私、すごく、治ってる! って感じがする」

「そうなのか?」

 彼女の様子を見るペルップに、レイゼルはうなずいた。

「うん。ずっと身体に残っていた毒が、隊長さんのおかげで、やっと抜けて行くみたいな。そんな感じ」


「……」

 シェントロッドは黙って、彼女の手を握った。


 レイゼルが再び、『特別な絆』を感じられるようになること。

 それは、アザネ村に長く残っていた傷が、ついに癒えるということを意味していた。 



 起き上がれるようになった頃に一度、シェントロッドに連れられて、エルジルディンが見舞いに来た。


 小さなエルジルディンは、ペルップの店の椅子に腰かけるレイゼルに駆け寄り、レイゼルの額に手を当てていっちょ前に熱をみたりしている。

「大丈夫だよ、エルジー」

「エルジー。レイゼルが、お前に話があるそうだ」

 シェントロッドは言って、エルジルディンの脇にひょいと手を入れ、もう一つの椅子に座らせた。


 レイゼルは、きょとんとしているエルジルディンと向かい合う。

「あのね」

 ドキドキしながら、レイゼルは打ち明けた。

「もしエルジーがそうしたかったら……私のところで、薬湯についてお勉強してみてほしいと、思ってるの。どうかな」

 はっ、と見開かれた緑の瞳が、たちまちキラキラときらめいた。

 その光が、レイゼルの頬をほころばせる。

「エルジーが元気でいる助けになると思うし、大人になった時に私みたいなお仕事をしてみたいと思ったら、そうできるでしょ」 


 すると、エルジルディンは口をパクパクさせ始めた。

 何か話そうとしていることを察し、レイゼルとシェントロッドは待つ。


 エルジルディンは大きく深呼吸してから、厳かに言った。

「…………せんせい」

「せっ、先生!? 私!? いいよ別にレイゼルで、えっと」

「せんせい。れーぜるは、せんせい」

 妙にはっきりと言ったエルジルディンは、次にシェントロッドを見上げる。

「……しぇんとろ、せんせい?」

「俺もか? まあ、そうだな。俺はお前にリーファン族のことを教えるから」

 シェントロッドは軽く、口の端を上げる。

「二人も先生ができて、いいな? エルジー」

「せんせいと、せんせい」

 彼女は深くうなずく。


 レイゼルはくすくすと笑いながら言った。

「春になって、私がアザネ村に戻ったら、私と隊長さんと一緒に勉強しようね」

「ん!」

 エルジルディンは、大きくうなずいた。



 そうして、春になり――


 アザネ村に戻ってみて、レイゼルは仰天した。

「新しい家を、建てるんですか!?」

 シェントロッドが村の大工に頼み、東の森の中に新しい家を建設し始めていたのである。


「三人で過ごす時間が増えるなら、お前の店より広い場所が必要だと思った。もちろん、水車小屋も使えばいいし、ここも使えばいい。俺もそろそろ自分の家が欲しいことでもあったしな。新居の場所は界脈の上を選んだから、お前の身体にもいいだろう」

 設計図を手にしたシェントロッドは、ちゃっちゃと話を進める。

「いきなりずっと三人で過ごす訳じゃない。しばらくエルジーは孤児院から午前中だけ通う形にした方がいいと、シスター・サラとも話した。お前に負担がかからないようにな」

「ええと、それはありがたいんですが」

「俺はそもそも、ロンフィルダ領内のあちこちに行かなくてはならないから、いつもいるわけではない。一日中一緒に過ごすより、こういう方が、レイゼルも慣れやすいだろう」

「た、隊長さん」

「家具やかまどなどは、レイゼルが細かいことを決めたらいい。仕事をしやすいようにな。ああ、天井の高さだけは、俺が決めさせてもらったぞ」

「えええ」


 展開が急すぎて、ポカーンとするレイゼルである。

(でも確かに、隊長さんはいつも水車小屋で狭苦しそうにしていたし……いずれエルジーが住み込み弟子になって成長したら、きっと私より背が伸びるだろうし……そうよね。一緒に暮らすって、そういうことなんだ)


 振り向いた彼女は、灰色の瞳でシェントロッドを見上げた。

 シェントロッドの緑の瞳が、見つめ返す。

「どうした」

 レイゼルは彼を見たまま、パッ、と両手で頬を押さえた。

「私、すっごいニヤニヤしてますよね。どうしよう。未来ってこんなに、楽しみなんだなぁ」

 そんな彼女を見て、シェントロッドも珍しく笑い声を漏らした。



 ちなみに、村長の家のもめ事だが、無事に解決した。

 実はルドリックの兄嫁は、子どもたちを通じてフィーロで同年代の友人ができていたのだ。アザネ村には同年代の女性がいなかったので、初めてのことだった。

 そんな大切な友人と離れがたいという気持ちを、ルドリックの兄がくみ取らなかったようで、夫婦喧嘩の原因になっていた。

 ルドリック兄は兄嫁に気を配るようになり、兄嫁もまた今まで夫だけが担っていた仕事を学ぶことで、自分もフィーロに取引に出かけるようになったため、アザネに戻った現在でもたびたび友人に会うことができている。

 離婚の危機は、回避されたのだ。


  

 初春に元気な男の子を産んだリュリュは、夏になってようやく、夫と息子と共に帰省した。

 まるまると太った赤子を抱っこしたリュリュは、夫のテランスとともに森の新居を訪ねてきた。

 エルジルディンがいるのを見て、にまっと笑う。

「ソロン隊長とレイゼルの間に、うちより大きい子がいるって、変な感じー」

「ふぇあっ、あのっリュリュ、うちはそういうアレじゃなくて、ちょっと違った形だからね? 家族は家族だけど、ええっと」

 あたふたと両手を振り回すレイゼルに、リュリュは声を上げて笑う。

「あはは、はいはいっ、言ってみただけ! エルジー、この子はラズっていうのよ」

 リュリュが屈み込んで赤子を見せると、エルジルディンは興味津々に近寄って、頬をつついている。


 彼女は元々、知識欲の固まりのような子なのだ。ただ、知りたいという気持ちを受け止めてくれる人が周りにいなかったために、黙り込むしかなかった。


 そんな彼女は、少しずつ、頭で考えたことを自然に言葉にする練習をしていた。じっくり考えてから、言う。

「…………あかちゃん! らず!」

「そうだよ、よろしくね!」

 リュリュはニカッと笑い、テランスもその様子を微笑ましそうに見ている。


 混血のエルジルディンをリュリュが自然に受け入れられるのは、彼女もまた、レイゼルとシェントロッドにかかわってきた人間だからかもしれない。


「ね、隊長さん」

 レイゼルはパッとシェントロッドを見上げる。

「もしかして、私と隊長さんが仲良くするのが普通のことになると、混血のエルジーも幸せになれるってことなんじゃ!?」

「あ?」

 何を言ってるんだ、という表情でレイゼルを見下ろしたシェントロッドだが、言っている内容自体は彼にとって喜ばしい。

「つまり、エルジーを幸せにするために、俺たちはもっと仲良くすべきだということだな?」

「そ……うですね?」

「疑問形か?」

 呆れるシェントロッドに、リュリュはおかしそうに吹き出した。



 季節は巡る。


 レイゼルは少しずつ、店の仕事を新しい家で行うようになった。水車はないが、薬種を潰すのはエルジルディンがせっせと手伝う。淡い金の髪は肩下まで伸び、波打つ。

 村の人に、

「どうして、弟子になるって決めたんだい?」

 と聞かれると、エルジルディンはこう答える。

「しぇんとろせんせいと、れーぜるせんせいが、仲良しで。わたしを、なかまにさそってくれたから」

「仲間かー」

 村人たちがニコニコ聞いていると、エルジルディンは真顔で続ける。


「あと、れーぜるせんせいは、わたしがいないとダメだとおもう」


「それって、レイゼルの保護者だな」

「弟子とか養子じゃなかったのか」

「やっぱりエルジーは大人びてるなぁ」

 村人たちは顔を見合わせて笑ったものだ。



 昼にシェントロッドが『家』に顔を出してみると、レイゼルとエルジルディンが二人でスープを作っていた。

「隊長さん、おかえりなさい!」

「おかえりなさい!」


「あ、ああ」

 シェントロッドは二人に近づき、鍋を覗く。

「お。この夏、最初のリパムだな」

「はい。エルジー、隊長さんはこのスープが大好きなんだよ」

「わたしもすき。同じ!」

「そうだな。同じだな」

 シェントロッドは言い、レイゼルの三つ編みとエルジルディンの頭に、同時に触れる。

「まあ、俺はレイゼルの作るスープはどれも好きだがな」


「! え、エルジーも! エルジーもだから!」

 ムキになるエルジルディンに、レイゼルはちょっと首を傾げた。

「あれ、エルジーはジンニの入ったスープが苦手じゃなかったっけ?」

「……! ちがう、すき、たべるっ」

「じゃあ入れよっか」

「……!」

 口をぱくぱくさせたエルジルディンの顔を見て、シェントロッドが目を細めて笑った。

「無理をするな。苦手なものくらい、あって当たり前だ」

 レイゼルも笑う。

「ふふ。ジンニの栄養の代わりになるもの、今度教えるね」


 鍋から、甘い香りが漂う。

 赤いリパムの色に、何種類もの野菜が見え隠れするスープには、雑穀も入って美味しそうだ。

 エルジーが食器棚から器を出し、レイゼルが注ぎ分ける。

「さぁ、できた。三人で、食事にしましょ!」


 エルジルディンは旺盛な食欲で、もりもり食べている。そろそろスープだけでは足りなくなりそうだ。

「シスター・サラに、パンの焼き方を習おうかな。エルジーが手伝ってくれれば、できるかも」

 レイゼルが真剣に考えているところへ、金物屋のジニーが薬湯を取りにやってきた。

「こんにちはー! エルジー、今日はジニーおばちゃんと一緒に帰りましょっ」

「ん」

 エルジルディンはスープを平らげると、ジニーに駆け寄る。

 午前中に薬湯屋で学んだ後、孤児院に帰るときは、村の誰かしらが連れて行ってくれるのだ。

 アザネ村の皆が、エルジルディンの家族である。誰が親で誰が子か、とか、そういったことはあまり気にしない、家族なのだ。


 ジニーは横目でシェントロッドを見て、含み笑いをした。

「よかったねぇソロン隊長、レイゼルの『特別』になれて」

「……ごほん」

 いつぞやの会話を思い出し、咳払いをするシェントロッドである。


 エルジルディンとジニーが出ていき、新居にはレイゼルとシェントロッド、二人だけになった。

 小川の水を引いた流しで食器を洗うレイゼルに、シェントロッドは近づく。そして、後ろから緩く両腕を回した。

「ひゃっ」

「まだ慣れないか?」

 少し身体を屈めて、シェントロッドはレイゼルの頭に顎を乗せる。レイゼルはおずおずと、彼の手に触れた。

「すみませんっ、急だと、ちょっと」


 一日に一度は、寄り添う時間を持つ二人だが、まだまだ不慣れなレイゼルである。元々、マイペースなのんびり屋だ。


「ふん」

 鼻を鳴らすシェントロッドを、レイゼルは身体をひねって見上げた。

「あの、隊長さん。私、そろそろエルジーに一度、ここに泊まってみてほしいと思ってるんですけど……どうですか?」

「俺はいつでも構わない」

「はいっ。じゃあ、エルジーのベッドを職人さんに頼まないと」

「お前のベッドをエルジーのベッドにしたらどうだ? お前は俺のベッドに来ればいい」

「あ、はい。……はい!?」

 ぎょっと目を見開いて顔を真っ赤にするレイゼルに、シェントロッドはニヤリと笑いかけて手を離した。

「冗談だ。ベッドは俺が注文しておく。さて、そろそろ仕事に戻る」

「は、は、はいっ! ……あぁ、もぅ」

 レイゼルは赤い顔でそっぽを向いてしまった。


 シェントロッドはまた笑うと、彼女の前に回り込むように上体を屈め――

 ――小さな唇に、軽く口づけた。


「……!?」

 目を見開いて固まるレイゼルの耳元で、シェントロッドはささやいた。

「慣れなくてはならないことが多くて、大変だな? では行ってくる」


 すっ、と彼の姿が消える。


 目をパチパチさせていたレイゼルは、しばらく呆然と立ち尽くしていたが、ふらふらっとよろめき歩いて椅子に腰かけた。

「こういう時って、どんな薬湯を飲めば……?」


【Uターン薬湯屋の寝込みがちスローライフ ひとまずの、完結】

回収しようと思っていた伏線を全て回収し終えましたので、ここで完結設定とします。

読者の皆さん、一緒に楽しんで下さってありがとうございます!


この後は、伏線とかそういうのを気にしないでのんびり書いていきますので、ぜひまた遊びに来てください。まだ糖度上げきってないですしね。普通の恋愛イベントもあっていいと思うんですよ……シェントロッドがヤキモチ焼くとかそういう。


宣伝しないのも嘘だと思うので宣伝します。

書籍版『薬草茶を作ります~お腹がすいたらスープもどうぞ~』①〜③もぜひどうぞ。加筆や番外編たっぷりです。応援よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 1巻、2巻と楽しく読ませて頂きました。 3巻楽しみにしています。 情報に疎く三巻はいつ発売予定でしょうか?
[良い点] 大団円で ホッとしました(^^;))) [気になる点] ふたりのその後 無事に夫婦になれるのか? 兄弟は増えるのか?σ(^_^;)? [一言] コロナウィルス自粛の大変ななか ラストスパー…
[一言]  完結&連続更新お疲れ様です。  エデリは処刑されましたか~。元々処刑判決が出ていたのに加えて、罪状は更に追加されていますから、当然といえば当然ですね。15年前に判決出した判事さんもですが…
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