第七十九話 ちゃんと話そう
エデリ・キコラは意識を失ったまま、警備隊に捕らえられ、連れて行かれた。
薬湯屋は一度、窓も扉もすべて開け放たれて空気が入れ換えられ、再びかまどの火で温まっている。
その場でレイゼルに事情聴取が行われることになったが、すでに夜の時間帯だ。彼女に無理をさせるわけにはいかないと、ひとまずはごく簡単なものになった。
話は、エデリが仮死状態になる薬を用いて脱走したことに始まり、ミューティオカの種の話になる。
「薬にもなる毒の種?」
「はい」
ベンチに腰かけたレイゼルは、聴取役のシェントロッドと書記役の警備隊員にうなずいた。
「私が在処を答えなかったので、おか……あの人は、諦めるようなことを言いはしたんですけど。帰る前に私に飲ませたい薬湯があると言って、煎じ始めて。もちろん飲むつもりはありませんでしたが、匂いだけでフラフラしてしまって」
「それも毒か」
腕組みをしたシェントロッドは、ずいぶん不機嫌そうだ。
「毒というか、私にミューティオカの在処をしゃべらせるためのものですね、たぶん」
「自白剤?」
「そんな感じです。自白剤と呼ばれている薬って、ぼーっとさせたり酔わせたりするものが多いんです。エデリの薬湯はアンダルベの実の匂いがしたので、とっさに作業台の上にあったこれを噛みました」
レイゼルは手を開いてみせる。細長い葉っぱが半分ちぎれて残っていた。作業台に掴まったときに、とっさに手に取ったのだ。
「リーファンの薬草のひとつ、ルシャです。アンダルベは瞳孔を開く他に、頭の中の一部を麻痺させてボーッとさせるんですが、ルシャはその作用を中和してくれます」
彼女は説明する。
「リーファン族の知識が、私を助けてくれました。エデリはたぶん、知らなかったんじゃないかな……だからこれが作業台の上に置いてあっても、気づかなかったと思います」
「なるほどな」
シェントロッドは軽くため息をつく。
「……今日はここまでにする」
「あ、はい」
レイゼルはうなずき、そして横を見下ろした。
ベンチの上、レイゼルの隣のスペースで、エルジルディンがくぅくぅと眠っている。
彼女はレイゼルを心配していたらしく、エデリが連れて行かれるのと入れ替わるように、再び水車の前に立っていた。レイゼルが無事とわかると、真顔のまま近寄ってきてベンチに上り、レイゼルの頭をよしよししてくれたのだった。
そのままレイゼルの隣に陣取り、結局、聴取の間に眠ってしまったが。
「エルジー、ありがとう」
レイゼルはささやき、そっとエルジルディンのふわふわ頭を撫でる。
ずっとしゃべらなかった彼女が声を出し、結果的にシェントロッドを呼んでくれたと聞いた。
(私も、エルジーの役に立ちたいな)
密かにレイゼルは思う。
そして彼女は、顔を上げた。
「隊長さん、あの……お話ししたいことが」
「明日にしろ。お前は休め」
シェントロッドの口調は、どこか冷たい。
しかし、レイゼルは身を乗り出した。
「あのっ、今じゃ、ダメですか? 今日はどうせ眠れないと思うし……隊長さんと、話がしたいんです」
「あ、俺、エルジーを連れて帰りますねー」
気が利く警備隊員が、筆記具をさっさと片づけエルジルディンを抱っこして、薬湯屋を出て行った。孤児院に送り届けてくれるのだろう。
「隊長さん」
もう一度、レイゼルは呼びかける。
シェントロッドは前髪をかきあげ、仕方なさそうに言った。
「わかった。話そう。だが、身体を休めながらだ」
「はい」
レイゼルはうなずく。
シェントロッドがランプを持ち、二人は彼女の私室に入った。レイゼルはベッドに腰かける。
棚にランプを置いたシェントロッドは、スツールを持ってきてベッドの脇に置き、座った。
「あの……」
レイゼルはうつむき、喉をごくんとさせてから、言った。
「私の、界脈流を、読んでくれませんか」
「…………」
シェントロッドは、黙ってレイゼルを見つめた。
それから、無造作に細い手を取る。
静かな時間が流れた。
「……界脈流は問題なさそうだな」
シェントロッドがそんな風に言うので、レイゼルはあわてた。
「えっ!? そ、そうじゃなくて隊長さん、私は」
彼女の言葉を遮るように、シェントロッドは言った。
「レイがお前だったということは、もうとっくに知っている」
「え?」
レイゼルの頭の中は、真っ白になった。
「え!? なんで……え、どうして? いつから!?」
「ラルヒカの毒の件からだな」
シェントロッドは淡々と、『同行』について説明した。彼女は動揺して目を泳がせる。
「ご、ごめんなさい、黙っていて……。あの、怒ってますよね」
「確かに、俺は怒っている」
鋭い視線に射られ、レイゼルは固まった。
(やっぱり! 恩知らずだと思われた……!)
しかし、シェントロッドは眉を逆立てながら、低い声でこう問い詰める。
「なぜ詳しいことを言わない。エデリのことで何か調べていたから、レイ・オーリアンとして王都に来たんだろう!? 洗いざらい話せ!」
「へぁっ!?」
レイゼルはギョッとして聞き返した。
「な、何の話で」
「隠し事をしていたらお前を守れないだろうが! おかげでお前は今日も死にかけた!」
「待って! お母さんの、エデリのことは、もう全部お話ししました。何も隠していませんっ」
「そんなわけがあるか! リーファン族が関わっているから、俺に何も言わなかったんだろう!」
「違います! 隊長さんとエデリは、全然、これっぽっちも関係ありません!」
「ならなぜ『レイ』だと言わなかった!」
「それは」
とたんにレイゼルは口ごもる。
「もっと、その、個人的なことで」
「個人的?」
彼は苦しげに、眉を寄せた。
「……俺だから言いたくなかった……ということか?」
「そ、そんなことは」
レイゼルは否定しかけたが、よくよく考えるとその通りである。
だがしかし、もう少し柔らかく伝える言葉があるはずだ。
「ごほん……。あの、私は、ただ――」
レイゼルは、考え考え、話し始めた。
「――そういうわけで、私には三十年労働は無理です。アザネ村のために生きると、決めているから」
ベッドの背板に枕をあてがい、レイゼルはそこに寄りかかっていた。力なく言う。
「恩知らずでごめんなさい。でも、隊長さんにはとても感謝しているんです。アザネ村に戻れるように、ずっと守ってくださったこと」
ベッド脇でスツールに座ったシェントロッドは、先ほどから自分の膝に片肘を突いて額を押さえ、げっそりした様子でうなだれていた。
ようやく、考え過ぎを自覚した彼である。
「………………恩とかそのあたりは、もうどうでもいい……」
「どうでもよくありません、大事なことですっ。エルジーのことがあって、ちゃんと話さなくちゃと思っていました」
「エルジーのこと?」
シェントロッドは顔を上げた。レイゼルは目を泳がせる。
「私……エルジーを弟子にしたくて」
「ああ。祭りの時にそんな話をしたな」
「でも、ひとりじゃ、自信がなくて」
「うん」
シェントロッドは、レイゼルが彼女の気持ちを何もかも打ち明けようとしている気配に、ただ待つ。
レイゼルは、つっかえつっかえ、続けた。
「私、こんな、頼りないけど……隊長さんがそばにいてくれたら、エルジーを、育てられるかもしれないって思ったんです。でも、そんなことをお願いするのに隠し事をしていたら、いけないと思いました」
「まあ、そもそも俺が持ってきた話だしな」
「そういうことじゃなくて」
レイゼルは顔を真っ赤にする。
「誰が持ってきたお話でも……他の人じゃ、ダメで、隊長さんだから。隊長さんと一緒が、いいんです」
シェントロッドはもう一度、レイゼルの手を取った。
「そうか。……俺も、同じことを考えていた」
「!?」
見開かれた灰色の瞳を、シェントロッドはまっすぐ見つめ返す。
「俺は、お前に三十年の恩を返させようと思ってロンフィルダ領に来たわけではない。こき使おうなどと、思っていない」
忙しい時はレイに手伝わせようと思っていたのは確かなので、「こき使おうなんて思ってなかった」というのは少々語弊があるのだが、今は黙っておく。
「…………」
レイゼルは黙って、彼の言葉の続きを待った。
シェントロッドは自分の心を振り返りながら、正直なところを口にした。
「ただ、お前に会いたかっただけだ」
レイゼルの唇が、「えっ」という形に開く。
「調査部でお前と過ごす時間は、心地よかった。界脈調査部から異動することになった時、またお前と過ごせるなら、アザネ村に行こうと思った」
彼は淡々と続けた。
「『レイ』は、俺と人間族を繋いでくれそうな気がする、という話をしたことがあったな。その通りになった。そして、アザネ村で過ごすうちに『レイゼル』は俺にとって……特別な存在になったんだ」
「とくべつ……?」
「身体の弱いお前に何かあったら、とか、お前がルドリックと結婚して薬湯屋をやめたら、とか、俺の手の中からお前が失われることを想像すると、自分の一部まで傷つくように感じた」
彼はため息をつき、そして恨みがましげな目つきになる。
「それなのに、お前が俺に秘密という名の壁を作っていて……しかもその原因が、俺自身にあるかもしれないと思っていたから、ずっとモヤモヤしていた。いつかお前の店にすら通えなくなるかもしれないと」
シェントロッドのもう片方の手が、レイゼルの頬に伸びた。そっと撫でる。
「お前と共にいたい。これから先、ずっと。そういうのは、どうだ?」
レイゼルは頬を真っ赤にしたが、やがて、消え入るような声でささやいた。
「……私も……そうしたいです……」
シェントロッドは腰を上げると、ベッドの縁に腰かけた。
その腕が、レイゼルの頭をそっと引き寄せる。レイゼルはおそるおそる、彼の胸に身体を預けた。
もう、触られるとバレるの何のという気遣いはいらない。
シェントロッドはレイゼルを包み込むようにしてしっかりと抱き、彼女の額に頬をすり寄せて、界脈流を寄り添わせた。
レイゼルがつぶやく。
「……特別な人と触れ合うって、こんな風なんですね。……知らなかった」
「どんな風なんだ?」
「気持ちよくて……幸せです」
「そうか」
ふと、レイゼルは涙ぐむ。
(あの人にも、こんな『安心』があったら)
何人も被害者が出ている今となっては、遅すぎる。しかし、そう思わずにはいられない。
二人はしばらくの間、寄り添っていた。
――ふとシェントロッドが気づくと、レイゼルの呼吸が浅くなっている。身体も熱い。
「お前、熱が上がってきたな!?」
「あ……だって、あの、さっきは恐ろしかったし、今度はドキドキして」
レイゼルにしたら、精神を真逆の方向に振り切るようにして翻弄された夜である。熱が出るのも当たり前だった。
シェントロッドは急いで、彼女の身体を横たえる。
「しまったな、やはりこういう話は次にするべきだった。何かしてほしいことはあるか」
「お水……ううー、天井が回ってる……」
「水だな、持ってくる。今夜はずっとここにいるから落ち着け」
「はいー……」
それからしばらく、レイゼルの記憶は曖昧である。




