第七十五話 決心、からの、調査
その頃、シェントロッドはアザネ村警備隊舎の隊長室で、考え事をしていた。
もちろん、レイゼルのことである。
(エルジーのことで、悩ませてしまったな)
しかし、レイゼルが村のために弟子をとりたいと思うのはいいことだと、彼は思う。
それに、レイゼルが誰かと一緒に暮らすきっかけにもなるなら、助けたかった。
(しかも俺は、エルジーの話を持ち込んだ当事者でもある。助けるも何も、俺こそがかかわらなくては。……こうなってくるともう、ただの店主と客ではなくなるな)
レイゼルとの距離が縮まることは、シェントロッドとしては嬉しい。
ただし、ともにエルジーを育てるなら、やっておかなくてはいけないことがあった。
(まずは、俺とレイゼルの間に、今まで以上の信頼関係を築くこと。互いに安心して頼るために必要なことだ。そのためには、俺が彼女の秘密に気づいていると、レイゼルに伝えなくては。隠し事をしていたら、いざという時の妨げになる)
彼は知る由もないが、レイゼルと全く同じことを考えたわけである。
しかし、レイゼルが『レイ』だったことをなぜ彼に黙っているのか、シェントロッドは未だに知らない。
(……明らかにする時が、来たのかもしれないな)
毒薬を作り、人間族ばかりでなく他種族にも売ることを生業としていた、エデリ。
薬が人体にどう効くかを確かめるため、幼いレイゼルと自分を実験台にしていた。そもそも、赤子だったレイゼルをどこからか誘拐してきたらしい、と言われている。
一方、エデリは本業の隠れ蓑としてアザネ村で薬湯屋を開き、村の人々にはよく効く薬湯を作って慕われていた。
それらの出来事全てが、アザネ村の人々の心に傷を残している。
レイゼルが幸せになることで、その傷は少しずつ癒されてきた。
(最期は王都に連行されて裁判にかけられ、処刑されたエデリ。そして、身体が弱いのにはるばる王都までやってきて、薬学校に入学し、界脈調査部で働いていたレイゼル。いったい、その裏にどんな事情があるのか……)
……繰り返すようだが、裏も何も、深い事情はない。
しかし、それを知らないシェントロッドは、今こそ調べてみようと心を決めた。
冬の王都ティルゴットは、雪こそ降らないものの、古代樹の間を冷たい風が吹き抜けている。
シェントロッドは、ティルゴットの中央にある王都裁判所に行った。リーファン族と人間族の両方が関わる事件についての記録は、ここで見ることができる。
記録閲覧室でエデリの事件の記録を読んでみると、だいたいは以前ベルラエルから聞いた通りだった。エデリの作った毒薬がかかわる死亡事件はかなりの数に上り、はっきりはしないが疑わしいとされている事件も数件。
処刑、という判決は、エデリが人間族であるため人間族の法律に基づいて下された。
(レイゼルがこの事件について調べにわざわざ王都に来たのだとして、何が気になったのだろう? やはりリーファン族がらみか?)
詳しいいきさつを、当時の人間族の判事にも聞いてみたいところだ。
しかし今さらベルラエルに紹介を頼むと、興味を持たれて首を突っ込まれてしまうだろう。せっかくベルラエルとレイゼルを遠ざけたのに、それでは元も子もない。
とにかく続きを読んでいるうちに、シェントロッドは思わず目を見開いた。
「これは……」
ベルラエルから聞いた話と異なる事実が、そこには記されていた。
エデリは、処刑日に決まった日よりも前に、自害して死んでいたのだ。服毒したらしい。
(ベルラエルは、裁判の後のことまでは知らなかったのか。しかし、身体検査をされていたはずなのに、どうやって毒を持ち込ん……)
キン、と、彼の脳内を光が走り抜けた。
(まさか、ここにリーファン族がかかわって来るのか? 例えば、一連の裁判でかろうじてエデリとの関係がバレなかったリーファン族が、彼女に毒を差し入れて自害するようにし向け、口封じを……いや、せっかくバレなかったのに危ない橋を渡ることになる。変か)
またもや考え過ぎてしまったシェントロッドだが、さらに調べると、こういうことだった。
ティルゴットの北に、人間族専用の刑務所がある。いったんそこに馬車で移送されることになったエデリは、その道々、毒薬の『材料』を手に入れた。食事や用を足すために休憩したり、夜に野宿したりするたびに、山野で薬種ををこっそりと摘み、調合したらしい。
結局、エデリはそのまま共同墓地に埋葬されたようだ。
「さすがは『毒薬師』、それらしい最期……ということになるのかな」
シェントロッドは感心すると同時に呆れ、前髪をかき上げてため息をつく。
(わからないな。結局、レイゼルの秘密にはどんな理由があるのだろう。本当は、レイゼルの負担になるから直接聞くのは避けたかったが、どうせ俺が知っていることを打ち明けるなら、今度……二人きりになった時に聞いてみようか)
シェントロッドが薬湯屋の前に到着したのは、昼前のことだった。
中から、レイゼル以外にも人の気配がする。声はレイゼルのものしか聞こえないが。
「邪魔するぞ」
「あ、はーい!」
「……お」
かまどの前でレイゼルと同時に振り向いたのは、淡い金髪頭。エルジルディンだった。またもや勝手に来てしまったらしい。
エルジルディンがいる前でレイゼルに秘密を問いただすわけにも……と思っているうちに、レイゼルが尋ねてくる。
「すみません、エルジーを迎えに来てくださったんですよね」
「あ? まぁ、うん。……何かしていたのか」
「ちょうどお昼時だったので、スープを作るのを手伝ってもらってました。隊長さんもいかがですか?」
「もらおう」
シェントロッドは、作業台の前の二人に歩み寄る。イコネッコ、クツリタケ……何種類かのキノコを、エルジーは小さな手でほぐしていたようだ。
かまどには鍋がかかっているのだが、中身は何やら真っ黒。これもスープなのか、くつくつと煮えている。
「何だ、この黒いのは」
「海藻の出汁に、黒サミセをすり下ろしたのがたっぷり入ってるんです。冬は黒いものがいいですからね! 擂り鉢で擂るのも、エルジーに手伝ってもらいました」
レイゼルがニコニコと言う。刃物を使わない手伝いを、エルジルディンにあれこれとさせていたらしい。
「お団子を練るのも、やったよね」
レイゼルに言われ、エルジルディンは無表情ながらもうなずく。どうやら、鍋にはもちもちした団子も入っているようだ。
「ここに、体温を上げる長ギーネと、薬草のヤマキシュクを少し入れます。食欲が出るし、お腹の働きが良くなるよ。はいエルジー、イコネッコとクツリタケを入れてね」
レイゼルに言われて、スツールの上に立ったエルジルディンが鍋にキノコをポイポイと入れる。
「緑のコピネ草を入れてサッと煮て、豆から作った調味料のロミロソと、豆を絞って煮詰めた豆乳を入れて。最後にサミセのオイルを垂らしたら出来上がり。『キノコの真っ黒豆乳スープ』!」
レイゼルが三つの器にスープを取り分ける。
「多めに作ったから、お代わりしてね」
表情のないエルジルディンだが、目だけはスープを見てキラキラしているので、シェントロッドは思わず微笑んでしまった。
「はいどうぞ」
持ちやすいようにか、ベンチに座ったエルジルディンには小さな器が渡される。シェントロッドもその隣に座り、器を受け取った。
顔を近づけると、サミセの香ばしさが食欲を刺激する。
一口すすると、コクのあるスープが腹をふわりと温めた。平たくして小さくちぎってある練り物が、スープをまとってつるりと口に入る。
「美味い」
つぶやいてチラリと横を見ると、エルジルディンもフーフーしながら黙々とスープを口に運んでいた。
「んーっ、エルジーがほぐしてくれたキノコ、ぷりぷりして美味しいね」
レイゼルが目を細めて言うと、エルジルディンは頬を上気させながら顔を上げた。
口の周りに摺った黒サミセがぐるりとくっついて、まるでヒゲのようになっている。
「ふふ、ギーおじさんみたいだよ!」
孤児院の手伝いをしているギーおじさんは、口の周りにぐるりと生えたヒゲがチャームポイントなのだ。
レイゼルは笑いながら布巾でエルジルディンの口元を拭き、エルジルディンはおとなしくされるがままになっていた。
ついついスープを楽しんでしまったが、食べ終えたシェントロッドはレイゼルに声をかける。
「店主。熱があるだろう」
「え? あ」
レイゼルは片手を頬にやる。シェントロッドはため息をついた。
「エルジーとスープを作っている場合か?」
「でも私、二人で何かしようと思うとスープ作りくらいしか」
微妙にずれた返事をするレイゼルから、シェントロッドは器をひょいっと取り上げ、立ち上がる。
「奥で横になれ。エルジーは送っていく」
「あ、はい、じゃあ片づけたら後で」
「今」
「ハイ」
レイゼルも立ち上がった。
「じゃあねエルジー、おっと」
ふらつく彼女を、シェントロッドが当たり前のように支える。レイゼルはあわてて「すみません」と身体を離した。
「…………」
部屋に入るレイゼルをシェントロッドが見送り、その様子をエルジルディンはじっと見つめる。
やがて、シェントロッドはエルジルディンの方を振り向いた。
「レイゼルは身体が弱い。わかるか? すぐ疲れたり、熱を出したりする。具合が悪そうだったら休ませてやれ。俺を呼んでもいいしな。他にも、何かあったら俺を呼べ」
エルジルディンは大きな目を瞬かせ、ひとつうなずいた。
そしてスツールを動かしてよじ登り、流しのレバーを傾けて水を出すと、ざぶざぶと器を洗う。孤児院で教えられているのだろう。
「よくできたな。では、戻ろう。川を通るぞ」
シェントロッドに言われ、エルジルディンは再び静かにうなずいた。




