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第七十二話 マイペースなエルジルディン

 こうして、秋のアザネ村に、人間族とリーファン族の混血(ミックス)の娘・エルジルディンがやってきた。

 まずは数日、エルジルディンは孤児院の中だけで過ごし、それから村について知っておいてもらうためにシスター・サラとともに村を散策することになった。村長やモーリアン医師、警備隊の面々には、今後世話になることもあるだろうからだ。

 そしてもちろん、薬湯屋のレイゼルにも。

 

「…………うわぁ」

 レイゼルは思わず、両手で口を押さえた。

 薬湯屋の中である。シスター・サラに手を引かれたエルジルディンが、レイゼルを見上げている。

(かっ……可愛い……妖精さんみたい)

 レイゼルはまじまじと、エルジルディンを見つめてしまった。


 色白の肌に、宝石のような緑の瞳を持ったその子は、整った顔立ちをしている。

 淡い金髪は聞いていたとおり極端に短かったが、くせっ毛でくるくるとカールしていて、思いもよらない魅力を振りまいていた。


 他の村なら、「女の子が髪を短くするなんて」と眉を顰められてしまうところだろう。

 しかし思い出してほしい、レイゼルは男装するために髪をばっさり切り落としたことのある娘であり、アザネ村の人々はそんな彼女を知っている。ここの村人たちは、エルジルディンを髪のことだけで厭ったりはしないのだった。


「エルジー、ここは薬湯屋さんよ。このお姉さんはレイゼル」

 シスター・サラが紹介する。

「レイゼルは、人間族のための薬湯だけじゃなくて、それ以外も作れるのよ。もし具合が悪くなったら、作ってもらいましょうね」

「…………」

 エルジルディンは何も言わなかったが、ぐるりと店内を見回し、そしてレイゼルをまっすぐ見上げた。

 レイゼルは軽くかがみ込む。

「初めまして、エルジー。私も孤児院の出身なの。よろしくね」

 エルジルディンは戸惑ったように視線を泳がせ、シスターのスカートに身体を隠すように身を寄せる。


 レイゼルは、小声で話しかけた。

「その髪、とっても似合ってる。私も一度、十四歳の時にこの三つ編みを切り落としちゃったことがあるんだけど、エルジーみたいに素敵にはならなかったわ」

 エルジーは目を丸くして、何か尋ねるようにレイゼルとシスターを見比べる。シスターは苦笑しながらうなずき、レイゼルは「内緒ね」と笑顔を見せた。


「これからまた、歩いて孤児院まで戻るんでしょ? ちょっとお休みしていって」

 身体を起こしたレイゼルは、土瓶からカップに薬湯を注ぐ。

 作ったのは、サンキノコというキノコとユリスゲという花のつぼみ、それにメナの実の薬湯だった。飲みやすいように、カゾ豆で甘みをつけてある。

 サンキノコとユリスゲ、そしてメナは、心を落ち着ける効果のある薬種とそれを助ける薬種の組み合わせだ。子どもでも飲めるものを選んだ。


 シスターに促され、ベンチに腰掛けたエルジーは、一言もしゃべらないままカップを受け取った。

 そして、カップをのぞき込んだとたん、また目を丸くした。

 カップの中で、ユリスゲの薄紅色のつぼみが、ふんわりと開いている。


「そのお花は食べられるから、どうぞ?」

 レイゼルは勧めたが、エルジーはしばらくまじまじと花を見つめていた。それからようやく、一口飲む。一度、レイゼルを見上げてからまた視線を落とし、もう一口飲んだ。

 白い頬が、ぽうっとほのかに薄紅色になった。


 シスター・サラが話しかける。

「あなたを連れてきてくれた、リーファン族のソロン隊長は知っているでしょう? 隊長も、ここに薬湯をよく飲みに来るのよ」

「…………」

 エルジルディンはちらりとシスターを見てから、シスターの薬湯を煎じているレイゼルの様子をじっと見つめている。

「隊長さんは、何も問題なくエルジーを連れてこれたのかしら?」

 レイゼルが聞いてみると、シスターはくすくすと笑った。

「ええ、そのようね。孤児院に到着するなり、まるで大人に話すみたいに、エルジーに『ここが君の家になる。界脈に乗って勝手に外出することのないように』って言ってたわ。お互いに真顔だからちょっと変な感じだったけれど、リーファン族はあんな感じなのかしらね」

「あぁ……割とそういう感じかも」

 人間族と比べると、あまり感情をあからさまにしないリーファン族の様子を思い浮かべながら、レイゼルもちょっと笑ってしまった。



 西の山が少しずつ、紅葉していく。

 一週間は、何事もなく日々が過ぎた。

 薬湯を飲みにきたシスター・サラに、レイゼルがエルジーの様子を聞いてみると、シスターは片手を頬に当てて思案しながら話す。

「心配なくらいおとなしいわ。ちょっとね、エルジーって、レイゼルと似てる。黙っていながら、実は色々と理解しているのだと思うの」

「リーファン族の特徴を持っているなら、耳もいいかも。大人たちの会話、きっと聞いてるでしょうね」

「あぁ、そうね。私も話す内容に気をつけないと。でも、そういうところからもどんどん知識を吸収しているのかもね」 

 

 そんな、ある日のことだった。

 薬湯屋で夕食のスープを食べ終えたレイゼルが、食器を片づけ、歯を綺麗にし、さて眠ろうか……とランプを持って振り向いてみると──

 ──店の中、水車の前に、小さな子どもがポツンと出現していたのだ。

 エルジルディンである。


「きゃあ!?」

 びっくりしてランプを取り落としそうになったレイゼルは、間一髪でそれを作業台に置く。

「エルジー! えっ、こんなっ、夜に!? 一人!? どうしてここに!?」

 あわてるレイゼルに、エルジーは黙ったままチラリと水車の方を見て、またレイゼルに視線を戻した。

「あっ、界脈を通ってきたの!? 川を!?」

 レイゼルの質問に、エルジーはこくりとうなずいた。

「びっくりした……! 何か、用事だった?」

 聞いてみたものの、エルジーは首を横に振る。

「どこか具合が悪いとか?」

 聞いても、やはり首を横に振る。

「ええと、シスターには言ってから出てきて……ないわよね? どっ、どうしよう」

 幼い子を、夜に一人で外出させるはずがない。エルジーは黙って出てきたのだ。今頃、シスター・サラも孤児院の子どもたちも探しているだろう。


 レイゼルが焦っている間に、エルジーは薬草棚を眺めたり、薬研やすり鉢をつついたり、水車の近くまで行って水の流れをのぞき込んだりとウロウロしている。


「あの、ねぇエルジー、私と一緒に孤児院に戻ろう?」

 動揺しながらレイゼルが提案してみたものの、エルジーは聞こえないのか聞いていないのか、店内の探検を続けていた。

 そしておもむろに、扉を開けたままにしてあったレイゼルの私室に、てくてくと入って行ってしまう。

「えっと、エルジー?」

 あわてて後を追うと、エルジーは部屋の中を見回していた。

 かと思ったら、ベッドに近寄るとペラリと毛布をめくり、よじ登る。寝床に座って、ぽんぽん、と枕を整えた。

 明らかに、寝ようとしている。


「待っ、ちょ、えええ」

 レイゼルはパニックに陥った。

(孤児院に連れ帰らないと! でも眠いなら歩かせられないよね!? でもでも、うちに泊めるの!? シスターに知らせには行かなきゃ、でもその間、エルジーをひとりきりに!? その間にもし薬草に触って何かあったら!? うああああ)


 くるっ、とレイゼルは回れ右をすると、水車に駆け寄った。流れる水に向かって叫ぶ。

「隊長さん、助けて……!」

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