第七十一話 グザヴィエ・ニネット夫妻からの呼び出し 後編
シェントロッドは居住まいを正す。
「それで、俺とレイゼル・ミルに話したいことというのは? 先に言っておくが、話を聞いても俺がそれをレイゼルに伝えるとは限らない。彼女は小さな村の薬湯屋で、知っての通り身体も弱い。王族や種族の揉め事に巻き込まれては困る」
「ええ、それはもう」
ニネットはうなずき、グザヴィエと一度視線を合わせてから、シェントロッドを見る。
「シェントロッド殿。あなたはリーファン族でありながら、人間族をも守るお仕事をなさっていますね。それに、人間族のレイゼルととても親しくしておいでだわ」
「まあ、ごく普通に交流しているな」
「そんなお二人になら、混血の子について相談できるのではないかと思ったの。それでつい、あの時、あなたたちにいつか話すかも……などと思わせぶりなことを言ってしまって」
シェントロッドは、再び眉を顰めた。
「つまり、人間族の女性とリーファン族の男性の間に生まれた子?」
「ええ」
ニネットはうなずく。
「女の子です。四歳になります。名前はエルジルディン、この館で暮らしています」
エルジルディンが生まれたばかりの頃は、二つの種族はまだ大揉めに揉めていた。産んだ母親は、今や敵対しているリーファンの血を引く子に見向きもせず、さりとて父親の側は引き取る気が全くない。
その後、二つの種族の交流は復活したものの、関係者全員のわだかまりが解けたわけではない。人間族側で育てられていたその子を避けたり、心ない言葉を投げつけたりする者もいた。
「まだエルジーは……あぁ、エルジルディンのことですけれど、物心つく前だと思っていたので、その間にこちらで混血の子を育てる環境を整えられればと思っていたんですけれど」
頬に手を当てたニネットがため息をつき、グザヴィエが後を引き取る。
「人間の子のようなつもりで接してしまっていたが、間違っていた。エルジーは混血ゆえか、心の成長が早く賢くてな。自分の立場を理解し、心を閉ざしてしまった」
「心を閉ざした、というと」
「口をきかなくなってしまったのだ。……もう、エルジーにとって、ここにいるのは苦痛だと思う」
夫妻は再び視線を見交わし、そしてグザヴィエが言った。
「シェントロッド殿とレイゼルのいるアザネ村なら、村の人々も混血の子を受け入れてくれるのではないかと、私たちは希望を持っているのだが……どうだろう」
さすがに、シェントロッドは驚いて瞬きをした。
「その子を、アザネ村で育ててほしいということか?」
「人間族の中で、生きていく場所が必要なのです」
ニネットの声は切実である。
「アザネ村に、孤児院があると聞きました。エルジーをそこで育ててもらえたら……そして時々、シェントロッド殿とレイゼルが様子を見に行ってくれたら、私たちもどんなに安心できるでしょう」
「…………」
シェントロッドは軽くうなる。
ニネットが身を乗り出した。
「シェントロッド殿、エルジーは混血ですが、界脈を移動します」
「!」
はっ、と彼が目を見開くと、グザヴィエも言った。
「この領主館の裏庭を、水路が通っている。そこを、短い距離なのだが移動したことがあるのだ。どうも本人は、やろうと思ってやったのではないようだが」
「無意識に? それはよくない。子どもが危険な場所に行ってしまっては……。誰かが教える必要がある」
シェントロッドは言葉を切り、しばらく考えた。
やがて、二人を見る。
「アザネ村の孤児院で預かれるかどうかは、ロンフィルダ領の教会組織やアザネ村の村長が決めることだ。彼らに、俺から話を通してみることはできる。今はそれ以上のことは言えない」
「ぜひ、話してみていただけないかしら。どんな結果が出ても、それは受け入れます」
ニネットが言い、グザヴィエもうなずいた。
シェントロッドは言う。
「わかった、それでいいのなら。……一度、その子を見たいのだが」
「案内しよう」
グザヴィエが立ち上がった。
三階から見下ろしたそこは、建物に四方を囲まれた中庭になっている。
エルジルディンは一人、中庭の木陰にいた。
痩せた、小さな娘だ。ゆっくりと歩き、どこかをじーっと見つめ、木の根本に座ってしばらく身動きしないと思ったら、またふと立ち上がって歩く。ふわふわした足取りなので、まるで妖精のようだ。
シェントロッドは建物の上、柱の陰からその様子を見ていたが、やがて振り向いて後ろにいたグザヴィエに話しかけた。
「あの子の、あの髪は」
「目を離した隙に、はさみを持ち出して自分でやってしまった。理由を聞いたが、やはり口を開かない」
グザヴィエは低く答えた。
シェントロッドはもう一度、中庭に視線を落とす。
エルジルディンの瞳は緑、耳もとがっており、そのあたりはリーファン族の特徴を受け継いでいる。
しかし、その髪は淡い金髪で、そして――
人間族でもリーファン族でも、女の子なら伸ばすはずの髪は、短く切られていた。アザネ村のルドリックよりも短い。
(心を閉ざしてしまった、と言っていたな。髪を切ったということは、少なくとも、人間の娘らしくする気もリーファン族の娘らしくする気もない、ということだろうか)
彼はそこに、エルジルディンの強い意志を見たような気がした。
「混血の、女の子……ですか」
レイゼルは、目をぱちぱちさせた。
薬湯屋は、夕闇に包まれつつある。作業台に置かれたランプが、スツールに座るレイゼルとベンチに座るシェントロッドを照らしている。
「そうだ。教会とヨモック村長が認め、シスター・サラも了承してくれたので、ここの孤児院に入ることになった」
シェントロッドが言うと、レイゼルはうなずいた。
「ニネット様が、私たちにいつか話すかも……みたいにおっしゃってたのは、このことだったんですね」
「ああ。名前はエルジルディン。エルジーと呼ばれている。明日、俺がアザネ村まで連れてくる」
シェントロッドの言葉に、レイゼルは首を傾げた。
「ええと、明日、出発して、到着はいつですか?」
「来るのも明日だ。エルジーは短距離なら界脈を通れるから、俺が先導して休み休み連れてくる。界脈流が傷ついていたときの俺のような感じだな」
「すごい。四歳ですよね? 小さいのに界脈士の素質が!」
声を上げたけれど、シェントロッドは少し視線を逸らせた。
「残念だが、界脈士として働くのは難しいだろう。リーファン族は混血の子を仲間と認めない傾向がある」
「えっ……じゃあそれで、人間族の村に……でもっ、リーファン族としての能力もあるなら、使い方は学ばないと危ないですよね? その子自身が」
「まあ、そうだな」
「お、教えてあげてください!」
思わず言うと、彼はうなずく。
「わかっている。どうもその辺を、グザヴィエ殿ニネット殿に期待されているようだしな。……何しろまだ幼い、病気をすることもあるだろう。その時は店主、頼む」
「はい!」
レイゼルは大きくうなずいた。
「孤児院の子になるんですし、私の妹も同然です。会いたいし、力になりたい」
そして、レイゼルは密かに思う。
(混血の子に合う薬草についても、王都で勉強したわ。帳面を探しておかなくちゃ。あと、王都から本も取り寄せよう)




