第七十話 グザヴィエ・ニネット夫妻からの呼び出し 前編
『薬草茶を作ります~お腹がすいたらスープもどうぞ~』2巻、発売されました。
朝晩、涼しい風が吹くようになった。どこの町も村も、農作物の収穫や祭りの準備で活気づいている。実りの秋がやってきたのだ。
シェントロッドは、そんなロンフィルダ領の人間族、リーファン族、トラビ族の町や村を順々に見回っていく。
最後に、『湖の城』ゴドゥワイトを一月ぶりに訪れた。真っ先に、領主の館に挨拶に行く。
「失礼します。イズルディア殿、お変わりはありませんか」
「おお、シェントロッド。ちょうどいいところに」
イズルディアの部屋に行くと、何やら領主は彼を待ちかまえていたらしい。
「ご用がおありでしたか」
「ああ。お前を呼ぼうと思っていたのだ。薬湯屋レイゼル・ミルの様子はどうだ、無事か?」
「レイゼルですか。季節の変わり目なのでたまに寝込んでいますが、まあ普通に生きています。彼女に何か」
「以前、ここで会ったグザヴィエ殿と、その奥方のニネット殿を覚えているだろう」
イズルディアは切り出し、シェントロッドはうなずく。
人間族の、貴族か王族のような雰囲気の夫婦だった。ゴドゥワイト滞在中にグザヴィエが体調を崩し、なぜかそのことを外部に知られたくないとのことで、シェントロッドを通じてレイゼルが密かに呼ばれた。
そして、体調不良の原因が蜂蜜酒であること、その蜂蜜酒は蜂蜜ではなく樹液から作られたもので、人間にとっては樹液が毒だったことをレイゼルは突き止めたのだ。
夫妻はレイゼルに感謝し、金貨で多額の報酬を渡したので、彼女は目を回していた。ちなみに金貨はレイゼルが瓶に入れて、店の周囲のどこだかに埋めたそうである。
「子どもの頃から、大事なものは埋めることにしてるんです。リスみたいに」
レイゼルがそう話すので、幼い彼女がリスのように地面を掘る姿を想像して、つい和んでしまったシェントロッドである。
(そういえば、夫妻と別れる時、気になることを言っていたな)
ふと、シェントロッドは思い出した。
かつて、グザヴィエの実家はリーファン族と不仲だったらしい。その原因について夫妻は明かさなかったが、ニネットはこう言った。
――『あなた方に話す日が来るかもしれません』――
レイゼルとシェントロッド、二人にいつか話すかもしれないと、そう言ったのだ。
「あの夫妻が、何か」
「お前とレイゼルに、話したいことがあるそうだ。まずはお前が一度、夫妻を訪ねてほしい」
「……どちらにおいでか。俺はまだ、あの夫妻がどういった人物なのか聞かされておりません」
「うむ」
イズルディアはうなずき、そして打ち明けた。
「グザヴィエ殿は、人間族の王族だ。ナファイ国の人間王の末弟、ジンナ公爵グザヴィエ・ダール殿」
「人間の王の、末弟……」
「そうだ。グザヴィエ殿は、ジンナ領の領主館にいる」
という流れで、シェントロッドは一人でジンナ領を訪れた。
ジンナ領はロンフィルダ領の南東隣、そして王都ティルゴットの南。海に面した土地である。港を見下ろす高台にある石造りの領主館は横に広く、その上空を海鳥が舞っていた。
「シェントロッド・ソロン殿。ご無沙汰している」
海の見える広いバルコニーで、グザヴィエ・ダールとその妻ニネットはシェントロッドを迎えた。
「グザヴィエ殿、元気になったようで何よりだ」
「あれからどんどん快方に向かって、無事に領地に帰ることができた。貴殿とレイゼルのおかげだ」
ゴドゥワイトで、まっすぐ歩くことすら難しかった時とは違い、グザヴィエは顔色も良く生気に満ちた笑顔を見せた。その横で、二ネットが心配そうに尋ねる。
「レイゼルは、無事ですか?」
レイゼルを知る者はたいてい、「元気か」ではなく「無事か」とか「大丈夫か」と聞く。
「あの調子で、店を切り盛りしている」
シェントロッドが答えると、ニネットは「そう」とホッとしたように微笑んだ。
夫妻とシェントロッドは、テーブルを挟んで向かい合った。ジンナは未だ夏の気配を残し、バルコニーの日陰を海風が通り抜けていく。
「貴殿を呼び立てた件だが……順を追って話そう」
グザヴィエが切り出した。
「我がダール家は、かつてリーファン族と不仲だったという話をしたのを覚えているだろうか」
「覚えている。その後、ようやく交流を持てるようになって、ゴドゥワイトのイズルディア殿を訪ねたと」
「そうだ。その、不仲になったそもそもの原因なのだが……。十年ほど前、私の従姉妹にあたる女性がリーファン族の男性と恋仲になったことに端を発する」
それを聞いて、シェントロッドは軽く眉を顰めた。
グザヴィエの従姉妹というなら、現国王の姪、つまり王女の一人だろう。
(人間族の王女が、リーファンの男と……)
グザヴィエは続ける。
「やがて彼女は身ごもり、リーファン族の男性が自分と結婚して王家に入ることを望んだ。しかし、相手はそれを拒否したのだ」
リーファン族の中には、ベルラエルのように人間族を一段下に見る者がいる。その男もその傾向があったのかもしれない。もしそうなら、たとえ相手が王女でも、自分が人間族の一員になることなどありえないと考えただろう。
そこまでは正直、シェントロッドも容易に理解できた。
しかし、グザヴィエはため息混じりに続ける。
「その際に、男性はこう、人間族を侮辱するような言動をだな……」
「……なるほど」
リーファン族に王女を妊娠させられた上、侮辱的な態度を取られた王家側は、激怒しただろう。
グザヴィエは咳払いした。
「問題の二人とその親族同士は憎しみ合うようになり、そこからジンナ領内の人間族とリーファン族はすっかり不仲になった。交易などの交流も絶たれてしまった。それからしばらくして、私がジンナ領の領主になった」
ニネットが微笑む。
「夫は、両者の不仲がどうにかならないかと、お隣のロンフィルダ領のイズルディア殿に相談の手紙を送ったんです。イズルディア殿もその状態を憂えておいでだったので、ジンナ領のリーファン領主と話をしてくれました」
「そこからまた数年かけて話し合いが持たれ、ようやくあれは不幸な行き違いだったという風になり、領内の交易が再開したのだ」
グザヴィエの話に、シェントロッドが続ける。
「それで、イズルディア殿に直接会いに来たと」
「ええ。私どももお礼に伺いたかったですし、イズルディア殿もお近づきの印にと招待してくださって」
ニネットが苦笑する。
「なのに、夫がゴドゥワイトに行ったとたん体調を崩したなんてことになれば、我がジンナの領民たちは疑います。リーファン族に何かされたのでは? やはりリーファン族は人間族に思うところがあるのでは? とね。そうなればまた不仲に逆戻りですから、密かにレイゼルが手を貸してくれて本当に助かったのよ」
「そんなことだったとは」
シェントロッドは軽くため息をついた。
(店主。お前はかなり大きな働きをしたらしいぞ。……しかし、問題はここからだ)




