第六十九話 薬に国境はない(3)レドグリンのスープ・バルジ風味
ナファイの界脈士であるシェントロッドと、ディンフォラスの界脈士であるリネグリンが協力したことによって、翌日にはもう、事件は全貌を現した。
まず、ウストが話していたことは全て、真実だった。ナファイの界脈士は薬学校の教師に紹介されて、ウストにバニ草の苗を渡したのだ。
しかし、その界脈士は教師にこう話していた。
「査察の時、ディラジア病の話を聞いて、バニ草はとても重要な薬草だと思ったので、ディンフォラスから苗を分けてもらった。ぜひ試験栽培してみてほしい」
この『苗を分けてもらった』というのが、嘘だった。
苗は、ディンフォラスの界脈士が盗み出し、ナファイの界脈士に横流ししたものだったのである。
この事件は、ナファイの界脈士とディンフォラスの界脈士が手を結んで行われた犯罪だった。
本当は、あと何年か経ち、ウストがバニ草の畑を大きく広げた頃に、ディンフォラス側で山火事を起こす計画だった。ディンフォラスの畑が焼けたところで、ナファイの畑をウストから取り上げる。そして、ディンフォラス側にバニ草を高く売りつけて、両国の界脈士が儲けを山分けするつもりだったのである。
しかし運命のいたずらで、ウストがバニ草の栽培を始めてたったの一年で、自然現象による山火事が起こった。
儲けが出るほどのバニ草は、ナファイにはまだ育っていない。
犯罪計画は頓挫したのだ。
ウストは無事に、釈放された。
「お前は、リーファン族の犯罪に利用されていただけだった。疑って済まなかった」
リネグリンの謝罪に、ウストはニヤリと笑った。
「いやー、危なかったなー。犯人は、俺にバニ草を育てるだけ育てさせておいて殺すつもりだったのかも。こりゃ、タダで済ますことはできないなぁ」
「……賠償金か」
眉間にしわを寄せるリネグリンに、ウストはあっけらかんと言う。
「違うって。この機会に、協力関係を結ぼうぜ」
「は?」
リネグリンが眉を上げた。
ウストは両手を軽く広げる。
「この一年で、バニ草にいい肥料を見つけたから教えてやるよ。それに、病気になるのは人間族やリーファン族だけじゃない。植物だって、病気や害虫にやられることがあるんだぞ」
「植物も……」
「今回みたいな山火事じゃなくたって、いつかディンフォラスのバニ草に病気が広がった時、ナファイでも育てておけば安心だろ? もちろん、その逆もだ。いきなりナファイでディラジア病が流行したら、ディンフォラスに助けてもらう。いいよな?」
ウストの話を聞いていたシェントロッドは、ふとつぶやいた。
「病気に国境はない、か」
「え?」
ウストが振り向いたので、シェントロッドは付け加える。
「いや。付き合いのある人間族の薬湯屋が、そう言っていたんだ」
「うん、その薬湯屋の言う通りだと、俺も思う。伝染病ならなおさら、『みんなの』問題だ」
ウストは言い、朗らかに笑って続けた。
「だから、薬にも国境なんてあっちゃいけないのさ」
こうして、事件は幕を下ろした。
かかわった両国の界脈士は捕らえられ、ウストはザヤハ村に帰還した。今度は手荒な方法ではなく、ウスト特製の睡眠薬を使って『同行』できるようにしたとのことである。
「なかなか、面白い男だった」
リネグリンはそんな感想を漏らしたが、こう続けた。
「しかし、人間族であんな風にリーファン族と渡り合うヤツは珍しいのだろうな」
「そうでもない」
シェントロッドはつい、反論する。
「俺も、人間族の薬湯屋と付き合いがある、と言っただろう。ソロン家は彼女の実力を認めている。助言を求めたこともある」
「ソロン家が……? そんな人間族の女がいるとは。一度、会ってみたいものだ」
珍しく、感心した声を上げるリネグリン。
(もしこの場にレイゼルがいたら、「一度イズルディア様の依頼を受けただけなのに大げさです!」などと言って怒りそうだな)
ちょっと言い過ぎたかもしれないと思う、シェントロッドだった。
一方、そんな事件などつゆ知らない、アザネ村のレイゼル・ミルは。
「ひぇっくしゅ! ……やだ、夏風邪? 最近は調子がいいと思ってたのに」
つぶやいてから、顔を上げて作業台の上を眺めた。
「さて、たくさんもらってしまったこれ、どうしよう」
薬湯屋の台所、作業台の上には、レドグリンが四つ積みあがっている。
この夏、アザネ村ではレドグリンが大豊作だった。レドグリンは、子どもの頭ほども大きさのある果物で、緑色のしっかりした皮の中に果汁たっぷりの赤い果肉を持っている。村人たちは網などに入れて丸ごと川で冷やし、畑仕事の合間によく食べていた。
しかし、豊作にも限度がある。少食のレイゼルに、ご近所さんから四つも回ってくるほどだから、村の人たちは頭がレドグリンになってしまいそうなくらい食べていることだろう。
「隊長さんにも食べてもらわなきゃ。……そうだ、スープにしてみよう!」
レイゼルは試作に取りかかった。
レドグリンの赤い部分をざく切りにしたものと、菜園で採れた真っ赤なリパムの皮をむいてざく切りにしたものを大きなすり鉢に入れ、つぶしながら混ぜていく。
トロトロになったところで、塩を少し。レドグリンもリパムも、塩を加えると甘さが引き立つのだ。
「んー、これだけじゃちょっと物足りない。あれを入れてみようかな」
棚から取り出したのは、バルジのオイル漬けの瓶だ。
バルジは薄く香り高い葉をつける香草だけれど、育ちすぎると硬く苦くなってしまうので、若いうちに摘んで使う。すぐに使わないものはオイルに漬けておけば、一週間ほど保つ。
レイゼルは葉を数枚、小さなすり鉢に入れてすりつぶした。オイルも加え、すり下ろしたガリクもほんの少し入れて混ぜたら、バルジペーストの完成だ。
「これをスープに垂らして、砕いたナッツをパラパラっと……」
赤いスープに鮮やかな緑の模様がくるりと踊り、炒ったナッツのキツネ色が食欲をそそる。
「なかなかおしゃれじゃない? 王都のお店で出てきそう」
レイゼルは自画自賛した。
そこへちょうど足を踏み入れたのは、シェントロッドである。
「店主」
「あ、隊長さん!」
レイゼルは振り向いた。
「お帰りなさい! レド川の方のお仕事、終わったんですか?」
「ああ」
「よかった、いいところへ。ちょっと面白いスープを作ったんです、食べてみてください」
レイゼルはスープの器をトレイに載せて差し出す。
「レドグリンのスープ・バルジ風味です!」
「レドグリンか」
「? なんです?」
「いや。今回、俺に相談をもちかけてきたディンフォラスの界脈士の名前が、リネグリンと言ってな」
「ふふ、レドグリンに似ていて可愛い名前ですね」
(可愛い……?)
リネグリンはおよそ可愛いなどというタイプではないので、つい苦笑してしまうシェントロッドである。
二人は向かい合わせに座ると、レイゼルの「いただきましょう!」という声にあわせてスプーンを手に取った。
一口、口に運ぶと、まずはレドグリンとリパムの甘みが舌を潤す。さらにバルジオイルの風味が口の中に広がり、かりっ、とナッツが香ばしいアクセントを加えた。
レイゼルが驚きの声を上げる。
「えっ、美味しい……!」
「作った本人が驚いてどうする。しかし、美味いなこれは」
シェントロッドもあっという間に平らげてしまった。
レイゼルはゆっくりと食べながら、彼に尋ねる。
「お仕事、大変でしたか?」
「いや、そうでもなかった。じっくり当事者の話を聞いたら、後はすぐに解決したな」
彼は器を脇に置き、レイゼルを見る。
「お前に聞いた話が役に立った」
「私? 何か話しましたっけ?」
「ちょっと、ディラジア病やバニ草の知識が必要だったんでな」
ウストについて詳しい話になってしまうと、『レイ』の正体を知らないことになっているシェントロッドにとってややこしいので、黙っていることにする。
(彼は助かったんだから、問題ないだろう)
事件が解決した後、シェントロッドとリネグリンはレド川沿いの各国に宛てて連名で書類を作り、ある提案をした。
ディンフォラスだけではなく両岸で、バニ草を栽培する提案である。
「詳しい話はできないが、レド川を挟んで、各国で交流が始まりそうなんだ。ディラジア病やバニ草についても、情報交換するらしい」
「へぇ、素敵! いいことですね!」
レイゼルはニコニコし、そしてこう言った。
「争いごとが起こった時、戦いでの被害はもちろんですけれど、薬の交易ができなくなると病気の人が本当に困るんです。仲良くするのが一番!」
「確かに、そうだな。……今回知り合った人間族も、病気に国境はないと言っていた。それに、伝染病ともなれば皆の問題だから、薬にも国境なんてあってはならない、と」
ウストを思い出しながら、シェントロッドは言う。
レイゼルは、大きくうなずいた。
「本当、その通りだと、私も思いますよ!」
(薬学校他種族クラスの出身者は、種族同士を結ぶ役割を果たしているのかもしれないな)
感じ入ったシェントロッドは、上に報告しておこう、などと思うのだった。
かつて日本はドイツの薬に頼っていましたが、第一次世界大戦でドイツと敵対してしまったために、医薬品の輸入ができなくなった……という歴史があります。
まあ、それを機に国産の医薬品の開発が進んだりもしたようですが、争いなんてせずに協力し合えるのが一番ですよね。
現在流行している新型ウイルスも、世界中が協力し合って収束に向かうといいなと思っています。




