第六十八話 薬に国境はない(2)容疑者は薬学校出身者
そして。
シェントロッドは、昨年の秋以来のレド川にやってきた。
川は今日も岸辺の岩を削りながら、生き物のようにうねり暴れ、低い轟音を響かせている。
この川を挟んで、北側がナファイ国、南側がディンフォラス国である。それぞれ国境警備のための人員を配置していて、彼らのための隊舎があった。人間族にはこの川は手に負えないので、警備隊員はリーファン族の界脈士のみだ。
両国の隊員は、川岸なら自由に行き来して良いことになっている。
「ソロン団長。ご足労、いたみいる」
目の前のリーファン族が、軽く目を伏せて挨拶した。リネグリンだ。
浅黒い肌に濃い緑の髪、一目でディンフォラスのリーファン族だとわかる。夏の隊服なのか、腕をまくったシャツの上に斜めにベルトのようなものをかけていた。
シェントロッドはうなずいて応える。
「早速だが、何があった?」
「説明するので、まずは川を渡っていただきたい」
二人は気脈を通って、暴れ川であるレド川の向こうに渡ると、南岸ディンフォラス側の警備隊隊舎に入った。
奥に入ると、通路の先に、檻が連なっていた。留置所だ。
その一室に、人間族の大柄な男が一人、捕らわれているのが見える。
まだ若い彼は簡易ベッドに腰かけて、むっつりと腕を組んでいた。
リネグリンは低い声で説明する。
「彼の名は、ウスト。ディンフォラスからある植物の苗を盗み出し、ナファイ側で育てていた疑いで、捕らえてある」
「ディンフォラスから、盗んだ?」
シェントロッドは軽く眉を上げ、バッサリと言った。
「それは物理的に不可能だろう。人間族はレド川を渡れない」
「ああ。だから、界脈士の共犯がいるはずだ」
二人の会話が聞こえたか、檻の中のウストという男がいきなり立ち上がった。檻に捕まって声を上げる。
「だからー、俺は誰かと共謀して盗みなんて、やってないって言ってるだろ!」
リネグリンは、スタスタと檻に近づいた。
「タイミングが良すぎる。今なら、ディンフォラスにバニ草を売って儲けられると思ったんだろう」
言いながら、ウストを見下ろす。ウストは人間族としては大柄だが、それでもリネグリンの方が頭半分ほど大きい。
シェントロッドも近寄りながら、口を挟んだ。
「盗まれた苗とは、バニ草の苗なのか?」
ウストは「うわ軍人が増えた」と顔をしかめて一歩下がる。しかし、シェントロッドを見て、ふと表情が変わった。
「あれ? ディンフォラスのリーファン族じゃ、ない」
「俺は、ナファイ王軍所属の界脈士だ」
「ナファイの界脈士!」
ウストは再び足を踏み出し、檻につかまる。
「俺にバニ草の苗を渡してきたのは、ナファイの界脈士なんだよ! あんたよりおっさんっぽかった。誰なのか調べてくれ、そうしたら本当のことがわかるから!」
シェントロッドは、リネグリンに向き直った。
「……彼から、詳しい話を聞きたいんだが」
シェントロッドと、檻から出されたウストは、別室の机を挟んで向かい合った。
ウストはおとなしくはしているが、険しい表情だ。
彼はナファイ国のレド川北岸、ザヤハ村の住人なのだが、ディンフォラスに連れてこられる際に気絶させられて『同行』されたとのことなので、不機嫌なのも当然である。
シェントロッドは尋ねた。
「バニ草、というのは、ディラジア病の薬になる薬草だと聞いた。お前がナファイの界脈士からバニ草の苗を受け取ったとして、それはいつのことだ」
「昨年の秋。ザヤハ村に俺を訪ねてきた」
「なぜお前に? 何の疑問もなく受け取ったのか?」
「薬学校の先生の紹介だと言ったんだ。俺は四年前まで、王都の薬学校にいたから」
ウストの話に、シェントロッドは内心驚く。
(その時期なら、『レイ』の同級生か!)
ウストが無罪だとして、もし助けられなかったらレイゼルに恨まれるかもしれない。
(これは、責任重大だな)
うっかり苦笑したシェントロッドは、リネグリンとウストにいぶかしげに見つめられて、軽く咳払いをした。
「失礼。王都の薬学校なら、俺も立ち寄ったことがあるんだ。ウストはあそこの、他種族クラス出身者か」
「知ってるのか! もしかしたらあっちで会ってるかもな! そうなんだよ!」
ウストは我が意を得たりとばかりに身を乗り出す。
「だから、他種族クラスの先生から俺にバニ草の試験栽培の依頼がくるのは、自然なことだと思ったんだ」
「試験……栽培?」
横で話を聞いていたリネグリンがつぶやいたので、シェントロッドは説明する。
「ナファイも年々、気温が上がっている。いずれディラジア病が入ってくるかもしれない。おそらくその時のために、ナファイでもバニ草の栽培方法を確立しておく必要がある、という話ではないかと思う」
前半はレイゼルの受け売りで、後半は想像である。しかし、それは正解だったようだ。
「あんた、わかってるな!」
ウストは初めて笑顔を見せた。
「バニ草は、ナファイではレド川沿岸くらいしか気候が合わない。薬学校出身で沿岸に住んでる俺は、栽培するのに適任なんだ。苗が盗まれたものだろうが、そうじゃなかろうがな!」
「ふん……」
リネグリンは、軽く顎を撫でながら鼻を鳴らす。
「そんな話、お前の村の人々はしていなかったぞ」
「ディラジア病用の薬草を育ててるって話が広まると、その病気が広まるんじゃないかってパニックになる。だから、詳しい話は誰にもしてなかったんだ」
ウストは言う。
(なるほど。それが裏目に出て、ウストが一人で何かこっそりやっているように見えたのかもしれないな)
シェントロッドは思いながら、リネグリンに視線をやる。
「さっき、タイミングがどうとか言っていたが、あれは何だ」
今度はリネグリンが説明する。
「バニ畑は山の中にある。つい先日、ディンフォラスで山火事が発生して、バニ畑が広範囲に渡って焼けたんだ」
「何?」
「全滅したわけではないが、もし今、ディンフォラスでディラジア病が大流行すれば、ナファイのバニ草は高く売れる」
「おい」
ウストがギロリと、リネグリンを睨む。
「薬を扱う者をなめるなよ。そんなことで値をつり上げるようなことはしない。国が違ったって助けるに決まってるだろ」
(確かに、レイゼルもそうするだろうな)
シェントロッドは思ったが、リネグリンは机に手をついてウストをにらみつけた。
「タイミングが良すぎる、と言っているだろう。お前の共犯である界脈士が、こちら側のバニ草畑に放火した可能性も、俺たちは考えている」
「っざけんな、何だよそれ!」
さすがにウストが顔色を変え、中腰になった。
「おい」
シェントロッドが低い声を出すと、二人はにらみ合いながらも元の体勢に戻った。
シェントロッドはもう一度、立っているリネグリンを見上げた。
「山火事の現場は、調査が入っているんだろう? 結果を待とう。その間に、俺はウストの話の裏を取る」
「調べてくれるのか?」
ウストが身を乗り出す。
「いや、調べろって言ったのは俺だけど……もしかしたら、あんたのお仲間が犯人かもしれないんだぞ? 俺がやったことにした方が都合がいいじゃないか」
シェントロッドは立ち上がり、彼を斜めに見下ろした。
「ソロン家の者をなめるなよ、と言っておこう。リーファン族だろうが人間族だろうが、真実に種族の差はない」
びっくり顔のウストに、シェントロッドは口の端で笑って見せ、そのまま彼に背を向けて隊舎を出た。




