第六十六話 隣村に嫁いだ友達(3)失敗しても大丈夫
母屋に戻ってみると、何人かの女性たちが台所で朝食の準備を始めていた。収穫のための人員が多いので、朝食もかなりの量を用意する必要があり、村の女性たちが集まっているのだ。
「あら、薬湯屋さん。森に行っていたの?」
「はい、いい薬が採れました。あ、手伝いますね!」
レイゼルは手を洗い、さっそく野菜の皮むきに加わる。そこにはリュリュもいた。
「レイゼル、私のための薬草を採りに行ってくれてたの?」
「うん、いいのが採れたよー。起きてて大丈夫なの?」
「朝はまだマシだから、大丈夫」
他の人々も賑やかに話をしながら、次々と朝食が整っていく。やがて男性陣も起き出し、手早く朝食を食べて、果樹園に出かけていった。
朝食の片づけが終わった後の台所を、レイゼルは借りることにした。
まずは、ウィニスという薬草の種実だけを煎じ始める。種のように小さく細長いが、果実だ。そこへ、ジャナミルという花を乾燥させたものを加える。
妊婦用の薬湯を煎じるのは、薬学校の実習以来だ。普段、ほとんど使わない薬種ばかりである。
なぜなら、今日使っている薬種は普段のものよりも、効果が弱いからだ。妊婦には、わざと効果の弱いもの、香りや味も穏やかなものを使う。
(妊婦さんには、刺激が強いのはダメだからね。優しく、優しく)
レイゼルはリュリュのために、心を込めて薬湯を煎じる。
ミュントの葉を加え、スーッとする香りが立ったところで、火を止めた。薬種によっては、煎じすぎると薬効が飛んでしまうのだ。
仕上げに、早朝に採ってきた水筒の中身を加えて混ぜ、出来上がりだ。
「できたー」
満足げにつぶやいて、振り向くと──
──五歳くらいの、テランスの甥っ子が台所をのぞいていた。
彼は目を丸くして言う。
「魔女だ……」
レイゼルは、ふっふっふ、と低く笑った。
「そうだよ。お前をネズミに変える薬を、作ってやろうかねぇ」
ぎゃーっ、と、彼は逃げ出していく。
(ふぅ)
ため息をつきながら、レイゼルは思う。
(ごめんね、脅かして。でも、小さい子が近づくと心配だから)
子どもが薬草に触れることには、つい神経質になってしまうレイゼルだった。
こくん、と一口、リュリュが薬湯を飲む。
レイゼルは軽く、身を乗り出した。
「どう、飲みにくくない? 味や香りは調整できるから」
「ううん、大丈夫。スーッとして、すごく飲みやすい」
リュリュは木のカップを見つめる。
「それに、最後にほんのりジオレンみたいな味があるのがいいわ。何の味だろう」
「それね、アンテミラという薬草の味なの」
レイゼルは説明する。
「薬草の味っていうか……朝早くに、葉っぱの上にたまった雫を使うんだけど」
「朝露が、薬になるの?」
「朝露に見えて、そうじゃないんだ。アンテミラは、朝に葉っぱの中の水分を排出するっていう特徴があるの。空気に含まれている水分じゃなくて、植物そのものから出る恵みの雫なのよ」
これが、妊婦の体調を整え、吐き気やめまいを抑える薬になるのだ。
「アンテミラがナダヒナ村の森にあるって教えてくれたのは、隊長さんなんだ」
レイゼルが続けると、リュリュは目を丸くする。
「ソロン隊長が?」
「このあたりには、リーファン族に馴染みのある植物が多いっていうから、何があるのか聞いてみたの。そうしたら、薬学校で習った名前がいくつも出て。役に立つかもしれないと思って覚えてたんだ」
「へぇ……」
リュリュはニマッと笑った。
「ソロン隊長は、レイゼルの秘密にまだ気づいてないんでしょ? 『それ薬学校で習った!』なんて口走らなかったでしょうね」
「言ってないよー!」
レイゼルは笑ったけれど、頭の片隅でチラッと考える。
(そういえば、隊長さんがこの話をした時、微妙に唐突な感じがしたような、しないような……?)
けれど、リュリュが「後は、何が入ってるの?」と質問してきたので、「あ、このスーッとするのはミュントで……」
と説明を再開したレイゼルは、そのことをすぐに忘れてしまった。
レイゼルの作った薬湯は、リュリュの吐き気をずいぶん軽くすることができた。
「昨日、つわりが始まってから初めて、一日吐かないで過ごせたよ……! 身体がだいぶ楽、ありがとうレイゼル!」
翌朝、起きてきたリュリュは、表情まで柔らかかった。レイゼルも嬉しくなる。
「吐くのって、すごく疲れるものね。効いて良かった」
その日も二人は、収穫作業のある村人たちの大量の朝食づくりをし、自分たちも食べた後は箱詰め作業を少し手伝う。
やがて休憩を取ることにした二人は、少し森に入ったところで倒木に腰かけた。
薬湯は一日に飲む量の上限があるので、水筒に入れてきた別のお茶を飲みながら、リュリュは言う。
「レイゼルがずっとここにいてくれたらいいのにと思うけど……明後日には帰っちゃうのか」
「うん、ムムの収穫が終わったら、村の人たちと一緒に。私も残りたいけど……」
「ああ、ごめん、ちゃんとわかってる。アザネ村の人たちがレイゼルの薬湯を待ってるものね」
リュリュはニコリとする。
「それに、ソロン隊長も待ってるでしょ」
「えっ!?」
思わずレイゼルが声を上げると、リュリュは横目で彼女を見た。
「ゴドゥワイトのお城で隣同士の部屋だった、なんて、さらっと手紙にかいてあるんだもん。びっくりしちゃったよ」
「それは仕事で!」
「わかってるわかってる」
うふふ、と笑うリュリュ。レイゼルはちょっと膨れた。
「もー。仕事の話に戻るよっ。薬湯の作り方、書いておくからね。それと、テランスさんがアンテミラの雫、採りに行ってくれるって言うから、後で場所を教えることになってる。何とかそれで、辛い時期を乗り切って!」
「うん。きっと大丈夫だと思う。……ほんとはね」
リュリュは少しためらってから、続けた。
「赤ちゃんを育てられるか、ちょっと、不安もあったの」
「不安?」
「あたしは、ほら、親に捨てられて孤児院に来たでしょ? 親に育てられたことのないあたしが、子どもを育てるって、できるのかなって。失敗、しちゃうんじゃないかなって」
実は、孤児院に来てすぐの頃、リュリュは親に捨てられたのではなく「親は死んだのだ」と嘘をついていた。おそらく、捨てられたことを受け入れられなかったのだろう。
嘘をついて、それを本当だと思い込む。幼い頃のリュリュには、そんな危うさがあった。
それを乗り越えて成長したリュリュは、言う。
「あたしはシスターに育ててもらったし、孤児院のきょうだいたちもいた。今は家族もいる。赤ちゃんも、一人で育てるんじゃないんだもん。あたしが失敗しても大丈夫、赤ちゃんはちゃんと育つんだって、思うようになったの」
「失敗しても、大丈夫……」
レイゼルは、つぶやくように繰り返す。
リュリュが首を傾げた。
「どうかした?」
「あ、ううん。本当にそうだな、と思って……。素敵な家族がいるんだもんね。私も安心したよ」
「うん」
レイゼルの同意に、リュリュは嬉しそうに笑った。
ちょっと横になってくる、とリュリュが母屋に戻っていってから、レイゼルは一人、森の中を歩く。
(一人じゃないから、失敗しても大丈夫、かぁ)
養母エデリとの閉ざされた暮らしの中で、レイゼルは自分が幸せだと感じながら育った。しかし、その幸せが歪んだ形だったことを知って以来、一人で暮らすのが最善だという意識でいる。
誰かと一緒に暮らし、間違ったことを教え、あるいは教えられるのが怖いと思っている。
(でも、一人だと、自分自身の間違いに気づけないんだなぁ。……何だか私、かたくなな子どもみたい……)
そう考えると、少し自分が恥ずかしくなってくる。
今、レイゼルは一人暮らしをしているものの、その暮らしは開かれている。アザネ村の皆が、家族のようなものだ。
一人で過ごす彼女を、いつも心配してくれる人々の顔が思い浮かぶ。
特に冬、ヨモックとルドリックの親子は、家に来るように言ってくれた。それに、シェントロッド・ソロンも真顔で心配してくれた。
先の冬は、成り行きもあったし療養の為ではあったが、ペルップと暮らしたのだ。
(もしも、だけど……誰かと暮らすような、そんな選択肢が未来に現れたら、怖がらずに向き合ってみてもいいのかも)
想像してみたレイゼルは──
──何となく、照れ笑いした。
(誰と暮らすっていうの、もう)
ナダヒナ村滞在中に、レイゼルは一度リュリュのリクエストで、大鍋いっぱいにスープを作った。夏が旬の野菜、真っ赤なリパムのスープだ。
リパムは、レイゼルが王都から持ち帰ってアザネ村での栽培が始まったので、ナダヒナ村の人々はほとんど口にしたことがない。
まずは鍋に少しオイルを入れ、みじん切りにしたガリクの根を入れて炒め、香りを出す。そこへ、何層にもなったニオニン、ジオレン色のジンニの根、そして葉も茎も根も食べられるセリリィを全てみじん切りにしたものを加え、じっくりと根気よく炒めて甘味を引き出していく。
野菜から出汁を取ってあったものが台所にあり、使っていいと言われた。ありがたく使わせてもらう。ざく切りにしたリパムをたっぷりと加え、弱火でコトコトと煮込んで酸味を飛ばす。
仕上げに、塩で味を調え、バターでコクを足した。
「野菜の甘味たっぷり、赤いリパムのスープ、出来上がり!」
皆に振る舞われたスープはとても評判が良く、
「美味しいでしょ? レイゼルのスープは最高なんだから」
とリュリュが自慢するのが、レイゼルにはこそばゆく嬉しかった。
そして、アザネ村に帰る日。
村の人々とともに、レイゼルは馬車に乗り込んだ。
動き出す馬車から手を振る。
「リュリュ、何かあったらすぐ知らせて! お大事にしてね!」
テランスと並んで立ったリュリュが、手を振り返した。
「わかった! また手紙書くから! ソロン隊長と仲良くね!」
「はいー!?」
レイゼルは裏返った声を出し、アザネの村人たちは楽しそうに笑うのだった。




