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第六十四話 隣村に嫁いだ友達(1)ムムの収穫期

 太陽は日に日に力を増し、畑には色の濃い夏野菜が艶々と光る季節になった。

 アザネ村の果樹園では、ムムの収穫が始まった。村の特産である果物で、白くやわらかな実は汁気たっぷりで甘く、いい香りを放っている。実だけでなく、種や葉、花までも薬として利用できるので、村の大事な収入源だ。

 近々、北東隣のナダヒナ村からも人がやってきて、大勢で一気に収穫する。村同士が互いに手伝うのだ。完熟少し前のムムはすぐに箱詰めされ、主にフィーロに向けて出荷。市場に並ぶ頃には追熟して、食べ頃になる。どっちの村のムムを先に収穫するかは、その年の熟し具合を見てから決める。


 実は、レイゼルは今年の夏を、密かに楽しみにしていた。

 ナダヒナ村は、リュリュがお嫁に行った村である。昨年は、結婚してすぐに夏だったので、『収穫を手伝いにアザネ村に行きたいけど、さすがに結婚したばかりだし、行きたいって言いだしにくいわー』と手紙が来ていた。それはそうだろう、と、レイゼルも納得したものだ。

 しかし、今年なら。


 期待に胸を膨らませながら、店で調薬をしていると、戸口から客が入ってきた。

「レイゼル」

 雑貨店の跡継ぎ、トマである。養父母の薬湯を定期的に取りに来る。

「トマ、いらっしゃい。ね、ナダヒナ村の人たち、そろそろ来る時期よね。いつ来るのか聞いてる?」

 レイゼルが聞くと、トマはちょっと困った顔をした。

「あー、うん。明後日……」


「明後日! すぐね!」

 喜ぶレイゼルに、トマは軽く咳払いをして、言った。

「ええと、レイゼル。あんまり、気を落とさないでほしいんだけど。リュリュは、来ないんだってさ」


「えええー!?」

 レイゼルは目を見開いて、立ち尽くしてしまった。

「どうして……?」

「わからない。村長も、来れないらしいぞ、っていうだけで理由は知らないみたいだった。最近、手紙は?」

「二ヶ月前に来たきりだわ。てっきり、もうすぐ会えるから書かないのかと……」

 レイゼルはがっかりして、スツールに腰を落とす。

「厳しいおうちなのかな。旦那さんはほんわかした感じだったけど、お舅さんやお姑さんが行かせてくれないとか……? でも、それなら手紙に書くわよね。黙っていられる人じゃないもの、リュリュは」 

「ナダヒナ村の人に、様子を聞いてみなよ。そうだ、旦那さんは来るらしい」

 トマに言われて、レイゼルは「うん……」とうなずいた。



 翌々日の昼、ナダヒナ村から収穫を手伝う人々が到着した。アザネ村の果樹園は一気に賑やかになる。

 彼らは昼食の後からさっそく仕事にかかった。大勢の人々が収穫や選別、箱詰めなどの作業を分担し、ムムの詰まった箱が倉庫に次々と積み上げられていく。

 三日ほど手伝ったら、ナダヒナ村の人々が帰る時に、今度はアザネ村の人々が同行して手伝いに行く予定である。旬の短い品種なのだ。


 シェントロッドは夕方、レイゼルの店を訪れた。

「店主」

「あ、隊長さん、いらっしゃいませ! 今、煎じますね」

 レイゼルはすぐに、シェントロッドの分の薬湯を煎じ始めた。ケッシーの香りが漂い始める中、彼女はバタバタと今日使った道具を片づけている。

「……忙しそうだな」

 ベンチに座ったシェントロッドが言うと、レイゼルは振り向いた。

「あ、落ち着かなくてすみません! これからちょっと、果樹園に行ってこようと思って」

「リュリュは来ていないと聞いたが」

「はい、でも、ええと、リュリュの旦那さんとお話してみたいなーって」

「ふーん」

 シェントロッドは黙って薬湯の香りをかいでいたが、やがて言った。

「俺も果樹園まで行く」

「え」

 レイゼルは軽く首を傾げた。いつもなら、シェントロッドは水脈を通ってサクッと寮に帰る。

「果樹園に、ご用事ですか?」 

「……見回りがてらだ」

「そうですか、じゃあ一緒に……あ、でも私、歩くの遅いので、遠慮なく置いていって下さいね!」

「…………」

 鈍いレイゼルである。


 シェントロッドが薬湯を飲んだ後、二人は果樹園に向かった。

 彼はもちろん、彼女に歩調を合わせている。不言実行の男である(無言だからこそ、微妙にすれ違うこともあるのだが)。

 夏の夕暮れ時、空はまだ明るさを残し、ねぐらに帰る鳥が横切っていくのが見えた。風は凪いでいて、昼間の暑さの残滓が身体をすっぽりと包み込んでいる。

「隊長さんは、ナダヒナ村にも見回りに行っているんですよね?」

 レイゼルは聞いた。ナダヒナ村も、ロンフィルダ領内である。

「ああ。だが、ごくたまにしか行かないな。あそこは界脈的に恵まれているし、問題が少ないんだ。だから最近、リュリュの顔は見ていない」

「そうですか。二ヶ月前の手紙では、元気にやっているみたいでした。旦那さんとも仲良しで」

「一度、果樹園の主夫妻と話したことがあるが、穏やかな人柄だと感じた。リュリュは良い家に嫁いだと思う」


 そして、シェントロッドは少し考えてから、付け加えた。

「……俺としても、親しみを感じる場所だな。あの辺の森に、リーファンに馴染みのある植物が何種類か生えているのを見た」

「えっ、どんな植物ですか?」

 レイゼルが食いつく。


 リーファンの薬学校で学んだ彼女なら、絶対に興味を持つ話題に違いない。シェントロッドはそう思って、話を振ったのだ。

(彼女が『レイ』だと俺が知っていることを、彼女に伝えることができたら、もっと色々な話ができるんだがな)

 しかし、レイゼルが隠し事をしている裏に深い事情があるに違いないと思っているシェントロッドには、秘密を暴くことができないのだった。 


 二人が果樹園にたどり着いた時には、その日の収穫作業を終えた人々が母屋に戻ってきているところだった。

「おう、レイゼル、ソロン隊長」

 村人の一人が気づいて、声をかけてくれる。レイゼルはカゴを持ち直しながら近づいた。

「こんにちは、お疲れ様です。そろそろ夕食かなと思って、食後のお茶の差し入れに来たの」


「助かるよ、レイゼルの薬草茶は疲れが取れるからなぁ」

 喜ぶ村人にカゴを渡し、レイゼルは聞く。

「それと、リュリュの旦那さん、いますか?」

「ああ、ちょっと待ってな」

 彼はカゴを持って、母屋に入っていった。

 レイゼルはその場で待ち、シェントロッドは少し離れたところで何となく彼女を待つ。


 すぐに、ひょろっと背の高い、とぼけた顔をした若者が出てきた。

 リュリュの夫、テランスだ。

「あっ、こんにちは。薬湯屋のレイゼルだよね?」

 テランスは、頭にかぶって縛っていた布を取り去りながら、タタッとレイゼルに近寄ってきた。

「はい。お食事時にすみません」

「いや、来てくれてありがとう。僕の方からお店に行こうと思っていたんだ。リュリュから君のこと、色々と聞いているよ」

 笑うと目がなくなる、細い目のテランスである。


 レイゼルはおずおずと尋ねた。

「あの、リュリュは元気ですか? 今回、来るかなと思ってたんです」

「うん、彼女も行きたいって言ってたんだけど、ちょっと事情があって来られなくて」

 彼は曖昧な言い方をしてから、続けた。

「それで実は、レイゼルに、来てほしいと言うんだけど」

「え」

 レイゼルは目をぱちぱちさせた。


 レイゼルに関しては心配性のリュリュが、移動に半日かかる村にレイゼルを呼ぶ、というのは珍しい。結婚式の時に「遊びに行くね」「待ってるわ」という会話はしたものの、どちらかというとリュリュの方が「行ける時はあたしが行く!」という雰囲気だった。


(もちろん、リュリュが来られないなら私が行くけど、何が……)

 少し考えて、レイゼルはハッとした。

「テランスさん、もしかしてリュリュ」

「あっ、ええと、言うなと言われてるから言わないでおくよ」

 テランスはちょっと焦った様子で両手を振る。

「で、どうかな、来れる?」


 レイゼルは即答した。

「行きます!」


「じゃあ、アザネの人たちがナダヒナに来る時、一緒においでよ。リュリュも喜ぶ」

「はい! 準備しておきますね!」

 レイゼルは大きくうなずいた。


 テランスが母屋に戻っていくと、シェントロッドがスッと近寄ってくる。

「ナダヒナに行くのか」

「はい! 体調を整えておかなくちゃ」

 大きくうなずくレイゼルは、ずいぶん機嫌が良さそうだ。


 シェントロッドは尋ねる。

「何だったんだ? さっきの会話は」

「ふふ、たぶんですけど」

 レイゼルは嬉しそうに、声を潜めた。

「リュリュ、赤ちゃんができたんじゃないかなぁ」


「……なるほど」

 確かにそれなら、長時間馬車に揺られるような場所には行かないだろう。

 うなずくシェントロッドに、レイゼルはニコニコと言う。

「ああ、ドキドキする。秘密にしてるのがちょっと気になりますけど、私に余計な心配をかけないようにって、リュリュなら考えそう。会ってきます!」

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 今年は里帰りするかと思っていた親友のリュリュちゃんが、来れないと知ってがっかりのレイゼルちゃん。でも、来れない理由が「おめでた」かもと気付いて急浮上。リュリュちゃん、良…
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