第六十三話 雑穀入り緑の春野菜スープ
柔らかな日差し、優しい風。
淡い緑の葉と、白や黄色やムム色の花々。
アザネ村に、春がやってきている。
薬湯屋レイゼル・ミルが帰還して、村人たちはとても喜んだ。
「あぁ、もう一つの春が戻ってきたよ」
「すっかり顔色が良くなって! これはトラビ族に感謝しないとねぇ」
「でも、長いこと顔が見られないと気が気じゃなかったよ」
「レイゼルが王都に行っていていない頃を思い出したな」
「まぁ、今回はソロン隊長がいたからよかったけどね」
王都時代もシェントロッドはいたのだが、それは置いておいて。
「心配かけて済みませんでした! また薬湯を作るので、皆さんの今の体調、診せて下さいね。ジオレンの皮なんかのお土産も一杯もらってきたし!」
張り切るレイゼルは、毎日せっせと薬湯を作っている。
皆が家に常備していた薬湯ストックがすっかりなくなってしまったので、作る量も多い。もちろん、帰る日に合わせて必要な薬種は注文してあったし、レッシュレンキッピョン村やゴドゥワイトで入手したものもあるので、薬種にほとんど不自由はしなかった。
「あまり頑張りすぎるなよ!」
「そうそう、うちは後回しでいいからね」
村人たちに心配されながらも、仕事をすることができて嬉しいレイゼルは体調が良いのである。
そんなわけで、毎日村人たちは入れ替わり立ち替わり、薬湯屋を訪れた。
さて、そんな常備薬湯作りラッシュの日々も一段落し、久しぶりに暇になったある日。
「料理人さんに教えてもらった香草オイル、また作ろうっと!」
レイゼルは店で一人、作業台であれこれ作っていた。
ゴドゥワイトを発つ時、グザヴィエの料理人から、サミセのオイルを分けてもらっていた。生のサミセを絞ったオイルはクセがなく、加熱していないサミセ独特の効能もある。
まずは煮沸して消毒した瓶に、菜園で採れた香草であるリマーズロー、元気の出る薬種ガリクを軽く潰したもの、赤く細長い辛みのあるカプスの実を入れた。洗わないのがポイントである。
(洗うと、水に溶けて流れちゃう栄養があるからね)
心の中でつぶやきながら、レイゼルは瓶にサミセのオイルを注ぎ入れた。香草や実が空気に触れなくなるまでたっぷり入れたら、蓋を閉めてできあがり。数日置けば、オイルに香草や実の香りと栄養が移るのだ。
「よし。さて、できあがっているオイルがこちらになりましてー」
誰に向けて言っているのか謎だが、レイゼルは使いかけの方の瓶に視線をやった。こちらは、アザネ村に戻ってすぐに作ったオイルだ。
「もうすぐなくなっちゃうな。美味しいからつい使っちゃう。……残りは、隊長さんが来た時までとっておこう」
ルドリックの馬車でアザネ村に戻ってから、レイゼルはまだ、シェントロッドの顔を見ていない。
休んでいた間の仕事がたまっているのと、薬湯屋が混んでいるのでもう少し空いたら行く、と言っていたと、ルドリックが教えてくれた。
「もう空いたのにな」
つぶやくレイゼルは、ふと頬を染める。
村に戻ってからというもの、ふとした時にシェントロッド・ソロンのことを思い浮かべることが多くなった。
『お前が人間族として生き、寿命を全うした後、生まれ変わってまた俺に会いに来れば、それでいい。俺は待っているだろう』
あの時の言葉が胸によみがえると、ドキドキする。
(……変なの。あの時までは別に、こんな気持ちにならなかったのに。ゴドゥワイトではずーっと一緒にいたのによ?)
昼間はほぼべったり一緒、部屋は隣り合わせ、夜中に突撃などしているにも関わらず、レイゼルはあの言葉を聞いた時に初めて、シェントロッドにドキドキしている自分を自覚したのだ。
(そっか。それまではずっと、グザヴィエ様の不調の原因を突き止めようとして、仕事に没頭していたものね。やっぱり働くって素晴らしいなぁ)
あっという間に気が逸れたレイゼルは、さらに働くことにした。
「残ったリマーズローで、軟膏を作ろう!」
香草リマーズローの軟膏は、お肌に弾力を与えてくれる。しかも、肌の表面だけでなく内部まで効くと言われており、作っておくとシミ・シワの気になる一部の村人たちに喜ばれた。
しかし、これも香草オイルと同様、作るのに少し時間がかかる。
まずは、酒でリマーズローの薬効を抽出するところからだ。
煮沸した瓶に、リマーズローと強い酒を入れる。レイゼルは蓋を閉めながら、ひとり言を言った。
「えーっと、どこに置こうかな。暗いところがいいんだけど」
くるりと振り向くと──
店の戸口に、シェントロッドが立っていた。
「ぎゃあ!」
「何だその声は」
「あっ、いえちょっと、ここで隊長さんを見るのが久しぶりで」
「俺がここにいるのが当たり前だと思え」
よくわからない主張をしながら、シェントロッドは戸口をくぐって入ってきた。
「さすがに疲れがたまった。界脈流が淀んでいる感じがする」
「わかりました!」
レイゼルは処方録を引っ張り出し、シェントロッドの様子を診て書き留めてから、薬草棚をあちこち開けて薬湯を作り始めた。
彼はベンチに腰かけ、作業台を眺める。
「今、何をしていたんだ」
「リマーズローの抽出剤を作っていたんです。お酒に漬けて、抽出に二週間くらいかかるんですけど。できあがったら、それを軟膏にしようと思って」
「軟膏? 酒を?」
「蜜蝋と抽出剤を、一緒に湯煎で溶かして、お酒の成分をとばします。冷まして固めれば軟膏のできあがりです」
おしゃべりをしながら薬湯を煎じ始め、そしてレイゼルは先ほどの瓶を持って水車の方へ行った。柱の陰に瓶を置く。
「蜜蝋、ゴドゥワイトでもらったんですよ。蜂蜜酒の職人さんにお別れの挨拶をしたら、養蜂家の方からもらったっていう蜜蝋を分けてくれたんです」
「いつの間に……」
「出発前ですよー、隊長さんが馬を呼んで下さっている間に」
レイゼルは薬湯を煎じている間に、当たり前のようにスープを作り始めた。
春の野菜は、柔らかく甘い。サヤから出した緑の豆、淡い緑の葉の折り重なったキャンツのざく切り、何層にもなった丸い根菜ニオニンの薄切りを次々と鍋に入れる。
さらに、もち麦も入れて、コトコトと煮込んだ。もち麦は腸を整え、糖分の吸収を抑えてくれるが、それがなくてもモチモチプチプチした食感がレイゼルは大好きだ。
シェントロッドが話を再開する。
「……そういえば、ゴドゥワイトの蜂蜜酒の職人は、薬草の店で会った店員の父親だというのは知ってるか」
「そうなんですか!?」
「明らかに似ていただろう」
「す、すみません、リーファン族の細かい見分けがまだ……」
「まあそうか。俺もよく人間族の顔を間違う」
(……あ)
レイゼルは、先にできあがった薬湯を木のカップに注ぎながら、ふと気づいた。
(私たち、ゴドゥワイトの思い出話をしてる。同じ思い出が、できたんだ。私と隊長さんで)
シェントロッドにカップを渡すと、彼はレイゼルのすぐ隣に立って、薬湯を飲み始める。
(……こんな風に、レイと副部長さんの思い出話もできるといいのに……なんて)
あれだけ苦労した界脈調査部時代も、時が思い出に変えていく。
(いつか……レイだったことを話す時がくるのかな。それはどんな時だろう)
春は毎年巡ってくるけれど、レイゼルの心は毎年同じではなく、少しずつ変化していた。
スープは塩とパッペで味を調え、最後に、シェントロッドのためにとっておいた香草オイルを垂らした。リマーズローとガリクの香りが立ち上る。
これだけで美味しい、春のスープだ。
レイゼルは器にスープをたっぷりと盛り、トレイに載せ、シェントロッドを振り向いた。
「はいっ、雑穀入り緑の春野菜スープ、できあがりです!」
レイゼルはリマーズローという香草と蜜蝋で軟膏を作っていますが、もしもローズマリーで作る場合は、蜜蝋ではなくワセリンを使うといいようです。メディカルハーブの先生が、ワセリンにしか溶けださない成分がある、とおっしゃっていたような気がする(うろ覚え)。
興味のある方は、調べてみてください。
(※追記 成分名はウルソール酸でした。専門家ではないので、ここに詳しく書くのは控えますね。間違えてたら大変(汗)後は個人の責任でお願い致します!)




