第六十一話 謎を解く鍵は朝陽とともに
興奮したレイゼルがもう眠りそうになかったので、シェントロッドは彼女に着替えるように言い、二人はイズルディアの屋敷を出た。
夜明けはまだ遠く、ゴドゥワイトは階段周りにランプが点してあるだけで、家々は闇に沈んでいる。
「醸造所に行きましょう。まだ、グザヴィエ様の壷と同じ時期に作られたものが残っているかも」
モコモコに着込んだレイゼルが、えっちらおっちら階段を下りる。
(足下は見えているのか?)
いつコロコロ転がり落ちるかと、ランプを持ったシェントロッドは彼女に付きっきりだ。ゴドゥワイトに来るときに「お前のそばを離れない」とは言ったが、ここまで物理で離れないようにしようと思っていたわけではなかった彼である。
醸造所の鍵はイズルディアの屋敷の警備室にあったので、借りてきたそれで中に入る。
壷がずらりと並ぶ棚の、手前から見てみると、壷の持ち手にタグがつけられていた。
「日付が入っていますね。グザヴィエ様が来たのは二十日と少し前だから……」
「来てすぐに出来立てのものを飲み始めたなら、仕込まれたのはそのさらに二十日ほど前だ」
二人は棚を順に見ていった。蜂蜜酒は毎日仕込むわけではないようで、日付は飛び飛びになっており、かえって近接の日付と迷わずに済む。
それはすぐに見つかった。
「これだな」
ちょうどその頃に仕込まれた壷があった。
棚の一カ所に試飲用の木のカップがいくつも置かれており、シェントロッドはそこからひとつ持ってきた。
「店主は人間族だ、飲むな。まずは俺が味を見る」
「あ、はい、お願いします」
彼は壷からほんの少量注ぎ、口に含んだ。目を閉じて、じっくりと味わう。
「……特に、おかしい味だとは思わないが。まあ、ドリュアの蜂蜜酒にしては香りが強……おい」
目を開いたとき、レイゼルが両手にひとつずつカップを取っていたので、シェントロッドは彼女の肩に手をかけた。
「飲むなというのに。香りも影響があるかもしれない、やめておけ」
「色を見るだけです」
レイゼルは言い、シェントロッドが試した壷の両脇の壷から、それぞれ二つのカップに少しずつ注いだ。
壷と同じ並びで、合計三つのカップが並ぶ。
一番新しいのが、レイゼルたちが昨晩飲んだのと同じもの。
真ん中が、グザヴィエが飲んだのと同じと思われるもので、今シェントロッドが試飲したカップ。
一番古いのは、秋の終わり頃に作られたものだ。
「ランプの灯りだとわかりにくいですけど……真ん中だけ、色が少し濃いような」
レイゼルはつぶやいた。シェントロッドも彼女の上からのぞく。
「言われてみると、そんな気もする」
「もしそうだとしたら、私、心当たりがあるんです」
彼女は、キッ、と顔を上げる。
「隊長さん、次、行きますよ!」
「あ? おい、待て」
出口へと階段を上っていくレイゼルを、シェントロッドは急いで追った。
レイゼルは穴蔵を出ると、イズルディアの屋敷には戻らず、町の階段を降りた。
到着したのは船着き場だ。
湖を取り巻く森はまだ暗いが、東の空がわずかに白み、木々の輪郭を表し始めている。もうすぐ日の出だ。
桟橋の所まで来ると、レイゼルはビシッと指さした。
「舟に乗りたいです!」
「は?」
シェントロッドが彼女の指先を視線でたどると、そちらに小舟がある。
「対岸に行きたいんです。お願いします!」
「わかったわかった。ほら、乗れ」
助手はおとなしく言うことを聞き、レイゼルに手を貸して舟に乗せた。舟の舳先にランプをぶら下げてから艫に行き、一本だけの櫂で桟橋を押して、舟を出す。
「どこへ行くつもりだ。遠くに移動するなら、馬を呼ぶが」
「いえ、渡ったらすぐそこです。確かめたいことがあるんです」
レイゼルは前のめりに、進行方向を見つめている。まだ暗いので、見つめたところで見えないのだが。
すぐに舟は対岸に着き、シェントロッドがレイゼルを下ろすと、彼女は斜面を登り始めた。ここに来たときに通った道を、逆にたどっている。
「植生が、気になって、ここに、着いた時に、観察、したんです」
息を切らせている彼女の言葉に、シェントロッドは思い出す。
(そういえば、何か珍しい木がどうとか言っていたな……)
そして彼女は足を止めた。
「このあたりだわ。ここからこちら側は全部、イグスの木です」
短く細い葉が枝にびっしりとついた、針葉樹である。まっすぐ伸びる幹から垂直に枝が広がって生えており、一本一本は離れていた。
レイゼルは木々の隙間を縫って歩き、やがて足を止める。
「見ていて下さい」
「…………」
シェントロッドは彼女の隣に立ち、黙って待った。
レイゼルは注意深く、ゆっくりと、あたりを見回している。
やがて、光が射し込んできた。
朝陽が昇ったのだ。
「来た。やっぱり。隊長さん、来ました」
レイゼルが抑え気味の声で言いながら、指さす。
「ナファイミツバチの、活動時間です」
その指の先で、イグスの木の一本に数匹のミツバチが集まっているのが見えた。
「何だ……? この木に花は咲いていないのに」
「樹液です!」
レイゼルが説明する。
「ナファイミツバチが蜜を集めるのは、花からだけではないんです。樹液……正確には、樹液を吸う虫が出す甘い液を集めることがあります。甘露蜜といいます」
「甘露蜜……」
「ナファイ国のミジト地方で干ばつが起こった時、花から蜜を集められなかったミツバチが、ある木から甘露蜜を集めて、それを口にした人間族が中毒になった例があるそうです。同じことが、冬のゴドゥワイトで起こったんだわ」
レイゼルは、上気した顔でシェントロッドを見上げた。
「イグスの木は、人間族にとっては毒なんです」
夜がすっかり明けるのを待って、レイゼルとシェントロッドはグザヴィエ・ニネット夫妻の部屋に行った。
そして、彼の部屋にある蜂蜜酒が、やや濃い色と、ほのかに独特の香りがしているのを確認した。
「この蜂蜜酒は、ドリュアの花蜜だけではなくて、イグスの樹液の甘露蜜が混じっている可能性があります。もしかしたら、今年はたまたまドリュアの花が遅かったり少なかったりしたのかも……。パッと見ではわかりませんし、醸造した人はドリュアの花蜜のみ使っているつもりだったんでしょう」
レイゼルは説明する。グザヴィエがため息をついた。
「身体にいいと思い、毎日飲んでいたのに、これが原因だったとは」
「この壷から飲むのをやめて、秋に作られた蜂蜜酒に変えてもらえば大丈夫です。それから、この薬湯を毎日、煎じて飲んで下さい」
原因と思われるものが特定されたので、レイゼルは早速、イグスの樹液中毒に対処するための薬湯を調薬して持ってきていた。
ニネットは薬種の入った包みを受け取りながら、心配そうに眉根を寄せる。
「夫はこれで、治るのかしら……」
「数日は様子を見ていただくことになりますが、おそらく大丈夫だと思います。根気よく行きましょう」
レイゼルは彼女を励ました。
客室に戻りながら、シェントロッドは質問する。
「今日、イグスの木にミツバチがまだ来ていたということは、お前が飲んだ蜂蜜酒にもイグスの甘露蜜が入っていた可能性があるんじゃないか?」
「そうですね、たぶん少しは。でも、ほとんどはドリュアの花蜜だったでしょうし、それに……」
レイゼルはちょっとためらってから、続ける。
「私は、少しなら、イグスは大丈夫です。……でした」
シェントロッドは黙り込む。
(子ども時代に、試させられたことがあるということか)
レイゼルはため息をついた。
「イグスの木で作った食器で食事をしても、中毒になります。ここに来たとき、木があることにも気づいてました。でも、このお屋敷の食器は銀だったので、関係ないと思ってしまって。蜂蜜酒となかなか結びつけられなかったのが悔しい」
「イグスから甘露蜜が採れることは、醸造担当の者も知らなかったようだ。……それはともかく」
客室に入ったとたん、シェントロッドは言う。
「寝ろ」
「へっ」
「ひとまず原因は分かったんだから休め。昨夜はあまり寝ていないだろう。俺はロンフィルダに行ってくるが、お前がちゃんと休んでいたかどうか後から確認するからな。他のリーファン族に頼んでいく」
「ひえ、はいっ」
レイゼルは肩をすくめた。
客室から出たシェントロッドが扉を閉め、歩き出した時、部屋の中で彼女がつぶやく声が、微かに彼の耳に届いた。
「はぁ。……もうすぐ、帰れるかな」
(……そうだな)
レイゼルを、早くアザネ村に帰してやらねばならない。原因も対処法もわかったのだし、グザヴィエが完治するまで彼女をここに留まらせるのは酷だろう。
シェントロッドは、今日の仕事が終わったら帰り支度を始めようと考えながら、界脈に乗った。
甘露蜜は褐色で味に深みがあるものが多く、有名なもののひとつにもみの木の甘露蜜があります。高級品だそうですよ。
メリークリスマス!
この後、後日談的なお話が一つ入って、ゴドゥワイト編は終了です。できれば年内に……
※「植物の樹液を摂取する昆虫は極端に多量の糖類を摂食してしまうので、それを調節するためにハニーデューという甘い溶液を排泄している。干ばつの間ミツバチは花の蜜の代わりにこのハニーデューを蜂蜜生産の糖資源にしている」(エリザベス・A・ダウンシー ソニー・ラーション『世界毒草百科図鑑』(原書房)より抜粋)
ゾウも倒す、とある猛毒(名前は伏せときます)の木があるんですが、ミツバチはそれに耐性があるのでスルーでき、蜂蜜を食べた人が二次的な曝露を受けてしまうという事例を読みました。ゴドゥワイト編はそこから考えたものです。ただし、干ばつではなく花の少ない冬だったり、界脈が絡んだりと、リアルとは大きく異なります。ナファイミツバチの蜂蜜で作る蜂蜜酒の製法・味などについても同様です。
この物語はフィクションであり、登場する人物・団体・名称等は実在のものとは関係ありません。




