第六十話 蜂蜜酒の醸造所
ゴドゥワイト滞在、三日目。
レイゼルは薬草店に行きたいと言った。
「確か、ここの薬草店の方、アザネ村に来たことがあるとおっしゃってましたよね。もしかして、何か参考になる話が聞けるかも。こう、ゴドゥワイトならではの、人間族が注意しないといけないこととか……」
「わかった。行こう」
シェントロッドはレイゼルを連れてイズルディアの館を出ると、急な石段をゆっくり降りる。薬草店は、小さな山のような形をしたゴドゥワイトの集落の、中腹にあるのだ。
ツタの絡まる石造りの大きな店では、今日も大勢のリーファン族が立ち働いていた。
「ああ、君がウワサのアザネ村の」
シェントロッドが、レイゼルと薬草店の店員の一人を引き合わせると、店員は軽く目を見開いた。髪を編んで肩口から垂らした、中性的な雰囲気のある男性だ。
「サキラは役に立ったかな?」
「はい、とても! ありがとうございました。あの、追加分を買わせていただけませんか? 自分でも買いたいんです」
「ああ、もちろん」
店員は言ったものの、ちらりとシェントロッドを見る。今まで料金をイズルディアが持っていたので、レイゼルに払わせていいのか迷ったのだ。
シェントロッドが軽く肩をすくめただけで止めないので、何か察した店員も微笑んだ。そして、いったんカウンターの奥の扉に引っ込むと、紙包みを持ってくる。
「今、在庫がこれしかなくて悪いんだけど」
「いえ! 大丈夫です!」
レイゼルはその分の料金を払った。
店員は釣り銭を渡しながら言う。
「シェントロッド殿から聞いているかな、僕はアザネ村に行ったことがあるんだ。あの村の高齢者は長寿で有名だから、どうしてなのか気になって」
「あ」
レイゼルは一瞬、言葉に詰まったが、すぐに返事をした。
「昔、腕のいい薬湯屋さんがいたんです。村の大人たちはその人の薬湯を飲んでいたので、元気なんです。でも、もうその人は亡くなったので、どんな薬湯を作っていたのかは聞けないんですけれど」
「そうか。それは残念」
「代わりに、私が村の人たちの健康を守れるようにと思って、勉強しています。人間族にも効く薬種で、お勧めがあったら教えてください」
レイゼルの求めに応じて、店員はいくつかの薬種の説明をし、あるいは実物を出して見せてくれた。
彼女は楽しそうに質問などしていたが、やがて言う。
「あの、逆に、気をつけた方がいい薬種はありますか? リーファン族には効くけれど、人間族には使わない方がいいものとか、何かと見間違いやすいものとか。最近見つかった薬種とか」
それについても、店員は快く説明した。
レイゼルはうなずきながら聞き、そして追加で何やら薬種を買うと、店員に礼を言った。
「またのお越しを」
店員は微笑んで、レイゼルとシェントロッドを見送った。
「うーーーーん」
店を出て、急な石段をえっほえっほと上りながら、レイゼルはつぶやく。
「手に、入りにくい、薬種が、買えたのは、すごく、嬉しいんですが、知っている、薬種、ばかり、でした」
(それは、リーファンの薬学校で学んだのなら、そうだろうな)
隣を上るシェントロッドは思ったが、口には出さない。代わりに、別のことを口にした。
「店内に蜂蜜の瓶が並んでいたのも、じっと見ていたな。やはり気になるのか」
「あ……はい。でも、一般的な種類の蜂蜜しかなかったので……料理人さんも蜂蜜で何かあったことはないと言っていたし。やっぱり関係ないのかな……」
眉間に皺を寄せているレイゼルを見て、彼はふと足を止める。
「せっかくここまで降りてきたなら、蜂蜜酒の醸造所を見ていくか? ここから近い」
「え、醸造所? 見たいです!」
「なら、こっちだ」
シェントロッドは、横道に入った。
少し歩いたところに、トンネルがあった。山の中に向かって進んでいくトンネルだ。まるで鉱山の坑道である。
「醸造所は、ここから入って少し降りたところにある。穴蔵だ」
入ってすぐのところに置いてあったランプに火を点し、シェントロッドは先に立ってトンネルに入った。少し行くと階段になっていて、折れながら真下に続いている。
それほど降りることなく、広い空間に出た。
「わぁ、壷がいっぱい!」
レイゼルは階段の途中で足を止め、手すりに捕まって目を見張った。
壁のあちらこちらにランプがかけてあり、石壁のその空間を照らしている。持ち手のついた土壷がずらりと並べられた棚が、何列も続いていた。
「そういえば、蜂蜜酒ってどうやって作るんですか?」
レイゼルが聞く。すでに一番下まで降りていたシェントロッドは、彼女を見上げて答えた。
「この場所に関係がある」
「場所?」
彼女が降りてくるのを待ち、シェントロッドは手近な棚のところに行った。
壷の蓋は開けてあり、小さくプツプツという音がする。発酵しているのだ。
「蜂蜜や水など、いくつか混ぜてこの穴蔵に置いておくと、発酵する。空気中に発酵を促す成分が満ちているのだそうだ」
「空気! じゃあ、この場所が特別なんですね」
「ああ。二十日もあれば飲めるようになる」
「え、そんなにすぐ? 早いんですね……!」
「昨日飲んだドリュアの蜂蜜酒は、出来立てをもらった。ドリュアの季節の始まりだ」
「へぇえ」
「あちらの棚は、少し前のものだな。こちらから順に奥に向かって古くなる」
眺めながら、奥まで歩く。
「面白いですね。飲み比べしたくなっちゃう」
レイゼルはそんな感想を述べたけれど、その後はずっと、何やら考え込んでいるようだった。
イズルディアの屋敷に戻ったレイゼルは、再び料理人と話しに行ったり、グザヴィエの様子を見に行ってニネットとも話したりしていたが、最終的に客室に戻って書類とにらめっこになった。
「店主。夕食の用意ができたそうだ」
「あっ、はい!」
シェントロッドに声をかけられたレイゼルが、ソファからパッと立ち上がる。
そのとたん、ふらついた。シェントロッドはすぐに手を出し、彼女の腕をつかんで支える。
「す、すみません」
「具合が悪いのか」
「いえ! 細かい文字を集中して見ていたところで、急に立ったりしたから……。大丈夫です、食堂に行きましょう」
二人は客室を出る。
「本当に、具合は大丈夫なのか。明日、俺はフィーロに行かなくてはならない」
シェントロッドの言葉に、レイゼルは彼を見上げて言う。
「大丈夫です、私は残ります。無理はしないとお約束しますから」
そして、つぶやいた。
「もう少しで、わかりそうなんです。すぐそこに答えがあるような気がして」
「…………」
シェントロッドは気遣わしげに、彼女を見つめる。
食堂でも、ひたすらレイゼルは考え事をしていて、ともすれば手が止まってしまうのをシェントロッドが声をかけて食事をさせる、という調子だった。まるで子どもの世話だが、放っておくと食べないので仕方ない。
食事を終えて客室に戻りながら、シェントロッドはレイゼルを見下ろす。
(明日は仕事に行くとしても、数時間おきに戻ってきて様子を確認しないと、気づいたら倒れていそうだな)
とにかく、明日の朝のレイゼルの様子を見て、レッシュレンキッピョン村に送り返すかどうかを決めようと思ったシェントロッドだった。
その日の、夜。
蜂蜜酒の力で半ば無理矢理レイゼルを寝かしつけ、シェントロッドも自室で休んでいたが──
夜中にいきなり、二つの部屋を繋ぐ扉がバターンと開いた。
「隊長さん! きゃっ」
暗闇の中、ほぼカンで駆け寄ってきたレイゼルが、ベッドの手前ですっ転ぶ。
「ど、どうした」
即座に起きあがったシェントロッドは、夜目が利く。ベッドを降りてレイゼルを助け起こすと、彼女は急いた様子で言った。
「やっぱり蜂蜜かもしれません!」
「あ?」
寝間着姿のレイゼルに夜中に突撃されて、さすがに少々動揺するシェントロッドだったが、レイゼルはかまわず続ける。
「ドリュアの蜂蜜酒、出来立てだと言いましたよね? じゃあ、その前は?」
「その前?」
「冬です! 冬は花が少ないはず。でもニネット様は、ここに来てすぐに出来立ての壷をもらったと言っていたわ。グザヴィエ様が飲んでいる蜂蜜酒は、いったい、何の蜂蜜で作られたんでしょうか!?」




