第五十九話 可能性を、ひとつひとつ
翌朝。
朝食の後で、レイゼルは料理人が使っている厨房に向かった。助手のシェントロッドも、もちろん一緒である。
「店主」
スッ、と何か小さな紙切れを差し出しながら、シェントロッドが言った。
「昨日の献立表から、アザネ村で食べた覚えのない食材を抜き出しておいた。人間族があまり食べないものかもしれない。料理人に確認しろ」
「わっ、ありがとうございます!」
レイゼルはありがたく受け取る。
(私が寝ている間に、隊長さん、先に見ておいてくれたんだ)
自分も頑張ろう、と決意を新たにするレイゼルである。
厨房で待っていた料理人は、三十代半ばくらいの男性だった。髭が濃く、体格がいい。
「あんたが人間族の薬湯屋か。奥様が何やらおっしゃっていたが、料理には素人なんだろう? それなら、俺の料理に口出しは」
むっつりと言いかける彼の言葉にかぶせるように、レイゼルは話しかける。
「朝食のサラダ、すっごく美味しかったです! リマーズローとかガリクとか、香草を漬けたオイルを使ってるんですよね!?」
「あ? ああ。そうだが」
「私、オイルが苦手なのに、全然しつこくなくてびっくりしました。何のオイルなんですか?」
「あんた、俺に何か教えに来たんじゃなかったのか!?」
「あっ! そうでした! でもあんまり美味しかったので!」
料理人の顔を見つめたまま待っているレイゼルに、料理人は噴き出した。
「はは、わかった、教えるよ。あれはサミセのオイルだ。ただし、煎らないで生のまま絞ってる」
「え、生のサミセ?」
「圧搾方法が特殊でな」
「ふんふん」
すっかり料理の話になっている二人を、背後にいたシェントロッドが咳払い一発で我に返らせる。
「あ、すみません……! あの、これ、料理に使える薬種を持ってきました」
レイゼルはいくつかの薬種を広げて説明し、そして料理人に尋ねる。
「グザヴィエ様のお食事を作って、長いんですか?」
「もう十年になるな。グザヴィエ様は好き嫌いがないから、色々な料理を作らせていただいたよ。でも……今までこんなことなかったのに」
料理人はため息をつく。
「やっぱり、俺のせいなのかな」
「まだそう考えるのは早いです。ゴドゥワイトに来て、初めてこんな風になったのでしょう? この場所に何かがある可能性の方が高いですよ。私、頑張って原因を探しますから、何か気づいたら教えてください」
レイゼルは料理人を励ます。
「ニネット様とあなたが、ここではグザヴィエ様について一番詳しいんですから!」
「そうか。うん、そうだな」
料理人は、そのガタイに似合わず弱々しく笑い、そしてうなずいた。
「何でも聞いてくれ」
「はい、お願いします。ええと、これなんですが」
レイゼルは、シェントロッドの作成したメモを元に、料理人に食材を確認してもらった。
彼女が名前を知らない食材もあったのだが、聞いてみると結局、グザヴィエの地元での呼び名があるだけでアザネ村にある野菜と同じものだったり、料理人も同じものを食べていて異常がなかったりと、手がかりはつかめなかった。
厨房を出て歩きながら、レイゼルは考え込む。
「食べ物が原因ではない、なんてこと、あるのかしら。水は何ともないし」
「水?」
「はい。グザヴィエ様の領地と水が違うせいかとも考えてみたんですけど、ここ、アザネ村と同じ川の水系なんですよね……私の身体じゃ、実験にならなくて」
「それで昨夜、水を飲んでいたのか。そういえば朝食の時もだな。自分の身体で実験するのはやめろ」
「ハイ」
肩をすくめるレイゼルである。
シェントロッドは軽くため息をついて続けた。
「今までも、遠方からの客人が滞在したことはあるが、何も起こらなかった。水が原因ではないだろう。あえて言えば、冬場に人間族が来るのは珍しいが」
「え、そうなんですか?」
「人間族は、冬場は移動しにくい。グザヴィエ殿の領地はここから南方だから雪は少ないし、船を利用して来れたそうだ。このあたりの川は凍らないからな」
彼の説明に、レイゼルはまた「ふぅん……」と考え込む。
「……どうかしたのか?」
「いえ、グザヴィエ様だけに症状が出ているわけですから、何か他の人と違うんだろうと……それが何なのかを見つけようとしているので。もしかしたら、冬に人間族が来るのが珍しいというのがとっかかりになるかなと思ったんですけれど」
レイゼルはしばらくその件について考えていたが、そこから何か導くことはできなかった。
その日の夕食時、グザヴィエは食堂には姿を見せなかった。部屋で食事をとると言う。ニネットもそれにつきあうとのことだった。
心配になって、レイゼルは食後に、彼を見舞いに行った。
グザヴィエ・ニネット夫妻の部屋も、とても広く豪華だ。グザヴィエはベッドで、積み上げた枕を背に座っていた。
ベッドの脇の椅子に座り、レイゼルは話しかける。
「お加減はいかがですか?」
「特に変わりはないな。長く椅子に座っていると疲れるので、今夜はベッドで食事をした」
グザヴィエは力なく苦笑する。
「せっかくリーファン族の城に来ているのに、蜂蜜酒に酔えないのは残念だ」
そこへ、
「ですから、せめてこうして温めているではないですか」
と、ニネットがちょっと呆れた様子でトレイを運んでくる。トレイに載った銀杯からは、湯気が立っていた。
「蜂蜜酒の、お酒の成分を飛ばして、寝る前に一杯だけ飲んでいるんですよ。蜂蜜は身体にいいですものね」
「ああ、そうですね」
レイゼルはうなずく。
王都の薬学校でも、蜂蜜は身体に潤いを与え、胃の働きを良くすると教わっていた。それに、グザヴィエは体調のせいで食が進まないようなので、栄養のある蜂蜜はそれだけで彼の助けになる。
「夫はリーファンの蜂蜜酒が大好きで、ここに来るなり醸造所を見せていただいて、出来立ての蜂蜜酒の壷をひとつ頂いたんです。大きな壷だったのに、もう半分も減っていたわ。よくこんなに甘いもの飲めますわね」
ニネットが苦笑しながら、銀杯をグザヴィエに渡した。ここの食器は全て銀製で、無駄に豪華である。
グザヴィエは蜂蜜酒を一口飲み、そしてレイゼルを見た。
「気にするな。そなたがここに来て、まだ二日目だ。そなたもここに来るのは初めてで、わからないことだらけだろう」
「ええ……でも、グザヴィエ様は人間族です。私こそが原因を突き止めなくては」
レイゼルが両手を握りしめると、ニネットが心配そうに言った。
「あまり、根を詰めすぎないでちょうだいね。シェントロッド殿も心配そうですよ」
「えっ!? はいっ」
あわてて振り返ると、背後でシェントロッドが彼女をじーっと見つめている。
「だ、大丈夫ですよ? それでは、また来ますね!」
レイゼルは夫妻に挨拶をして、シェントロッドと部屋を出た。
口うるさい助手は、レイゼルに言い聞かせる。
「今日も早く寝ろ。俺の休暇は明日までだ。明日、お前の体調が悪そうなら、レッシュレンキッピョン村に送り返すぞ」
「…………」
しかしレイゼルは考え事をしていて、彼の言葉が耳に入っていない。しばらくして、顔を上げた。
「あの、隊長さん」
「何だ」
「寝る前に、私も蜂蜜酒が飲みたいです」
そんなわけで、シェントロッドは蜂蜜酒の壷を持ってレイゼルの部屋にやってきた。
どん、とテーブルに置かれた壷を見て、レイゼルは目を丸くする。
「壷、でかっ。こんなにいらないですよー」
「俺も飲むし、残りは持って帰ればいい」
二つの銀杯に、蜂蜜酒が注がれる。
ソファで向かい合い、二人は同時に一口、飲んだ。
「はー、甘ーい。美味しい!」
レイゼルはちょっと視線を宙に遊ばせてから、杯をのぞき込んだ。
「前に隊長さんが持ってきてくださった蜂蜜酒と、味が違いますね。使っている蜂蜜が違うのかしら」
「そうだな。酒蔵の管理人が、これはドリュアの花の蜂蜜酒だと言っていた。今の時期はドリュアだな。アザネ村に持って行ったのは、確かティートの花の蜂蜜酒だ」
「へぇ。面白いです、色々と飲んでみたいなぁ」
レイゼルはもう一口飲み、また考えに沈む。
シェントロッドが、ふと何かに気づいた表情で顔を上げた。
「……蜂蜜酒が原因かもしれないと思ったのか?」
「あ、はい、ちょっと」
「ニネット殿は飲んでいないようだったからな」
彼は、先ほどの会話を思い出していた。ニネットは『よくこんなに甘いもの飲めますわね』と言ったのだ。
つまり、蜂蜜酒はグザヴィエだけが口にしている。
「はい」
レイゼルはうなずき、ソファの背に身体を預けた。
「でも、今の時期はドリュア、かぁ。ドリュアの花の蜜は、人間族も普通に食べるし……花そのものも食べられるし……やっぱり……関係ないのかな」
「ひとつずつ、可能性を潰していくのは、無駄ではない」
シェントロッドは答えながら、じっと、レイゼルを見つめる。
「はい……」
だんだん、彼女の目がトロンとしてきて──
──瞼が落ちた。呼吸が深くなる。
シェントロッドは静かに立ち上がると、彼女の手からそっと杯を取り上げてテーブルに置いた。
そして、軽々と彼女を抱き上げると、ベッドに連れて行き、横たわらせる。
大きなベッドでちんまりと眠るレイゼルの姿は、彼女が虚弱体質だということも相まって、シーツの波間に消えてしまいそうな儚さがあった。
「時々、死んでいないか、呼吸を確かめたくなるな」
シェントロッドはつい、彼女の口の前に手をかざしてみるのだった。
今日から3日連続更新予定です!
……予定です!
クリスマスプレゼントにできるよう頑張ります(笑)




