第五十八話 薬湯屋レイゼルと助手のシェントロッド
目やら舌やらを診察し、いくつか質問をしてから、レイゼルはいったんグザヴィエ夫妻とイズルディアの前を辞した。
「店主は、この部屋を自由に使っていいそうだ」
シェントロッドが、レイゼルを一つ下の階の客室に案内する。
彼女はぎょっとして足を止めた。
「こ、ここを私に? うちの水車小屋がまるごと入りそうなんですけど!」
天井の高い部屋は、正面が広いテラスになっていて、美しい湖が見えた。
左手にソファと低いテーブル、大きな書き物机、小さな厨房まである。火脈鉱のおまけつきだ。
右手側には、天蓋つきの巨大なベッド。レイゼルが泳いでしまいそうな大きさだ。その足下に、すでに運ばれていた荷物が置かれている。
人間族で小柄な彼女が部屋を使いやすいように、踏み台なども用意されていた。
「荷を解くか」
「じっ、自分でやります! あの、ええと」
「何か望みがあれば、俺に言え。ここにいる間は、お前の助手をしてやる」
腕組みしてシェントロッドが彼女を見下ろす。偉そうな助手である。
「た、隊長さんが、じょしゅ……」
「お前から離れないと言っただろう。文句でもあるのか」
にらまれて、レイゼルは両手をぶんぶんと振った。
「ないですないですっ」
「客室も、隣にしてもらった」
シェントロッドは、右手側にもう一つあった扉に近づき、開けて見せた。どうやら隣の部屋に通じているらしい。
「昼間は開け放しておく」
彼はレイゼルのそばに戻ってくると、彼女とまっすぐ向かい合う。
「いいか、グザヴィエ殿のことだけではない、困ったことがあったら何でも知らせろ。店主の体調も含めてだ。お前に倒れられたら困る」
「はいっ、ありがとうございます」
レイゼルはうなずき、そして表情を引き締めた。
「では、お願いが。グザヴィエ様がゴドゥワイトに来てからの、生活の様子を知りたいんです。特に、何を食べたり飲んだりしたのかの記録は絶対です」
そこへ、「失礼します」と声がかかった。
開けたままだった扉から、女性のリーファン族が姿を見せる。シェントロッドが応対し、彼女から紙の束を受け取って戻ってきた。
「今言っていた、食事の記録だ。料理人が献立を記録していて、すでに一度ここの医師が調べたらしい」
「料理人?」
「人間族のな。リーファンの集落に来るにあたって、グザヴィエ殿が連れてきたそうだ。賢明だな」
レイゼルはそれを受け取り、シェントロッドを見上げた。
「ありがとうございます。あの、これを一緒に見ていただけませんか? 二十日もいたのなら、食材も持ち込みだけではなくてこのあたりで調達しているはずなので、私ではわからないものもあるかも」
「わかった」
二人はソファに向かい合って腰かけ、さっそく記録に目を通し始めた。
(……あ。何だか、界脈調査部にいた時みたい……)
そう思ったレイゼルが、ふと視線を上げると、シェントロッドの視線とぶつかった。
(わっ、びっくりした)
またすぐに書類に顔を伏せるレイゼルだった。
こうして、人間族の男性グザヴィエの治療は始まった。
彼が体調を崩したのは、ゴドゥワイトに来て五日目のことらしい。めまいがするとの訴えに、リーファン族の薬湯屋が薬湯を処方した。
しかしめまいは治らず、倦怠感が徐々に強くなり、八日目に廊下でよろけて壁にぶつかってしまった。医師が診察したが病気らしい病気は見つからず、薬湯屋は処方を変えたけれど、やはり治らない。
ついに、つかまりながらでないと歩けなくなった。
「界脈を読みとれない人間族も、無意識に界脈を感じとってそれに寄り添おうとするものだが、グザヴィエ殿は界脈を感じることができない状態にあるのではないか。どこにも寄り添わずに、『浮いて』しまっているのだ」
それが、リーファン族の医師と薬湯屋の、共通の見解だった。
イズルディアも、グザヴィエの奥方のニネットも心配し、人間族の町で治療した方がいいのではないかと話し合った。しかし、それができない事情があったのだ。
その夜の、食堂にて。
レイゼルの食事も、グザヴィエ・ニネット夫妻の料理人が一緒に作ってくれることになり、彼女は夫妻と一緒に食卓を囲んだ。シェントロッドもレイゼルの薬湯でつきあっている。
グザヴィエはため息をつきながら、ゴドゥワイトを離れられない事情を説明してくれた。
「私の実家が、リーファン族と不仲なのだ」
しゃべるのがおっくうそうな彼を気遣わしげに見ながら、ニネットが続ける。
「夫の代でそのわだかまりを解き、ようやくイズルディア殿とも交流を持てるようになったのに、ゴドゥワイトで夫に何かあったと知れれば、実家は激怒するでしょう」
「それで、私が呼ばれたんですね」
「ええ。できれば、夫が元気な姿で帰郷できるように、力を貸して欲しいのです」
「やれるだけのことはやります」
レイゼルはうなずき、食事を味わいながら食べる。料理人には、ここでグザヴィエが食べたものをなるべく再現してもらっていた。
「とても美味しいです。肉や魚は、召し上がっていない?」
「ええ。ゴドゥワイトに持ち込むのは、やはりはばかられましたの」
「では菜食中心で、後は卵、チーズ、バター、蜂蜜……という感じですよね……」
アザネ村では手に入らないような高級食材がちらほらあるものの、日常的に使う食材は、レイゼルがシェントロッドにスープを作る時のものとそう変わらない。
ニネットは、余談、といった風に微笑んで言う。
「具合が悪くなってからは、夫は消化のいいスープを食べているんですけれど、冬場は毎日似たような味になってしまうと、料理人が苦労しておりました」
「わかります! 冬は野菜の種類が少ないですし、肉や魚の出汁が使えないですものね!」
シェントロッドのスープを作っているレイゼルは、つい深く共感する。そんな彼女を、眉根を寄せてチラ、と見るシェントロッドである。
レイゼルは水を飲んでから、にこりと笑った。
「でも、もう春です、野菜も豊富になります。あと、薬種の中にも料理を美味しくするものがあるので、色々と楽しめますよ。よかったらお分けします」
「まぁ、助かるわ。料理人に伝えておくから、ぜひ話してみてちょうだい」
ニネットも微笑みを返した。
食後、レイゼルとシェントロッドはいったんレイゼルの部屋に戻った。部屋は暖炉の火で暖まっている。
「今夜のお食事は、グザヴィエ様の初日の夕食と同じ献立でしたけれど、何もおかしなところはなかったですね。献立表に書かれていない、調味料やなんかも気をつけてみましたけれど、大丈夫そうでしたし」
ローテーブルにランプを置き、ソファで献立表とにらめっこしながら、レイゼルは唸る。
その献立表を、スッ、とシェントロッドが上から引き抜いた。
「あっ?」
反射的に手で追おうとするレイゼルのはるか頭上に、シェントロッドはひらりと献立表を持って行く。
「後は明日だ。今日はお前も疲れている、すぐに寝ろ」
「え、でも」
「療養明けには重すぎる案件だ。しっかり休まないと、後が続かないぞ」
「うう、はい……」
「というわけでこれは、明日まで俺の部屋で預かる」
シェントロッドはさっさと、机の上の書類を全部かき集めてしまった。そして、レイゼルを見下ろす。
「寝る前に、何か飲むか? さすがに薬草酒は持ってきていないだろう。リーファンの蜂蜜酒ならあるぞ」
「あ、ええと、蜂蜜酒はいらないんですけど、お水を」
おずおずとレイゼルが言うと、シェントロッドはさっさと部屋を出ていき、水差しを持って戻ってきた。
「飲んだら寝ろ。何かあったら呼べ、小さな声でも俺なら聞こえる」
彼は隣の部屋に続く扉から出て行った。パタン、と扉が閉まる。
「むむむ」
レイゼルは、本当はもう少し調べ物をしたかった気持ちを持て余しつつ、しぶしぶと水を飲む。
しかし、寝間着に着替えてベッドに入ったとたん、すこんと眠ってしまった。気持ちが高ぶっていて気づかなかったが、彼女は疲れていたのだ。
意外と優秀な助手のシェントロッドであった。




