第五十五話 不眠症のピリナ 後編
翌日、ピリナは再びペルップの店にやってきた。
「眠れない時に飲む薬湯? ぜひほしいわ! 何が入っているの?」
ピリナは詳しく聞きたがり、作るところも見たがるので、レイゼルは彼女の目の前で薬種をひとつひとつ説明した。そして、実際に煎じてみる。
「うーん、この、鼻に抜ける感じ、何かしら? ちょっと苦手」
鼻にしわを寄せるピリナに、レイゼルはうなずいた。
「なるほど、じゃあ処方を変えてみましょ」
「いいの?」
「もちろん。他にも、眠れない時に使える薬種はあるからね。ピリナがいい香りだと思う配合が、一番ピリナに必要な配合なんだと思う。そういうものなの」
そこへ、外出していたペルップが帰ってきた。
「また雪が降ってきたぞ。おー、ピリナ」
「あっ、ペルップ先生! こんにちは!」
彼と話す時は、少し緊張した様子を見せるピリナである。
レイゼルはまじまじと彼女を観察してみるのだけれど、やはり人間族と勝手が違って、心情は読みとりにくいのだった。
それから、ピリナは毎日決まった時間に来て、薬湯を飲むようになった。
ペルップが起きている時は、三人で会話することもある。そんな時、ピリナはやはり少し緊張している様子だったけれど、ペルップに薬種のことを質問している。
(不眠症の薬湯が、話しかけるきっかけになっている……? いいことなんだよね?)
レイゼルはまだ、判断がつかない。
レイゼルとピリナの二人で、露天風呂に浸かることもある。レイゼルがベッドで横になっている時は、隣のベッドでごろごろしてもらっておしゃべりする。
そんな風に過ごすうちに、ピリナはレイゼルとの時間をリラックスして過ごせるようになった。薬湯を飲んで、ベッドに腰かけてそれぞれ本を読んだり、のんびりと話をしているうちに、少しウトウトする時間もでき、そしてそんな時間が増え始めた。
「ピリナ、毛並みが艶々してきてない?」
レイゼルが褒めると、ピリナは嬉しそうに髭をぴこぴこさせた。
けれどやはり、ベッドのある部屋や風呂でならウトウトしても、ペルップのいる店部分ではほんのり緊張して、眠れない様子である。
「ねぇ、ペルップ」
レイゼルは、ピリナのいない時に聞いてみた。
「トラビ族は、恋をしたり結婚したりって、どんな感じなの? 人間族だと、私の年頃の女の子は結婚する人が多いんだけど」
「んー、結婚するのは半分くらいかなぁ。自然に任せるというか」
「自然に?」
「気の合う相手と出会って、子どもができたら、一緒に暮らすって感じかなぁ」
「そうか、結婚が先じゃないんだ」
ここでも、種族差を感じるレイゼルである。
ペルップはぐひひと笑った。
「オレは今のところ、そういう相手と出会ってないけど、村の外には割と出る方だから、どっかで出会いがあるかもな!」
「そ、そうだね!」
レイゼルはうなずきながら、
(あぁ……ピリナはペルップの眼中にない感じだよ)
と、ちょっと彼女に同情するのだった。
ある日、やってきたピリナは、再び調子が悪そうだった。
「昨日の夜、眠れなくて」
「えっ、何かあったの?」
「そうじゃないけど……」
ピリナはうつむき、ちらりと視線を横に走らせた。
板間の隅で、今日はペルップが眠っている。
「……ペルップと、何かあった?」
レイゼルがおそるおそる聞くと、ピリナは口ごもる。
「ううん……ええと……」
「うん?」
「あのね」
彼女は、思い切ったように顔を上げた。
「私、ペルップ先生に、話してみようと思って。そのことを考えていたら眠れなかったの」
「えっ」
レイゼルはドキーンとして、その衝撃で一瞬めまいがした。
「だ、大丈夫? レイゼル」
「あっ、大丈夫大丈夫。えっと、話してみるっていうのはつまり」
聞こうとした時、「うーん」という声がした。
ペルップが、毛布の中でもぞもぞと動いている。
「あっ、ペルップが起きそう。あの、じゃあ私、席を外すね」
「えっ、どうして!? レイゼルもいて!」
ピリナはしっかりと、レイゼルの片手を握った。
(嘘ぉ、だって、愛の告白をするんでしょう!? 私、ドキドキしすぎて身がもたないかも!)
もしペルップがピリナの気持ちに応えたとしても、今レイゼルがドキドキのしすぎで死んだら、二人の幸せに水を差すのでは? と、レイゼルは困るやら混乱するやら。
しかし、すでに遅い。
「おー、ピリナ、来てたのか。んー」
ペルップが毛布から出てきて、伸びをした。
レイゼルの手を握るピリナの手に、力がこもる。
「あのっ、ペルップ先生!」
「んん?」
ペルップがひょこひょこと、二人に近づいて立ち止まる。
「どした?」
「実は、私っ」
ピリナは、ぎゅっ、と目をつむり、声を張った。
「薬湯屋さんになりたいの! 王都の薬学校の試験を受けたいんです!」
「……へ?」
レイゼルは目をぱちぱちさせた。
ピリナは一気に続ける。
「王都で学んできたペルップ先生、すごくかっこよくて、憧れてたんですっ。私の師匠になってくれませんか!?」
「おー、いいぞ」
ペルップは、拍子抜けするくらいあっさりと答えた。
「ピリナは勉強熱心だもんな。俺を見て薬湯屋になりたいと思ってくれて嬉しいぞ」
「でも、王都に行くかもってなったら、両親に反対されるんじゃないかって心配で。昨日はそのことばっかり考えて、眠れませんでした。先生、両親に話すので、ついてきてくれませんか!?」
「おー、いいぞ」
ペルップはどこまでも軽い。
「ありがとうございます! ……レイゼル!」
ピリナはレイゼルに向き直り、両手でレイゼルの手をもう一度、握り直した。
「ありがとう! あなたが誘ってくれたおかげで、ここであなたや先生の仕事を見ることができて、決心が固まったの!」
「そ、そうなの? よかった」
半ば呆然としながら、レイゼルはうなずいた。ピリナは目を細めて笑っている。
「さすがに、師匠になる人がお仕事している時は見ていたくて眠れなかったけど、あなたと一緒に休ませてもらって助かったわ! じゃあ、行ってくるわね! 先生、お願いします」
「うん。でもお前の両親、起きてるかなー」
ペルップとピリナは連れだって、外へ出て行った。
「……なんだぁ……!」
レイゼルはへたへたと、板間に座り込んだ。
(そうよね、勉強家だってことはわかってたし、薬湯にもすごく興味を持ってたじゃない。ペルップに対する気持ちは、恋じゃなくて、憧れや尊敬だったのね!)
「やだもう、私ったら、勘違い!」
自分が恥ずかしくなってきて、レイゼルはじっとしていられずに土間をぐるぐると歩き回った後、薬草棚に駆け寄った。そして、ちゃっちゃと身体の中の熱を下げる薬湯を配合して煎じ始める。
そこへ、
「レイゼル」
と声がかかった。
「ひゃあ!」と振り向くと、戸口をくぐってきたのはシェントロッドである。
彼は眉を顰めた。
「様子を見に来たが、顔が赤いな。熱が出たのか」
「ち、違います、ええと……聞かないで下さい」
ますます真っ赤になって目を回しそうになったレイゼルは、へたへたと段差に腰かけた。
急いで近づいてきたシェントロッドは、険しい顔になる。
「相当、具合が悪そうだな。だいぶ良くなったと思っていたのに。ベッドに運んでやる」
今にも抱き上げようと屈み込むシェントロッドを、レイゼルは急いで止める。
「大丈夫です! ええと、薬湯がもうすぐできるので。飲んだら大丈夫なので、本当に」
ぱたぱたと手で顔を扇ぎつつ、何となく彼の顔もまともに見られないレイゼル。
シェントロッドはいぶかしげに、そんな彼女を見つめるのだった。




