第五十四話 不眠症のピリナ 前編
トラビ族の女の子は、ピリナと名乗った。
帽子を取り、コートを脱ぐと、ペルップよりも毛の色が淡い。まるでミルクを少し入れた紅茶のようである。年の頃は、レイゼルよりやや若い感じがした。
彼女は、板間と土間の段差に座る。
「ピリナ、お茶をどうぞ。それと、甘いものは好き?」
ピパの葉茶を出しながら聞くと、ピリナは「好き!」と答えながら、ちら……とペルップを見た。
彼は板間の隅で壁にもたれて座り、毛布にくるまったまま目元だけ出し、置物のように寝息をたてている。
レイゼルは、鍋で茹でていたカショイモをザルにあけると、皮を布巾を使って手早く剥いた。
濃い黄色のイモを潰したところに、ジオレンの果汁を入れ、ぐるぐると混ぜられる程度になめらかにする。
木の器によそり、ケッシーの木の皮を粉にしたものをスプーンで散らした。いい香りがするし、身体が温まる効果がある。
「『カショイモとジオレンの果汁の甘いスープ』。味見してみてくれないかな?」
椀に入れて出すと、ピリナは鼻先を動かして香りをかいだ。
そして、スプーンで一口。
「……美味しいわ! 甘いカショイモが、ジオレンでさっぱり食べられる。ジオレンのこんな食べ方、初めて!」
「よかった! せっかくこの村にいるから、ジオレンで何か作りたかったの」
レイゼルも器を持って、ピリナの隣に腰かけると、食べ始めた。
ピリナはもう一口食べてから、レイゼルを見る。
「レイゼルも、人間族の村の薬湯屋さんなんですってね。具合が悪くて、ここに来たって聞いたの」
「うん、そう。元々、あまり丈夫じゃないのに、ちょっと無理しちゃって」
「薬湯屋さんなのに、身体が弱いの?」
ズバズバ言うところは、トラビ族の特徴かもしれない。
「そうなの。っていうか、身体が弱いから薬湯屋さんになったの。自分のためにもなるし、村の人のためにもなるでしょ」
「なるほど……! 発想の転換! 賢いのね! やっぱり賢い人が薬湯屋さんになるのね!」
「ど、どうだろ……」
澄んだ瞳で褒められて、困ってしまうレイゼルをよそに、ピリナは片手で拳を作る。
「私も賢くなりたい! だから、みんなが寝てる間に、本をたくさん読んでるの」
「そっか。でもピリナ、さっき『眠れない』って言ってたね。それは、眠りたくても、ってこと?」
「ええ」
彼女はため息をついた。
「何だか色々、考え事をしちゃって。寝なくちゃ、って思うとよけいに眠れないし。いつもこうなの」
「いつも!?」
「ええ。夜遅くになると、プッツンと糸が切れるみたいに眠れるんだけど、昼間は全然」
よくよく見ると、ペルップと比べて、毛並みに艶がない。元気とはいえない状態なのかもしれない。
(人間族ならともかく、トラビ族が冬場にウトウトしなくて大丈夫なのかしら。それに、夜に眠る時、気絶するみたいに入眠するのは、確か良くないことなのよね)
レイゼルは心配になって聞く。
「考え事って、何か悩みでもあるの?」
「悩みっていうか……」
ピリナは口ごもる。話したくないようだ。
無理に聞き出そうとはせず、レイゼルは少し話を逸らした。
「家族が寝てる間、退屈でしょうね」
「うん。だから、私ひとりで本を読んでることが多いんだけど、もう家の本は読み尽くしちゃって。散歩したら疲れて眠れるかなと思ったけど、歩きながらまた色々考えて、目が冴えちゃって」
そう言いながらも、彼女は板間に積み上げられた本の山をちらちらと見ている。
(ほんとに読書家なのね)
レイゼルは思いながら、言った。
「ペルップに、ピリナが来てここの本も読んでいいか、聞いてみましょうか。時々遊びに来てくれると、私も嬉しいから」
「ほんとっ?」
「うん。それに、起きてる人同士で過ごした方が、ランプ油の節約にもなるでしょ。もし眠くなったら、ここで寝たらいいわ」
提案すると、ピリナは耳をぴょこんと跳ねさせた。
「ここで寝る!? そ、そんなっ、恥ずかしい!」
「恥ずかしいんだ!?」
みんなで浴場でウトウトしているのに!? と思ったレイゼルは、つい突っ込む。
「だって……」
ピリナは再び、チラチラと視線を板間の隅に投げた。
けれど、今度見ているのは、本の山ではない。
ペルップだ。
さっき、ピリナを店に誘った時の、彼女の反応を思い出す。
『えっ!? ぺ、ペルップ先生のお店に……?』
そして、ここで寝るのが恥ずかしいという。
(あ)
レイゼルはドキッとした。
(もしかしてピリナ、ペルップのこと……?)
また明日来る、と言ってピリナが帰った後、ペルップが起きてきたのは夕方だった。
「おー、レイゼル、なんか美味そうなもん作ったなー」
甘いスープの入った小鍋を覗くペルップに、レイゼルはうなずく。
「うん。ピリナを呼んで一緒に食べたの」
あの後も色々と話をしたが、彼女は大工の家の娘で、八人きょうだいの七番目だそうだ。トラビ族は多産である。
「それでね……」
先ほどのピリナの様子を、レイゼルはペルップに話してみた。
彼は首を傾げる。
「冬に眠れないっていうのは、変だなぁ。夜の寝方も、聞く限りでは良くない」
「やっぱりそうよね、私も変だと思ったの。それに、色々考え込んでしまって、眠らなくちゃっていう焦りもあってますます眠れなくて……でしょ」
レイゼルは言う。
「不眠症、かもしれないよね」
ピリナの様子は、精神的なものから来る不眠症の症状に思える。
「そういう時は、無理に眠ろうとしない方がいいと思って。ここの本、読ませてあげてもいい?」
「もちろんいいぞ!」
「それとペルップ、アイドラの実があったでしょ? トラビ族にも効くよね」
「あぁ、うん。もしかして、不眠に効く薬湯を作るつもりか?」
「今度来たときにピリナに話してみて、夜に家で飲めるように処方したらどうかと思うんだけど」
「あー、それもいいけど、昼間にここで飲むのもいいかもな」
彼は髭を動かす。
「夜以外に一つ時間を決めて、その時間にここで飲んで寝る、ってのを習慣づける!」
昼間もずっと眠ろうと努力し続けて、焦ってしまう状態なのであれば、眠る時間を絞ろうというわけである。
しかも、自宅以外で。
(色々な場所で寝るトラビ族ならではだよね。人間族とは勝手が違うから難しいな。私は処方だけ協力して、あとはペルップに任せよう)
レイゼルは思いながら、提案する。
「アイドラに、ジオレンの皮やケッシーを合わせたらどう? トラビ族も馴染みがあるでしょ」
「おぉ、いいな。リョウブも入れるか。あと、そうだなー」
熱心に考え始めるペルップを見ながら、レイゼルは自分の薬湯をすする。
(でも、ここで寝る、かぁ。原因がアレだとしたら、どうなのかな)
ひょっとして、ピリナはペルップに恋しているのではないか……と、レイゼルは考えていた。
もしそれが不眠の原因なら、どうなるのか。
(ずっと悶々としてたなら、店に来て本人の近くで過ごしてみるのも手……なのかな。荒療治かしら。恋してるときにどうするかなんて、学校では習わなかったわ)
ちょっと困るレイゼル。
ふと、脳裏にシェントロッドの顔が浮かぶ。
(わぁ。どうして隊長さん。あ、そういえば、リーファン族は恋すると、どんな風になるのかな)
彼女にはどうにも、シェントロッドが恋に悩んで眠れない様子などは想像できない。
(とにかく、ピリナについては、やってみてからだ!)
レイゼルはひとり、うなずくのだった。




